人新世の「資本論」 の商品レビュー
SDGsや、グリーンニューディール政策等、持続可能な環境を実現する為に、様々な言葉やアプローチを耳にする昨今。ただ、その道を辿れば目標を本当に達成できるのか、あるいは現実的に様々な利害関係がある中で、果たして各国一丸となって進むことができるのか、そんなことを思っていた中で、この本...
SDGsや、グリーンニューディール政策等、持続可能な環境を実現する為に、様々な言葉やアプローチを耳にする昨今。ただ、その道を辿れば目標を本当に達成できるのか、あるいは現実的に様々な利害関係がある中で、果たして各国一丸となって進むことができるのか、そんなことを思っていた中で、この本に出会った。 資本主義がもたらした問題であるが故に、資本主義を前提とした考え方では解決に至らない。それはまさにその通りかもしれない。 日本のメーカーにおいても、先端技術などを用いてESG経営に舵を切ったりされていることも出て来ているが、その新技術開発プロセス含めて、どこかに皺寄せがでているのではないか。真にESG経営を体現するのであれば、最終アウトプット品だけでなく、その過程、またその先の道筋を含めて目的に叶うのか目を向けなければいけず、そう考えると、営利、成長を前提とした資本主義社会では立ち行きがいかないのではないか、そんなことも考えさせられた。 皮肉にも資本主義=マルクスと考えていたが、晩期のマルクスがそのようなことを見据え、新たな見地を開いていたことを本書を通して初めて知った。
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晩期マルクスを教えてくれた。 使用価値と価値、希少性と潤沢さ、などがキーワード。 希少性を資本が意図的に追求する? 自然がもたない。恐ろしい社会が到来する。 二人で同時に物理的な一冊の本を読んだ最初の本。
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正直、どう評価していいかが私にはわからない。ただ、資本主義の限界とマルクスの再評価についてはよく理解できる内容だった。筆者の唱える「脱資本主義」にどの程度の妥当性と実現可能性があるのかは、読む人の立場によって評価が分かれるだろう。そして、私はそのいずれをも詳細に検討できるだけの見...
正直、どう評価していいかが私にはわからない。ただ、資本主義の限界とマルクスの再評価についてはよく理解できる内容だった。筆者の唱える「脱資本主義」にどの程度の妥当性と実現可能性があるのかは、読む人の立場によって評価が分かれるだろう。そして、私はそのいずれをも詳細に検討できるだけの見識を欠いているという自己評価に至った。自分よりも若い世代(いわゆるZ世代)がこの本をどのように受け止めるのかを知りたいと思った。
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環境からも人間からも収奪をし続けることの限界が見えてきて、資本主義は行き詰まっている。 資本論を書き上げた後のマルクスのさらなる展開を全集にはなかった書簡などから読み取り、脱成長コミュニズムと言う経済ビジョンを提言する。 このなんだか黒っぽいカバーを外して標準的なカバーにし...
環境からも人間からも収奪をし続けることの限界が見えてきて、資本主義は行き詰まっている。 資本論を書き上げた後のマルクスのさらなる展開を全集にはなかった書簡などから読み取り、脱成長コミュニズムと言う経済ビジョンを提言する。 このなんだか黒っぽいカバーを外して標準的なカバーにしたほうが好ましいと思った。
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“SDGsは大衆のアヘンだ!” センセーショナルな序章から始まり、なぜ我々が脱成長コミュニズムを選ばなければならないか、というのを資本主義の矛盾、周縁化される収奪、その典型としての環境問題を取り上げて、晩年のマルクスの著書にならなかった思索をもとに解説する マルクスの思想に明る...
