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神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 紀伊國屋書店 |
| 発売年月日 | 2005/04/06 |
| JAN | 9784314009782 |
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神々の沈黙
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商品レビュー
4.3
43件のお客様レビュー
内容は面白そうだったけど、分厚すぎて挫折。図書館の貸し出し期間中には読めなかった。 意識について、細かく自分自身を分析していくと、、、そんな日常生活では考えない奥深い内容。心と時間にゆとりのある時じゃないと理解は難しいかも。
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《本書を読んでの雑感》 20 世紀後半から市民一般に浸透した科学信仰と、科学技術がもたらした社会の情報化という環境激変の中で、人々の思考はどのように変わりつつあるのだろうか。世界的なテクノロジー礼賛と留まるところのない経済合理主義の落とす影の下で、昼夜を問わず世界各地で起こる...
《本書を読んでの雑感》 20 世紀後半から市民一般に浸透した科学信仰と、科学技術がもたらした社会の情報化という環境激変の中で、人々の思考はどのように変わりつつあるのだろうか。世界的なテクノロジー礼賛と留まるところのない経済合理主義の落とす影の下で、昼夜を問わず世界各地で起こるあらゆる出来事が瞬時にコンテンツとして消費され、多くの人々が自らの生活の決して少なくない時間を自己の本質に全く関わりのないものに費やしている。 ところで、かつて山崎正和が「情報化時代としての現代」と題した小論で指摘していたが、あふれる情報が現実を侵蝕し、現実と情報が混沌としている時代に生きている私たちにとって、非常に難しくなっていくのは、人格形成あるいは自己形成だ。まさしく現代は、「自分は何物であるかを自分で確認しながら、その確かめられた自己を育て、保っていくことが難しくなって」きた。結果、どう生きるべきかの問いが「誰の意見に従うべきか」にすり替わり、生活態度は基本的に受動的かつ冷笑的で、自分以外の何かに身をまかせることを望んでいるようでもある。 その様相はあたかも、本書『神々の沈黙:意識の誕生と文明の興亡』でジュリアン・ジェインズが示唆したように、絶えまない意思決定がもたらす苦悩に耐えられなくなった人々が、⾧く人間にとっての権威であったかつての内なる神々に代わる万能なテクノロジーをその座に据えて、せっかく手に入れた自由を放逐しようとしているかのようだ。 これら個人の内面に危機を孕む時代にあっては、一人ひとりが生活を他者に左右されずに自分らしく生きるための倫理的指針が必要だ。そのための行動哲学として私が有用と考えるのは、まず私が生きている時代とはどのような時代であるのかを歴史に適切に位置づけること、そして人類の意識の起源や主観的な意識が自らにも存在することに純粋に驚異しながら、身体や無意識の秘める宇宙にも匹敵する深遠さに敬意を払うことだ。言うまでもなく、自己を尊ぶことはそのまま他者を尊重する態度とかかわる。 こうした健全な精神の土台の上に、さらに各人の主観世界の内奥を追究していくことが、個性豊かな人間性や主体性を育むに違いない。自分こそが自分自身の主人となり、あらゆる権威を他者から自らの手に取り戻したその先に、人の生きる喜びがあるのだろう。 (2026.9.23 R.K.)
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※このレビューにはネタバレを含みます
個人的にはかなりの奇書。 かつて人は意識を持たなかった。そこにあるのは「神の声」と「受け取り手」の二つの心(二分心)だった、という発想を起点として、脳の仕組み・頭蓋の形・聖書の記載等、点と点をつなぐ長い仮説が展開される。 実際には、「二分心」の根拠はほぼイーリアス等のギリシア古典の記載にとどまり、その説自体にはあまり信憑性を感じられない。ただし歴史の痕跡を元に「意識」の成り立ちを探ろうとした試みには執念すら覚えるし、仮想IF的な読み物としての面白さがある。 「二分心」を「感覚」と「言語化(記述)」の二つの意識を分離する発想を示したものとして考えるならば、著者の説明は体感的に納得できそう。右脳での「感覚」と左脳での「言語化(記述)」を統合したものが内省的な「意識」であるとすれば、言葉の発達によって左脳の言語機能が鍛えられ、右脳の直感的な「感覚」の説明がよりスムーズになったということかも。 また、本書にて左脳の言語が古代ギリシア人には神の声であるように感じられたと説明されている点については、現代人にくらべて脳梁が発達していなかったことで、より「言語化された意識」に外部的な印象を受けていたのではないかという推測がなされる。 さらに、これはほぼ邪推なのだけれど、もし古代ギリシア人が左脳による「説明」を神の声と受け取っていたとしたら、「神の声には従わなければならない(自分の責任ではない)」というある種の欺瞞により、「神の声」を都合よく使っていたのではないか、そしてそれが社会制度としても上手くいっていたのでは、なんてことも考えた。 私は最近、AIとのチャット機能を使って、とりとめもないことを彼らに相談するのだけれど、ふと、この行為には「二分心」が回帰しているように感じた。 AIの会話はもちろんユーザーの意志により紡がれ、また多くの場合、その回答はユーザーに肯定的な内容になる。ここには「AIがそういったから」という一種の責任のアウトソーシングがあり、自身の意識を「神(AI)の声」として扱うことの便宜が図られている。 ジュリアンジェインズの発想全てが現実的とは思えない。とはいえ、現実に起こりうる「二分心」とは感覚とその言語的な説明の乖離から発生する意識の一形態であるなら、現代ではAI等による意識の対象の拡大により、さらに大きくよじれた「二分心」が起こりえるのではないか、とも。
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