暇と退屈の倫理学 の商品レビュー
人は、暇と退屈とは切っても切り離せない それをうまくごまかそうとしている それが気晴らしなのか、決断への従属なのか そしてそれを企業も広告もわかっていて、気晴らしをあの手この手で与えようとしてくる 自分から楽しみを探しに行く場合は肯定的に働くし、そうで無ければただ受け取っているだ...
人は、暇と退屈とは切っても切り離せない それをうまくごまかそうとしている それが気晴らしなのか、決断への従属なのか そしてそれを企業も広告もわかっていて、気晴らしをあの手この手で与えようとしてくる 自分から楽しみを探しに行く場合は肯定的に働くし、そうで無ければただ受け取っているだけのループに入り込む、ということなのか 現代は情報とか広告が大量に入りすぎて、それに取り組むこと自体が億劫になる、頭をぼーっとさせて何も考えないことが退屈への対策ともなりうるのかもしれない 楽しめば思考するというが、人間は基本思考したくない生き物なのではないか 思考することかポジティブアウトカムになるのか、それをポジティブに捉えて思考の受け入れ体制を整えることが良いのかな、それはたしかにそう わかりやすく暇と退屈について歴史的にもたどってくれた。自分にとっても良い刺激、思考材料になったと思う。この観点を持って今後は世界を見てみようかな。
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著者も述べている通り、哲学的な話であったが、論理立ててひとつ一つ説明がされ、まとめもあったので、難しい点は所々あったが、読みやすかった。 この本は一貫して暇と退屈について、発生の理由からそれに対して人間がどのように対処してきたかについて、哲学の観点から考察がされております、興...
著者も述べている通り、哲学的な話であったが、論理立ててひとつ一つ説明がされ、まとめもあったので、難しい点は所々あったが、読みやすかった。 この本は一貫して暇と退屈について、発生の理由からそれに対して人間がどのように対処してきたかについて、哲学の観点から考察がされております、興味深かった。結局のところ、暇と退屈についての結論というよりも、そこまでに至る思考の過程を学ばせてもらっという感じでした。
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修士論文が終わり卒業もし、入社するまでの期間中、暇な時間ができたので、タイトルに惹かれて読んでみた。途中、なんでこの本を読んでるのかわからなくなってしまった。でも退屈な時間に退屈とは何か考えて楽しめたから人間らしい生活ができたんじゃないかな。
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いつも聴いているpodcastの番組に著者の國分功一郎さんがゲスト出演していて、本書についてお話ししていました。 なかなか面白そうだったので、ちょっと気になって手に取ってみたのですが、やっぱり駄目ですね。私には、國分さんの丁寧な解説も全く理解できませんでした。 私の場合、そ...
いつも聴いているpodcastの番組に著者の國分功一郎さんがゲスト出演していて、本書についてお話ししていました。 なかなか面白そうだったので、ちょっと気になって手に取ってみたのですが、やっぱり駄目ですね。私には、國分さんの丁寧な解説も全く理解できませんでした。 私の場合、そもそも思考する訓練が全くできていないので、何度読んでも “返り討ち” に会うだけでしょうね。
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「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴ら...
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのだろうか。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう――現代の消費社会において気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加えて待望の文庫化。 作者 國分功一郎 1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界――意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)など。 図書館期限で返却。 一読はしたけれど、理解はできていないと思う。 驚くのは、哲学書であるこの作品が多くの読者を持ち、読んだ方達がきちんと納得していること。 暇と退屈の倫理学という、キャッチャーなタイトル。私は、ここ数十年退屈という感覚を持ったことがないので、どういう側面から哲学するのか興味があった。あったけれども、掴みきれなかったです。 いつか再読。 私は、この作品が売れていて、読んだ方々も理解されていて、日本の読者層はまだまだイケるって感心している。 私は、記憶の中で 暇だ退屈だという意識がなかった。忙しい時代には、寝る暇が欲しい、ゆっくり風呂に入る暇が欲しいと 暇=余裕の時間 という感覚だったのかと思う。 この倫理学の中で退屈の分類があり 何かをやっている時の退屈というような物があり、これは、すごく納得した。自律神経だけでこなす様な仕事をしなければならない時や 日々の家事 長距離の運転 確かに退屈している。だから、音楽やラジオや退屈を紛らす物が必要となる。 暇=退屈ではないのですね。
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時間の使い方、人生の生き方について考えさせてくれる本。 人生に余裕を余裕をもち、楽しむことで自分が熱中できるものについて知り、更に人生を豊かにできる。 一回読んだだけでは半分も理解できていない気がするので、期間をおいて再読したい。
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ハイデッカーを始めとする大哲学者たちの考えをバッサリと否定しながら、丁寧に理論の積み上げを行う姿勢はある種、痛快でもある。ハイデッカーの退屈の三形式を引用し、人間は第二形式に安住しながら時折、第一、第三へと逃げ込むとする。この第二形式をいかに楽しめるかを学び、経験することの必要性...
