考えない練習 の商品レビュー
全て問題の原因は、突き詰めれば、不安や考えすぎ。 こんがらがった思考で、いつの間にか、無限ループ。 日常の行動は気付かぬうちに、刺激まみれ。 あたかも、デコボコのループで常に観察をしているように。 何度か読みなおそう。
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もっと軽い「癒し系」の本と思って読み始めたのですが、しっかりとした内容の本でした。失礼いたしました。自分に都合よく考えてしまいがちな脳の働き方をコントロールして、正しく物事を受け止めるための方法論を原始仏教を下敷きにして説き起こした本です。ところどころ「?」と思うところはありまし...
もっと軽い「癒し系」の本と思って読み始めたのですが、しっかりとした内容の本でした。失礼いたしました。自分に都合よく考えてしまいがちな脳の働き方をコントロールして、正しく物事を受け止めるための方法論を原始仏教を下敷きにして説き起こした本です。ところどころ「?」と思うところはありましたが、良書だと思います。
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余りにも淡白で淡々と感情の操り方、手懐けるやり方が書かれています。 確かに煩悩即ち「怒り」は刺激が強く脳みそはもっともっとと求めます。 そこをなんとかしましょうよ。 怒らないで静かに、五感に耳を澄ませれば心は波立たない。 慢心も卑下も消えてゆく。 「怒り」とは普通に言う怒ることで...
余りにも淡白で淡々と感情の操り方、手懐けるやり方が書かれています。 確かに煩悩即ち「怒り」は刺激が強く脳みそはもっともっとと求めます。 そこをなんとかしましょうよ。 怒らないで静かに、五感に耳を澄ませれば心は波立たない。 慢心も卑下も消えてゆく。 「怒り」とは普通に言う怒ることではなく、「何かに反発する心の動き」です。 ムカツイタも「怒り」ですし、ウラヤマシイも「怒り」。 星1つを下げたのは、ちょっと敷居が高いような気がしたから。 僕は俗人なのでここまで達観するのは無理です。 でも読んで心がだいぶ楽になりました。 仏道的観念から生活を見直したい方にお勧めですし、ぼくもお勧めいたします。
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沈黙入門に比べて、より筆者が僧として経験を積んだのが感じられる…つまり、俗物の私には真似するのがやや難しいレベルに達しておられて、まさに「練習帳」。 巻末の農科学者の池谷裕二氏との対談は脳科学と精神の結び付きとして、とても興味深い。
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考えない練習のタイトルに惹かれ手にとってみた作品。 この中で自分に当てはまることは ・twitter等のSNSに依存している ・必要のないものでも「いつか使うと思い捨てないでいる」 ・安いものに目がいき、良い食材を使っていない ・人に優しくの意味を履き違えているのでは…? ・イ...
考えない練習のタイトルに惹かれ手にとってみた作品。 この中で自分に当てはまることは ・twitter等のSNSに依存している ・必要のないものでも「いつか使うと思い捨てないでいる」 ・安いものに目がいき、良い食材を使っていない ・人に優しくの意味を履き違えているのでは…? ・イライラしたときの対処法を知らない この中でも「人に優しく」が今年のテーマだった僕には衝撃的 でした。ちょっとその意味と僕が目指すべきものを再考しなくちゃ いけないな。 って、もう再考してノートに刻みこみました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
すんなり理解できるやさしい語り口だけど、 実践してみようとすると、ものすごく大変だろうな~。 だからこそ自然と実行できるようになれば、 穏やかな心が手に入るんだろうな。
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此処でいう「無知」とは自分の物事の捉え方、サイクル、五感、自身を考えすぎるがゆえに見失っている状態のことを指す。 苦悩やネガティブな出来事に正面から向かい合ってひたすら考えている状況は、自身と向き合っているんだと思っていた。 正確に言うと、思い込もうとしていた。 しかし考えても...
此処でいう「無知」とは自分の物事の捉え方、サイクル、五感、自身を考えすぎるがゆえに見失っている状態のことを指す。 苦悩やネガティブな出来事に正面から向かい合ってひたすら考えている状況は、自身と向き合っているんだと思っていた。 正確に言うと、思い込もうとしていた。 しかし考えても見つからない答えと、それどころか自分自身を見失っていくような感覚に少し違和感を感じ始めていた矢先に偶然気になったのがこの本でした。 "慢"の煩悩に関しては、特にニーチェと被ると思いました。 ネットや自分の世界だけに閉じこもるのではなく、五感で感じる生き方をしたいと思います。
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ニーチェは仏教自体は宗教ではなく、精神衛生学であると 定義しているけど、この本を読むと腹に落ちる。 仏教的視点からより正しく生きる方法について 生活のシーン別に方法論(心のありよう)を述べる。 amazonのレビューでも書かれているとおり、特別新しい事や 革新的な事が書かれて...
ニーチェは仏教自体は宗教ではなく、精神衛生学であると 定義しているけど、この本を読むと腹に落ちる。 仏教的視点からより正しく生きる方法について 生活のシーン別に方法論(心のありよう)を述べる。 amazonのレビューでも書かれているとおり、特別新しい事や 革新的な事が書かれている訳ではないと思うが、内容が具体的で 「あー、こういうときにこうコントロールすればいいのか」て 感じで、気付きがある内容。 すべての考え方として共通するのが、 「集中して自己と距離をおいて事象を捉える」 という事だと思う。 怒り、不快、心地よさなどのすべての感情に対して、 客観的な態度をとり、自己を見つめる。 これにより、心の静寂を保つといったところだろうか。。 もう一度読み直してみる。
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考えない練習とは、五感を意識して、刺激をしっかりひとつひとつ受けとめて、分解して理解すること。その練習の一部として、話す、聞く、見る、書く、食べる、捨てる、触れる、育てるということが提案されている。なかでも、痒みや暑いといった感覚を「痒いから嫌だ」として処理してしまうと不快感しか...
考えない練習とは、五感を意識して、刺激をしっかりひとつひとつ受けとめて、分解して理解すること。その練習の一部として、話す、聞く、見る、書く、食べる、捨てる、触れる、育てるということが提案されている。なかでも、痒みや暑いといった感覚を「痒いから嫌だ」として処理してしまうと不快感しか、残らないが「痒み」という情報だけで遮断し「嫌だ」に繋げず処理すると、しだいに身体は痒みに飽きて痒みは感じなくなるというのがすごく印象に残った。仏教というのは、原因を分析して無駄な部分を取り除く、理に適ってるというのか、ロジスティックな感じがする。「考えない」というのも表面的な意味ではなく、「ああしよう」「こうしよう」「でも…」と頭の中のムダなノイズを取り除くことである。そのためには、すごく深い集中、いわゆる、瞑想が脳裏に浮かぶのであるが、瞑想とは目的ではなく、道具に過ぎないのだそうだ。非常に強い集中力を身につけると、自分の意識の流れが見え、普段ごまかしてたけどこんなこと考えてたのか、とショックを感じ、自分の心が組み替わり、苦楽への執着が薄まり、揺るがず、動じない平常心が手に入るという。 提案されている各感覚の練習から求められるレベルが高く、「うっ」となってしまうのだが、煩悩すべてをコントロールするのは難しいと著者も言っているし、そのために修行するのだし、自分の心の歪みを認識できれば、タフに成長できる。長い修行の始まりの予感。
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仏教的観点から思考がどうあるべきか説いた内容。 普段、自分のエゴとどう向き合うかを課題としてきたが、この本を読むことで、幾分か解決に繋がるものを得られた。
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