旅する練習 の商品レビュー
書くこと、書かれたこと、書かれなかったこと。「書く」ことにまつわるそれら全てが、今ここで生きている自分と、目の前にいる人・過去を生きた人・その生活・思い・時間・自然、私の生きる場所にある(あった)全てをつないでくれる旅の小説。それは小説家である主人公が「本当に大切なもの」に「自分...
書くこと、書かれたこと、書かれなかったこと。「書く」ことにまつわるそれら全てが、今ここで生きている自分と、目の前にいる人・過去を生きた人・その生活・思い・時間・自然、私の生きる場所にある(あった)全てをつないでくれる旅の小説。それは小説家である主人公が「本当に大切なもの」に「自分を合わせて生き」ている姿そのものでもあるように思いました。 主人公と一緒に「練習」をしながら旅をするサッカー少女・亜美ちゃんに、ジーコを敬愛し、自分に自信のないみどりさん、生涯文学を拒んで土地に残る伝承を集め続けた柳田國男。彼らが書いたこと、書かなかったこと、それらを丁寧に紐解きながら、彼らについて主人公が書く。 全ては「発願」から始まり、願いを叶えるため「忍耐」し、その「忍耐」を忘れぬよう「願」いを「記憶」し続けること。 ともすれば流され、忘れてしまう弱さを起点に、自分へ、憧れの誰かへ、強い想いを抱いたその瞬間を忘れず大切に(なにより大切だから感動に流されることなく忍耐)し続けたい想いが真っ直ぐに書かれていて、本当に乗代雄介の小説が大好きです。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
多くを語らず、風景を淡々と言葉で紡いでいく小説家の叔父と、リフティングやドリブルの特訓をし旅に色付けをするサッカー少女が鹿島を目指し「練習の旅」をする。旅の思い出としては何気ない、日々の幸福を描き続けている。 その土地の事実や柳田國男の小説、ジーコの自伝をも取り入れながら旅を進め、風景を描写、記録する小説家の叔父の考え方や、爛漫なサッカー少女、旅で出会う自信の持てないみどりさんを通して随所に散りばめられた学びや気付きを感じることができるが、今ひとつインパクトに欠けるままページと旅が進んでいく。 ただ、2ヶ月後の記録がいきなり語られる場面があったり、叔父にとって記録をする旅に中盤から「忍耐」という言葉が再三出てきたり。なにかを暗示させるような描写が増えていき、引っかかりが取れぬまま物語は大きな抑揚なく進む。 「私しか見なかったことを先々へ残すことに、私は少し焦っているかもしれないが本気である。」や、「書いたことは無くならない。」など序盤のあくまで記録や描写を優先してきた記し方からあからさまな感情が見え隠れする。 「本当は運命なんて考えることなく見たものを書き留めたいのに、私の怠惰がそれを許さない。心が動かなければ書き始めることはできない。そのくせ、感動を忍耐しなければ書くことはままならない。」 その何かを明かさないまま、明らかな葛藤と、幸せな日常の「記録」が混在をみせる。序盤の抑揚のなさも記録し続ける「平凡な幸せ」も本書においては大きなコントラストを生み出し、胸がダル痒くなってくる。 平凡なこと、そしてそれを長く記録すること、またそのことが誰かの気持ちや意識を変えること、これらがどれだけ難しいことなのか。最後の最後で思い知らされる羽目になった。 「大切なことに生きるのを合わせてみるよ、私も。」 大切なことは新たな環境で変わってしまうもの。それを変えない、忘れたくないというのは変化することよりも難しいことなのかもしれない。 「唯一読んだ本の題名を訊いておけばよかった。」「名前の由来を教えてやればよかった。」 一見、難しくも特別なことでもないような言葉たちがクライマックスを際立たせる。 総数170ページで半日で読めてしまうが、確実に2度読むことをお勧めする。
Posted by
芥川賞とってほしい作品でした。 作中に出てくる「大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きる!」って、いい言葉ですねー。 ぜひぜひ、読んでみてください
Posted by
「旅する練習」は、サッカー少女とその叔父が利根川沿いに、徒歩で千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出るという話だ。コロナで予定がなくなるなどタイムリーな出来事が小説中に登場する。この小説の魅力は構成にある。 乗代雄介の小説は、書物の題名や引用、エピソードが読み込...
「旅する練習」は、サッカー少女とその叔父が利根川沿いに、徒歩で千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出るという話だ。コロナで予定がなくなるなどタイムリーな出来事が小説中に登場する。この小説の魅力は構成にある。 乗代雄介の小説は、書物の題名や引用、エピソードが読み込まれるのが特徴だ。その特徴は『旅する練習』でも健在で、柳田國男や小島信夫それに加えてサッカー選手のジーコの引用やエピソードが挿入される。さらにはおジャ魔女どれみや真言宗も重要なモチーフとなっている。 『旅する練習』は、叔父が語り手として亜美との「練習の旅」を描くという構造になっている。「練習の旅」の時点で描いた名所の描写に、後から当時の様子を細かく描いたという体裁だ。『旅する練習』はこの構造にちょっとした仕掛けがある。 語りの工夫によって、『旅する練習』は最初に読んだ時と2度目に読んだ時とでは印象が異なる小説に変貌する。僕は1度目に読んだときは衝撃を受けて、読み返したときは語りに隠された真実に心を揺さぶられた。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
この旅がずっと続けばいいのに、と思っていた。 サッカーのことはよくわからないけど、鳥のこともよく知らないけれど、ずっとずっと彼らと一緒に旅をしていたかった。目的のないままの私では彼らの旅の同行者にはなれないだろうか。でも、それでも私は彼らと一緒に歩きたいのだ。 大声で真言を唱えた後、リフティングをする亜美を、友だちのいない小説家の叔父さんがところどころで景色を書く姿を、少し離れたところで見ていたい。 彼らとの旅の中で、私は何の練習をするだろうか。途中で加わったみどりのように、何かを手に入れるために何かを捨てる練習をしようか。それとも叔父さんの真似をして言葉を連ねる練習をしようか。 そして、きっと最後に両手を広げて上を見て、次の旅のための準備をするんだ。 いや、本当に言いたいのはそういうことじゃない。 ずっと、悲しい予感から目をそらしていた。小学六年生の少女と、その叔父さんとのとある目的を持ったロードノベルは、淡々とそして鮮やかな色でもって描かれる。素直でまっすぐなサッカー少女のその小さくて大きな成長を目を細めながら眺めていた。でも、その、隙間から見え隠れする知りたくない未来から目をそらし続けてもいた。知りたくなかった。読みたくなかった。心の奥深いところから悲鳴が聞こえる。 形にならない約束が、来ることのない未来が、そしてかなうことのない夢が、私の中で、何かを生んだ。 私は今、どこに立っているのだろう。どこへ向かって歩いているのだろう。 彼女の、ちいさな物語を読んでしまった今、私は私の中で生まれた何かを探す旅に出るのだろう。 言葉にならなないこの思いを、自分の中で形にするための、練習の旅に。
Posted by