一人称単数 の商品レビュー
実は、村上春樹の本はそんなに得意ではなかった。たびたび性的な描写が出てきたり、登場人物の言動が洒落すぎていて少し鼻につくからだ。 しかし、この『一人称単数』は、いわゆる村上春樹的な作品と比較するととても自然体で書かれていて読みやすかった。 実際にいくつかの話では、主人公も20...
実は、村上春樹の本はそんなに得意ではなかった。たびたび性的な描写が出てきたり、登場人物の言動が洒落すぎていて少し鼻につくからだ。 しかし、この『一人称単数』は、いわゆる村上春樹的な作品と比較するととても自然体で書かれていて読みやすかった。 実際にいくつかの話では、主人公も20-30代の若者ではなく、現在の村上春樹と同じくらいの年齢の目線で描かれている。なかでも『ヤクルトスワローズ詩集』は主人公の名前も「村上春樹」で、ほぼフィクションと実話の境目が曖昧になっている。 どの話もテーマ性があるわけではないが、不思議と読み終わった後に心を動かされる。理屈ではなく五感で感じる、まるで心地よい音楽を聴いているかのような体験ができる。 ただ、『謝肉祭(Carnaval)』だけ少し表現がキツく、読むのがしんどかった。読む人を選ぶだろう。 一番のお気に入りは『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』だ。最後の一行に衝撃を受けた。
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「品川猿の告白」大笑いしながら読みました。この中では一番のお気に入り!で、このお話、身近にいる素敵な女性に話してみたい。実はね…なんて。(^^)
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・ウィズ・ザ・ビートルズは14曲中6曲がカバー。「息を呑むような素晴らしい音楽ではない」「所詮はカヴァー曲」とのこと。個人的にはNHKラジオの影響もあり、このセカンドアルバムはもっと評価されるべきなのではと感じている(若者だけでなく全世代を意識した選曲) ・低姿勢な品川猿がよい。「君はビールを飲むのかい?」「はい、おかげさまで少しはいただけます」
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エッセイっぽく描かれた短編集。回想部分と後日談のような構成になってる? ビートルズとジャズとヤクルトスワローズ。 「品川猿」が一番好き。日常の中にさらりとファンタジーが混ざってくる感覚が心地良い。
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もちろん村上春樹はそんなこと全く考えていないだろうが話がどれもJoJoっぽい。登場人物全員スタンド使いに違いない。特に「謝肉祭」のアンバランスな夫婦は荒木飛呂彦が描くイメージまではっきり連想してしまった。もちろんスタンド名は「カルナバル」である。
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最近は半ば義務として買っているだけの感があった村上春樹。何しろ前の長編『騎士団長殺し』は、発売早々自動的に単行本を買いはしたものの、何故か読みたいという気が起きず、いまだに積ん読になっているほどだ。 ところがこの短編集は、驚くほど素晴らしい。ひょっとすると彼の短編集でベストか...
最近は半ば義務として買っているだけの感があった村上春樹。何しろ前の長編『騎士団長殺し』は、発売早々自動的に単行本を買いはしたものの、何故か読みたいという気が起きず、いまだに積ん読になっているほどだ。 ところがこの短編集は、驚くほど素晴らしい。ひょっとすると彼の短編集でベストかも。長編短篇全部含めても上位に入る。それくらい気に入った。突出して異色な「ヤクルトスワローズ詩集」は別として、他の7編は、どれも不条理なストーリーと死の匂いに満ちている。昔の短編集も死の匂いは濃かったが、現実の死が近づいた年齢になったことで、かつての作品にあったロマンチシズムやセンチメンタリズムが削ぎ落とされ、絶対的な虚無としての死が描かれる。それが「幻想小説」と言っても差し支えないほど不条理なストーリーと相まって、宇宙的な暗黒を感じさせるものになっている。やれやれ、村上春樹がまだこれほどの傑作を創作できるとは。 特に好きな作品は「ウィズ・ザ・ビートルズ」(これって前に何かプロトタイプとなる短篇があったような…)。「クリーム」「謝肉祭」「品川猿の告白」も素晴らしい。
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人生のどこの引き出しにも入れられない、整理のつかない物語たち。 仕事のタスク処理みたいに、優先順位や重要度でふりわけられればまだ楽だけど、 道をふさぐ大きい猫(居眠り中)みたいに、ただそこに居座りつづける。 どうしよう、と思っても、どうしようもない。 実際に起こったことだから...
人生のどこの引き出しにも入れられない、整理のつかない物語たち。 仕事のタスク処理みたいに、優先順位や重要度でふりわけられればまだ楽だけど、 道をふさぐ大きい猫(居眠り中)みたいに、ただそこに居座りつづける。 どうしよう、と思っても、どうしようもない。 実際に起こったことだから。 「しょうがないって。お前も辛いだろうけど、俺だっていろいろ抱えながら生きてるんだから。お互い、いろいろ受け入れながら行こうぜ」 と、肩を貸してくれるような本。 すべてを処理仕切った(気分でいる)ことによる万能感って、行き過ぎると良くないと思う。 どうにもならないことがあることを思い出して、受け入れる痛みを忘れないようにしないと。
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村上春樹の短編には3つの特徴がある。 ◉実体験を敷衍し、創作に仕立てる ◉いかにも実体験風タッチなれどあくまでも創作 ◉ファンタジー(荒唐無稽な話と見る人も) 本作は8編の小説が収録されており、この3種に綺 麗に分類できる。ただ、明らかに違うのは『自己』が色濃く出た作品が多い。...