“SDGsは大衆のアヘンだ!” センセーショナルな序章から始まり、なぜ我々が脱成長コミュニズムを選ばなければならないか、というのを資本主義の矛盾、周縁化される収奪、その典型としての環境問題を取り上げて、晩年のマルクスの著書にならなかった思索をもとに解説する マルクスの思想に明るくない門外漢の僕でも、斎藤先生の主張とマルクスが言わんとしていたことの二つがすっきりわかったので、これだけ話題なのも納得 主張にも概ね同意だし、一刻も早く資本主義から脱するべきだという思いを強くした ただ、疑問が一つ •どうそれを達成するか、という議論があまりにうぶというか市民を信頼しすぎだと思う。そもそも気候変動の存在をも受け入れていない人が大勢いるし、トランプへの熱狂(なぜか日本でも)を見ていると、より疑念が湧かざるを得ない。一部の人が連帯して立ち向かっても、分断が深まるだけな気もする
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「SDGsは大衆のアヘンである!」 このキャッチフレーズを見て、購入してみた。 「私たちは資本主義に取り込まれ、生き物として無力になっている。商品の力を媒介せずには生きられない」 地球への環境負荷の増大、今どういった世界に自分が生きているのかを考えさせられた。環境負荷の事実を知...
「SDGsは大衆のアヘンである!」 このキャッチフレーズを見て、購入してみた。 「私たちは資本主義に取り込まれ、生き物として無力になっている。商品の力を媒介せずには生きられない」 地球への環境負荷の増大、今どういった世界に自分が生きているのかを考えさせられた。環境負荷の事実を知った後でも、この便利な生活を目の前にすると無力になっている自分がいてゾッとする。もう少しいろんな本を読んで知識を増やしていきたい。
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哲学の専門家が、「資本論」を現代に当てはめて、その意義を解説した本。「資本論」でマルクスが書いたのは第1巻だけであって、第2巻と第3巻はエンゲルスが書いているため、マルクスの考え方を誤解している人が多いと著者は主張している。近年になって発見されたマルクスが書いた晩年の資料から、マ...
哲学の専門家が、「資本論」を現代に当てはめて、その意義を解説した本。「資本論」でマルクスが書いたのは第1巻だけであって、第2巻と第3巻はエンゲルスが書いているため、マルクスの考え方を誤解している人が多いと著者は主張している。近年になって発見されたマルクスが書いた晩年の資料から、マルクスが目指していたのは持続可能な「エコ社会主義」であったとしている。ゲルマン民族の農耕共同体をヒントに、持続可能性と社会的平等を追求していくことが目指すべき方向性としていたとの主張には、ある程度説得力があると感じた。ただし今後、資本主義に代わって向かうべき方向としては大いに疑問。まず、ウォーラーステインが言う世界システムがより良い形を追求していくことや、あるいは、科学技術の進歩というものは、資本主義のようなインセンティブがあってこそ前進していくものであって、社会主義では太刀打ちできないと思えるからである。次に、少子高齢化に伴う政府支出増大の観点からも、右肩上がりの経済成長は求められており、「エコ社会主義」への転換は困難であると考えられるからである。資本主義には勝ち組と負け組がおり、勝ち組の同意を得ることはムリというものだ。ソ連が敗北したことによって、社会主義と資本主義との争いには決着がついたはずだ。グリーンビジネスへの積極投資など、現在進めているESGとSDGsへの活動をはじめとした、資本主義のもとでの持続可能な社会を目指していくしかないのではないか。ただし、大いに考えさせられ勉強にはなった本ではあった。 「資本主義による収奪の対象は周辺部の労働力だけでなく、地球環境全体なのだ。資源、エネルギー、食糧も先進国との「不等価交換」によってグローバル・サウスから奪われていくのである。人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象とみなす。このことが本書の基本的主張のひとつをなす」p31 「中核部での廉価で、便利な生活の背後には、周辺部からの労働力の搾取だけでなく、資源の収奪とそれに伴う環境負荷の押し付けが欠かせないのである」p33 「(相対的デカップリングと絶対的デカップリング)相対的:効率性の高い技術を導入するなどして、CO2排出量をなだらかにする。絶対的:電気自動車の普及などCO2を排出しない手段を取る」p65 「環境問題に立ち向かい、経済成長を抑制する唯一の方法は、私たちの手で資本主義をやめて、脱成長型のポスト資本主義に向けて大転換することなのである」p119 「脱成長資本主義は存在しえない」p131 「(「コモン」という第三の道)第三の道としての「コモン」は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す」p141 「資本は修復不可能な亀裂を世界規模で深めていく。