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読書について の商品レビュー

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92件のお客様レビュー

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2022/07/09

私は少なからず読書信者なところがあるけど、そこに釘を刺される機会を与えてくれる本だった 知識を蓄えることは大事だけど、何より大事なのは自分の頭で考えること それは自分の考えなのか他人の考えなのか吟味することを怠れば自分自身の核が失われてしまうだろう ✏こうして見ると、自分の頭...

私は少なからず読書信者なところがあるけど、そこに釘を刺される機会を与えてくれる本だった 知識を蓄えることは大事だけど、何より大事なのは自分の頭で考えること それは自分の考えなのか他人の考えなのか吟味することを怠れば自分自身の核が失われてしまうだろう ✏こうして見ると、自分の頭で考える思索家と博覧強記の愛書家を、その話しぶりに接するだけで容易に見分けられるのは不思議ではない。自分の頭で考える思索家は、真剣で、直接的で根源的なものを取り扱うという特徴があり、自分の考えや表現をすべてみずから検証してゆく。これに対して博覧強記の愛書家は、なにもかも二番煎じで、使い古された概念、古物商で買い集めたがらくたにすぎず、複製品をまた複製したかのように、どんよりと色あせている。型どおりの陳腐な言い回しや、はやりの流行語から成る彼の文体は、他国の硬貨ばかり流通している小国を思わせる。すなわち自分の力ではなにも造り出せないのだ。 ✏セネカが言うように「誰だって、判断するより、むしろ信じたい」(『幸福な人生について』Ⅰ、四)からだ。 ✏だが真に価値があるのは、自分自身のために考えたことだけだ。思索者は第一におのずから思索するタイプ、第二に他者を指向するタイプ、この二つに分けられる。 ✏第一のタイプは真の思索家だ。二重の意味で〈Selbstdenker〉、自分の頭で、自分のために考える人だ。本来の哲学者、知を愛する者だ。すなわち、かれらだけが真剣に問題と向き合っている。かれらの生きる喜びと幸せは、まさしく考えることにある。 第二のタイプはソフィスト、詭弁家だ。「~らしさ」を求め、他人の目に哲学者らしく映ることに幸福をもとめる。かれらはこれを真剣に追究している。二つのタイプのどちらに入るかは、やり方全般をみれば、ほどなく気づく。リヒテンベルクは第一のタイプの鑑であり、ヘルダーは第二のタイプに入る。 ✏思想の価値を決めるのは、素材か、表現形式だ。素材とは「何について考えたのか」であり、表現形式とはどう素材に手を加えたのか、「どう考えたのか」だ。 ✏したがって有名な本なら、それは素材のおかげか、表現形式のおかげか、よく区別しなければいけない。 ✏しかしながら一般読者は表現形式よりも、素材にずっと多くの関心を向け、まさにそのためになかなか教養がつちかわれない。 ✏何ひとつ悪とみなさない人間にとって、善もまた存在しない。 ✏「どのように」考えたか、つまり思索の根っこにある特徴と一貫したクオリティを精確に写し出したのが文体だ。文体は、?その人の全思想の外形的特徴であり、「何を」「何について」考えていようとも、常に同じはずだ。 ✏読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。

Posted byブクログ

2022/06/05
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

印象に残った言葉 読書は自分で考えることの代わりにしかならない。 自分の思索の手綱を他人に委ねることだ。 習得しただけの真理は、義手や義足、義歯、蝋製の鼻やせいぜい別の肉でこしらえた降鼻術のように、私たちに貼り付いているにすぎない。だが自分で考えて獲得した真理は生まれながらに備わっている四肢に等しい。それだけがほんとうに私たちの血となり!肉となる。考える人と、単なる物知りとの違いはここにある。

Posted byブクログ

2022/03/23

自らの頭で考え、読書することの大切さを教えてくれる作品です。 中盤の、当時のドイツ文学会への批判は、やや執拗かつ冗長に感じたため、読み飛ばしました。これらの批判的な考えは、当時の学問の発展においては重要な意義をもっていたのかもしれませんが、現代人には共感しにくいもののように思いま...

