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浮世の画家 の商品レビュー

3.7

79件のお客様レビュー

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2018/10/24

原書名:An Artist of the Floating World ウィットブレッド賞 著者:カズオ・イシグロ(Ishiguro, Kazuo, 1954-、長崎市、小説家) 訳者:飛田茂雄(1927-2002、世田谷区、アメリカ文学)

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2018/10/19

ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの出世作だという。日本を舞台に戦前から戦後にかけて画家の心を描く。画家の小野は戦前に新日本精神を鼓舞する作品を作り、尊敬を受けていたが、戦後は一転して世間から冷たい目で見られていた。彼は過去の言動はその時には信念をもって行ったので恥じることはな...

ノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロの出世作だという。日本を舞台に戦前から戦後にかけて画家の心を描く。画家の小野は戦前に新日本精神を鼓舞する作品を作り、尊敬を受けていたが、戦後は一転して世間から冷たい目で見られていた。彼は過去の言動はその時には信念をもって行ったので恥じることはないと考えている。もちろん現在からすると反省すべき態度だったのだろうが、引退した画家の心の移ろいを描く。

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2018/09/05

うーーん、何だろうこの読後感。 未熟者の私にはこの老人の懐古趣味はまだ理解できないということなのか。 これまでに数々読んだイシグロ氏の作品では、過去の回想や寂寥感を楽しみながら読めたんだけど、この過去に名声を馳せた一老画家の追憶には、なかなか共感が難しかったぞ。 でもまあこれが近...

うーーん、何だろうこの読後感。 未熟者の私にはこの老人の懐古趣味はまだ理解できないということなのか。 これまでに数々読んだイシグロ氏の作品では、過去の回想や寂寥感を楽しみながら読めたんだけど、この過去に名声を馳せた一老画家の追憶には、なかなか共感が難しかったぞ。 でもまあこれが近所のおじいちゃんの縁側での昔話と思えば、分かりやすいのかな。過去の記憶が自分に都合よく置き換えられてたり、自信満々で孫と約束したことを果たせなくても大人の事情で乗り切ったり(笑) そこに纏わる老人の寂寥、そしてそれを上回るこちら側の共感や同情を感じられるほど、私の人生経験値が追いついていないということでしょう。 でも、「日の名残り」とかでもそうだったんだけど、イシグロ氏の文章に漂う上品さは大好き。そして、まるで下手な受験生の関係代名詞の訳文みたいな(←いい意味でね)日本語!これが元々のオールドイングリッシュ的な雰囲気を醸し出してて、老人の偏屈さもより一層際立って楽しめました。 2018/09

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2018/08/04

 カズオ・イシグロは価値観の激変する中で翻弄される人間の姿を描くことには比類なき表現力を発揮する。戦時中、戦争協力を使命感を感じていた画家が、戦後はそうした行動に対して自己反省を余儀なくされる。若者たちからは露骨に非難される。それまでの自分たちのやってきたことが全否定されるのだ。...

 カズオ・イシグロは価値観の激変する中で翻弄される人間の姿を描くことには比類なき表現力を発揮する。戦時中、戦争協力を使命感を感じていた画家が、戦後はそうした行動に対して自己反省を余儀なくされる。若者たちからは露骨に非難される。それまでの自分たちのやってきたことが全否定されるのだ。   ただ、この小説の主人公は決して挫折はしない。子どもや孫の価値観の違いに戸惑いながらも生きていくのである。  イギリス育ちの作者が書いた日本の戦中戦後の 描写に殆ど違和感を感じないのは翻訳の質の高さによるのだろう。回想と現実とが境目なく連続するこの作者独特の手法も翻訳で読んでも無理なく読み取れる。

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2018/07/30

日本の美術大学にはここまで熱く議論を交わし合う学生は果たして現存するのだろうか。側から見ているとそうは感じない。

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2018/07/25

第2次世界大戦中、日本の軍国主義を称賛するプロパガンダ画を描いていた画家、小野益次。終戦を迎え、戦時中の善だったものが悪に、悪だったものが善に変わる大きな転換期の中、小野の戦時中の行いや描いたものは世間や家族、画家仲間から批判の対象となる。 戦中から戦後へと時代の流れに押しつぶ...

第2次世界大戦中、日本の軍国主義を称賛するプロパガンダ画を描いていた画家、小野益次。終戦を迎え、戦時中の善だったものが悪に、悪だったものが善に変わる大きな転換期の中、小野の戦時中の行いや描いたものは世間や家族、画家仲間から批判の対象となる。 戦中から戦後へと時代の流れに押しつぶされ、死を選ぶ者もいれば、世捨人として寂しく暮らす者もいる。一方、老いた小野は当時の自分の行いは最善であったと信じ、時代に坑がう。 戦争によって価値観が大きく変化する中、自分の過去を否定されることを寂しく感じ、時代に翻弄される老人。そして、その老人の今と回想が交互に繰り返される構成。その2つの点では 本作品の次作「日の名残り」とよく似ている。 結局、主人公小野は自分の過去を理解してくれない娘夫婦をあきらめて、幼い孫だけでも理解者にしようと努力するのだ。

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2018/08/30

1948年10月、1949年4月、11月、1950年6月といった現在の区切りで、戦前、国家の方向に同調した絵を描いた画家・小野が、娘の縁談の進行と、昔の己の越し方、考え方を回想する。 こちらも「遠い山なみの光」と同じく、現在と昔を回想する形式だが、「遠い山なみの光」が終戦直後と...

