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中動態の世界 意志と責任の考古学 シリーズ ケアをひらく
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 医学書院 |
| 発売年月日 | 2017/04/01 |
| JAN | 9784260031578 |

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中動態の世界
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商品レビュー
4.2
79件のお客様レビュー
本書で論じられている様々な分析を紐解くと、動詞が人称を獲得する過程で中動態から受動態が生まれたことが分かる。出来事を描写する言語から、行為者を確定し、出来事を私有化させる言語への移行が行われたのだ。そんな中、行為の帰属先の明瞭化が強化され、それが意志となった。現在の言語体系(能...
本書で論じられている様々な分析を紐解くと、動詞が人称を獲得する過程で中動態から受動態が生まれたことが分かる。出来事を描写する言語から、行為者を確定し、出来事を私有化させる言語への移行が行われたのだ。そんな中、行為の帰属先の明瞭化が強化され、それが意志となった。現在の言語体系(能動態 vs 受動態)こそが意志の概念を一般化させているのであり、古来の言語体系(能動態 vs 中動態)においては行為の帰属先を現在ほどに問うことはなかったのである。言語は思考の可能性を規定するのだ。 しかし今となってもやはり100%の意志は存在しない。ハンナ・アレントは意志を、過去から未来への一連の流れに境界線を引き、過去を忘却させ、そこからの絶対的な始まりを規定するものだと定義したが、その定義自体が意志の不可能性を示している。人間の行為を誰が行為せしめたかなど、一意的に決定できるほど明確なものではない。もっと一定度の自由と、一定度の強制を同時に孕んでいるものなのである。 行為の帰属先を一意的に決定してしまう世界では複雑に記述される問題(例えば命令されて行った犯罪や、薬物依存など)も、中動態の世界に落とし込むことで、より上手く記述できる可能性を秘めている。筆者はこの思考様式を持つ世界に改める必要があると述べているが、しかしその世界に到達する方法は記されていない。私自身は、そこに必要なのは、寛容さであると考える。ある種決定を最後までせず、グラデーションの範疇に留めておく寛容さが必要なのではないか。法律がある以上、私にはもうこれ以上分からないが。 1ヶ月ほどでこの本を読み終えることが出来た。1年前の自分なら読み終えずに終わるか、他の本に気が散ってしまうかしただろう。にもかかわらず読み終えることができたのは、私の強力な意志があったからであろうか。幾分かはある気もするが、大半はそうではない。私は今進路を選ばなければいけない時期を過ごしている。そんな中で、考えているうちのどの選択をしても良い方向にいくだろうと思い、この本を取り敢えず終わりまで読み終えることにした。これは、100%の意志でなく、時期・進路選択という外的な作用が僕にこの本を読み終わらせたともいえるのだ。しかし幾分かはある気もすると言った通り、これもまた100%時期や進路選択に強制させられたわけではなく、一定度の能動性を同時に孕んでいた。私はこの本を<中動態的に>読み終えたのである。我々は中動態の世界を生きている。
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古代ギリシャのような古い言語においては、能動態と受動態の対立いうものがなく、現象が外に働きかけるのか、内に働きかけるのかという、能動態とと中動態という対立があった。ここから、古代の世界観では「意思」という概念がなかったことが証拠と共に示される。スピノザは自由意志を否定しつつも自由...
古代ギリシャのような古い言語においては、能動態と受動態の対立いうものがなく、現象が外に働きかけるのか、内に働きかけるのかという、能動態とと中動態という対立があった。ここから、古代の世界観では「意思」という概念がなかったことが証拠と共に示される。スピノザは自由意志を否定しつつも自由は可能だと論じた。それは、決定論的な世界を自覚し、それに従って自己を十分に表現することで達せられるのだ。
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文法の話から始まりますが、面食らうほど難しい。 「中動態とは何なのか?」を知りたくて読み進めているのに、途中で頭がこんがらがってしまいそうに。 けれど、自分の中にひとつ"とっかかり"のような実体験がありました。 それは、とても天気の良い、のどかな日。 気分も...
文法の話から始まりますが、面食らうほど難しい。 「中動態とは何なのか?」を知りたくて読み進めているのに、途中で頭がこんがらがってしまいそうに。 けれど、自分の中にひとつ"とっかかり"のような実体験がありました。 それは、とても天気の良い、のどかな日。 気分も自然と軽くて、買い物の帰り道でした。 ドラッグストアの入口の横にクレーンゲームがあって、 小学校低学年くらいの男の子とお母さんが、楽しそうにぬいぐるみを狙っていました。 けれど、どうしても取れない。 そのとき、お母さんがにこにこと笑いながら言ったんです。 「諦めがついた?」と。 その言葉が、ずっと心に残っているんです。 「諦めた」でもなく、「諦めさせられた」でもない。 どちらでもない「諦めがつく」。 受動でも能動でもない、 その中間のような、にこやかで穏やかな空気。 誰の責めもなく、ただ“そうなった”という自然な納まり。 特別な場面ではないのに、 その言葉の響きがずっと忘れられません。 この「諦めがつく」という言葉から味わった感覚。 それこそが「中動態」というものの入口だと思っています。
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