心はどこへ消えた? の商品レビュー
友人に薦めてもらった一冊。いまいち掴みどころがないような、でも少し心が軽くなったような。不思議な読後感。 独りでうちに籠ると、現実よりも悲観的で厳しい場所に自分を追いやってしまう。 傷ついたときは、誰とも分かり合えないのだ、独りでいたい、と思うこともあるけれど、きっと本当は誰か...
友人に薦めてもらった一冊。いまいち掴みどころがないような、でも少し心が軽くなったような。不思議な読後感。 独りでうちに籠ると、現実よりも悲観的で厳しい場所に自分を追いやってしまう。 傷ついたときは、誰とも分かり合えないのだ、独りでいたい、と思うこともあるけれど、きっと本当は誰かに自分を見てほしい、完全に理解してもらえなくても耳を傾けてほしいと思っているはず。 心を預けられる相手に、胸の内を吐き出して、吐き出してるうちに自分と向き合っていけたら良いのかなと。そしたら、きっと、心がより鮮明に見えてくるはず。
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「現実は超自我よりマイルド」 この言葉に出会えただけで読んだ価値ありまくりの1冊だった。 悩みのループにハマった時、1発で戦況を吹き飛ばせるイオナズンみたいな言葉。
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裏までわかってもらえたとき、人は本当にわかってもらえたと感じるものなのだ。 心とは「私」の中の鍵のかかる個室のことなのだ。周囲から脅かされることなく、そこに安心して一人でいられるときに、私たちは初めて自分を振り返ることができる。 二つの正反対の人格を両方生きると、人生は豊かになる...
裏までわかってもらえたとき、人は本当にわかってもらえたと感じるものなのだ。 心とは「私」の中の鍵のかかる個室のことなのだ。周囲から脅かされることなく、そこに安心して一人でいられるときに、私たちは初めて自分を振り返ることができる。 二つの正反対の人格を両方生きると、人生は豊かになる。 未来はたとえ見失われたとしても、それでも確実にむこうからやってくる。緊急事態では、未来は手操り寄せるよりも、待つ方がいい。形は少しずつはっきりしてくる。行動するのはそれからだ。いったん止まって、「様子を見る」。未来を再建するために必要なのはそういうこと。「様子を見る」ためには、誰か他人が必要なのだ。「一緒に様子を見よう」と言ってくれる人がいて初めて、私たちは一旦動きを止めることができる。不安とは不思議なもので、一人では持っていられなくても、二人だったら持ちこたえられる。1+1が0.5になるのが不安の本質だ。 生き延びるために現実に対して心を閉ざすことが必要なときもある。 変化とは劇薬のようなものなのだ。一気飲みすると体を壊すけど、完全に拒絶しても体は悪くなる一方だ。だから、チビチビ舐めるのが良い。現実が変化するのは一瞬だけど、心の変化はゆっくり起こるのが自然だ。 誰かが自分のことをちゃんと見てくれている。世の中に、これ以上に励まされることはないのではないか。 必要なのは苦しさを自分で何とかすることではなく、人になんとかしてもらうことだ。 時間を使う。落ち込み、悲しみ、追悼する長い時間が、痛ましい過去を「私という歴史」の一部へと変えてくれることもある。 どんな仕事も絶対に替えが利くし、あとからリカバリーできる。周りを困らせることができない方が病気だ。 心の定規はグニャリと曲がる。何がプラスで、何がマイナスなのかの基準自体が組み替えられるということだ。心が病むのは、それまでの定規では、自分自身の人生に起きていることを肯定できなくなってしまったときだから。 勝つこともあれば、負けることもあるだろう。いずれにせよ、その結果を自分の歴史として引き受けることができたとき、心は少し大人になる。自分だけの心が生まれる。 涙は、心の目の曇りを洗い流し、心の中を前よりも見えるようにする。 現在の自分に希望を抱けるからこそ、人は未来を想像し、アクションを起こすことができる。
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臨床心理士の著者による「こころ」を扱ったエッセイ。 オーディブルだったのでラジオ感覚で聴いて楽しめた。 実際にカウンセリングしたケースを取り上げながら、心とは何かという問いに迫っていく。 語り口が軽快で、真剣な話なのに思わずクスッとしてしまうほど。飾らない人柄がとても素敵だった。...
