読書について の商品レビュー
ショーペンハウアーの不遇の時代に書かれた論文の付録のようなエッセイ。 当時の主流であった学派と別の学派であったショーペンハウアーは、60代まで評価される事がなかった。 そのためかこの本にも、書評雑誌への痛烈な批判と、大衆の良き本への無理解に対するそれが多数盛り込まれている。 心...
ショーペンハウアーの不遇の時代に書かれた論文の付録のようなエッセイ。 当時の主流であった学派と別の学派であったショーペンハウアーは、60代まで評価される事がなかった。 そのためかこの本にも、書評雑誌への痛烈な批判と、大衆の良き本への無理解に対するそれが多数盛り込まれている。 心に残った箇所の要約 •書評雑誌や出版社は新刊を売りたくて仕方がない為、良き本でないものも宣伝して買わせようとする •書評家は匿名で意見を述べるべきではない •良き本のすべてを理解出来る者は中々現れない。ある人がほんの一部を理解し、またある人が別の一部を理解する •良き本でない新刊を読むくらいならば古代ギリシャ哲学書を読むべき 中々辛辣なのだが、不思議と読ませる、そんな文体と内容だった。
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読書をよりよくするフレーズがいくつもあった。母語への誇りを持って書いたというのがよく分かり、著者への印象は良い。実名で批判しまくるのは痛快ですらあるが、悪質文士への指摘は同じこと何回も言っていて冗長で退屈。自信で言っているように明快にサクッと終わらせてほしい。 予め考えていた人...
読書をよりよくするフレーズがいくつもあった。母語への誇りを持って書いたというのがよく分かり、著者への印象は良い。実名で批判しまくるのは痛快ですらあるが、悪質文士への指摘は同じこと何回も言っていて冗長で退屈。自信で言っているように明快にサクッと終わらせてほしい。 予め考えていた人の著作だけ読む価値がある。 最新の本が常に正しいと信じて安易に手を出すべきでない。先人のすぐれた知恵を改悪していることがあるため。大衆ウケする本でなく、できれば、原著者、そのテーマの創設者、発見者の書いたものを読む。 本の価値を決めるもの=素材、表現方式。 智者の言葉はわかりやすく明快。回りくどい曖昧な言い方をしない。
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読書についての名著といえばショーペンハウアーは外せない。 読書、とくに多読であることは世間一般には良いこととされている。しかし本当にそうなのか。 とにかく本を読んでいれば賢くなれると思い込んでいる読書家の脳天に雷(いかづち)を落とす一冊。本書を読んで頭をガツンとやられた人も多い...
読書についての名著といえばショーペンハウアーは外せない。 読書、とくに多読であることは世間一般には良いこととされている。しかし本当にそうなのか。 とにかく本を読んでいれば賢くなれると思い込んでいる読書家の脳天に雷(いかづち)を落とす一冊。本書を読んで頭をガツンとやられた人も多いのではないかと思う。 なぜなら、つい笑顔になるほどまでに辛辣な書き方がされているからだ。特に多読にはそこまで言うかと思うほどに、痛烈に批判している。 ボクは月25冊以上、年間300冊以上はここ数年読書している。 そんな中で、多読にはなんとなく違和感を持っていた。だから今以上に読書量を増やすことも出来るけど、それはあえてしないと決めている。 1日8時間以上働くサラリーマンとしては、学びや思考の時間を失うことが目に見えているからだ。 本書をしっかり反復して読んだ上で言わせてもらいたい。とりあえず多読をしてみるのも、やっぱり悪くないのではないかとボクは思う。 まず多読してみて、自分がどう考えるか、きちんと読書を地肉にできているかを反省してみてから決めればいい。 著者がいうことをそのまま受け入れてしまうのでなく自分自身で思考してみる。これは本書で何度となく書かれている「自分で考える」ということだ。 だから「多読をすれば馬鹿になる」というショーペンハウアーの主張もそのまま受け入れてしまう必要はない。ボクはそう解釈した。 これだから古典はおもしろい。
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(読書について) 常日頃乱読してきた自分にはとてもショックな、そして説得力のある言葉「読書は自分でものを考えずに代わりに他人に考えてもらうことだ」は、今後の読書感に大いに影響されそうです。たくさんの読書で色々な考え方を得ていくと錯覚してきたが、ハウアーの言うところである多読のため...
