人新世の「資本論」 の商品レビュー
マルクス、マルクスとうっとおしいけど、現在の大量消費資本主義はサスティナブルではないという問題定義は同意。脱成長もある程度は同意。でも人間の欲求を抑えることは不可能だよね。コモン重視と言ってもねぇ。
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現代における仕事や価値の判断についてまわる「お金」の概念の違和感を自分なりに解釈するために資本主義に関する本を探していて見つけた一冊。前半の問題定義やそれに対する解釈はとても役に立った。意外でもないが、ブルシットジョブへの言及もあって繋がった部分もある。提案される社会形式に賛成できるか否かは個々人のものだが、少なくとも啓蒙という意味で一読する価値は高いと思った。 環境問題には直結しないかもしれないが、コモンやコミュニズムに関する提案はソフトウェアの世界には既にあると思った。Gnu/Linuxを始めとするFSFの活動はコモンに対する社会運動だと言えるし、大くの企業は資本主義の立場からOSSとして搾取している面はあるものの、コモンへ返している部分もあると言える。これらは維持、拡大していくべきだろうと改めて感じる。 また生産に対する職人の解体へのアンチパターンとして、アジャイルやスクラムを捉えることもできそうだと思う。ソフトウェアを第二次産業的に分解して開発する手法をウォーターフォールとするならば、それでは生産性を確保できず多くの企業が苦しんでいた。これは無意識にこれまでの資本主義的な考え方に囚われていたと見ることができるかもしれない。ソフトウェアはゴルツの言う開放的技術なのだろう。開発者からすれば当然だが、この解体された世界のいわゆるSIはできることが部分的すぎることが多い。これは職人的世界とのギャップになり、現実的には転職で課題になる。 日本には職人性を捨てずにいる中小企業が多くあると思う。どのような形にせよ、生産至上主義的な発想からの転換は、むしろ日本には福音なのではないだろうか。
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「脱成長」とは、所詮は過去30年、日本”だけ”が世界の中で経済発展していないことの言い訳に過ぎない。 ただ、本の中身で触れていることは、真っ当なこと。新書で出すのは、もったいない。
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資本主義からどう脱却して持続可能な世の中を作るかを考えた新しい経済思想本。 サステナビリティという言葉は世の中で多く聞こえるようになったし、企業活動としてもこれを欠落させているとリスクがある世の中になった。しかし、いまだに社会は資本主義経済であり、資源を大量に利用してより便利な世...
資本主義からどう脱却して持続可能な世の中を作るかを考えた新しい経済思想本。 サステナビリティという言葉は世の中で多く聞こえるようになったし、企業活動としてもこれを欠落させているとリスクがある世の中になった。しかし、いまだに社会は資本主義経済であり、資源を大量に利用してより便利な世界を実現しようとしている。 斎藤氏の本は、資本主義経済の中ではもはや資源を使い尽くして持続可能な世の中を保てない、今こそ新しい経済思想を持ち、実行すべき、ということを説いている。 私の結論としては、半分正しいがやや過激、という印象。 以下、要点。 まずは気候ケインズ主義について。再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるための大型財政出動や公共投資を行う。そうやって安定した高賃金の雇用を作り出し、有効需要を増やし、景気を刺激することを目指す。そしてプラネタリーバウンダリーという指標をベースに地球が自浄作用を持てるラインを引き、そこまでを推進するというもの。しかし、結果として9領域のうち四項目がすでにこの限界を超えてしまっている。 なぜこれが起きるか?まずは経済成長すればその分新しい分野への投資が起こり、そこで二酸化炭素が排出される。またエネルギー源を石油から他のエネルギーに変えても、その資源は結局グローバルサウスから搾取して先進国で使われる。見かけ上の二酸化炭素排出が減っても、結局資源の利用という観点ではGDP成長と資源消費は先進国で正比例し続けている。つまり同じ問題が他の資源で起きるだけになっている。これは確かにそうだ、という納得感が持てた。 そこで斎藤氏が唱えるのが、脱成長コミュニズムであり、資本主義をやめていくことを掲げている。