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勉強の哲学 来たるべきバカのために
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2017/04/01 |
JAN | 9784163905365 |
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勉強の哲学
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3.8
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大学生活の終わりに読んでしまった ほんとはあと2年くらい前に読んでおきたかったけど、勉強はいつ始めてもいいものだからと自分を納得させる これから人生に忙しくなっても勉強を続けていきたいと思うし、その上で、勉強に対しての軽やかな考えみたいなものをこの本から感じ取れたと思う まずはで...
大学生活の終わりに読んでしまった ほんとはあと2年くらい前に読んでおきたかったけど、勉強はいつ始めてもいいものだからと自分を納得させる これから人生に忙しくなっても勉強を続けていきたいと思うし、その上で、勉強に対しての軽やかな考えみたいなものをこの本から感じ取れたと思う まずはできることからゆっくり始めてみようかな
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フランス現代思想が専門の著者が、「ドゥルーズ&ガタリの哲学とラカン派の精神分析学を背景として、僕自身の勉強・教育経験を反省し、ドゥルーズ&ガタリ的『生成変化』に当たるような、または、精神分析過程に類似するような勉強のプロセスを構造的に描き出したもの」(p.222)。つまり勉強す...
フランス現代思想が専門の著者が、「ドゥルーズ&ガタリの哲学とラカン派の精神分析学を背景として、僕自身の勉強・教育経験を反省し、ドゥルーズ&ガタリ的『生成変化』に当たるような、または、精神分析過程に類似するような勉強のプロセスを構造的に描き出したもの」(p.222)。つまり勉強することで自己がどうなるのか、勉強とは何か、どうすべきか、ということを哲学の文脈で解説したもの。 上の引用でも分かるように、基本的に書き方が上のような感じなので、この本を読むこと自体が勉強、みたいな感じになる本。「本書は、準専門書(入門書)と一般書のあいだに位置する」(p.188)と書かれているように、いわゆるハウツーものとか、勉強の効用を謳ったものとは全然違う。サラッと読むだけではよく理解できないが、とりあえず同じ内容は繰り返されており、最後に要約もあるから、とりあえず重要なポイントは分かった。 とにかく勉強の根本には言語の操作、ということが前半で語られるが、メタ的にこの本自体がそれを実践していると捉えることもできる。「一般勉強法とは、言語を言語として操作する意識の育成である。それは、言語操作によって、特定の環境のノリと癒着していない、別の可能性を考えられるようになること」(p.53)だそうだ。おれは研究者でもないから、あんまり自分から操作することはないので(一応教員だから無意識に「意図的な操作」をしているのだろうけど)、とりあえず誰かによって言語が操作されてもそれについていけるようになる、というのが勉強という感じがした。そしてその操作を成り立たせている環境(コード)を疑い、次元を変えてしまうことを「超コード化」(p.84)と読んでいる、とおれは理解したが、これが「アイロニー」の語源、つまり「哲学の祖であるソクラテスは、相手の言うことの根拠をしぶとく疑って、不合理を明らかにし、相手が元々もっていた信念(コード)がいかにいい加減かを暴く、という実践をしていた。このソクラテスの技法が、古代ギリシア語で『エイロネイア』と呼ばれる」(p.85)ということらしい。あと印象的だった部分は、たまたま最近生徒に「決断する」というテーマで話さないといけないことがあって、人生の決断って自分のタイミングとは別にAかBかを選ばないといけないんだから、そういう時は「一方の選択肢は忘れた『フリ』をして」とにかく選ぶべきだ、みたいな話をしたけど、この本で述べられている選択というのはもっと高次の話で、絶対的な結論を出してしまうと比較がなくなるので無批判な生き方になる、狂信的になるからよくない、という話だった。「決断ではなく、比較を『中断』する」(p.146)というのは分かりやすい。あと、自分が教員だから言い得て妙だなと思ったのは「教師とは、有限化、あるいは切断の装置」(p.183)というところだった。というか学校とか受験勉強とか教育にかかわるものすべては有限化の装置だよな、と思った。というか認識のための言語や五感も有限化の装置?って言ってしまうと元も子もない気もするけど。 この本を読んだのは、最近読んだ『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』という本の中で、勉強の仕方としてまず「欲望年表」を作ること、というのがこの本で紹介されている、という話を読んだからなのだけど、「欲望年表」自体は、おれにとってはそんなに魅力的じゃなかった。Evernoteを使えとか、実は具体的なノウハウ的な話も含まれているが、その中では「読書ノートをつける」(p.199)話は、まさに今おれがこのブクログでやっていることだし、やっぱり意味あることだよな、と思いたかった。でも「出典を明らかにするため」という研究寄りの動機はおれにはないので、やっぱりちょっと違うんだろうけど。 言語の操作、という話が最初に語られるけど、この本を読める人はすでにその操作が出来る人なんじゃないか、と思うと、もともと勉強したくないし苦手だと思っている人にはこの本は読めないのでは、という感じだし、この本でいう「享楽的」もまたこのコードの中での「享楽」の意味なのだけど、やっぱりおれの感覚とはだいぶ違うなあ、おれ勉強してもこんなことならないと思うなあ、と考えていると、著者の話は分かるけど腑に落ちないモヤモヤした感じで終わった本だった。もっと現代思想とかすごい勉強してる人にとってはとても明快な論理なのだろうか。(25/02/03)
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言葉がわたしたちをつくる。 言葉以外も表現である、ダンスや絵、写真なども 既存のコードの中にいることを自覚する。 実は同じ言語の中にずっといる。 別の言語に飛び込んでどっぷり浸かってみる。 外国語ということではなく、業界やカテゴリによって使っている言葉が違う オタク言葉、ビジネス界隈である横文字、とある哲学界隈でよくでる言葉、ギャル語、スポーツ界隈…など。 アカデミーだけでなく、趣味でも飛び込んでみて、そこで新たな言語を使えるまでエスノグラフィーしてみる。 メタ的にいままで使っていた言語を振り返られる 欲望年表は、自分がどんなコードを使っているのか、構造的にみるための観察方法のひとつ。 あゆに影響受けていたよね、笑う犬の冒険とかみてたよね、ポケモンも通ったよね、とか諸々。 今年の目標を 「世界の観察」と「小説(ショートショート)」 に携えている自分としては、下記の記載は嬉しかった。 「特定の価値観から「裁く」ような発想で世界を見るのではなく、小説では、人のやることは両義的、多義的であると考えて、解釈の交差点としての「ただの出来事」を記述している。」 (略) 「プラス、マイナスどちらかに決めつけようとするのではなく、両義性あるいは多義性の状態を許容する──なかなかそれに「耐える」ことができない人もいるかもしれません──のが文学的態度だと言えると思います。」 俳句は写真的で観察にちょうどいい、というのも嬉しかった そして、「ビジネススキルとクリエイティビティは一致する」趣味も本気で取り組めば仕事と繋がる、みたいな感覚、救われる。
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