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日本宗教のクセ
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日本宗教のクセ

内田樹(著者), 釈徹宗(著者)

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日本宗教のクセ

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ミシマ社
発売年月日 2023/08/04
JAN 9784909394910

日本宗教のクセ

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商品レビュー

3.8

11件のお客様レビュー

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2026/03/11

内田樹氏と釈徹宗氏による、日本の宗教をテーマにした対談本。タイトルに惹かれて手に取ったものの、取り止めのないおしゃべりといった感じで、日本宗教の傾向について体系的に学べるような本ではない。ただ、知識人同士の上質な対話に混じれているような感覚で、読んでいて大変興味深く面白かった。 ...

内田樹氏と釈徹宗氏による、日本の宗教をテーマにした対談本。タイトルに惹かれて手に取ったものの、取り止めのないおしゃべりといった感じで、日本宗教の傾向について体系的に学べるような本ではない。ただ、知識人同士の上質な対話に混じれているような感覚で、読んでいて大変興味深く面白かった。 いつも思うのだが、内田樹さんって何やってる人なのかよくわからない。武道をやってる方ということと、wikiを見るとフランス文学者って書いてあるけど、とにかく博識で何にでも詳しい。この対談では、テーマだけ釈さんが事前に決めて、あとは打ち合わせなしで喋っているそうだが、よくそんなにポンポン話が出てくるなぁと感心する。話してることには謎の説得力がある一方で、実はあんまりちゃんとした根拠はなかったりもしていて。長屋に住んでいたら、「ご隠居」とか「先生」とか呼ばれている類の人なんだろうなと思った。 日本の宗教がテーマなので、話している内容は多岐にわたっている。何でも効率を求めて無駄を排除しすぎたり、全か無か、白か黒かの二項対立の枠に当て嵌めようとすることには警鐘を鳴らしていた箇所には共感した。…「鶏鳴狗盗」「レンマ」 お墓の章で、祖先を供養したり、子孫のために環境保全に努めたりすることを、「過去の他者」「未来の他者」という概念を使って、拡大された自我の一部と説明していたのはすごく腑に落ちた。この感覚は希薄になりつつあり、自分さえ良ければいいという人が増えているように感じる。政教分離の章では、お二人が政治家が宗教を舐めすぎだと憤っていたが、今の政治家が宗教を利用したりされたりすることを「世俗的なマター」と考えていることも、同じところに起因する気がしている。 最後の章で、子どもたちの宗教性を涵養するには、という話をしていて、宗教性って育てないといけないものなんだ!と驚いた。この世の中にはたしかに、人間的な語彙やロジックでは語り尽くせないような物事が存在しているのに、そういうことに対してまったく無自覚で、人間には人間世界しかないと思い込んでいる人は「幼稚な人」とまで内田氏は言い切っている。でもたしかにそうかもしれない。 釈さんが大事なことを言っていて、宗教的成熟の目安は、「他者の宗教性・信仰に対して鈍感ではない」ことと、「自分の信仰の加害者性に自覚的」であると。宗教に無自覚な人は、他者の信仰や信心に対して鈍感になりがちで、それは無自覚に他者の尊厳や人格を棄損してしまいがちだ。また、信仰・信心というのは、信じている人と信じていない人との境界を生み出すことを避けられないため、信仰や信心は常に他者を傷つける可能性をはらんでいることに自覚的であるかどうかが大切になってくる。 日本人は、自分を「無宗教」と自認している人も多いぐらいだから、前者の「宗教的未成熟」のパターンが多いのだろうと思う。これから移民をたくさん受け入れて、ますます多様性を尊重しなければならない時代になることが予想される中、宗教的成熟というのはますます大事なテーマになってきそうだなと感じた。

Posted by ブクログ

2025/02/18

家族旅行で読み切った 内容的には、いつもの感じかなと 思いました。特段今までの感じてきた内容と 大きくかわっていないように思いました。

Posted by ブクログ

2024/09/24

「夕日」や「お墓」、「政教分離」をキーワードに自由な対談が行われています。当該の書籍を読んでいないのでわかりませんが、内田氏の「日本習合論」の考え方をベースとしているようです。 少なくとも習合している状態は良いことであるということが前提として話が進んでいきます。 思うに、「境...

「夕日」や「お墓」、「政教分離」をキーワードに自由な対談が行われています。当該の書籍を読んでいないのでわかりませんが、内田氏の「日本習合論」の考え方をベースとしているようです。 少なくとも習合している状態は良いことであるということが前提として話が進んでいきます。 思うに、「境界線を適度に曖昧に保っておく」というのが、宗教を考えるうえで重要な概念になってくると感じました。 神仏習合は、仏教と神道の境界を曖昧にしておく考え方とも言えます。 夕日は、昼と夜・安全と危険の境界であり、その曖昧さ、両義性に人間は惹かれるのでしょう。アメリカの開拓者たちは、その夕日が沈む方に向かってフロンティア(境界)を押し進めて、境界を無くしていったとも言えるのではないでしょうか。 また、物狂いは異界とのチャネルを有しており、普通の人が感じ取れないものを感じ取れると考えられていたとのことです。普通の社会では居場所がないようでも、生きていくために必要な非社会的な役割を担っていることを皆がわかっていたため、支えられて居場所を与えられてきたと考えられます。 そう考えると、新宗教の教祖に、いまでは精神病と見なされるような狂った言動をする人物が多かったことも分かる気がします。そのような物狂いと社会的な人間との間に、さらに科学で境界を引いてしまった現在では、宗教的なものと触れ合う機会が失われているのかもしれません。 そして、死者は「生きている人間」と「もう土に還った人間」との境界に位置するものであり、死んだからといって何もなかったことになるわけではないという意識は、死というものに対する宗教的な考え方の第一歩です。 この「境界」というキーワードを用いて、最後に釈徹宗氏が宗教的センスに関して大変共感できる考え方を述べていました。 「信仰・信心というのは、信じている人と信じていない人との境界を生み出すわけです。それを避けることができない。だから、信仰や信心は常に他社を傷つける可能性をはらんでいる。そのことに自覚的であるかどうか。また、宗教に無自覚な人は、他者の信仰や信心に対して鈍感になりがち。それは、無自覚に他者の尊厳や人格を棄損してしまいがちだということです」 今後、釈徹宗氏の著書も読んでみたいと思わせてくれた一冊でした。そして実際にNHK出版の『問われる宗教と”カルト”』に出会うことができました。 なお、前提知識が無いからか、内田氏の言葉選びが難解だからか、読みにくいところもありました。政治(自民党)や原発を批判したいがあまりにこじつけていると思わされる部分も見受けられます。「原発は日本人が宗教性を失った最大の指標」……?(笑) 印象に残ったフレーズの多くは内田氏の発言でしたが、文脈を考えて見直してみると、何かそれっぽいことを言っているような物言いで煙に巻かれている気分。こういう本は結論を求めるものではないのでしょうが、なぜこの話をしているのだっけ?と見失うこともありました。

Posted by ブクログ

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