自らの頭で考え、読書することの大切さを教えてくれる作品です。 中盤の、当時のドイツ文学会への批判は、やや執拗かつ冗長に感じたため、読み飛ばしました。これらの批判的な考えは、当時の学問の発展においては重要な意義をもっていたのかもしれませんが、現代人には共感しにくいもののように思います。

Posted byブクログ

2022/03/13

読書について知見を広めたくて色々漁ってたら見つけた本。普段こういう本って敷居が高くて手が出しにくいけど、電子書籍になってたので結構読みやすかった。 まず、ドイツ人、ドイツ文学批判が凄すぎる!笑 著者の豊富な語彙力が巧みに生かされ、辛辣な言葉で言いたい放題。これ、ドイツの人は怒るの...

読書について知見を広めたくて色々漁ってたら見つけた本。普段こういう本って敷居が高くて手が出しにくいけど、電子書籍になってたので結構読みやすかった。 まず、ドイツ人、ドイツ文学批判が凄すぎる!笑 著者の豊富な語彙力が巧みに生かされ、辛辣な言葉で言いたい放題。これ、ドイツの人は怒るのでは?レベル。すごく刺激的。 基本的には読書は良いものである、という考えのもとで話が進むと思いきや、読書ばっかりしてる人間はダメだ!という主張から始まった。面白い。詳細にいうと、読書は他の人の考えを自分の中に落とし込む行為だから、読書ばっかりして自分で何も考えなくなったらオシマイという意味でしたが。 あと古人の名作を読まないで現代人の書いた最新作を読みたがるというくだり。いやいや、現代にも素晴らしい作家はいますよ!と共に、なんだかんだ近代文学は敬遠しがちなので、挑戦してみなきゃダメだなと思った。思ったけど実践するかどうかはわからん。読書は娯楽派だから…。

Posted byブクログ

2022/03/11
  • ネタバレ

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再読 本書は自分で考えるとは何か、本に対する姿勢、読むべき本について書いた本。本書の内容と自分の考えを以下にまとめる。 まず自分の頭で考えると言う事は、自説を立てて後から得た情報をもとに学ぶ。だから自説を補強するに過ぎない。しかし本ばかり読んでいる人は本から拾い集めた考えで全体を構成しており肝心となる骨組みがない。だから本を読むより思考に励むことが重要。 本書引用 「頭の中は本の山 永遠に読み続ける。悟ることなく。」ーポープ  「誰だって、判断するより、むしろ信じたい。」ーセネカ 本はあくまでも助言であり、正解ではない。しかし信じてやまない人が多くいるために、ポープやセネカの言葉を用いて説明したのではないだろうか。 怪しい宗教や著名人の考えを一部切り抜いた記事がはびこるのも説明がつく。 思考することをやめ、他人の考えを信じてしまえば楽なんだろう。しかし人生はそんな簡単なものではない。その人はその考えで上手くいったが、誰にでも当てはまることではないと思う。つまり人生とは自分で思考し模索しながら自分だけの正解を探していく旅だと思う。 次に読書する姿勢について。読書っていうのは他人の考えをなぞる行為であると言う事、つまり本を読むばかりでは骨休めになっても自分の頭で考える能力はつかない。本当に自分の力になる時は反芻しじっくり考えたときだけ。 本書引用「書き記された思想は砂浜の足跡以上のものではない。歩行者のたどった道は見えるが、歩行者が見た景色が見えない。」 本はあくまでも他人の思想だ。自分の思想ではない。 だから思考や体験を通して自らの思想を確立する必要がある。いつまでも他人の思想に寄りかかっていては自分の生を本当の意味で生きることができない。 自らの目で人生を見つめ、自らの足で人生を歩むのだ。 最後に読むべき本について。本書ではもっぱら不朽の名作をお勧めしている。 そして「現代人が古人について書いた本は大したことない。」と述べている。 この考えに関してはいかがなものかと思う。確かに今もなお、読み継がれている作品は良書が多いが、中には現代にも当てはまるのだろうかと思う作品も少なからずある。 名作には読み継がれる理由があるのも理解できるが、だからといって現代人が書いた本は大したことないと言うのは誤りでは無いだろうか。現代の作品が今後読み継がれる可能性も充分にある。名作は確かに良いが、そればかり読むのはどうなのだろうか、現代人の柔軟な思考をした作家の作品も読むべきだと思う。  これに関しては自分の中ではっきりとした正解が出ていない為に少しあやふやだ。 ショーペンハウアーの他の作品も気になるな。

