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中動態の世界 意志と責任の考古学 シリーズ ケアをひらく
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 医学書院 |
| 発売年月日 | 2017/04/01 |
| JAN | 9784260031578 |
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中動態の世界
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商品レビュー
4.2
81件のお客様レビュー
とある新聞のコラム(2026年5月8日)で本作品のことが触れられていて、「中動態」がどういう概念なのか気になって読んでみた。 國分功一郎さんの本はどれも読みやすくはないけれど、刺激的なので、楽しく読んだ。(一部難解な部分は読み飛ばしたけれど。) 吉野弘さんの詩の「I was ...
とある新聞のコラム(2026年5月8日)で本作品のことが触れられていて、「中動態」がどういう概念なのか気になって読んでみた。 國分功一郎さんの本はどれも読みやすくはないけれど、刺激的なので、楽しく読んだ。(一部難解な部分は読み飛ばしたけれど。) 吉野弘さんの詩の「I was born」 の中に、「生まれる」が受動態だと気付いて興奮する息子、が登場し、その詩を高校生のときに読んだ際に、「でも、感覚的には、生まれる、は自動詞だし、英語でも同じ感覚ではなかろうか」と思ったのを思い出した。 能動態、受動態、中動態、の分化の歴史や、名詞と動詞とではどちらか先に生まれたのか、を極めようとする作者の姿勢には感服する。 「そんなのどっちでもいいじゃん」と思う人の方が普通なのだろうけれど、言葉でしか人間は思考することが出来ない以上、言葉の歴史を突き詰めることは、人間の思考の癖や生命体としての根源的な原理に近づくことになるように思った。 ヘブライ語の文字表記に母音がないことを評して、ハイデガー(だったか)が使った比喩、「言葉が笛の音色とすれば、文字は笛の穴」が秀逸。五線譜やタブ譜では表せない情報は大量にある、ということで、母音の有無は大した差ではない、ということだろう。 最終章に出てくるメルヴィルの「ビリー・バッド」は、偶々最近読んだばかりだったので、分かりやすかった。
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最初は難しかったけど最後の2章を読んで本当によかった、 人間の本質、自分だけのコナトゥスは変状する能力として刺激をうけ、それに応じて変状し、変状することによって自らにも一定の影響を及ぼす。 その意味で人間は自由ではないが自由である。 自分だけのコナトゥスを作り上げていこうと思った。 最後の『ビリー・バッド』もすごく衝撃的だった。ハンナ・アレントの読み方が素晴らしい。善は徳ではないし、悪は悪徳ではない。政治や社会と言ったものは徳の基準で判断されるものである。 政治や社会について考える時には、善悪ではなく徳かどうか、相対的な基準で考えなければいけない。
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本書で論じられている様々な分析を紐解くと、動詞が人称を獲得する過程で中動態から受動態が生まれたことが分かる。出来事を描写する言語から、行為者を確定し、出来事を私有化させる言語への移行が行われたのだ。そんな中、行為の帰属先の明瞭化が強化され、それが意志となった。現在の言語体系(能...
本書で論じられている様々な分析を紐解くと、動詞が人称を獲得する過程で中動態から受動態が生まれたことが分かる。出来事を描写する言語から、行為者を確定し、出来事を私有化させる言語への移行が行われたのだ。そんな中、行為の帰属先の明瞭化が強化され、それが意志となった。現在の言語体系(能動態 vs 受動態)こそが意志の概念を一般化させているのであり、古来の言語体系(能動態 vs 中動態)においては行為の帰属先を現在ほどに問うことはなかったのである。言語は思考の可能性を規定するのだ。 しかし今となってもやはり100%の意志は存在しない。ハンナ・アレントは意志を、過去から未来への一連の流れに境界線を引き、過去を忘却させ、そこからの絶対的な始まりを規定するものだと定義したが、その定義自体が意志の不可能性を示している。人間の行為を誰が行為せしめたかなど、一意的に決定できるほど明確なものではない。もっと一定度の自由と、一定度の強制を同時に孕んでいるものなのである。 行為の帰属先を一意的に決定してしまう世界では複雑に記述される問題(例えば命令されて行った犯罪や、薬物依存など)も、中動態の世界に落とし込むことで、より上手く記述できる可能性を秘めている。筆者はこの思考様式を持つ世界に改める必要があると述べているが、しかしその世界に到達する方法は記されていない。私自身は、そこに必要なのは、寛容さであると考える。ある種決定を最後までせず、グラデーションの範疇に留めておく寛容さが必要なのではないか。法律がある以上、私にはもうこれ以上分からないが。 1ヶ月ほどでこの本を読み終えることが出来た。1年前の自分なら読み終えずに終わるか、他の本に気が散ってしまうかしただろう。にもかかわらず読み終えることができたのは、私の強力な意志があったからであろうか。幾分かはある気もするが、大半はそうではない。私は今進路を選ばなければいけない時期を過ごしている。そんな中で、考えているうちのどの選択をしても良い方向にいくだろうと思い、この本を取り敢えず終わりまで読み終えることにした。これは、100%の意志でなく、時期・進路選択という外的な作用が僕にこの本を読み終わらせたともいえるのだ。しかし幾分かはある気もすると言った通り、これもまた100%時期や進路選択に強制させられたわけではなく、一定度の能動性を同時に孕んでいた。私はこの本を<中動態的に>読み終えたのである。我々は中動態の世界を生きている。
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