青い眼がほしい の商品レビュー
黒人史研究家でもある…
黒人史研究家でもある、黒人女性作家トニ・モリスンのデビュー作。ある黒人少女の悲劇が、別の少女の目を通して語られます。文学的完成度が高く、悲惨さを前面に押し出したり、お涙頂戴的な書き方ではないため、かえって多くのことを考えさせられます。
文庫OFF
黒人の少女・ピコーラ…
黒人の少女・ピコーラは、誰よりも「青い眼が欲しい」と願った―。無邪気な少女を襲う悲劇が、冷徹なまでに静かに語られる、黒人文学作品。白人の観点で巧妙に形作られた、黒人が黒人を差別する社会が浮き彫りにされる。狂気を帯びた文章にゾクッとし、痛切な内容に様々なことを考えさせられます。
文庫OFF
弱者の中にある、さらなる弱者への差別。不幸の連鎖(親の貧しさ、親に育児放棄された親など)。 すごく読みづらい、世界観に入り込むのに苦労はしたものの、ピコーラの身に起こった悲劇が今も続いていることを思うと切なくなる。青い眼、眼というよりも「青」の象徴するもの、聖母マリアの色、白色人...
弱者の中にある、さらなる弱者への差別。不幸の連鎖(親の貧しさ、親に育児放棄された親など)。 すごく読みづらい、世界観に入り込むのに苦労はしたものの、ピコーラの身に起こった悲劇が今も続いていることを思うと切なくなる。青い眼、眼というよりも「青」の象徴するもの、聖母マリアの色、白色人種の瞳などいろいろあるかもしれないが個人的には聖母の象徴のように思えた。苦しみの中で縋る存在、生きる寄す処、それが「青」い眼なのかもしれない。
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土地に、暮らしに染みつき終生その生を縛り続ける差別。悲しみの果てにこぼれ落ちたその願い。つらい。 黒人差別が“当たり前“に横行していた時代の暮らしが悲しい。
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筆者に初めて触れたのは「ホーム」を読んだ時。朝鮮戦争から戻った兄妹の無残な、救いのない話。あたかも御須メルを文でなぞるような癒しと救いの魂を感じた。 先日フォークナーを久しぶりに読み、難解で捉えようのなかった偉大なノーベル賞作家に再度くらいついてみる気になったから。 読むという...
筆者に初めて触れたのは「ホーム」を読んだ時。朝鮮戦争から戻った兄妹の無残な、救いのない話。あたかも御須メルを文でなぞるような癒しと救いの魂を感じた。 先日フォークナーを久しぶりに読み、難解で捉えようのなかった偉大なノーベル賞作家に再度くらいついてみる気になったから。 読むという行為は「単に頁を捲り、その世界に触れる」だけでは無謀で、入念な下調べとプロット研究、筆者の成育、生活歴、家柄を知って・・成って行くと私には初めての足踏みをしつつかかる。 そこに浮き上がってきた、トニ・モリスン・・フォークナーと同じ、ノーベル賞作家、しかも扱うテーマが人種差別。 何も知識がなかったら、やはり食いつき辛かったと感じさせられた。 叙述が積み重なり、時系列を度外視した一見ばらばらの連作が集まってできている。 ピコーラという少女は12歳、物語を綴るのは筆者の分身と思しきクローディア。そしてピコーラの父チョリーと母ポーリーンの過去が掘り起こされて行く。表題になっている「青い眼が欲しい」と請われるソープヘッド・チャーチの身辺が浮かび上がる。 作品の舞台は1941年、太平洋戦争が始まろうとしている暗雲垂れこめた米世界。フォークナーがノーベル賞を受賞したのは1946年。アメリカ社会を分断した北軍と南軍のしこりが歪みを持ったまま、南北戦争の解決は南部貴族、プアホワイトなどを新たに生み出したまま世界大恐慌へ。追い打ちをかけるような相次ぐ天災の爪痕(スタインベックの作品によく書かれている)を持ったまま、なだれ込んだのがこの時期だ。 南部の貧困層(大半は黒人、それも奴隷層)を抱え込んだまま今に至っている。フォークナーの信奉者であるトニ・モリスンの想いが随所に表れている。フォークナーは南北分断の犠牲者が抱く虐げられた感情をそのまま負とするのではなく、乗り越えて行くために勇気が必要とうたったが・・その後続いた数々の事件を盛りスンはどう捉えたであろう。2019年に世を去るまで彼女の胸に去来した想いの原点がここに詰まっていることを静かに、重く、まるで霊歌の響きのように訴えている作品だ。 グリーンブックを見て感じたのは主役の演奏家の姿、瞳の毅然とした輝石のような煌めき。あのような方も、同時期に苦悩と差別と煩悶の中で戦い生きていたのだという感慨が再度蘇った。4半世紀かけないと世の光が当てられなかったことを噛み締める、そんな作品だった。
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デビュー作? とんでもない作品だ。 比べるべき作品は、『苦海浄土』しか思い浮かばない。 差別を僕らはある決まった物語の尺度でしか見ていなかった。 その奥底、本当の意味をトニ・モリスンの言葉、表現で初めて知る。しかし、それは序の口という印象だ。悲惨に底はない。
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やはり洋書の翻訳本は読みづらい。副詞が多くて回りくどい表現の嵐。ストーリーを理解するので精一杯でした。私には不向きのようです。気が向いたら再読してみます。
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文章の素晴らしさに驚いた。「秘密にしていたけれど、1941年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった」「秘密にしていたけれど」の言葉の意味が持つ親密さ、打ち明け話、信用、このニュアンスが持つ子供の無垢さ。それが差別、暴力の助長につながる。そこをとてもうまく同居させている。
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難しかった 白人の容姿が美しい、黒人はひどいという対比を白人が書くことはできないと思うが、だからといって黒人である作者が、そう考えて差別的なことも書いていくのは衝撃だった 確かにピコーラが白人の青い眼を持っていたら、いじめを受けたり、父親から酷いことをされずに済んだのだろうか 文...
難しかった 白人の容姿が美しい、黒人はひどいという対比を白人が書くことはできないと思うが、だからといって黒人である作者が、そう考えて差別的なことも書いていくのは衝撃だった 確かにピコーラが白人の青い眼を持っていたら、いじめを受けたり、父親から酷いことをされずに済んだのだろうか 文体がピコーラをただ憐れに思わせないようにしているとあったが、結末的にいえば、やっぱり暗くピコーラは可哀想と思ってしまった ただ、チョリーの過去話も挟んでいるので、なんとなく理由はあったのかなという同情する余地はすこしだけあった 貧困、差別、黒人だからしょうがないのかという諦めのように受け入れつつ、青い眼を望むピコーラの姿が悲しい
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読んだ本は1994年6月30日初版発行の早川書房の本、黒人女性だから書ける本、深く重い印象、ピコーラと言う黒人の女の子の名前が記憶に残る、著者と訳者が1931年の同年生まれ。
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