最終的には資本主義も存続できなくなる」p164 「ゲルマン民族は、土地を共有物として扱っていた。土地は、誰のものでもなかったのだ。だから、自然からの恩恵によって、一部の人が得をしないよう、平等な土地の割り振りを行っていた。富の独占を防ぐことで、構成員のあいだに支配・従属関係が生じないように注意していたのだ。同時に、土地は誰のものでもなかったがゆえに、所有者による好き勝手な濫用から守られていた。そのことが、土地の持続可能性を担保することにもなっていたのである。このように「持続可能性」と「社会的平等」は密接に関係している。この両者の密接な関係こそが、共同体が資本主義に抗い、コミュニズムを打ち立てることを可能にするのではないか。マルクスはこの可能性を強く意識するようになっていく」p183 「共同体では、同じような生産を伝統に基づいて繰り返している。つまり、経済成長をしない循環型の定常型経済であった」p193
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2020.11.22 問題定義はとても迫力があって危機感を強く持った。ソリューションに関してはおっしゃる通りだが実現性の問題をもう少し検討すると良いと思う。考え方自体はかなりアグリーではある。
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『人新世の「資本論」』斎藤幸平 この硬い単語が並ぶ新書が6万部売れているらしい。もちろんかなり噛み砕いて書かれている。 資本論やマルクスを扱った本、といっても環境問題を持続可能な社会を如何につくっていくかというさけられない問題について考えたい人が多いからだと思う。 「SDGsは...
『人新世の「資本論」』斎藤幸平 この硬い単語が並ぶ新書が6万部売れているらしい。もちろんかなり噛み砕いて書かれている。 資本論やマルクスを扱った本、といっても環境問題を持続可能な社会を如何につくっていくかというさけられない問題について考えたい人が多いからだと思う。 「SDGsは大衆のアヘンである」という始まりは、今の社会への闘争宣言でもある。 扱う問題は、まさに根本的な問題。格差は広がる、環境問題は深刻化する、その根源は資本を如何に増やすかに集中する資本主義。 心身をヒリヒリさせながら、たくさんのものを生産したり、サービスを考え出したりする。 でも商品は機能が良いだけでは売れないし、サービスも価格競争になっていく。そんな中でモノからコトへ、ストーリー、ブランディング、世界観。。。 新しいこと付加価値をつけるべく、いろいろな方法が現れる。でも、それってモノが溢れる中でいかに希少性をアピールして目立たせて、という話で大量生産→大量消費の構造をより強化している。 でもさ、と言いにくい。これは日本のみならず近代化した世界に蔓延した空気、というよりも常識。いや、刷り込みなのかもしれないけれど。。。 そんな多くの人が心身に不調をきたしても避けられない、代替案が見当たらない問題に斎藤さんは踏み込んでいく。 資本主義をどうしていくのか、他に方法はないの、それが世界の最大の問題だ。このGDP、利益、売上、株価など軸にしながら、賃金や貧困、環境問題を後回しにしている社会。 『ブルシット・ジョブ』ディビッド・グレーバーについても言及しているように、過剰生産、過剰サービスの社会では管理のための管理者のような使用価値としてはあまり意味のない仕事が多く存在する。この短期の効率を重視し、長いスパンでの非合理な世界を修正していくために以下の5つを掲げていた。 1. 使用価値経済への転換 2. 労働時間の短縮 3. 画一的な分業の廃止 4. 生産過程の民主化 5. エッセンシャル・ワークの重視 「本源的蓄積」というキーワードも気になった。個人個人がコミュニティの中で持っていた、いわばセイフティネットのことだ。 資本主義はそれ解体していって、人々は地に足をつけながら生きることができずアノミーな存在になってしまった。 #人新世の「資本論」 #斎藤幸平 #DasKapitalImAmthropozan #集英社新書 #集英社 #資本論 #資本主義 #マルクス #ブルシットジョブ #ディビッドグレーバー #環境問題 #SDGs #エコロジー #エコロジー経済 #サーキュラーエコノミー #書評というか感想 #書評 #読書の秋
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斎藤氏はほぼ僕と同世代、マルクスにまつわる経済思想研究で成果を積み重ねて大阪市立大准教授就任、ということでいろいろなところで名前は目にしていたが、本書が売れに売れ、坂本龍一や松岡正剛が帯文で激勝、ということでミーハー心で読んでみた。 同世代ということで問題認識も似ており、論旨に...