ハイデッカーを始めとする大哲学者たちの考えをバッサリと否定しながら、丁寧に理論の積み上げを行う姿勢はある種、痛快でもある。ハイデッカーの退屈の三形式を引用し、人間は第二形式に安住しながら時折、第一、第三へと逃げ込むとする。この第二形式をいかに楽しめるかを学び、経験することの必要性を解く。世界が暇を感じなければ退屈もない。しかし、退屈を紛らわせるため、消費社会には罠が仕掛けられている。消費とは観念的であり、際限がなく続く。それに抗うには実際に物を受け取る贅沢を知る社会の到来が望まれるとする。贅沢を贅沢と捉えるには相応の知識や経験、学習が必要とする考えには共感を覚えた。
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私たちが普段何となく感じている暇や退屈について、哲学を中心に人間学・歴史・生物学など様々な視点から深堀りし、その本質と解決策について提示するという内容の本です。 タイトルはいかにも難解そうですが、全体的にわかりやすいタッチで書かれており、思ったよりもすらすら読むことができました...
私たちが普段何となく感じている暇や退屈について、哲学を中心に人間学・歴史・生物学など様々な視点から深堀りし、その本質と解決策について提示するという内容の本です。 タイトルはいかにも難解そうですが、全体的にわかりやすいタッチで書かれており、思ったよりもすらすら読むことができました。(特に難しい箇所については読み飛ばしてもいいと筆者も言っています。大筋は追えるので大丈夫。) 内容もかなり面白かったです。 筆者の斬新な考えが次々出てきて、主に暇や退屈を感じるであろう休みの日はもちろん、仕事の取り組み方についても考えさせられる一冊でした。 また、この本を読むことに対しても退屈を覚えている自分がおり読んでいる最中は苦笑してしまいましたが、この退屈は本著での「退屈の第二形式」であり、これは良い退屈の過ごし方なのだと気づくことができました。そして、この気付きこそが暇や退屈を楽しむために重要なことなのだと解釈しました。
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本書を読む前は暇な時間に対しても、無性にソワソワしてしまう時間が多く、時間を無駄にしてると思うことが多かった。 読み進めるにつれて、暇と退屈が同義でないことや、何もない時に思考する時間を作れるかなど、時間に対する価値観が変わった気がする。 何か予定を入れていなければ幸せでないので...
本書を読む前は暇な時間に対しても、無性にソワソワしてしまう時間が多く、時間を無駄にしてると思うことが多かった。 読み進めるにつれて、暇と退屈が同義でないことや、何もない時に思考する時間を作れるかなど、時間に対する価値観が変わった気がする。 何か予定を入れていなければ幸せでないのではないかと考えていたが、決してそうではないと気付かされた。
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前評判よりは読みやすく、内容、そして構成がわかりやすく面白いものばかりだったのでスラスラ読み進めることができた。(5章から8章が難しそうだから飛ばして1章から4章だけ読んで結論を読もうとおもって、実際にそうしたところ「なぜ結論だけを読むことはできないか」というタイトルで、甘かった...
前評判よりは読みやすく、内容、そして構成がわかりやすく面白いものばかりだったのでスラスラ読み進めることができた。(5章から8章が難しそうだから飛ばして1章から4章だけ読んで結論を読もうとおもって、実際にそうしたところ「なぜ結論だけを読むことはできないか」というタイトルで、甘かったな自分と思い全て読んでから結論を読んだ あちゃー) ヒマと退屈に関しては何百年も哲学において大きなテーマだったようで、さまざまな偉大な哲学者たちによる前例を引用しつつ、批判するべきところは批判し(人間を特別視したいハイデガーの考え等)、うまいところを貰って、論理的に展開を組み立て、作者独自の結論に至っている。 結論に関して 1 本書を通読し暇や退屈の知識を得、自分を悩ませるものを知ろうとする。 2 贅沢を取り戻す、消費ではなく浪費。浪費とは具体的に物を受け取るすなわち物を楽しむこと。そのために日常的に経験する物事に関しての訓練をし、楽しめるようにしなければならない。(人間的であるようになる、退屈の第二形式を楽しむ) 3 退屈の第二形式にいるなかでは、楽しめるそして思考できる、ためその前提をもとに、(何か楽しい物に出会うため)とりさらわれる状態すなわち動物になることを待ち構えることができるようになる。 自分的には、いろんな楽しそう(だけどもしかすると思考がたいへんかも)なものに関してセンサーを働かせて、よく考えて没頭する。 生活に溢れてるさまざまな事象、たとえそれが小さいことでも、見逃さず楽しむ。 などと咀嚼。した。 環世界というワード興味深い 以下メモ 1章 うさぎが欲しいのではない などの例に代表されるように、とにかく退屈から逃げたい。苦痛をも受け入れる。 2章 定住革命により暇の発生。これは進化心理学の考え方などに近いように感じた。 3章 歴史の中でいかに暇が扱われてきたか。資本主義的流れなど。 4章 消費と浪費による疎外。
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