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女ぎらい ニッポンのミソジニー
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女ぎらい ニッポンのミソジニー

上野千鶴子【著】

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女ぎらい ニッポンのミソジニー

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 紀伊國屋書店
発売年月日 2010/10/16
JAN 9784314010696

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商品レビュー

3.9

82件のお客様レビュー

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2024/04/21

この本で批判されている、まさに「女ぎらい」な社会を生きてきた「男」として興味深く読む(そんな社会に加担した覚えはないが、その自覚自体この「ホモソーシャル」な「男社会」で安寧と暮らしている怠慢の産物だろう)。ぼくからすればボーヴォワール的に「女になる」のと同様に男だって例外はあれど...

この本で批判されている、まさに「女ぎらい」な社会を生きてきた「男」として興味深く読む(そんな社会に加担した覚えはないが、その自覚自体この「ホモソーシャル」な「男社会」で安寧と暮らしている怠慢の産物だろう)。ぼくからすればボーヴォワール的に「女になる」のと同様に男だって例外はあれどどこかで(たぶんに性愛を通して)「男になる」「男に染まる」ものなのだと異論も言いたくなるし、他にも言いたいことはあるがしかしこの本の論点から切実に「逃げちゃダメだ」とも思った。彼女の指摘する「男」とこのぼくの実感のズレはどこから?

Posted by ブクログ

2024/04/03

面白い!面白すぎる!目から鱗すぎた。上野千鶴子、名前は知ってたけどちゃんと読んだのは今回が初めて。この本読んで、自分ってつくづくミソジニーを身体化してるんだなって思った。そして周りの人も。これまで付き合ってきたモラハラ男も。 でも相手がモラハラ男なのって、単純に私の運が悪かっただ...

面白い!面白すぎる!目から鱗すぎた。上野千鶴子、名前は知ってたけどちゃんと読んだのは今回が初めて。この本読んで、自分ってつくづくミソジニーを身体化してるんだなって思った。そして周りの人も。これまで付き合ってきたモラハラ男も。 でも相手がモラハラ男なのって、単純に私の運が悪かっただけじゃなくて、私のように典型的なミソジニー的恋愛観(年上がいい、三高、尊敬できる相手がいい等)を持つ女にとって不可避説ある。

Posted by ブクログ

2023/05/25

二日連続でレビューを全消ししてしまい、泣きそう。 読んでいて、具合が悪くなってきた。 でもこの本に出会えてよかったと思う。 女性学に向き合い続けることが、いかにしんどいかわかったから。 女性の困り感をなくしたいし、でも男性のしんどさも理解しようとしたいし、誰もが平等という意味...

二日連続でレビューを全消ししてしまい、泣きそう。 読んでいて、具合が悪くなってきた。 でもこの本に出会えてよかったと思う。 女性学に向き合い続けることが、いかにしんどいかわかったから。 女性の困り感をなくしたいし、でも男性のしんどさも理解しようとしたいし、誰もが平等という意味でのフェミニズムって良いよな、と思っていたけれど、女性学ってのは、カテゴライズしたくないという意思に反して、男性とは~女生徒は~と両者の溝を深める作業なのか、と感じてしまった。 歴史を知れば知るほど、きついし、そんなんだったらフェミサイドとか起こるよな、とかぐちゃぐちゃとした思考でよくわからなくなった。 面白かったところ、納得したけどしんど~と思ったとこ⇓ (抜粋ではない) P.58- 1960年代の半ばに「全員結婚社会は」ほぼ100%に達しそれ以降下降に転じた。 階層差の大きい身分社会では、上位の男がたくさんの女を独占し、下層の男には女が行き渡らない。独身者の都市であった江戸には、かれらのための遊郭が発達したことは知られている。 P.146- 母は娘の幸せを喜ぶだろうか?母は娘に期待しながら、娘が実際に自分が達成できなかったことをなしとげたら、喜ぶだけでなく、ふくざつな思いをするだろう。息子が何かを達成しても母はそれと競合する必要はないが、娘なら同じ女だから、自分自身がそれを達成しなかった言い訳ができない。 P.180- F県の名門公立女子高が共学化に踏み切ったときのこと。上野ゼミの学生が目の覚めるような卒業論文を書いてきた。「男子生徒の出現で女子高生の外見はどう変わったか」 本人は女子高としての最後の卒業生、妹は共学化初の生徒。彼女の論文の鮮やかなところは、「主観的な」意識調査を避け、第三者の目から客観的に判断できる「外見」という指標に、徹底的にこだわったことにある。彼女が通っていた時に、授業中は体操服のズボンに履き替えて受けるという慣行は消え、スカート=最も強い女性性の記号である を履いて女子高生は「女装」を自ら選んだ。 P. 225- 女がミソジニーを自己嫌悪として経験しないで済む方法=自分を女の「例外」として扱い、自分以外の女を「他者化」することで、ミソジニーを転嫁すること 二つの戦略=男から「名誉男性」として扱われる「できる女」になること、女というカテゴリーからドロップアウトし、値踏みから逃れる「ブス」になること 「論理的な女はいない」 「そうなのよ、ほんとに女って感情的でいやになるわ」 「キミ?キミは特別だよ」 「そう。わたしは『ふつうの女』じゃないわ」 この「例外視」をつうじて、「ふつうの女」への蔑視を再生産しているのは彼女自身だ。 「二グロの使用人ってのはね、ほんとにこずるくってすぐごまかしばかりやりやがる、眼を離したスキにね。あ、キミ?キミは特別だよ。キミはボクらと同じ教育をうけてきているもの。」 「年とるってほんとにいやーね、ぐちが多くてくりかえしばかり。あら、お義母さま、お義母さまはべつよ、アタマがしっかりしていらっしゃるんですもの。」 「日本の女ってのはどうしてあんなにハッキリしないんだい?イエスもノーもわからないじゃないか。キミ?キミは特別だよ。キミは典型的な日本の女の子とは言えないね。」 「ええ、あたしだってうんざりよ。あたしは日本に合わないのよ。だから、日本を出てきたんだわ。」 ほとんどブラックジョークだ。 特権的な「例外」を産出することで、差別構造は無傷のまま、再生産され続ける。

Posted by ブクログ

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