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日本宗教のクセ
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | ミシマ社 |
| 発売年月日 | 2023/08/04 |
| JAN | 9784909394910 |
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日本宗教のクセ
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商品レビュー
3.8
10件のお客様レビュー
家族旅行で読み切った 内容的には、いつもの感じかなと 思いました。特段今までの感じてきた内容と 大きくかわっていないように思いました。
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「夕日」や「お墓」、「政教分離」をキーワードに自由な対談が行われています。当該の書籍を読んでいないのでわかりませんが、内田氏の「日本習合論」の考え方をベースとしているようです。 少なくとも習合している状態は良いことであるということが前提として話が進んでいきます。 思うに、「境...
「夕日」や「お墓」、「政教分離」をキーワードに自由な対談が行われています。当該の書籍を読んでいないのでわかりませんが、内田氏の「日本習合論」の考え方をベースとしているようです。 少なくとも習合している状態は良いことであるということが前提として話が進んでいきます。 思うに、「境界線を適度に曖昧に保っておく」というのが、宗教を考えるうえで重要な概念になってくると感じました。 神仏習合は、仏教と神道の境界を曖昧にしておく考え方とも言えます。 夕日は、昼と夜・安全と危険の境界であり、その曖昧さ、両義性に人間は惹かれるのでしょう。アメリカの開拓者たちは、その夕日が沈む方に向かってフロンティア(境界)を押し進めて、境界を無くしていったとも言えるのではないでしょうか。 また、物狂いは異界とのチャネルを有しており、普通の人が感じ取れないものを感じ取れると考えられていたとのことです。普通の社会では居場所がないようでも、生きていくために必要な非社会的な役割を担っていることを皆がわかっていたため、支えられて居場所を与えられてきたと考えられます。 そう考えると、新宗教の教祖に、いまでは精神病と見なされるような狂った言動をする人物が多かったことも分かる気がします。そのような物狂いと社会的な人間との間に、さらに科学で境界を引いてしまった現在では、宗教的なものと触れ合う機会が失われているのかもしれません。 そして、死者は「生きている人間」と「もう土に還った人間」との境界に位置するものであり、死んだからといって何もなかったことになるわけではないという意識は、死というものに対する宗教的な考え方の第一歩です。 この「境界」というキーワードを用いて、最後に釈徹宗氏が宗教的センスに関して大変共感できる考え方を述べていました。 「信仰・信心というのは、信じている人と信じていない人との境界を生み出すわけです。それを避けることができない。だから、信仰や信心は常に他社を傷つける可能性をはらんでいる。そのことに自覚的であるかどうか。また、宗教に無自覚な人は、他者の信仰や信心に対して鈍感になりがち。それは、無自覚に他者の尊厳や人格を棄損してしまいがちだということです」 今後、釈徹宗氏の著書も読んでみたいと思わせてくれた一冊でした。そして実際にNHK出版の『問われる宗教と”カルト”』に出会うことができました。 なお、前提知識が無いからか、内田氏の言葉選びが難解だからか、読みにくいところもありました。政治(自民党)や原発を批判したいがあまりにこじつけていると思わされる部分も見受けられます。「原発は日本人が宗教性を失った最大の指標」……?(笑) 印象に残ったフレーズの多くは内田氏の発言でしたが、文脈を考えて見直してみると、何かそれっぽいことを言っているような物言いで煙に巻かれている気分。こういう本は結論を求めるものではないのでしょうが、なぜこの話をしているのだっけ?と見失うこともありました。
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誰もが主観的願望や偏見を投影して世界を見ている。「私が見ている世界だけが真の客観的現実で、お前たちの見ている世界は幻想だ」と言う権利は誰にもない。「自分が見ているものの客観性を過大評価しない」というて知的節度は必要だが、「誰もが主観的バイアスのかかった現実認識をしている。みんな妄...
誰もが主観的願望や偏見を投影して世界を見ている。「私が見ている世界だけが真の客観的現実で、お前たちの見ている世界は幻想だ」と言う権利は誰にもない。「自分が見ているものの客観性を過大評価しない」というて知的節度は必要だが、「誰もが主観的バイアスのかかった現実認識をしている。みんな妄想のうちにいるのだ」というニヒリズムに飛躍することに反対である。確かに全ての人は主観的願望を投影して、幻想的な世界を見ているのだけれど、幻想にも身体レベル、心のレベルで「受け入れられる幻想」と「人として受け入れがたい幻想」の違いがある。ものごとには「限度」というものがある。その限度を超えるふるまいに僕は自制を求めているのです。
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