青い眼がほしい の商品レビュー
被差別者たちの中の差別や、目を背けたくなるようなコミュニティ内部の醜いやりとりを描きながらも、それを痛烈な言葉で告発するのではなく、「どうしてこの人はこうなってしまったのか」をきちんと描くことで物語に豊かさを持たせる事に成功している。 とても悲劇的な話には違いないのだが。 不思議...
被差別者たちの中の差別や、目を背けたくなるようなコミュニティ内部の醜いやりとりを描きながらも、それを痛烈な言葉で告発するのではなく、「どうしてこの人はこうなってしまったのか」をきちんと描くことで物語に豊かさを持たせる事に成功している。 とても悲劇的な話には違いないのだが。 不思議と不快なだけでは終わらないのは、加虐者の生い立ちにまできちんと目配せを欠かさない作家の優しさ?丁寧さ?を感じるからだろうか。 実は、職場の女の子が「あーあたしも外人に生まれたかったな、足長くて金髪で鼻高くて」って言ってたのを聞いて衝撃を受け、読み始めたこの本(笑)。 得るものは大きかったです。
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誰よりも青い眼にしてください、と黒人の少女ピコーラは祈った。そうしたら、みんなが私を愛してくれるかもしれないから。 自らの価値に気づかず、無邪気にあこがれを抱くだけのピコーラに悲劇は起きた。 《本書裏表紙あらすじから抜粋》 たまたま本屋さんでタイトルに目がとまり、読んでおきたい...
誰よりも青い眼にしてください、と黒人の少女ピコーラは祈った。そうしたら、みんなが私を愛してくれるかもしれないから。 自らの価値に気づかず、無邪気にあこがれを抱くだけのピコーラに悲劇は起きた。 《本書裏表紙あらすじから抜粋》 たまたま本屋さんでタイトルに目がとまり、読んでおきたいと思い購入した。 トニ・モリスンという作家を知らなかったのだが、1993年にノーベル賞受賞したアメリカ生まれの作家だ。本書はデビュー作。 全編を通してピコーラを描いて進む物語なのだが、フリーダやクローディア姉妹など、章ごとに中心に描かれる人物が異なるため、読みにくさを感じることもあると思う。 黒人の少女の日常が綴られ、文章の端々から黒人の人々の貧しく、偏見と差別の伴う生活が窺える。 あからさまに暴力を受けるといったものではなく、黒人は白人とは異なり、同等に扱われないことが常態化され、誰も違和感がない。そこにアメリカの人種差別の根深さと、問題が深刻で完全に差別を無くすことの困難さを感じる。 ピコーラたち作品に登場する少女は、初潮を迎える頃の最も不安定で多感な年頃だ。 傷つきやすく、一度ついた傷を生涯背負ってしまいかねない年頃のピコーラに起きることが残酷すぎる。 読後、暫く胸が詰まり言葉も出なかった。 何がどう違っていたなら、ピコーラはこんなことにならなかったのだろう。 きっとその答えはないのだ。 ひとりの少女がどうにか出来ることではなかったのだ。 とても重い気持ちになるが、何も出来ないのなら、せめて読んで何かを考えたい。 何かを考えても何も変わらないけれど、また読み返し、また何かを考える。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
「秘密にしていたけれど、一九四一年の秋、マリーゴールドはぜんぜん咲かなかった。」 最初の一文にドキッとする。“秘密にしていたけれど”というなんとも仄暗い書き出し。その不吉な予感は正しく、明るい話とは決して言えない、心にズシンと重石を残してくるような物語だった。 人種差別が浮き彫りになる前のアメリカ。荒んだ家庭環境に身を置き、学校でもいじめにあう黒人の少女。青い眼があれば、「あんなにきれいな眼の前じゃ悪いことはできないね」と、周りも態度を変化させるのではないかと考え、毎日祈りを捧げるようになる。青い眼にしてくださいと。 そんな彼女に悲劇が襲いかかる。実の父から強姦され、父の子を身ごもるのである。 こんなことは許されない、決して許されないのだけど、その父の幼少時代まで丁寧に描くことで、一体何が悪で、価値基準とはなんなのかと、わたしの中の色んなものがぐにゃりと歪む。 美醜の判断は、いつからできるようになるんだろう。なんで幼い女の子はピンクを好み、おままごとをするのだろう。インターネットの普及で、太った女性が好まれていた地域でも欧米的な美を求められるようになったという話を聞いた。自分の好き嫌いは情報に操作されているのか。目に見えない「世間」に同調しているのか。幼い子どもも判断基準を「間違わない」なら、もはや洗脳ではないか。 物語の中で、黒人の男の子がピコーラに「黒んぼやーい 黒んぼやーい おまえのおやじは裸で眠る」といじめるシーンがある。「おまえのかあちゃんでべそ」並みに、どうしようもないいじめ方だ。そして、裕福で、かわいい黒人の女の子モーリーンが、ピコーラをいじめるシーンのなんと口惜しいことか。黒人間でも差別があることを、初めて知った。そして、知らなかった自分を恥ずかしいと思った。 「青い眼がほしい」という少女の切実な願いに怒りを感じる牧師(エセ)。結局は彼が彼女の精神を崩壊させる引き金になってしまうのだけど、彼の怒りはまっとうだと思う。 つらいけど読んでよかった本。
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読了後に残る、いくつものどうすることもできなさ…。誰よりも青い眼をした少女を静かに見つめることしか出来ない。
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他者に押し付けられた価値観や美的感覚ではなく、自分自身の美しさや価値を信じることができる社会にならないと、本書のピコーラのような悲しい若者が作り出されてしまう。日本人も、モンゴロイドの美しさよりも白人や黒人の体型や顔立ちになりたいと願う少女たちは少なくない。もっといろいろな美しさ...
