キャッチャー・イン・ザ・ライ の商品レビュー
「ライ麦畑でつかまえて」こと 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 多分、村上春樹の訳がなかったら読まなかったでしょう。 事前情報なしで読み始めましたが、主人公のホールデン君のボヤキ風の語りで物語は進んでいきます。 まだ序盤ですが、後半をの方をチラ読みすると、どうもそんな感じ。...
「ライ麦畑でつかまえて」こと 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 多分、村上春樹の訳がなかったら読まなかったでしょう。 事前情報なしで読み始めましたが、主人公のホールデン君のボヤキ風の語りで物語は進んでいきます。 まだ序盤ですが、後半をの方をチラ読みすると、どうもそんな感じ。 題名から、田園での恋物語かしらと思ってましたが、どうも違うようです笑 ある意味読み進めていくのが楽しみ。 また読み終わったら感想文書きます。 何とか読み終えました「キャッチャー・イン・ザ・ライ」。疲れました笑 学校を退学させられることになってから、わずか数日間の間の出来事。破天荒な行動を繰り返し、周囲の人とトラブルを起こしながら、ニューヨークを放浪し、何とか自宅までもどっていく。その一連についてのホールデン君目線の内訳話。 正直なところ、ホールデンの行動にはついていけない。まったくホールデン君よ、やれやれだよ、という感じ笑 物事すべてに苛立ち、自分の気持ちをうまく表現できず、人とうまく付き合えない。素直になれない。 この本は、青少年に悪影響を与える作品として敬遠されているらしいですが、まあ自分の子供には、ホールデン君のような行動をとってほしくはない、ですね笑 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という題名は、どういう事なのか疑問に思いながら読んでましたが、「ライ麦畑で崖から落ちそうな子供を捕まえて助ける人」そんな人になりたいというホールデンの想いからきているとか。 孤独と喪失感に満ちた人生を歩んできたが、人を助ける人生を歩みたいということでしょうか。寂しさを感じますなあ。 翻訳作品として、文面が村上春樹の文章だなあという感じ。ほかの人の翻訳もどこかで見てみたいと思います。
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以前から気になっていた本だ。 やっと読めた。 昔読んだ野崎さん訳の「ライ麦畑でつかまえて」を、最近再読した。 なので、この本と比較がしやすい状態で読んだのだけれど、村上さんのほうが言葉遣いや語彙がすんなりと入ってきた。 それはやっぱり、時代の変化が言葉に反映されるからだろう。 そ...
以前から気になっていた本だ。 やっと読めた。 昔読んだ野崎さん訳の「ライ麦畑でつかまえて」を、最近再読した。 なので、この本と比較がしやすい状態で読んだのだけれど、村上さんのほうが言葉遣いや語彙がすんなりと入ってきた。 それはやっぱり、時代の変化が言葉に反映されるからだろう。 そして、村上さんのホールデンのほうが、少しおとなしくって上品で、野崎さんのほうがちょっぴりやんちゃな印象を受けた。 村上さんの訳は、ホールデン以外の人物の気持ちもにじみ出てきて、感じられたし、野崎さんの役は、まだまだ青いホールデンと他人との距離感が、より強い風に感じられた。 どちらの訳もそれぞれの持ち味があるのだなあ、翻訳って奥が深いなあと、改めて感じ入った。 この本は読みやすく、わかりやすいと思った。 また10年くらいしたら読み返してみたい。 次は原文で読んでみたい。 そしたらまた、印象は変わるのだろうな。
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柴田訳ナイン・ストーリーズのために。 学生時代に読んだが、おそらくこの物語は1度読んだだけでは全容をまったく掴みきれない再読を何度も要求する物語なのだろう。 エモーショナリーな読みかたをするのが、初読時。 精読しホールデン少年の変化を丹念に追い、検証することを目的とする再読。 ホ...
柴田訳ナイン・ストーリーズのために。 学生時代に読んだが、おそらくこの物語は1度読んだだけでは全容をまったく掴みきれない再読を何度も要求する物語なのだろう。 エモーショナリーな読みかたをするのが、初読時。 精読しホールデン少年の変化を丹念に追い、検証することを目的とする再読。 ホールデンはいったい誰に向けこの物語を書いたのだろう。 このような回りくどいやり方で物語を語ることにした、サリンジャーの意図するところとは? 謎は尽きない。
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ずいぶん昔に野崎訳を読んだ時も読み辛く共感出来なかったが,村上訳を読んでも印象はあまり変わらなかった.
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某所読書会課題図書.ホールデン・コールフィールドがペンシー校を追放となって,これまでの人生を省みたり,その後の行動で出くわす様々なエピソードが満載な物語だが,登場人物が多くて閉口した.メモを取りながら読み進めたが,コールフィールドの突飛な動きに翻弄された感じだ.妹のフェービーや亡...
某所読書会課題図書.ホールデン・コールフィールドがペンシー校を追放となって,これまでの人生を省みたり,その後の行動で出くわす様々なエピソードが満載な物語だが,登場人物が多くて閉口した.メモを取りながら読み進めたが,コールフィールドの突飛な動きに翻弄された感じだ.妹のフェービーや亡くなった弟のアリー,ペンシーで同室だったストラドレイターやアックリー,ガールフレンドのサリー・ヘイズ,ジェーン・ギャラガー等々個性的な人物ばかりだ.タイトルのライ麦畑が出てくるのはp286だが,内容とうまく合致しない感じだ.
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タイトルだけはよく耳にした青春小説。村上春樹訳で読んでみた。読むのは自己愛が最高潮の時、10代中頃が良いんだろうな。作中でアントリーニさんが『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求め...
