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暇と退屈の倫理学 新潮文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2021/12/23 |
JAN | 9784101035413 |
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暇と退屈の倫理学
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暇と退屈の倫理学
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商品レビュー
4.3
392件のお客様レビュー
大学の長期休みになんとなく手に取って読んでみたけれど、かなり時間をかけてしまった。 内容は非常に興味深い。しかし全部理解したとは到底言い難い。 筆者は様々な分野から暇と退屈について論じている。 特に気晴らしの例や消費社会の例は自身も陥ってると思われるものであったためハッとさせら...
大学の長期休みになんとなく手に取って読んでみたけれど、かなり時間をかけてしまった。 内容は非常に興味深い。しかし全部理解したとは到底言い難い。 筆者は様々な分野から暇と退屈について論じている。 特に気晴らしの例や消費社会の例は自身も陥ってると思われるものであったためハッとさせられた。 本書の結論は、そんな痛快な例から想像されるものよりずっとやさしかった。 いつかまた読み返したい1冊である。
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ベストセラーになった哲学書。 おっかなびっくり読み始めたが、たしかに自分でも読み進められた。 「暇」とは何もすることがない、する必要がないこと。 「退屈」は、何かをしたいのにできないという感情や気分だとのこと。 最初に、「暇と退屈」の原理的な考察がある。 出発点はパスカル。 ...
ベストセラーになった哲学書。 おっかなびっくり読み始めたが、たしかに自分でも読み進められた。 「暇」とは何もすることがない、する必要がないこと。 「退屈」は、何かをしたいのにできないという感情や気分だとのこと。 最初に、「暇と退屈」の原理的な考察がある。 出発点はパスカル。 パスカルは人間の不幸の原因を退屈に求め、追い求める対象の中に幸福があると思い込んでいるというシニカルな指摘をしたと紹介されている。 筆者はこの延長上にラッセルとスヴェンセンの議論を位置付ける。 ラッセルは情熱を見つけるよう説き、スヴェンセンはありもしない生の充実を求めるのをやめよと説く。 個人的にはスヴェンセンに寄りたくなるが、本書では本質的な解決にならない、と退けられていた。 次には人間の生活様式と退屈の関係が俎上にあがる。 定住が退屈を生み出したということだが、ここで面白かったのは人類史の見方が大きく変わったという「定住革命」観のところ。 食料生産ができないために遊動生活をせざるをえなかったというこれまでの説明が覆されているのだとか。 ところが、例えば日本では稲作が到来する以前に定住が始まっていたように、どうやら定住の結果食料生産が始まったという説なんだそうだ。 そして、定住生活によって人類はトイレとごみ処理の問題を抱え込むことになる…とのことで、そうだとすれば、現代人は1万年経ってもなかなか習慣が身につかず、問題解決にも至っていないということで、根の深さを思い知らされる。 その後、近代から現代の社会の暇との向き合い方が整理されている。 旧時代の貴族や有閑階級は、他の階層の人々を搾取しつつ、「暇を生きる術」を持っていた。 この人々が没落し、やがて大衆社会がやってくるのだが、労働者たちは(管理された)余暇を与えられ、暇を持て余すこととなる。 今度は、この人々の余暇を消費させるために、さまざまな文化産業が生まれ、人々は消費ゲームに巻き込まれてしまう。 というところで、後半の山場、ハイデガーの議論が紹介されていく。 正直、ここへきて、やっと話がどこへいくか、なんとなく見えてきた気持ちがした。 人間は自由である。 だから退屈する。 「なんとなく退屈」で、気晴らしの力もなくなっている、最も深い状態(第三形式)から逃れるため、人は仕事を作り出し、没頭する。 時間に追われ、自分の求めるものが得られないとき、退屈を感じる状態(第一形式)になる。 一方、退屈を紛らす気晴らしをしているのに、その気晴らしの中にすでに退屈が含み込まれているのが第二形式。退屈に浸っている状態。 そして、ハイデガーは退屈は人に自由であることを教えているのだから、それを発揮するため決断せよ、と言っているのだそうだ。 この話になって、自分の状況がどこに置かれるのか見えてきた気がする。 将来仕事を辞めたら、いったいどういう生活があるのかを考えると、恐ろしい気持ちにもなる自分の状況のことだ。 さて、筆者の議論は、ハイデガーが認めなかった環世界(ユクスキュルによる。生物の個体それぞれが生きている具体的世界)の議論を導入する。 人間には、異なる環世界を移動する高い力があり、この力のため、一つの世界に留まっていられない。 そこで、人は自らに気晴らしを与え、退屈の中で生きていく。 筆者は、自分の環世界をこわしにくるものを受け取り、新しい環世界を形成することに希望を見出だしているようだった。 ということで、退屈は各自が自らの力で切り開いていくものだという結論に向かう。 そして、「浪費」の価値を再発見していく。 消費社会では観念を求めるように作られているため、どこまでいっても欲望が満たされることはない。 これが現代社会の退屈を生み出すものだとした上で、物を楽しむ道、「贅沢」を求める道を開かないといけないという。 結論を出してくれたことは、読者の立場からはとてもうれしいことだが、ちょっと居場所がない気がする。 自分はきっと退屈の第一形式にいる。 現代人が基本的には第二形式にいるという議論で結論が出されていくので、ちょっと置いてけぼりにされた気がするのだ。
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誰もが体験したことのある暇と退屈を様々な角度から考察してみる本。哲学のあーそういう考え方も出来るなぁがやっぱり読んでて楽しい。
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