では成長をやめて何を実現すべきなのか?それがマルクスが本来晩年に取り組んでいた「コモンズ」という経済観念。彼の資本論では今までその内容を正しく伝えられてきておらず、最新のマルクス研究MEGAによりわかってきた内容とのこと。 人々が「豊かな社会」で暮らし、繁栄するために水や土壌のような自然環境、電力や交通機関といった社会的インフラ、教育や医療といったものの一定基準が必要。これらを社会全体にとって共通の財産として、国家のルールや市場的基準に任せずに、社会的に管理・運営していこうという取り組みである。この管理は、生産者が生産手段として共同で管理していくのがポイント。 経済の概念では、資源のようなものの囲い込みを行い、人工的な希少性を作る事で高い資本を生み出してしまうが、こういった生きるためのインフラになるものは、公富として全ての人に正しく分配されるべき、これがマルクスもとい斎藤氏の主張である。そして物質的欲求から自由になるところで自由な国を作り、集団的で、文化的な活動の領域にこそ、人間的自由の本質がある、そうしなければ長時間の労働を貨幣の代わりに行う奴隷と化す、とも述べている。 最後にはスペイン、バロセロナにおける市政の事例、フィアレスシティのことや、そういう市民団体のグローバルな繋がりであるミュニシパリズムの話も出ており、非常に面白かった。 先進国が責任転嫁せずに、グローバルで資源を正しく配分していくこと、そのためにこれまでの制度や資本主義の考え方を見直していくことは必要だが、個人的にはいくつか疑問が残る。 資本主義から抜けるという場合、特に資源囲い込みをベースに儲けてきたような企業が多数存在する中で、それをどう実現するのか。またこのような変革をグローバルでどう同時多発的にやっていくのか。そして先進国は今までより明らかに豊かに資源が使えなくなる中で、どう「それでいい」というオーソライズをとっていくのか。 マルクスの共産主義は失敗に終わったと言われているが(コモンズの部分が欠落していたとはいえ)、本当にこれが新しい時代において成功するモデルなのか? 国ではなく市民が中心となりこういった価値観をベースに活動をして世の中をかえていくべき。多分それが斎藤氏の主張なのだろうけれど、コロナのような圧倒的な危機ではない中で、市民が動いて変えていく!だけの思想はなかなか厳しい。また豊かさを得てきた先進国が簡単に本当に必要なレベルまで資源利用を減らすことは容易ではない。とても考えされられるし、共感する点も多かったご、それらを考えないと机上の空論になってしまうな、と思った一冊。 とはいえ2023年最初の読書としては素晴らしかった。
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年々深刻になる気候変動や格差社会に、資本主義経済の限界来てんなとか 投票率が50%を切るような議会制民主主義は最早機能するはずないとか 日々感じていても生活に流されてます でも、次世代に繋げていくために私たちの行動変容と社会システム変更が必要なんでしょうね
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地球環境破壊の諸悪の根源は資本主義社会であり、それを維持することを目的とした小手先の対策ではなく社会制度そのものを変えないと取り返しがつかない。そのための解決策として脱成長コミュニズムという社会形態が最適であるという趣旨。筆者の掲げる脱成長コミュニズムに今ひとつ具体的イメージがわ...
地球環境破壊の諸悪の根源は資本主義社会であり、それを維持することを目的とした小手先の対策ではなく社会制度そのものを変えないと取り返しがつかない。そのための解決策として脱成長コミュニズムという社会形態が最適であるという趣旨。筆者の掲げる脱成長コミュニズムに今ひとつ具体的イメージがわかず、理想論のように聞こえてしまう面もあったが、何かを成すには理想がないと始まらないと思うので、そうした意味では興味深い内容であった。今すぐ自分が行動に移せるかはといえば自信がないのは、問題を自分毎として捉えられていないからかもしれない。まずは意識を変えていきたい。
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マルクス主義ってソビエト連邦崩壊と共に滅んだんじゃないの? と思っている方々に是非読んで貰いたい。本書を一読すると,「今後の世界にこそ,ますますマルクス主義の有効性が試されるときなのではないか」と思うに違いない。 本書には,通常の集英社新書のカバーと黒いバックのカバーの二重に...