タイトルだけはよく耳にした青春小説。村上春樹訳で読んでみた。読むのは自己愛が最高潮の時、10代中頃が良いんだろうな。作中でアントリーニさんが『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めるものだ』と言っていたけど、自分はすっかり成熟してしまったなあと途方にくれた。主役の男の子も、可愛い妹がいることだし、どこかで曖昧模糊な世の中に折り合いをつけて生きていってほしいね。
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社会に適応できない少年の想いをただひたすらに綴った物語。社会の側から排除せざるを得ない規範から外れた少年を、社会の側からではなく少年の方から描いたっていう本紹介に僕は一番納得
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
サリンジャーは、ここ数年、昔読んだものを読み返したり、「グラース・サーガ」の読んでなかったものを地道に読んだりしていて、その流れで、かなり久しぶりに"The Catcher in the Rye"を村上訳で読んでみた。 大まかなストーリーはわかっているはずなのだが、完全に忘れているエピソード満載だし、ストーリーの流れもこんなのあったっけが多くて、驚いた。 そして、ストーリー以上に、読んだ印象がかなり違うんだよね。 これは、村上訳のせいなのか、自分の読む視点が変わったのかはわからない。 昔はストーリーを追うのに夢中で細部を味わってなかったのに対して、今回は結構丁寧に読んだというのもあるかもだが、なんかホールデンの気持ちが、これまで読んだときにまして、「分かる」んだよね。 ユーモラスだが、自虐的なトーンの口調を通じて、インチキな大人たちへの苛立ちと無力感、絶望と孤独感、焦燥感みたいなのもの、そして一種の狂気が、どんどん深まっていく感じが伝わってくる。 自己欺瞞に対して、思いっきり拒絶感を持ちつつも、実際に人と接するときにはうまいこと話をあわせたり、心にもないことを言ったりしたり、なんだかんだで、お金のことばかり気にしたり、お金がない人のダサい服装などなどへの見下しがあったり、なんだか中途半端な感じもある。このいい加減さがまた自分に帰ってきたり、というのも分かる感じ。 つまりは、自分と社会との関係で違和感をもつ、永遠の青春小説であるとともに、ミドル・エイジ・クライシスな大人にも、ガンとくる内容だったということかな。 ホールデンと一緒に「結構惨めな」気持ちになった。 最後は、一種のハッピーエンドなのだが、それとて、テンポラリーなものでしかない。 この事件を踏まえて、ホールデンはちょっと成長して、大人になるのだろうけど、この後にも、たくさんのお悩みが続くんだろうなと心配したりした。 多分、その辺は、「グラース・サーガ」を読んだんで、そこの印象と重なっているんだろうなと思う。 今回、読んでいて面白かったのは、最初の方で、ホールデンが読んでいるのが、イサク・ディーネセンの「アフリカの日々」であったり、途中でエミリ・ディキンソンのことが簡単にふれられたりとか、ニューヨークの街の描写で出てくるセントラルパークとか、ラジオシティとか、一部のホテルとか、なんとなく知っている場所が出てくるとことか。 そういうリアルな背景描写が、ホールデンの孤独感をより際立たせて、わたしとしては、共感につながったのかな? 今回はこの本のもつダークサイドにより目がいったのだがそれと同時に、題名の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に込められたほのかな希望もよく伝わった。 この題名は、もちろん本の中の会話で出てくる歌の歌詞(ホールデンが間違って記憶したものだが)からきている訳で、そこを読み飛ばすことはこれまでもなかった訳だが、そこがどうしてタイトルになっているかは実はあまりピンときていなかった。 だが、世の中の色々なことにシニカルで、希望をもてないホールデンが、唯一もてる希望、社会との関わりの希望がここには込められているんだな〜、と。 そして、ホールデンの希望は、サリンジャー自身の希望でもあったんだうな〜、とサリンジャーの主要作品を一通り読んだ今は思える。 そのほのかな希望は、「ライ麦畑でつかまえて」では伝わらない。「ライ麦畑で捕まえる人」でないと意味が通らない。 それでは、本のタイトルにはならないので、村上訳では原題のカタカナ標示になったんだろうな〜、と思った。
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ヘルマン・ヘッセとJ.D.サリンジャーを続けざまに読んでふとニーチェを思い出した。別に無神論者とか真に敬虔な信仰を持たない人間がたどる末路がこれなのだとは言わないけれど、少なくともニーチェはこうあうことを予言してたんだなあと思った。車輪の下のハンスは勉強のことしか頭になくて、コー...
ヘルマン・ヘッセとJ.D.サリンジャーを続けざまに読んでふとニーチェを思い出した。別に無神論者とか真に敬虔な信仰を持たない人間がたどる末路がこれなのだとは言わないけれど、少なくともニーチェはこうあうことを予言してたんだなあと思った。車輪の下のハンスは勉強のことしか頭になくて、コールフィールドは青年期の反抗じみたことしか考えない。それはルサンチマンの一種みたいなもので我々読者がそうじゃないと思ってもどうにかなる代物ではない。でも、実際問題こういうことは多々あるのだと思う。自分でも気が付かないうちにキルケゴールが言うみたいに最悪の絶望を味わっているのかもしれない。辛い小説だったけどこれが現実なんだと思った。
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やれやれ。 これはサリンジャーの作品なのかい?それとも村上春樹の作品なのかい? どちらでも構わないが、彼自身が口癖だと言うほどには、彼はやれやれと言わないじゃないか。 しかし、なんてしつこい文章だろう、真似しようにもできないよ、誰がどこから見ても村上春樹そのものだ。
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