村上春樹の短編には3つの特徴がある。 ◉実体験を敷衍し、創作に仕立てる ◉いかにも実体験風タッチなれどあくまでも創作 ◉ファンタジー(荒唐無稽な話と見る人も) 本作は8編の小説が収録されており、この3種に綺 麗に分類できる。ただ、明らかに違うのは『自己』が色濃く出た作品が多い。ゆえに、この表題なんですな。 実父の半生を仔細に綴った随想『猫を棄てる』を 書いたことが『ガード』を下げるきっかけというか踏ん切りがついたのかな?『あゝ、ここまで語るんだ…』という印象を抱いた。とにかく今作は自身の体験をモチーフにしたように感じる作品が多く、『虚実皮膜』な手触りを玩味できる短編集だと言える。 僕の中では、その『ガードを下げる』という変化は、『風の歌を聴け』から『ノルウェイの森』あたりまでは一貫して政治や社会システムに背を向けた、所謂『デタッチメント』の姿勢。1994年の 『ねじまき鳥クロニクル』あたりから一転『コミットメント』に転向した。今回の変化は、それと同等の驚きがあった。 【各編のさわり…】 ◎『石のまくらに』 かつてバイトしていた当時の同僚の女性と一夜を 共にした僕。翌朝、彼女から「短歌を書いてるの…」と言われ、1週間後、自作の短歌集が送られ てくる…。 ◎『クリーム』 18歳の僕は同じピアノ教室に通っている女の子からピアノ発表会の招待を受ける。当日、神戸の山の手にある会場に着いたものの門は堅く閉じられ、人の気配はない。途方に暮れた僕は近くの公園へ向かう。そこで… ◎『チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ』 『ジャズ界の巨匠 チャーリー・パーカーがボサノヴァを演奏した新譜が発表』というフェイクニュースを書いた主人公。出張でニューヨークを訪れた折、レコード店であるはずのない、そのLPを見つける…。 ◎『ヤクルト・スワローズ詩集』 70年代初めに上京した著者。神宮球場の外野芝生席に寝そべり、スワローズを題材に詩作に励む日々の中、幼き頃、筋金入りのトラキチの父に連れられて行った甲子園球場超満員のスタンドの記憶が交錯する…。 ◎ 『品川猿の告白』 ひなびた温泉街の木賃宿に泊まることになった僕。温泉に浸かっているところへ宿に勤める猿が入ってくる。『お背中を流しましょうか?』と申し出を受け、背中を流してもらいながら、猿の身 上話を傾聴する…。 ◎『謝肉祭』 お互い既婚者同士の男女。時々コンサートや食事に行く関係。彼女のことを『これまで僕が知り合った中で、もっとも醜い女性』と共通の趣味であるクラシック音楽においては、シューマンの『謝肉祭』が好きと意見は一致しているのだが…。 ◎『一人称単数』 ポールスミスのスーツにゼニアのネクタイを締め、コードバンの靴を履き、自宅近くのバーへ。ギムレットを舐めながら、ミステリーを読んでいると、居合わせた妙齢の女性から話しかけられる…。 以前『職業としての小説家』<Switchlibrary刊>で、確か『今後は自己について掘り下げ、自己を開拓していく』と語っていた…と記憶している。 今回は短篇だけど、次の長編もその傾向が反映されるかもしれない。そうあってほしい。 井戸に入ったり、空から大量の魚が降ってきたり、月が2つになったり、小人が登場したり、青豆というヘンテコな名前の登場人物とか、パラレルワールド構造とか…、このところ長編についていけない感ありありにつき、様々な表情のある短編の方がしっくりくるなぁと再実感した一冊であった。
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日常と非日常、現実と非現実との境界が曖昧になる村上春樹らしい物語。 読んでいるうちに現実感が揺らぐ体験だ。 P.207『現実と非現実があちこちででたらめに位置を交換するような感触があった。』 (品川猿) P.225『漠然とした違和感のせいであるようだった。そこには微妙なずれ...
日常と非日常、現実と非現実との境界が曖昧になる村上春樹らしい物語。 読んでいるうちに現実感が揺らぐ体験だ。 P.207『現実と非現実があちこちででたらめに位置を交換するような感触があった。』 (品川猿) P.225『漠然とした違和感のせいであるようだった。そこには微妙なずれの意識があった。自分というコンテントが、今ある容れ物にうまくあっていない、或いは、そこにあるべき整合性が、どこかの時点で損なわれてしまったという感覚だ。』(一人称単数) およそ現実では了解が難しいメタファーだかイデアだかに触れる、無意識の領域が前意識領域まで浮上したなにかに触れる物語であるようにも思う。 そしてそういった物語はやはりモノローグでなければ体験できず、その現象から距離を置いてしまうと一気に現実検討が働いてしまう。 だからこそ村上春樹の物語の主体は他者(特に女性)との距離感が侵犯的なのかもしれず、だからこそ一人称単数であるのかもしれない。 そんなことを考えてしまう。
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私たちが現実と呼んでいるものは、ごく薄い膜に包まれていて、ふとしたことでこれは破れる。人の悪意であったり、何か時空がひずんだり…破れ目から別のものを見せてくれる、それがこんなにさりげなくできるのは、ジョナサン・キャロルと春樹先生だけだと思う。そういうのが好きなので。
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