臨床心理士の著者による「こころ」を扱ったエッセイ。 オーディブルだったのでラジオ感覚で聴いて楽しめた。 実際にカウンセリングしたケースを取り上げながら、心とは何かという問いに迫っていく。 語り口が軽快で、真剣な話なのに思わずクスッとしてしまうほど。飾らない人柄がとても素敵だった。 心は「大きな物語」ではなく「小さな物語」のなかにあると著者は言う。「みんな」のなかではなく「わたし」のなかにあるということ。 コロナウイルスという大きな物語に巻き込まれた私たちは、この困難に立ち向かう為に、みんなが同じ方向を向き足並みを揃える必要があった。 …そうかぁ。だから個々の心が見えにくくなっちゃったんだ。腑に落ちた。こんな時代だからこそ、自分の心を大切にすることを意識しなきゃね。 心は他者と触れあうことで生まれるもの。早く会いたい人に会える世の中になりますように。
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面白かった。ユーモアたっぷりでくすくす笑いながら、なんだか心もほかほかします。 大事なことを教えてくれます。 著者の他の作品も読みたい。
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卓球、たばこ、オレンジの傘 カウンセラーの著者のもとには、いろんな心をかかえた人たちが訪れる 忙しくすごす日常で脳も身体もフル稼働していると、心はどこかに隠れてしまうけれど、大きな変化や小さな躓きで、その隠れた心が顔をみせる 心の変化にはとても長い時間がかかるのだな、と本書...
卓球、たばこ、オレンジの傘 カウンセラーの著者のもとには、いろんな心をかかえた人たちが訪れる 忙しくすごす日常で脳も身体もフル稼働していると、心はどこかに隠れてしまうけれど、大きな変化や小さな躓きで、その隠れた心が顔をみせる 心の変化にはとても長い時間がかかるのだな、と本書で創作として現れる人たちのおはなしから感じつつ、心はふたつあってはじめてそこにあると気づけるのだという言葉に希望を感じる 要約とか取説とか。そうした消化しやすい情報もだいじだけれど、ひとにまつわるお話はもっと長ったらしくて要領を得なくて掴み所もオチも本質もわかりにくくて仕方のないもの だからこそ人には人が必要だって思いつつ、この本をとじ、また東畑さんの本に手を伸ばします
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【メモ】 ・2020年の私たちは大きすぎる物語に振り回されることになった。世界中が同じウィルスに襲われ、同じ不安におびえ、同じ脅威に立ち向かった。みんながみんな、同じ物語に取り巻かれた。数字が変化して、グラフの角度が変わるたびに、社会は一変し、みんなが同じ行動をとることになった。...
【メモ】 ・2020年の私たちは大きすぎる物語に振り回されることになった。世界中が同じウィルスに襲われ、同じ不安におびえ、同じ脅威に立ち向かった。みんながみんな、同じ物語に取り巻かれた。数字が変化して、グラフの角度が変わるたびに、社会は一変し、みんなが同じ行動をとることになった。私たちは一斉に自粛して、一律にお金を配られた。そして、大挙してワクチンを打ちに押し寄せた。 大きすぎる物語は、私たちを「みんな」へと束ね上げる。そのとき、個人は群れの一員として扱われ、心を一つにするよう求められる。社会を防衛するためにはしょうがなかった。生命を守るためには必要なことだった。それはわかる。大きすぎる物語には有無を言わせないだけの説得力がある。 だけど、そのとき、小さな物語たちが吹き飛ばされてしまったのもまた事実だ。グラフに表れる数値を一つ一つ分解していくならば、そこには小さな物語たちがあって、それこそが私たちの人生の単位だったはずなのに。 大きすぎる物語が、小さな物語をかき消してしまった。心は、大きすぎる物語に吹き飛ばされた。 ・心は変化を好まない。だから、現実が変化してしまったとき、私たちは心を閉ざす。そのためにお決まりの方法に固執する。心は現実の急激な変化に耐えられないからだ。 しかし、それは悪いことではない。吹雪のときには洞窟に避難した方がいい。生き延びるために現実に対して心を閉ざすことが必要なときもある。 変化とは劇薬のようなものなのだ。一気飲みすると体を壊すけど、完全に拒絶しても体は悪くなる一方だ。だから、チビチビ舐めるのが良い。現実が変化するのは一瞬だけど、心の変化はゆっくり起こるのが自然だ。 ・「見てくれている」。これが貴重なのだ。