マルクス主義ってソビエト連邦崩壊と共に滅んだんじゃないの? と思っている方々に是非読んで貰いたい。本書を一読すると,「今後の世界にこそ,ますますマルクス主義の有効性が試されるときなのではないか」と思うに違いない。 本書には,通常の集英社新書のカバーと黒いバックのカバーの二重になっていて,ご覧のとおり,市販本には「2021年新書大賞第1位」という文字が浮かび上がっている。わたしが読み終えたのは2022年の年末なので,すでに本書の発行(2020年9月)から2年以上も経っている。 本書については「読んでみたい本だな」とずっと気になってはいたのだが,すぐに読むまでには至らなかった。というのも他に読みたい本がたくさんあったらだ。ところが,昨年の8月ごろだったかに,市民図書館で先輩教員と久しぶりにお会いしたときに,手に持っていた本を示して「この本は面白いぞ」と言われたのをきっかけに,俄然読んでみようと思ったのだ。 「人新世」という耳慣れない新しい時代を示す言葉と「資本論」という古い言葉の組み合わせ。この両極端の出会いが,わたしたちが進むべき新しい世界観を生み出している。だれが命名したのかは知らないが,たいしたもんだ。 ソビエト連邦の崩壊後,資本主義が一人勝ち(したように見えて)からというもの,世界はまずまう新自由主義の旗印を掲げて突き進んできた。しかし,その結果は,金持ちはますます金持ちになり,ビンボウ人はよりビンボウになっていった。格差は広がるばかりなのだ。この日本においても,「一億総中流」とは遠い昔のこととなり,今では「子ども食堂」などが大はやりする時代となってしまった。 一方,これらの産業発展に伴って,地球温暖化などの地球規模の問題も起きてきており,このまま突き進むと,後戻りできないのではないかという危惧も人類共有の認識になってきている。いったい,どうしてこうなったのだろう。わたしたちは,もっとみんなが幸福になるために,新しい産業を興し,商売をし,働き続けてきたはずではなかったのか。 その問題に答え,さらに,解決の道筋を示してくれるのが,本書である。 マルクス主義は「生産力至上主義」を取っていると言われてきた。その点だけ見れば,資本主義の世界と何も変わらない。実際,ソ連がやってきたことは,アメリカを始めとする資本主義国以上の生産力を上げることであった(だから,アメリカとソ連と日本で大きな原発事故が起きたのは必然であるとわたしは思っている。安全性は生産力に結びつかないからね)。 しかし,著者は,晩年のマルクスの手稿を丁寧に読み解いていく中で「マルクスの思想は生産力至上主義ではなかった」と述べている。 むしろ,「資本論」以降のマルクスが着目したのは,資本主義と自然環境の関係性だった。資本主義は技術革新によって,物質代謝の亀裂をいろいろな方法で外部に転嫁しながら時間稼ぎをする。ところが,まさにその転嫁によって,資本は「修復不可能な亀裂」を世界規模で深めていく。最終的には資本主義も存続できなくなる。(本書164ぺ) マルクスやエンゲルスの初期の本を読んだころのわたしは,資本主義が進めば進むほど矛盾が大きくなり,それらの矛盾を止揚するために社会主義が生まれる…というようなニュアンスで,マルクス主義や社会主義思想を捉えられていた。しかし,後年のマルクスは,上記引用のような考えを持っていたのだ。今の資本主義が行き着く先は,取り返しがつかない地球環境の破壊しかない。そんなところで社会主義を唱えたところでなんになるというのだろう。 今,SDGsという言葉が世界的に溢れていて,わたしもそれについて学習したり,少しでも良い世の中をと思って行動している。がしかし,著者は,このSDGsという考え方は,今の資本主義を少しでも長く存続させる(時間稼ぎをする)力しかないという。SDGsで資本主義を進めていけば,地球の終末が少しだけ遅くなる程度であり,まったく根本的な解決とはならい。 だから問題は,そうなる前に,そう,今,まさに,今の時代でこそ,資本主義に変わるものを準備しなくてはいけないのだ。 それが,「コモン」だと著者は言う。「コモン」とはどんなものなのか。 あとは,本書を見て頂くのがいいだろう。 最初に述べたカバーの裏面には,著名な人のコメントが載っている。そのうち,松岡正剛さんと坂本龍一さんのコメントを転写しておく。 気候,マルクス,人新世。 これらを横断する経済思想が,ついに出現したね。 日本は,そんな才能を待っていた! (松岡正剛) 気候危機をとめ,生活を豊かにし 余暇を増やし,格差もなくなる,そんな社会が可能だとしたら。(坂本龍一)
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サステナビリティ、カーボンニュートラルというお題目さえ、ビジネスチャンスとして資本主義を加速させるトレンドな気がしてくる。 筆者のいう脱成長コミュニズムは理想論な気もするが、不必要な希少性から空虚な利益を生み出す虚構産業の方が儲かる行き過ぎた資本主義の歪さは仰る通り。 自身が...
