河北新報のいちばん長い日 の商品レビュー
被災直後の取材や新聞発行に意味はあるのか。 取材用のヘリで上空から津波に襲われた被災者をカメラ撮影しながら自問する。救済ヘリと間違われ、助けもしない自分に価値はあるのか。号外を届ける。号外そのものは無料であり、新聞社の矜持とも言える。被災者からの声。テレビやインターネットが繋が...
被災直後の取材や新聞発行に意味はあるのか。 取材用のヘリで上空から津波に襲われた被災者をカメラ撮影しながら自問する。救済ヘリと間違われ、助けもしない自分に価値はあるのか。号外を届ける。号外そのものは無料であり、新聞社の矜持とも言える。被災者からの声。テレビやインターネットが繋がらない中、何が起こっていたかわからなかった。新聞配達により、社会との繋がりが確認できて救われた。 河北新報。白河以北という意味らしい。東日本大震災。私はその時日本にいなかったから、外国のニュースでその被害状況を知った。国際電話だと通じるからと、日本から知人が私経由で安否を探った。東京で起こった事は聞いたが、東北の話は、テレビやネットでしか知らない。映像が無いのに、本の方がリアルなのは、心理描写や詳述の長さ、いや、何より、読書と感情のスピードが合わせられるため、シンクロし易いからだろう。映像だと、コマ送りより感情が先に行ったり、置いてきぼりになる。 自らも被災者である河北新報社員。寄り添って、皆んなで食料を工面しながらも、街は水も電気も止まり、仕事場の予備電源、または、集団の方が安全だからと、職場に集まり、助け合い、仕事を続ける。非日常の雰囲気、連帯感。死を乗り越え、ドラマがあったのだ。 死亡一万人超すと表現するべきか悩み、死亡を犠牲と改める。リアルだ。新聞社に限らず、世の仕事の多くは、適切な言葉を選ぶ事。外交、販促、交渉、プレゼン、説明、PR、契約。事実を伝える使命感と、被災者の心理を気遣う葛藤。死亡とは書きたくない。事実よりも配慮を選ぶ。それが正しかったのかは分からないと回顧する。言葉の背後にある心を考えさせられる内容だ。
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随分前に買った本で、もう何度目かの読み返し。 この時期には、特に読みたくなる。 あの日、それぞれがそれぞれの場所で、自分の役目を果たすべく奮闘していたのだなぁと、胸が熱くなる思い。 私も、それなりに頑張りました。 それが、誰かの役に立っていたらいいなと、今更ながら。
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東日本大震災発災直後から現場に向かった地元紙河北新報。取材した記者たちのあの日あの時目の当たりにした目を背けたくなる現実をありのままに描きまとめたドキュメンタリー。 一人ひとりの記者としてのプライド、誇り。「いまなにをするべきか」に迷い、ときには安全性との葛藤に苦しみながらも、...
東日本大震災発災直後から現場に向かった地元紙河北新報。取材した記者たちのあの日あの時目の当たりにした目を背けたくなる現実をありのままに描きまとめたドキュメンタリー。 一人ひとりの記者としてのプライド、誇り。「いまなにをするべきか」に迷い、ときには安全性との葛藤に苦しみながらも、取材を続けたひとたちに心の底からの敬意を表したい。そのとき何一つできたことはなかったと自分の無力さに苦しみ、現場を離れたことへの後悔をいまなお抱えた誇り高い記者のひとたちにいま平穏な日々が訪れていることを信じたい。 読みながら何度も涙が止まらなくなった。彼らの悲しみや葛藤や迷いが取り繕うことなくありのままに伝わってきた。「原発が爆発した福島で取材を続けるべきか」「凄惨な津波の写真をそのまま使うべきか」「『死者』と書くか『犠牲』と書くか」地元紙としての矜持を胸に極限の状態の中様々な判断をせざるを得なかった彼ら。 言葉で表現する力を持った人たちがこうしてその被災直後の様々な思いを残す意義を強く感じた一作だった。
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中学二年生の時に起こった震災。 あの時は、津波や地震の情報が入ってくるのが当たり前と考えていたけど、それは危険を冒して、辛い思いをして伝えてくれるメディアがいるからとあたり前のことに気づいた。 河北新報を知ったのは、正直この本だったけど東北のために被災をしながら休刊せずに発行し続...
中学二年生の時に起こった震災。 あの時は、津波や地震の情報が入ってくるのが当たり前と考えていたけど、それは危険を冒して、辛い思いをして伝えてくれるメディアがいるからとあたり前のことに気づいた。 河北新報を知ったのは、正直この本だったけど東北のために被災をしながら休刊せずに発行し続けたのは、すごいなと思った。 新聞の発行部数が減っていて有効性が問われる中で、震災時において紙の新聞は情報が途絶えている避難所で重宝されたことも知れてよかった。
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仙台に本拠地を置き、地元とともに歩んできた河北新報が描く、東日本大震災。震災当日からの取材・報道、それを支える印刷、輸送、販売店、そして社内炊き出し隊の姿まで、多岐にわたる視点で描かれている。精神的にも肉体的にも、追い詰められた記者もいた。報道の無力さを感じるカメラマンもいた。一...