それは幼い頃には比較的簡単に手に入ったけど、大人になった今ではめったに手に入らないものだ。人を褒めるのが難しいのは、言葉のテクニックの問題ではなく、 「よく見る」のが難しいからだ。だから、もし、他者のいいところを偶然見かけてしまったら、率直に伝えると良い。それは幸福な瞬間なのだ。 ・雑談とは三密の不透明なドサクサのなかで生まれ、育つものだ。そして、そういうものは今、監視され、管理され、清潔にされなくてはならない。感染予防とはすなわち雑談予防なのだ。だけど、本来大学とは雑談がはびこる不潔な空間であったではないか。 大学に雑談が戻ってくる。どんなにガイドラインの目が厳しくても、人と人とが同じ空間にいれば、雑談は花を咲かせてしまう。ガイドラインの隙間に、雑談が生い茂る。それは多分、大学だけじゃない。人は人を怖がったり、嫌いになることもあるけれど、結局人を求めることをやめられない。生身の人間がそこにいる。それだけでわけもなく嬉しくなってしまうのが私たちだと思うのだ。 ・心はどこにあるのか。脳にも、心臓にも心はない。顕微鏡を覗いても、X線を使っても、そこに心は映らない。心を見ることができるのは心だけだ。心はもう一つの心の中でのみ存在することができる。 ふしぎなことを言っているように聞こえるかもしれない。だけど、思い出してほしい。私たちの心を最初に発見したのは、他者だったではないか。私たちが自分の心に気づく前に、周りの大人が「お腹減ったんだね」とか「気持ちいいのね」と気づいてくれた。 私たちの心は誰かの心の中で発生する。そういう体験が積み重なって初めて、ようやく自分を振り返れるようになる。自分の心で自分の心の苦しみや喜びに気づけるようになる。 だから、私の心に彼の心を置き、それから彼に戻す。すると、次は自分で自分の心を振り返れるようになるかもしれない。心に心を置いておけるようになるかもしれない。この繰り返しが対話の本質だと思う。 ・様々な限界と折り合うために、古い願いを埋葬し、新しい希望に手を伸ばさざるをえなくなる。その結果、思いもかけない、いびつな生き方になるかもしれない。それでも、そこにその人のオリジナルな人生がある。長いカウンセリングの終わりに、心には深い創造性があることをいつも感じる。
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「大きすぎる物語に私たちは剥き出しでさらされている。」(27)頁のとおり、コロナ禍で、円安で、侵略戦争があるときに、個人の小さな物語は語る場がないような心細さを払拭する本でした。困っている人がいれば自然とヘルプがあったその場所でやってきたことが、今は卓球のようにメールを打ち返すと...
「大きすぎる物語に私たちは剥き出しでさらされている。」(27)頁のとおり、コロナ禍で、円安で、侵略戦争があるときに、個人の小さな物語は語る場がないような心細さを払拭する本でした。困っている人がいれば自然とヘルプがあったその場所でやってきたことが、今は卓球のようにメールを打ち返すというヘルプの方法に変わったという描写はよく分かります。よくわからないまま関わってもなんだか前に進む仕事は確かにあって、人がいればこそ湧き上がる場の力を見ることがあります。
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ちょくちょく挟まれるジョークがつまらない 笑った試しがない 心の在り処についての考察がオモシロかった
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1.5ページの小タイトル×3で小さな1章 最初のタイトルで何について話したいかを示し 次のタイトルで実際のカウンセリング例を記し 最後のタイトルで両者を繋げまとめる というような構成が続く本 本人が何度も言っているが、もともと本当の人格とは別にお調子者的なキャラクターでやっていく...
1.5ページの小タイトル×3で小さな1章 最初のタイトルで何について話したいかを示し 次のタイトルで実際のカウンセリング例を記し 最後のタイトルで両者を繋げまとめる というような構成が続く本 本人が何度も言っているが、もともと本当の人格とは別にお調子者的なキャラクターでやっていくつもりだった、とあり ユーモアやジョークが交え、というより少し多いくらいには散りばめてあるので小難しさはゼロ 納得共感できる話もあれば、なんだかよくわからなくて少し読み飛ばす話もある でもそれで充分楽しい
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