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日本宗教のクセ の商品レビュー

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2024/05/26

『日本宗教のクセ』 内田樹・釈撤宗 2024年5月26日 8:21 まだ、文章にまとめるには脳内で整理しきれていないが、人間の認識を広げるものとしての宗教としての機能はやはり絶対的に認めることができると思う。現在、(自分を含めて)大衆社会の中で、時間や空間の感覚が狭くなってい...

『日本宗教のクセ』 内田樹・釈撤宗 2024年5月26日 8:21 まだ、文章にまとめるには脳内で整理しきれていないが、人間の認識を広げるものとしての宗教としての機能はやはり絶対的に認めることができると思う。現在、(自分を含めて)大衆社会の中で、時間や空間の感覚が狭くなっているとも感じるが、特に社会保障やセーフティネットの問題を考える場合、いかに不遇の人々を自分自身の変容態と認識しきれるかによって、徴税能力が大きく異なると感じる。究極的には、社会はあらゆる虚構的存在によって成り立っているが、その虚構をどこまで害のない形で信じ切れるかによって、社会の運営、引いては個人としての幸福にも大きく影響するのではないかと感じる。最初に引用するお話の中でも、カントよろしく、すべての人々にとっては世界はあくまで主観的な認識に基づく幻想にすぎない。しかしながら、自分が見ているものが幻想であり、他者もまた全く異なる幻想を見ているという双方に自制の効いた状況の中で、お互いが折り合っていくかという意味では、年季の入った古来からの宗教には、幻想の弱毒性のレベルが高いのではと感じる部分がある。 • 最近、Twitterでも内田老師がつぶやいていたが、主観的な認識に対する「程度の問題」ということを、よくよく理解しなければならない。近現代の思想の中で、構造主義やマルクス主義では、「大きな物語」が重宝されていた。多くの事柄を説明できるような大きな器に乗っかっている時代である。しかしながら、ポストモダニズムの中で、我々が見ているものはすべて主観的な幻想であり、客観的事実は存在しないということが叫ばれ始める。これはこれで、「自分が見ているものの客観性を過大評価しない」という知的態度としてはよろしいのであるが、それを推し進めた結果、「誰もが主観的バイアスのかかった幻想の中で生きているゆえに」不可知論に陥り、相対主義の中で折り合いがつかなくなってしまうことは、よろしくない。我々が目にしているあらゆる幻想の中で、「受け入れられる幻想」と「人として受け入れがたい幻想」をしっかりと区分けして、ブリッジングすることが、現在の市民に求められていることではなかろうか。最近、新入社員や若手社員とお話することが多くなったが、結構理想主義的なことを言うメンバーも多い。私自身もかつてはそうであり、今ですらも諸先輩方にはそう思われているようにも思えるが、会社という不完全な人間の集合体において、正直、問題のない組織はない。潔癖的に処理してしまえば、たちまちメンタル不調に陥る中で、組織としてクリティカルな問題から、一つ一つ手当て(決して、解決ではない)を施していくしかないのであろうと言う積極的諦念が生まれてからというもの、とても仕事がしやすくなったというブレークスルーが私自身がある。実際に、リーダー陣と話してみても、巷に言われる課題解決能力というものはいささか曲解されている節もあるように思える。身もふたもない話であるが、課題は解決できないのである。そもそもにおいて、世の中のすべての課題のうち、我々が認識できる課題が一部であり、そうした課題の中でも、どの課題が一番クリティカルで、なおかつ機会にも変容しやすいかという課題間の見極め能力が高い人が、やはり課題”解決”能力が高いのではないかと実際に組織の中にいると感じるのである。 Go Westという性分:夕日の習合論の中で出てくる話であるが、人間には西へ向かう性質があるのではないかいうものである。世界史の中で登場する多くの帝国や、先駆者は西へ進んできているという趨勢がある。想像にたやすいのは、アメリカの開拓期であり、そもそもにおいて、ヨーロッパから西へ進んできたのがアメリカと言う国の建国そのものである。さらに、中国を見ても、唐の時代も西へ進み続けている。中国が東に来たのは実に始皇帝が不老不死の秘薬があるとそそのかされて船出した時と、まさに元寇の時くらいであろう。なぜ人は西へ進むのか。それは夜を迎えないためであるというのが内田老師の仮説である。当たり前であるが、人は西に進み続ける限り、夜を迎えることはない。体内時計ならぬ、体内方位磁針のようなものがあり、集合的無意識の中で西へ進む性質があるのではないかという想像である。なお、世の中にはオリエンテーションという東へ向くという単語はあるが、オクシデンテイトという言葉はない。いささかこじつけのような感もあるが、西には無意識に向かうため、東へ向くということには概念が必要と言うことらしい。

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2024/04/27

内田樹、釈徹宗二人の対談集。日本宗教について広く様々なトピックを取り上げ考察を繰り広げる。その視点が全体を見通す広いものであるということが、半ば漠然とした「クセ」という言葉に表れているのだと思う。習俗を日本宗教のクセとして捉える視点は面白かった。私はずっと昔から日本には宗教教育が...

内田樹、釈徹宗二人の対談集。日本宗教について広く様々なトピックを取り上げ考察を繰り広げる。その視点が全体を見通す広いものであるということが、半ば漠然とした「クセ」という言葉に表れているのだと思う。習俗を日本宗教のクセとして捉える視点は面白かった。私はずっと昔から日本には宗教教育が欠落していると思っているので、その点では非常に考えさせられる内容であった。

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2024/01/31

日本宗教の神仏習合論が興味深かった。正月には神社へ初詣に行くし、年末はお寺へお墓参りに行って、クリスマスにはツリーを飾ってクリスマスケーキを食べている。宗教的センスの良さは持ち合わせたほうが良さそうだと思った。

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2024/01/14

p48 四天王寺 御本尊は救世観音 太子信仰 聖徳太子 金剛組は太子建立の四天王寺を作った人たちの系譜

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2023/12/17

日本人は無宗教、という感覚は今でも根強くはあるんだろうけど、一方でいやけっこう宗教的な国民性だよ、という見方も浸透してきている気はする。二世問題やら、統一教会問題やら、社会をにぎわしたりもしたしね。内田氏の見方は、けっこういろんな本で一貫している気がするんだけど、それは原理ではな...

日本人は無宗教、という感覚は今でも根強くはあるんだろうけど、一方でいやけっこう宗教的な国民性だよ、という見方も浸透してきている気はする。二世問題やら、統一教会問題やら、社会をにぎわしたりもしたしね。内田氏の見方は、けっこういろんな本で一貫している気がするんだけど、それは原理ではなく程度であるということ。まぁ、おりあいつけましょうよ、と。下手するとぐずぐずになってしまいがちで、敬遠される見方かもしれないけど、案外それこそが日本的な大人の知恵なのかもしんないな、なんて思った。そうした、昭和から平成を背負ってきた世代の内田氏の見方に対して、釈氏が宗教的背景を交えながら、感想を行ったり、伝統について、あるいは今現在進行しつつある活動について語ってくれる。読んでいて、楽しかったし、いろいろ刺激的だった。  俺自身は、ボーン・クリスチャンといういい加減な宗教的背景があるんだけど、まぁそのくらいがあっていいのかもしんないと思う。  宗教はネガティブなものではないが、同時に安易に利用できるようなものとしてなめてもいけない、というね。

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2023/09/27

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1706871363905167375?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

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2023/09/08

読了。今の自分にそれほど緊急性のある話でもなかったが、つい本屋で買ってすぐに読み始めた。今の自分に必要なことであったように感じる。

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