ここで取り上げているのは「経営者のこと」を書いた本ではなく「経営者が書いた本」。
経営者が書いた本を読むことは、「経営者視点」で物事を考えることに繋がり、ビジネス以外にも幅広く役立ちます。
経営者というのはいうまでもなく、事業全体を見る視点が重要です。
そんな経営者の著書を読むことで、組織の動かし方、顧客との関係、収益構造など幅広い知識と重要なことを学ぶことができます。
幅広い視野が養える上に、仕事に行き詰った時に見方を変えることに役立ち、アイデアが必要な時に新しいアイデアを生み出す手助けとなったりしてくれます。
そしてそこには波乱万丈な人生が待っています。
偉大なる先人から「経営の神髄」、「仕事の姿勢」、そして「生き方」を学んでみましょう。
経営者リスト
► 稲盛和夫(京セラ・第二電電・創業者)京セラとKDDIという「二つの世界的大企業を創業した男」
► 松下幸之助(パナソニック・創業者) 9歳からでっち奉公に出て、1代で松下グループを築き上げた「経営の神様」
► 本田宗一郎(本田技研工業・創業者)世界のホンダを築いた「世界で最も有名な日本人」の一人
► 小倉昌男(ヤマト運輸・二代目社長)宅急便によって人々の生活の常識を変えた「官僚と闘う男」
► 藤田田(日本マクドナルド・創業者)「元祖・起業家」ともいわれる日本マクドナルド社長。
► 藤沢武夫(本田技研工業・副社長)本田宗一郎を支えホンダマインドを作り上げた「経営の天才」
► 小林一三(阪急グループ・創業者)権威・特権・因習に挑み、強大な「阪急王国を築き上げた男」
► 佐治敬三(サントリー・社長)戦後、日本人の食卓の風景を大きく変えた「風変わりな偉人」
► 盛田昭夫(ソニー・創業者)革新的な戦略で世界をリードするソニーを作り上げた「20世紀を代表する企業家」
► 飯田亮(セコム・創業者)20代で日本初の警備業を起業。会社どころか「ひとつの産業を生み出した男」
稲盛和夫京セラ・第二電電・創業者
27歳で京セラを創業、52歳で第二電電(現KDDI)を起業し、両社あわせて約5兆円の企業へと躍進させた事業家。日本航空の再建でも知られ、のべ26,000人余の若い経営者が学んだ経営塾「盛和塾」塾長として経営者の育成にも力を入れていた。
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松下幸之助パナソニック・創業者
小学校を4年で中退、火鉢店、自転車店などに奉公した後、大阪電灯を経て22歳で独立、松下電器製作所を開設。以来、電器一筋に「ナショナル」「パナソニック」という世界ブランドを育て上げ、「水道哲学」という独得の理念の下、積極的に社会への発言を続けた経営の神様。また、PHPを学ぶPHP研究所、政治・経済を学ぶ松下政経塾などを設立し、各分野に多くの人材を送り込んだ。
(単行本)
松下政経塾に残された当時の塾生たちに思いを伝えつづけた未公開テープ約百時間を中心に、政経塾の人間教育をベースに構成された経営の神髄が詰まった作品。
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本田宗一郎本田技研工業・創業者
自動車修理工から身を起こし、一代で「世界のホンダ」を築いた世界で最も有名な日本人の一人。豪快な性格で自分に厳しくありながら、他人に対して気配りを忘れない。こうと決めたことで失敗した経験がほとんどないという稲盛和夫氏とは違い、本田宗一郎の理念は99%は失敗、1%の成功で現在があると説く努力の人。
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小倉昌男ヤマト運輸・二代目社長
「儲からない」といわれた個人宅配の市場を切り開き、「宅急便」によって人々の生活の常識を変えた男、小倉昌男。
大和運輸(現・ヤマト運輸)の創業者・小倉康臣の二男として生まれ、71年、二代目社長に就任。経営危機の状況から宅急便を生み出し、規則の固まりのような運輸行政に挑みながら会社を立て直した。
大和運輸(現・ヤマト運輸)の創業者・小倉康臣の二男として生まれ、71年、二代目社長に就任。経営危機の状況から宅急便を生み出し、規則の固まりのような運輸行政に挑みながら会社を立て直した。
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藤田田日本マクドナルド・創業者
“元祖・起業家”ともいわれる日本マクドナルド社長・藤田田。東大在学中に進駐軍通訳のアルバイトでユダヤ人米兵から多くのことを学び(「ユダヤの商法」として知られる)、1971年に日本マクドナルドを創業。1982年には日本最大の外食産業となり、1989年に「日本トイザらス」、1991年に「日本ブロックバスター」、「日本タイラック」を創業。
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藤沢武夫本田技研工業・副社長
「おれは金はもってないけれど、金はつくるよ」藤沢武夫はこう言って本田宗一郎とコンビを組んだ。
本田宗一郎は技術の天才だったが、藤沢武夫は経営の天才だったと言われている。成功した人間の傍には必ず有能な参謀がいるといわれるように、本田技研を二人三脚で世界的企業に育て上げた名経営者。その経営手腕はもちろん、影に徹した事や、風流人な一面を持つ点などにより経営者のファンが多い。
本田宗一郎は技術の天才だったが、藤沢武夫は経営の天才だったと言われている。成功した人間の傍には必ず有能な参謀がいるといわれるように、本田技研を二人三脚で世界的企業に育て上げた名経営者。その経営手腕はもちろん、影に徹した事や、風流人な一面を持つ点などにより経営者のファンが多い。
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小林一三阪急グループ・創業者
小説家を夢見る遊び好きの銀行員が挫折の後、権威・特権・因習に挑みながらも強大な阪急グループを築き上げた。
沿線の宅地開発、少女歌劇、ターミナル百貨店、ビジネスホテルなど、次々に日本初のビジネスを創り出した阪急東宝の創始者であり“比類なきアイデアマン”。
沿線の宅地開発、少女歌劇、ターミナル百貨店、ビジネスホテルなど、次々に日本初のビジネスを創り出した阪急東宝の創始者であり“比類なきアイデアマン”。
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佐治敬三サントリー・社長
兵役後、寿屋(現サントリー)入社。専務、社長を経て、90年に会長。この間、トリス・ブームをつくり、63年には長年の念願であったビール分野にも進出、ウイスキーの売上も飛躍的に伸ばす。
父譲りの「やってみなはれ」精神や、サントリーホール設計に際してカラヤンの助言を受けて「ほな、そうしましょ」の一言など逸話も多い。
父譲りの「やってみなはれ」精神や、サントリーホール設計に際してカラヤンの助言を受けて「ほな、そうしましょ」の一言など逸話も多い。
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