他者に押し付けられた価値観や美的感覚ではなく、自分自身の美しさや価値を信じることができる社会にならないと、本書のピコーラのような悲しい若者が作り出されてしまう。日本人も、モンゴロイドの美しさよりも白人や黒人の体型や顔立ちになりたいと願う少女たちは少なくない。もっといろいろな美しさが並存して認められる社会であってほしいと思う。
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「1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった」という少女の独白でこの物語は始まる。でも、マリゴールドの鮮烈な黄色い花の色を思い描く間もなく、直後に「マリゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた」と文章は続く。少女が播いた種はひとつも花を咲...
「1941年の秋、マリゴールドはぜんぜん咲かなかった」という少女の独白でこの物語は始まる。でも、マリゴールドの鮮烈な黄色い花の色を思い描く間もなく、直後に「マリゴールドが育たないのはピコーラが父親の赤ん坊を宿していたからだと考えていた」と文章は続く。少女が播いた種はひとつも花を咲かせず、少女と同年代の女の子は父親の子をおなかに宿した。 何が正しくて、何が悪くて罪なのか。 少女である今はよくわからない。でも少しずつだけど、それはわかりはじめる。そのときに見た色彩をともなって・・ “弱い者が、より弱い者を虐げる”という差別や貧困の根源的課題は、当時の黒人社会でも根強く根を張り、虐げられた“弱者”としての黒人が、自分より弱い立場の同じ黒人を虐待するという内容で、DV、児童虐待、性的暴行が主要なテーマとして出てくる。私達はその痛々しく禍々しい内容に、時には生理的嫌悪も生じるかもしれない。 でも安心してほしい。作者は、黒人の悲惨な状況を並べて読者の同情を得ようというような、安っぽい作家ではない。女性として、黒人として、また新進作家として、自分の感性のアンテナをフル稼働し、少女を語り部とすることで無邪気な視点を交じえ、また、季節や田舎の風景描写を多くするなどで、人間たちの陰惨な行為だけで物語が染まらないように配慮されている。 冒頭に書いた花の色を想起させる描写もそのひとつだと思うし、昆虫の緑色、レモネードの黄色、そして黒や白といった肌の色の描写につながる豊かな色彩感覚が、最後に“The Bluest Eye”(誰よりも青い眼)という表現を、強烈に読者の心に写すようになっている。 もちろん非黒人である日本人の多くにも読んでほしい作品。10代の日本人の女の子も、この作品から多くの大切なことが得られるから。 (2009/8/31)
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1940年代のアメリカ、黒人差別が蔓延る時代の話。1人の黒人の女の子が黒人からもイジメを受け家庭は貧困、父親から強姦され妊娠。女の子は神様に自分を青い眼を下さいと毎晩祈るが…黒人差別の話でもあるが弱くて繊細で醜女が集団の中で生きる術は狂うしかないのだろうか?家庭にも恵まれず、周り...
1940年代のアメリカ、黒人差別が蔓延る時代の話。1人の黒人の女の子が黒人からもイジメを受け家庭は貧困、父親から強姦され妊娠。女の子は神様に自分を青い眼を下さいと毎晩祈るが…黒人差別の話でもあるが弱くて繊細で醜女が集団の中で生きる術は狂うしかないのだろうか?家庭にも恵まれず、周りも助けてくれない。少女は空想の中で生きる。話はドロ臭さは感じさせない文章になっているが、本質は重い。
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なぜかフォークナーを思い出す。貧困、人種、人間関係。ああ、20世紀のアメリカ文学よ。読み終わった後、もう一度最初を読み直すと合点がいく、こういう構成だったのかと。さいごに分かるわけですよ、あのひらがなの見出しの意味が。 なあ日本人よ、青い目がほしいと望む黒人を、果たしてわたしたち...
なぜかフォークナーを思い出す。貧困、人種、人間関係。ああ、20世紀のアメリカ文学よ。読み終わった後、もう一度最初を読み直すと合点がいく、こういう構成だったのかと。さいごに分かるわけですよ、あのひらがなの見出しの意味が。 なあ日本人よ、青い目がほしいと望む黒人を、果たしてわたしたちは笑えるか? 髪の毛の色を変え、目を大きく見せる化粧をし、英語が話せるようになりたいと努力する人々よ。
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西加奈子がテレビで紹介していたので、図書館で借りました。 黒人差別が横行していた頃のアメリカで、何世代にも渡って差別を受け続けてきたがゆえの、黒人自身が自己卑下に陥る、黒人同士で差別しあう内情が垣間見れます。 その思考や貧困を背景に、家庭や社会の中で不調和が起こり、悲しみ、怒りを...
西加奈子がテレビで紹介していたので、図書館で借りました。 黒人差別が横行していた頃のアメリカで、何世代にも渡って差別を受け続けてきたがゆえの、黒人自身が自己卑下に陥る、黒人同士で差別しあう内情が垣間見れます。 その思考や貧困を背景に、家庭や社会の中で不調和が起こり、悲しみ、怒りを抱え続けてしまう。身勝手な白人によって、黒人は何世代にも渡り心をなじられ続け、その結果、黒人が抱えてしまっているであろう心の闇を、フィクションながら見事に、私達に伝えてくれる秀作です。 そもそも黒人とか白人とかのくくりがおかしい。 太陽が強い地域に適応しているのが黒人、太陽の日差しから肌を黒くして守る必要がない地域で反映したのが白人でしょ。太陽における、strong skin と weak skinでしょ。 黒人白人黄色人種、同じ人間なのに、皮膚の薄皮一枚で人間を大別する呼ぶ方に、今更ながら違和感を感じます。
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テレビで西加奈子女史が絶賛していたので、購入してみたが…いやまいった…翻訳が良くないのか? 途中で読むことを断念。
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