1948年10月、1949年4月、11月、1950年6月といった現在の区切りで、戦前、国家の方向に同調した絵を描いた画家・小野が、娘の縁談の進行と、昔の己の越し方、考え方を回想する。 こちらも「遠い山なみの光」と同じく、現在と昔を回想する形式だが、「遠い山なみの光」が終戦直後と1980年頃、という時代設定なのに対し、戦前、戦後になっている。その分小野の戦前の体制に同調した行動と、戦後の今の不利な状況の対比がくっきりしている。しかし小野は回想で己の姿を浮かび現しているが否定はしていない。 2006.11刊 2017.10.15、7刷を購入

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2018/06/08

『うきよ』 時代は鱗をもって生きている。 私は、時代の鱗にまたがって当てもなく、さまよう。 社会の川。 幾千の星の下で。 細胞から空を見上げて。 もう一度、過ぎ去った私の過去の匂いと味を探してみよう。

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2018/05/22

昭和の作家が書いた小説を読んでいるような感覚になったり、翻訳ものだということを忘れたり、孫や娘との会話が白黒映画の脚本読んでるみたいな感じになったりで、不思議な小説だった。

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2018/03/05

カズオ・イシグロの長編第2作目。 幼少の頃から長らくイギリスに住み、イギリスの生活や文化に慣れ親しんできた作者が、生まれ故郷である日本の戦前・戦後の生活や文化を事細かく調査して書き上げた意欲作と思われる。 主人公は広い日本家屋の屋敷に住む老画家で、末娘の結婚問題に心を痛めながら...

カズオ・イシグロの長編第2作目。 幼少の頃から長らくイギリスに住み、イギリスの生活や文化に慣れ親しんできた作者が、生まれ故郷である日本の戦前・戦後の生活や文化を事細かく調査して書き上げた意欲作と思われる。 主人公は広い日本家屋の屋敷に住む老画家で、末娘の結婚問題に心を痛めながらも孫と戯れたりするほのぼのとした情景から物語は始まる。 物語の雰囲気は作者も思い入れがあるというまさに小津安次郎監督の世界であり、物語の出だしは情緒豊かに日本的な風情の中から展開していくことになる。 さらに個々の登場人物にはそれぞれ独特の個性を持たせていて、割とほのぼの感のある主人公に対して、身内である娘2人と孫の性格はちょっと一捻りしている感じで、常にまわりくどくてはっきりとものを言わない姉に、クソ生意気な孫のガキ、そしてズケズケものを言う末娘という感じで、作者ならではの日本の家族観が出ていてなかなか面白かった。 あと光の使い方がある意味日本的で、これも面白いところであった。 主人公の少年時代の回想で暗がりの座敷の中で火の光がゆらゆらと揺れるようなイメージがあったり、広い日本庭園を思わせる中での陽光を浴びながらの庭仕事があったり、あるいは家族らとともにする夕食の食卓での電燈の光であったり、かと思えば戦前や戦後すぐの地方のバーの薄明かりや居酒屋での華やかな色光であったりと、日本的な光のイメージを大切に使っている作品であったように思う。 そういう意味で、物語後半における主人公と師匠モリさんとの決別の理由の一端は、闇に浮かぶ日本的な光の幻想を洋画に活かそうという師匠の手法への主人公の反発にあったわけで、極彩色に違いない主人公の軍国主義礼賛の絵は主人公が入り浸った飲み屋街のネオンと共通するものとして対比されていたようにも思う。 その彼が戦後老いて日本的な環境の中で生活するというのは、ある意味、皮肉なものであったのではないか。 物語の前半は割と娘の結婚問題にそこそこ頭を悩ます父親といった風情だったものが、物語の後半に入り、突如として主人公の戦争責任とそれに先立つ師匠との出会いから別れの話に進展していったのには驚いたものの、なかなか読み応えのある展開であった。 特に主人公が師匠との決別の道を選択し、戦時中に自分が行った仕事に対する数々の高評価に自尊心を満足させつつも、一転、敗戦後は自らの過去が末娘の縁談に差し障りがあると考え、そうした過去に対する責任感に満足するところなどは、これもある意味、皮肉であり、さらに周囲の者は逆にそのような責任など感じる必要などない「小物」だったと評価していることなどは、作者の作品にいつも滲み出ているお得意のユーモアと思われなかなか魅せてくれたと思う。 この作品は現在・過去が錯綜して回想される主人公の一人称の物語で、その主人公の記憶も曖昧なところがありなかなか読みにくい作品であったが、主人公が存在し会話し考え、時には過去へ行ったっきりになり、主人公がそこかしこであれこれと思いめぐらす思考の流れは、われわれ読者をも幻想的な感覚へと誘い、現実と過去の境界をも曖昧にする不思議な体験であった。 その意味で、日本の過去と現在をごちゃまぜにして作者のイメージに作り変えて読者へ突き付けるという彼の目論みは大いに成功したといえるだろう。 主人公の一人称の物語ゆえに、作者の客観的な日本評をみせつけられた作品であったとも言える。

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