(読書について) 常日頃乱読してきた自分にはとてもショックな、そして説得力のある言葉「読書は自分でものを考えずに代わりに他人に考えてもらうことだ」は、今後の読書感に大いに影響されそうです。たくさんの読書で色々な考え方を得ていくと錯覚してきたが、ハウアーの言うところである多読のために愚かになる、は確かに一理ありそう。自分が経験しないであろうできごとを追体験出来る読書はある意味娯楽でしかないと思う。ただ、昨今のテレビや動画サイト、スマホのザッピングなどよりは積極的に読む必要のある読書のほうが遥かにマシだとも思うが。 これまで以上に良書を探したい気持ちが高まるが、良書を2度3度と読む気持ちにはなかなかなれそうにない。これを氏曰く乱読と呼ぶんでしょうけど。 (自分の頭で考える) 考えて自ら生み出し、発表出来る器量のない自分は残念と言わざるを得ない。 (著述と文体について) ハウアー氏、大いに怒る。文壇の愚物を清々しいくらいにコケおろしてます。良書を見分ける「より簡潔に、具体的に、分かりやすく」を今後参考にしたい。文体については読み飛ばしました。
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本を読むことは他人の頭で考えてるにすぎなくて、しっかりと自分の頭で考えなきゃいけないんだなぁと思った。しっかりと自論や自分の考えを持って、その補強や確認のために本を読むのであって、目的もなく読書することは思考力を鈍らせてしまうのだと思った。
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自分で考えることと、本を読むことでは精神におよぼす影響に大きな違いがある。 多読に走ると精神のしなやかさが失われれる。 本を読むことは他人の頭で考えること。 課題は、ほどよく分散されることが必要。 去る者は日々に疎し。書き留めておかないとどこかに埋もれる。 テーマがあるから書く...
自分で考えることと、本を読むことでは精神におよぼす影響に大きな違いがある。 多読に走ると精神のしなやかさが失われれる。 本を読むことは他人の頭で考えること。 課題は、ほどよく分散されることが必要。 去る者は日々に疎し。書き留めておかないとどこかに埋もれる。 テーマがあるから書く。書くために書かれたもの、は読まない。書く前から考えていたことを書いたもの、に価値がある。 無知は人間の品位を落とす。 出来る限り偉大な知者のごとく思索し、だれでも使う言葉で語る。 ドイツでは、かつてはラテン語で文章を書いた。 本は読まずに済ますコツを身に着ける。大衆受けする書物は読まない。 重要な本は2度読む。 ショウペンハウアーの生活は、規則正しく午前中3時間が執筆。それ以上は使わない。 『余禄と捕遺』『意志と表象としての世界』
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「本に呑まれるな」 読書は思考のサポートにはいいが 多読のし過ぎは他人の思考の残りカスで 埋もれてしまい自分で考えるのをやめてしまう。
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書き手が文法や表現にこだわった原文に対して、読みやすいようにと過剰な編集を加えてしまった結果、読み手に伝えたいことが歪曲して伝わるような本なら、悪書と呼べるかもしれない。一方で、書き手に敬意を表して原文に真摯な姿勢で向き合い、丁寧に意訳された本が読めるなら、読者としてはとても幸せ...
書き手が文法や表現にこだわった原文に対して、読みやすいようにと過剰な編集を加えてしまった結果、読み手に伝えたいことが歪曲して伝わるような本なら、悪書と呼べるかもしれない。一方で、書き手に敬意を表して原文に真摯な姿勢で向き合い、丁寧に意訳された本が読めるなら、読者としてはとても幸せ。
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読書の価値は多読に在らず。 本はあくまで他人の思考であり、自分の脳で噛み砕き、自分の思考の一部にしてこそ意味がある。
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>本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、素晴らしいことだろう。 ほんとそれ!それな!! >学問、文学、芸術の時代精神は30年ごとに破産宣告を受ける 幽霊の寿命が400年というけど、そっちだろうか。 流行りが繰り返される方だろうか。 >本は原典に当...
>本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、素晴らしいことだろう。 ほんとそれ!それな!! >学問、文学、芸術の時代精神は30年ごとに破産宣告を受ける 幽霊の寿命が400年というけど、そっちだろうか。 流行りが繰り返される方だろうか。 >本は原典に当たれ。安易な解説書に手を出すな。(意訳) はーい。
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