仙台に本拠地を置き、地元とともに歩んできた河北新報が描く、東日本大震災。震災当日からの取材・報道、それを支える印刷、輸送、販売店、そして社内炊き出し隊の姿まで、多岐にわたる視点で描かれている。精神的にも肉体的にも、追い詰められた記者もいた。報道の無力さを感じるカメラマンもいた。一気に読むのが辛く、長い時間かけて読んだ。何度も泣いた。先日ドラマ化されていたが、その間に入るCMがあまりにも平和で、震災当日のことを思い出すと、とても時間が経ったように思うけれど、復興への道のりはまだまだ遠くて、考えるだけで涙が出てくる。生きていくのは辛い。それでも明日は来るから、少しでも前を向いて生きていく。
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いつも迷って買わなかったのだけれど、新幹線の駅で買って、乗車中にほぼ読了。河北って休刊したことなかったんだ。
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改めて3.11に震源地では何がおきていたのか?知っておくことは日本人としての責任ではないだろうか?仙台の地元新聞社「河北新報」記者のリアルな目線でまとめられたこの一冊は改めて東日本大震災の恐ろしさと僕らが知っていることがほんの一部でしかないことを知らされる。
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途切れることない緊張感。自らも被災しつつ情報を届けるため、次々と動いていく姿に、100年の重みを見た思いです。どんなに重要な警告を発しても、受け手側に自分だけは大丈夫なバイアスがかかっている限り、平時で備えは難しいのかな。でも、今後もっと大きな災害がくる可能性は大いにあるはずなの...
途切れることない緊張感。自らも被災しつつ情報を届けるため、次々と動いていく姿に、100年の重みを見た思いです。どんなに重要な警告を発しても、受け手側に自分だけは大丈夫なバイアスがかかっている限り、平時で備えは難しいのかな。でも、今後もっと大きな災害がくる可能性は大いにあるはずなので、心構えの一助として時折読み返したい一冊です。うちは全国紙派だけど、地元に寄り添う地方紙のほうがいいのかなぁ、とも思ったり。
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東日本大震災で自らも被災した東北の新聞社河北新報が、未曽有の悲劇をどのように受け止め、それにどのように立ち向かったかを綴った記録である。 河北新報は、「白河以北一山百文」と揶揄された地にあって、あえて「河北」の字を社名に冠している。それは、地元の新聞であることの誇りであるが、...
東日本大震災で自らも被災した東北の新聞社河北新報が、未曽有の悲劇をどのように受け止め、それにどのように立ち向かったかを綴った記録である。 河北新報は、「白河以北一山百文」と揶揄された地にあって、あえて「河北」の字を社名に冠している。それは、地元の新聞であることの誇りであるが、これほどの混乱と危機の中でも、河北新報はその報道姿勢を貫き、ついに1日も新聞発行を止めることはなかった。機械が壊れれば提携協定に従って新潟日報に紙面づくりの協力を依頼する、食事はおにぎり班を結成して間に合わせる、多くの水が必要なカラー印刷は白黒に差し替える等、工夫に工夫を重ね、とにかく新聞の発行を続けた。 河北新報がこれほど発行にこだわったのは、待っている人がいるからであった。インターネットやテレビから情報を得られない被災地の人々にとって、毎日届く新聞は本当に貴重であり、それは情報源でもあり、活力の源でもあった。 河北新報は徹頭徹尾、普通の人のための新聞であろうとした。例えば、共同通信によって提供された、人が津波に呑まれていくスクープ写真をあえて使用しなかった。間違いなく人目を引く衝撃的な写真だったが、それを見たときの被災者の気持ちを考えての決断だった。また、「死者」という言葉を使わず、「犠牲者」とした。これも被災者の気持ちを慮ってのことであった。 「被災者に寄り添う」と、政治家は言う。自分の発している音が言葉なのかどうかもわからないまま繰り返す鳥のように、言う。この本を読むと、政治家の決まり文句は言葉、ひいては命への冒涜だとすら思う。 これを書いている2017年6月、常に権力に寄り添い、政権の広報誌と呼ばれるある大新聞、仮にÝ新聞としておくが、その新聞社が、政権に不利な証言をする人物を潰そうと、ろくに調べもせず醜聞記事を載せ、心ある人々から見捨てられようとしている。これを新聞史上最大の汚辱事件と言う人もいる。この新聞社の記者や、沖縄の2つの地元紙を潰せなどと、嘘を並べながら吠える男、仮に百田としておくが、こういう人たちはこの本を読んでどう感じるだろうかと、思わずにはいられなかった。もっとも、何も感じないからこそ醜態をさらし続けているのだろうが。 新聞は新聞社だけでできるものではない。最後に、店を津波で流されてしまった販売店の方の言葉を引用しておく。 「店はやられたが配達はできる。今、新聞を取りにそっちへ向かっているから、とりあえず五百部用意してくれ」
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震災後のゴタゴタやイレギュラーな状況下でも、市民に情報を伝えようという使命だけで新聞を発行し続けた人たちの記録。
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