Posted byブクログ

2022/03/01
  • ネタバレ

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「著述と文体について」 文章には主張・思想が必要である/それを伝えるために簡潔・明解でなければならない/したがって正しい言葉を使わなければならない、ということをブチギレながら3、4回は繰り返されるので、疲れる。サラウンドで怒鳴られている気分。自分がどこを歩いているのかわからなくなる。 それを除けば、主張が丁寧に、何度も出てくるので読みやすい。

Posted byブクログ

2022/03/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

ショーペンハウエル 18.19世紀のドイツ文豪で、ゲーテとも関わりがある。 外国の方の書いた本を読んだのはいつぶりか分からないが、やはり日本の本とは全く違う視点で書かれていて新鮮だった。ドイツの国民気質や歴史についても少し知る事ができた。 全体的に比喩が巧みであり、切れ味のある文章だと感じた。本文でも述べられていたが、物事の本質を理解するには、身近な比喩が出来ることが重要となる。それを自ら体現していると感じた。 読書をすることは、自分で思考するのを辞めて、他人に代わりに思考してもらっている状態である、という指摘。どうすれば良いか、流行りの本ではなく、昔から廃ることなく読み継がれている良書を読み、続けて2度読み、思考するべき。

Posted byブクログ

2022/01/25

【本を読む、それだけで終わらせないために】 いまこうやって、どんな感想を書こうかパソコンの前でぼんやりしていると、ショーペンハウエル先生の、「書くまで考えないタイプの物書きは、運を天に任せて狩りに出る狩人のようなものだ。多くの獲物をたずさえて帰路につくのは難しい。」というお叱り...

【本を読む、それだけで終わらせないために】 いまこうやって、どんな感想を書こうかパソコンの前でぼんやりしていると、ショーペンハウエル先生の、「書くまで考えないタイプの物書きは、運を天に任せて狩りに出る狩人のようなものだ。多くの獲物をたずさえて帰路につくのは難しい。」というお叱りの言葉が聞こえる気がしてきます。 うう……申し訳ございません(私は物書きではないけれど)。 現代の文章ではあまり出会えない、はっきりした批判の言葉に圧倒されつつ、たまにめげそうになりつつ、たくさん刺激を受けて読了。 「本は著者の思想を印刷したものにほかならない。思想の価値を決めるのは、素材か、表現形式だ。素材とは『何について考えたのか』であり、表現形式とはどう素材に手を加えたのか、『どう考えたのか』だ。」 「真に簡潔で力強く、含蕃のある表現をするためには、どの概念にも、どんなに微細な変化や微妙なニュアンスにも厳密に対応する語を自在にあやつる国語力がなければならない。」 などなど。 ショーペンハウエルはただ本を読むこと、冊数を重ねることを良しとしないけれど、それは読書の否定的な面を指摘することで、「読む」ことの一歩先へ進みなさい、と読者に促しているのだと思います。 厳しく激しい批判の言葉の数々は、それだけ強い危機感と真の思想への愛の裏返し。 「読む」だけで終わらせずに、「自分の頭で考える」……うーん、難しそうだし、大変だなあ、と思いつつ、次に手にとる本は、本書に書かれたヒントを意識して読んでみよう、と少しわくわくしています。

Posted byブクログ

2022/01/20

感想を書くのにこんなに気が重たくなる本もなかなかない。 「自分の頭で考える」「読書について」では、多読するな、本当に優れた本だけを読め、という旨の主張が豊富な比喩表現で示されている。 多くの箇所で、読書なんか他人に思考を預けることでしかないんだからあんまり時間かけてやるもんじゃ...

