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「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦 講談社選書メチエ668
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2018/02/01 |
| JAN | 9784062586719 |
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「東洋」哲学の根本問題
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商品レビュー
3.5
3件のお客様レビュー
「意識と本質」を1回読んでからの参考書として入手。イスラムの源泉はギリシャにあるなど、井筒さんが言いたかったことを端的にまとめていて役に立つ本だった。 斎藤慶典さんは、「私の専門は現象学だ」と言っている。 最後の「今ここで=現に」という章が現象学的見地からのものなのかもしれない...
「意識と本質」を1回読んでからの参考書として入手。イスラムの源泉はギリシャにあるなど、井筒さんが言いたかったことを端的にまとめていて役に立つ本だった。 斎藤慶典さんは、「私の専門は現象学だ」と言っている。 最後の「今ここで=現に」という章が現象学的見地からのものなのかもしれない。井筒さんには故意かどうかは不明だが、無視した範疇があるというのだ。井筒批判? p232 その「尽力」を以って世界を時間として開く「機能」を有する「我」と名指されたそれは、いかなるものと考えればよいのか。この問いに、井筒が正面から向かい合った形跡はない。 この批判が客観的に該当するのかどうか、私にはわからないが。 「井筒さんの論はすばらしいが、実際の世の中の役にたっていない」と言っているように聞こえる。 しかし、私は井筒さんのすべての本は「人類にとっての宗教の定義」を考察しているとおもうので、それはそれで完成されていると思う。
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1. 宗教と存在の哲学 - イスラームの神秘主義者バスターミーの議論 - バスターミーは「独在性」と呼ばれる事態を提唱し、「ある」と「ない」の関係を探究。 - 「ある」は「欺瞞」であり、常に「ない」に転じる可能性があることを示唆。 2. 思考の限界と「無」 - 思考...
1. 宗教と存在の哲学 - イスラームの神秘主義者バスターミーの議論 - バスターミーは「独在性」と呼ばれる事態を提唱し、「ある」と「ない」の関係を探究。 - 「ある」は「欺瞞」であり、常に「ない」に転じる可能性があることを示唆。 2. 思考の限界と「無」 - 思考の無能力 - 思考は「ない」ことについて何も知ることができず、思考が捉えられるものは「ない」から来ている。 - この無能力は、思考が「ない」にどのように応じるかを考えることを妨げない。 3. 東洋哲学とデリダとの関係 - 井筒とデリダの対話 - 東洋哲学は端的な「無」に向かう思考を持たなかった。 - デリダは哲学の分節化された意味に抗い、意味を解体する作業を続けた。 4. 現実の構造と「存在」 - 「現象」と「存在」の関係 - 井筒は「現象」が「存在」の根本であるとし、「私」と「存在」の同一性を強調。 - 存在は瞬時に姿を現し、失われ、再び現れるプロセスを描写。 5. 無分節の存在エネルギー - イスラーム神秘主義における「無」 - 絶対無は存在を生み出す活力を秘めた存在であり、「無」から「有」への変化を示す。 6. 存在の充溢とロシア文学 - 自然の力と文学的表現 - 井筒はロシア文学における「自然の力」を「存在の過剰」と表現し、プーシキンやチュチェフからの影響を考察。 7. 共同体と死の概念 - 「無」の共同体 - 「無」は共同体の根本的な紐帯であり、他者との関係において「死」と結びつく。 - 存在の根底には「無」があり、個々の存在はそれに向けた証言として機能する。 8. 思考と死の関係 - 思考が直面する「無」 - 死の経験は思考が理解しえないものに直面する瞬間であり、「無」への可能性を開く。 9. 結論 - 存在と無の二重性 - 「空」と「無」は思考の中で異なる次元として存在し、井筒の哲学はこの二重性に基づいて構築されている。
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井筒俊彦の思想を読み解きながら、著者自身の「存在」と「認識」にまつわる哲学的な思索を展開している本です。 著者の本はこれまでも何冊か読んだことがありますが、フッサールを論じても、デカルト、あるいは西田幾多郎を論じても、つねに著者自身の考える問題へと立ち返っていくことになるので、...
井筒俊彦の思想を読み解きながら、著者自身の「存在」と「認識」にまつわる哲学的な思索を展開している本です。 著者の本はこれまでも何冊か読んだことがありますが、フッサールを論じても、デカルト、あるいは西田幾多郎を論じても、つねに著者自身の考える問題へと立ち返っていくことになるので、じつのところ既視感をおぼえるところもありました。ただそれでも、井筒の言語哲学、とりわけその言語アラヤ識に著者自身の考える「充満する空」をかさねあわせ、そこから井筒のテクストにおける道元の「有事」にかんする言及などに含まれている可能性を押し広げることで、存在が「いま・ここで=現に」というしかたで一瞬ごとに開披されるという考えを展開しているところは、読み応えがあります。 井筒の言語アラヤ識論には、丸山圭三郎の欲動論と同様に、ある種の神秘的な生命論へと回収されてしまう危険性があるように感じていたのですが、本書はそうした問題点を明確にしながらもそれを乗り越えるような思索の方向性を切り開いているように感じます。こうした本書の解釈が、井筒自身の思想を正しく把握しているものなのかどうかという点にかんしては留保したいと考えますが、いずれにしても興味深く読むことができました。
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