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「東洋」哲学の根本問題 の商品レビュー

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2018/12/14

井筒俊彦の思想を読み解きながら、著者自身の「存在」と「認識」にまつわる哲学的な思索を展開している本です。 著者の本はこれまでも何冊か読んだことがありますが、フッサールを論じても、デカルト、あるいは西田幾多郎を論じても、つねに著者自身の考える問題へと立ち返っていくことになるので、...

井筒俊彦の思想を読み解きながら、著者自身の「存在」と「認識」にまつわる哲学的な思索を展開している本です。 著者の本はこれまでも何冊か読んだことがありますが、フッサールを論じても、デカルト、あるいは西田幾多郎を論じても、つねに著者自身の考える問題へと立ち返っていくことになるので、じつのところ既視感をおぼえるところもありました。ただそれでも、井筒の言語哲学、とりわけその言語アラヤ識に著者自身の考える「充満する空」をかさねあわせ、そこから井筒のテクストにおける道元の「有事」にかんする言及などに含まれている可能性を押し広げることで、存在が「いま・ここで=現に」というしかたで一瞬ごとに開披されるという考えを展開しているところは、読み応えがあります。 井筒の言語アラヤ識論には、丸山圭三郎の欲動論と同様に、ある種の神秘的な生命論へと回収されてしまう危険性があるように感じていたのですが、本書はそうした問題点を明確にしながらもそれを乗り越えるような思索の方向性を切り開いているように感じます。こうした本書の解釈が、井筒自身の思想を正しく把握しているものなのかどうかという点にかんしては留保したいと考えますが、いずれにしても興味深く読むことができました。

Posted byブクログ