中動態の世界 の商品レビュー
2017.10,28市立図書館(読む暇なくひとまず返却) 2018.1.27市立図書館(60ページぐらい読んで返却) →手元においてじっくりとりくむべきだとわかったので購入(2018.2.10)
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私たちがいかに言葉に規定されているかを思い知らされる。 「中動態」という態を知ることで、生き方が変わるだろう。 明快な論理展開も素晴らしい。
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中動態の世界があることをこの本で知りました。 他の人のレビューをみても、とても中身の濃い素晴らしい本だと書いていました。毎日少しづつ読み続けていますが、最後までしっかりと読了したいと思います。 ・・・・ 10月、この本が2017年の小林秀雄賞を受賞しました。すごいことだとた...
中動態の世界があることをこの本で知りました。 他の人のレビューをみても、とても中身の濃い素晴らしい本だと書いていました。毎日少しづつ読み続けていますが、最後までしっかりと読了したいと思います。 ・・・・ 10月、この本が2017年の小林秀雄賞を受賞しました。すごいことだとただ感心しました。
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(目次)プロローグ-ある対話 第1章能動と受動をめぐる諸問題 第2章中動態という古名 第3章中動態の意味論 第4章言語と思考 第5章意志と選択 第6章言語の歴史 第7章中動態、放下、出来事-ハイデッカー、ドゥルーズ 第8章中動態と自由の哲学-スピノザ 第9章ビリ...
(目次)プロローグ-ある対話 第1章能動と受動をめぐる諸問題 第2章中動態という古名 第3章中動態の意味論 第4章言語と思考 第5章意志と選択 第6章言語の歴史 第7章中動態、放下、出来事-ハイデッカー、ドゥルーズ 第8章中動態と自由の哲学-スピノザ 第9章ビリーたちの物語 著者は「強制はないが自発的でもなく、自発的ではないが同意している、(中略)能動と中動の対立を用いれば、そうした事態は実にたやすく記述できる」と言う。けれど、そもそも本書を読むためには哲学や語学にある程度以上の専門的な知識が必要なはずで(あとがきによると執筆のために古典ギリシア語を学び直された、とのこと)、その意味ではど素人の私にはこの本を「たやすく」読めるはずもないのだけれど、ビリー、クラッガート、ヴィア艦長の3人を自分自身として考えてみる。それならできるかもしれないし、その先にはなにかの気付きがあるのかも。(あってほしい‥)頭の芯が熱を持つような読書体験だった。第16回小林秀雄賞 ★★★★★
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この本のメッセージを一番シンプルに要約するならば、能動・受動の対に替えて自由・強制の対で考えろということなのだろう。そして、自由・強制の対で考えるということは今のわれわれにとってそんな奇異な発想ではない。責任を問うとき・量刑を決定するときも、「これくらいは強制されていた」「これく...
この本のメッセージを一番シンプルに要約するならば、能動・受動の対に替えて自由・強制の対で考えろということなのだろう。そして、自由・強制の対で考えるということは今のわれわれにとってそんな奇異な発想ではない。責任を問うとき・量刑を決定するときも、「これくらいは強制されていた」「これくらいは自由であった」とみなされるべきだということに関して、客観的な事実を定めようとする。しかし、そういう責任や賞賛・刑罰の営みを行いながらわれわれは思う。自由や強制の度合いなんてものはあくまで社会的な決め事であって、本当のところは因果関係で決定されているのではないか、能動と受動なのではないか。いいかえれば、自由・強制は社会的取り決めの問題であり、形而上学的な問題は能動・受動で語られるべきなのだと。 それに対して、この本は、「いや、自由・強制の対は形而上学的な次元にも言えるものなのだ」と踏み込んでいるようにも思われる。その論証の核となるのが、ドゥルーズおよびスピノザ読解にかかっているように思われる。
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ゆっくりと読み進めてきた『中動態の世界』を読み終えた。國分先生の学問に対する態度は先日の文春オンラインに詳しい。副題にある"考古学"に相応しく、歴史的な知の源流と系譜学に深く闖入していくさま、論述のスタイルが勇まし過ぎて感涙だった。 中動態は、主語が「する」...
ゆっくりと読み進めてきた『中動態の世界』を読み終えた。國分先生の学問に対する態度は先日の文春オンラインに詳しい。副題にある"考古学"に相応しく、歴史的な知の源流と系譜学に深く闖入していくさま、論述のスタイルが勇まし過ぎて感涙だった。 中動態は、主語が「する」のか「される」のかを問う能動対受動のパースペクティヴではなく、主語が過程の内にあるのか外にあるのかを問う別のパースペクティヴにおいて理解されなければならない。p187 言語は不均衡な体系である。言語は常にさまざまな要求に対応しながら、抑圧と矛盾を抱えつつ運用されている。人の心や社会と同じである。p195 一般に能動と受動は行為の方向として考えられている。行為の矢印が自分から発していれば能動であり、行為の矢印が自分に向いていれば受動だというのがその一般的なイメージであろう。それに対してスピノザは、能動と受動を、方向ではなく質の差として考えた。p257
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意志とは自由とは何かを明確にするために、「中動態」という能動態でもない受動態でもない問題を、哲学からそして言語の歴史から紐解く書籍。看護関係の雑誌に連載していたものだが、論理的だが読み進めるのには骨が折れる。ネタバラシになるが、最後の章で哲学的論考から一気に本書の本質に至る。回復...
意志とは自由とは何かを明確にするために、「中動態」という能動態でもない受動態でもない問題を、哲学からそして言語の歴史から紐解く書籍。看護関係の雑誌に連載していたものだが、論理的だが読み進めるのには骨が折れる。ネタバラシになるが、最後の章で哲学的論考から一気に本書の本質に至る。回復している依存症者の姿が少し垣間見えた。
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中動態という観点からインド・ヨーロッパ族の言語の文法の歴史を知れたのは単純に知的好奇心が満たされた。わかりやすい。 付随的に主にスピノザ、アレントの思想がわかる。 濃いので良い。
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