サステナビリティ、カーボンニュートラルというお題目さえ、ビジネスチャンスとして資本主義を加速させるトレンドな気がしてくる。 筆者のいう脱成長コミュニズムは理想論な気もするが、不必要な希少性から空虚な利益を生み出す虚構産業の方が儲かる行き過ぎた資本主義の歪さは仰る通り。 自身が虚構の最もたる職業についているため皮肉には思えるが、謙虚に生きる気付きにはなる。
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著者の主張を要約すると、気候変動を引き起こす資本主義による成長はだめで、生産を使用価値重視のものに切り替え、無駄な価値の創出につながる生産を減らして労働時間を短縮し、労働者の創造を奪う分業も減らして、生産過程にまつわる意思決定を民主的に行い、社会にとって有用で環境負荷の低いエッセ...
著者の主張を要約すると、気候変動を引き起こす資本主義による成長はだめで、生産を使用価値重視のものに切り替え、無駄な価値の創出につながる生産を減らして労働時間を短縮し、労働者の創造を奪う分業も減らして、生産過程にまつわる意思決定を民主的に行い、社会にとって有用で環境負荷の低いエッセンシャルワークの社会的評価を高めていくことで、脱成長で気候正義を実践しようというものである。その萌芽がバルセロナのフィアレスシティ宣言や南アのサソール社に対する抗議活動で見られる。欧州地方自治体のミュニシバリズムは全世界に広がってきており、今こそ日本でも行動を起こすときだと。 マルクスは晩年こう考えていただろうという著者の研究成果は判った。しかし マルクスが考えたから正しいわけではない。論旨は理解でき、ブルシットジョブをやめようとう意見には賛成だが、だから資本主義を全否定する方策がうまくいく気がしないのは私だけだろうか。コミュニティ内には、善人で頭の良い人だけがいるわけではない。金持ちが自分に都合のよいようにルールを変えてしまうのは資本主義が悪いのではなく民主主義の脆さだと思う。
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BS欲望の資本主義を録画していたので、読後、見る。チェコの経済学者セドラチェクと斎藤幸平の対談は興味深かった。共産主義の苦すぎる経験から、資本主義の枠内での改革を目指すセドラチェクと、枠組み自体を変えないと気候変動を抑えることはできないとする斎藤幸平。 どちらかと言うと、セドラチ...
BS欲望の資本主義を録画していたので、読後、見る。チェコの経済学者セドラチェクと斎藤幸平の対談は興味深かった。共産主義の苦すぎる経験から、資本主義の枠内での改革を目指すセドラチェクと、枠組み自体を変えないと気候変動を抑えることはできないとする斎藤幸平。 どちらかと言うと、セドラチェクに説得力があるように思えた。 斎藤さんは、若いということもあろうが控えめな印象。 落合陽一とのYouTubeでの対談も同じように感じた。そこでは、「逆張りとしての共産主義」という興味深い言葉を使っていたので、立ち位置が明確になったように思った。 つまり、少しずつ、今の体制で変革しようという主張の人間ばかりだと、確かに危機感は無いし、変革も進まない。思い切りレフト方向からものを言う研究者も必要だということと受け止めた。 えらいなあ。 本気で地球を救おうとしてくれてる。 本気で格差を無くそうと思っている。 一生を働くことで終わらせる資本主義の奴隷のような状態から、働く時間を減らして人間本来の喜びを誰しもが持つことができる社会を、一体誰がこんなに本気で語ってくれているだろうか? 「僕はウーバで挫折し…」も併せて読んだが、これもまたとっても真っ当。ズルくてプライドが高く、上からものを言いがちな(誰とは言わないが)同世代の誰かさんとは違うんだなあ。 東大がこの人を准教授として採用したのは、ホントよかったと思う。 3.5%の話は、やや楽観的にも思えたが、希望は大事だし、この人が研究室の中だけで生きようとしていないことがよくわかる。
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