感想を書くのにこんなに気が重たくなる本もなかなかない。 「自分の頭で考える」「読書について」では、多読するな、本当に優れた本だけを読め、という旨の主張が豊富な比喩表現で示されている。 多くの箇所で、読書なんか他人に思考を預けることでしかないんだからあんまり時間かけてやるもんじゃないよ、という主張がされているが、気になったのは以下の箇所。 ———————————— 読書が書く修業になる唯一の方法は、私たち自身の天賦の才の使い方を学ぶことで、それは私たちがそういう素質を持っていることを前提とする。この前提がなければ、読書から学べるのは、冷たい血の通っていない、わざとらしい技巧だけで、私たちは底の浅い模倣者になってしまう。 ———————————— ここは、ショーペンハウアーが、読書を我々が役立てる方法や有益性について語っている(数少ない?)箇所なのではないかと感じた。 たしかに、適切な訓練を積んだ上で優れた本を読むと、「あぁこうやって表現すると良いのか」というのが真に理解できるという気がする。 他にも、新聞記者やジャーナリストが多く攻撃されているのが興味深い。現代だと、特に新聞記者なんかは、文章に関する訓練を受けている人という印象が強いけれど、ショーペンハウアーのこき下ろしようは凄まじい。また、そもそも「読書」というものが文化としてどう捉えられているかが、現代とショーペンハウアーの生きた時代だと異なるんだろうと思った。 現代だと「読書」は、(漫画を除き?)正統なあるいは若干スノッブな?文化だと捉えられている気がする。一方、ショーペンハウアーの時代は、今よりも娯楽の要素が強い気がする。 とすると、現代で例えばYouTubeやTikTokが旧世代から下に見られたりするのと、相似な事象なのかもしれないなと、なんとなく感じた。 あとは、ドイツの国民性をいやにこき下ろすが、これはドイツを嫌っているというよりも、憂国というか、ちゃんとしてくれよと喝を入れているように感じた。 最後に、ショーペンハウアーは「読書会」をどう評価するんだろうと、ふと思った。本を読むこと自体はたしかに彼がいうように誰かに思考を受け渡すことかもしれないけれど、読書に刺激されて他人と議論を交わすことは、より能動的な作業なので、少しはポジティブに評価してくれるかな、と。

Posted byブクログ

2022/01/18

・議論の余地ある問題に権威ある説を引用して、躍起になって性急に決着をつけようとする人々は、自分の理解力や洞察の代わりに、他人のものを動員できるとなると、心底よろこぶ。かれらにはそもそも理解力や洞察力が欠けている。こうした人々は無数にいる。セネカが言うように「誰だって、判断するより...

・議論の余地ある問題に権威ある説を引用して、躍起になって性急に決着をつけようとする人々は、自分の理解力や洞察の代わりに、他人のものを動員できるとなると、心底よろこぶ。かれらにはそもそも理解力や洞察力が欠けている。こうした人々は無数にいる。セネカが言うように「誰だって、判断するより、むしろ信じたい」からだ。論争するとき、かれらが共通して選び出す武器は、権威の説だ。権威を笠に着て、戦闘を開始する。巻き込まれた者が論陣を張って防戦しようとしても平然としている。というのも、かれらはこうした論拠に対して、いわば思考不能・判断不能の大河にどっぷり漬かった不死身のジークフリートなので、権威筋をうやうやしく証拠として持ち出し、勝利の雄叫びをあげるのだ。 ・いちばん最近語られた言葉はつねに正しく、後から書かれたものはみな、以前書かれたものを改良したものであり、いかなる変更も進歩であると信じることほど、大きな過ちはない。真の思索家タイプや正しい判断の持ち主、あるテーマに真剣に取り組む人々はみな例外にすぎず、世界中いたるところで人間のクズどもがのさばる。クズどもは待ってましたとばかりに、例外的人物の十分に熟考した言説をいじくり回して、せっせと自己流に改悪する。 ・仮説は頭の中で生まれ、そこを住処に息づくが、その生は有機体の生に似ている。つまり外界から自分に有益な同質のものだけ摂取する。これに対して異質で有害なものはまったく受けつけないか、あるいはやむを得ぬ事情で送り込まれたときは、自分は無傷のままそれを包囲壊滅する。 ・文体は書き手の顔だ。精神の相貌が刻まれている。それは肉体の顔よりももっと見まちがいようがない。他人の文体をまねるとは、仮面をつけることだ。仮面はどんなに美しくても、生気がないためにまもなく悪趣味で耐えがたいものになる。醜くても生きた顔のほうがいい。

Posted byブクログ