斎藤氏はほぼ僕と同世代、マルクスにまつわる経済思想研究で成果を積み重ねて大阪市立大准教授就任、ということでいろいろなところで名前は目にしていたが、本書が売れに売れ、坂本龍一や松岡正剛が帯文で激勝、ということでミーハー心で読んでみた。 同世代ということで問題認識も似ており、論旨に共感はする。共感はする……だが、拍子抜けするほどに内容があんまりないような……? 新書というフォーマットなので、現場での実践的な理論書ではなくて広く一般読者を啓蒙するもの、という位置付けがあるのか、いわゆる僕たちミレニアル世代の世代間ではおよそ(たぶん教育によって)共有されているであろう環境破壊への危機意識を、「マルクスも実はこう言っていた」というふうに巨人を依代に使いながら、最近のテクノロジーの進歩に依拠した楽観論を「めっ!」と否定しつつ、コミュニティ礼讃の脱成長だ!と言うものの、現場の具体的な論は紙幅の関係上、全然ない。 資本主義を更新していくためのコミュニティの復権というアプローチは、都市計画や建築による場づくりなど、さまざまな分野から試みられており、いまさらイタコとしてマルクス大先生を召喚して、大上段の社会システムの改変イデオロギーを打ち立てなくでも、社会は動いている。 なにやらマルクス経済学界隈の人が、彼らが経済思想学の分野で復活するための突破口、いわば“若手ロックスター”としてまつりあげている感じなのかな? 神輿に乗っているからか、地に足がついていない感じが否めない。 イデオロギー、思想というのはやっぱりなんらか実践を伴う、または実践に結びつけた論じゃないと厳しいのではないかも。よくも悪くもSNSの時代の運動体は短文ポピュリズム的な側面があるので、かつてのようなエリートの引っ張る高等な革命論のようなものでは市民は動けない。 現実的なことをいえば、現行制度を汗かいてハックして、それを乗り越えていくことを各自が積み上げていくしかない、ということが少なくともはっきりしている以上、なんとなく提案全体が上滑りしている。 卒論、修論でありそうな自説はほどほどに、それを裏付けとなる引用をこれでもかと散りばめた思考実験を伴う形而上論をえいやと新書にねじ込んで、「若い」ということをウリに、ガンガン版元が販促したら案の定連戦連敗のリベラル層の自尊心をくすぐる左翼ホイホイとして機能してヒットしたぜ、的な感じ。 例えるなら全然荒削りだけど、ガレージロックリバイバルで的に銘打ってレーベルがもうプッシュしたらなんかすげーヒットしたArcticMonkeys みたいな。いいとは思うけど、買いかぶられすぎでは……。 同世代なので応援はしたいのだが、もっと現実的な実践の場に降りてきて欲しいなぁ、と思いました。啓蒙はもっと上の世代に任せて、ガンガン動くほうがおもしろいのに。 次回作に期待。僕にとっては刺さらなかったですが、コモンズとして環境倫理思想を持ってない世代の人にはおもしろいのかもしれません。
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