中動態の世界 の商品レビュー
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言葉とは、 神とは、 人間の意志とは—— 言語の「態」には”神の存在”や”人間の自由意志”が関わっているのだ…! 難しい本だったが、読了後にサブタイトル「意志と責任の考古学」に深く頷く 読んで良かった!!
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ザ・國分功一郎。 世界で誰がそんなところに斬り込む?というところを、『これ、面白くない?』とでも言わんばかりの好奇心に溢れた文体で以って読者を巻き込む力。これぞ、という一冊。人文学の魅力を余すことなく味わい尽くせる。 最終前章はスピノザ×中動態。最近出た新著、スピノザ、が楽しみに...
ザ・國分功一郎。 世界で誰がそんなところに斬り込む?というところを、『これ、面白くない?』とでも言わんばかりの好奇心に溢れた文体で以って読者を巻き込む力。これぞ、という一冊。人文学の魅力を余すことなく味わい尽くせる。 最終前章はスピノザ×中動態。最近出た新著、スピノザ、が楽しみになる章だった。 至福の読書時間でした。
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縦横無尽な本でした。 2、3、6章で取り扱うのは、中動態を巡る言語学です。 中動態は、古典ギリシャ語を勉強する中で腑に落ちなかったものの1つです。 このモヤモヤを解消するために本書を手に取ったのですが、狙いどおりすっきりしました。 中動態を主語が座となる過程を表すものとした上で...
縦横無尽な本でした。 2、3、6章で取り扱うのは、中動態を巡る言語学です。 中動態は、古典ギリシャ語を勉強する中で腑に落ちなかったものの1つです。 このモヤモヤを解消するために本書を手に取ったのですが、狙いどおりすっきりしました。 中動態を主語が座となる過程を表すものとした上で、中動態の意味を①自動詞、②自発、③受動、④可能のスペクトラムとする捉え方。 言われてみれば何てことはないのですが、大抵の言語ではそれぞれ別の文法範疇で説明されるので、根っこで繋がっていると認識しにくいのですよね。 こうした中動態が担ってきた表現内容を別の文法範疇で表すに際し、割り切れない部分が残ったため、実は歪みが生じてしまっている言語もあります。 ラテン語文法は古典ギリシャ語に比べてかなり体系的ですが、それだけに例えばデポネントが体系化しきれなかった中動態の名残だと説明されると、いかに自分が能動態と受動態との対立構造に囚われていたかが実感できます。 こうして言語学で得た考え方を足がかりに、本書は哲学に進んでいきます。 2章のギリシア・ローマの哲学者達、4章のデリダ、5章のアレント、7章のハイデッガーとドゥルーズ、8章のスピノザ。 ギリシア哲学において「選択」はあっても「意志」はなかったという話からはじまり、スピノザで終わるので、結論自体は驚くようなものではないのですが、自由や意志を巡る話は、やっぱり面白い。 とはいえ、複数の哲学者をつまみ食いして語っていくので、説明が丁寧であるとはいえ、きちんと理解しようとすると、読者への要求水準は相当高いように思います。 (実際、デリダやハイデッガーのあたり、私はちんぷんかんぷんでした。) 最期の9章は文学で〆。 言語学・哲学・文学は互いに深く関連する分野ではありますが、中動態を軸としつつ、これほど縦横無尽な議論が展開できる著者の能力には感服するばかりです。
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●中動態とは何か? 行為の結果が自分の内にある、非自発的な同意のもとでの行為。 (能動態は行為の結果が自分の外にあり、自発的な同意のもとでの行為(自分の本質に沿った行為)。受動態はその行為以外出来ないような強制力が働きする行為(自分の本質を失った行為)) ●言語によって意志...
●中動態とは何か? 行為の結果が自分の内にある、非自発的な同意のもとでの行為。 (能動態は行為の結果が自分の外にあり、自発的な同意のもとでの行為(自分の本質に沿った行為)。受動態はその行為以外出来ないような強制力が働きする行為(自分の本質を失った行為)) ●言語によって意志と行為が紐づけられた考え方をしてしまっている ○古代の言語は出来事を描写。今は「誰が・何をしたか(行為者とその意志)」を描写している。ただ、「誰かが・何かをする」と言う行為者とその意志と言うのは曖昧な存在。どの行為も背景(人格、感情、人生、社会、歴史)から「動かされている」。 ●自由のために中動態の世界観をもとう 人(世の中)はもともと多様な背景の元で動かされている中動態な存在。自由になるためには、その背景を理解して、その刺激により選ばされる選択を自分の本質に沿ったものにする必要がある。現代の言語描写により意志を軸とした考え方が染み付いている。ただ、意志は過去を切り捨てて未来のみを考える思考の仕方。その染み付いた考え方を超えて中動態の世界の視点をもつことが自由(本質に沿う行為が出来る)につながる。
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プロローグで紹介されるアルコール依存や薬物依存を代表的な例に、「能動」と「受動」という観念だけで人間の行動を説明できるのか、という問いへの答えを求めるべく、「中動態」という概念を提示する著書。本文は290ページほどの9章立て。 「中動態とはかつてのインド=ヨーロッパ語にあまねく...
プロローグで紹介されるアルコール依存や薬物依存を代表的な例に、「能動」と「受動」という観念だけで人間の行動を説明できるのか、という問いへの答えを求めるべく、「中動態」という概念を提示する著書。本文は290ページほどの9章立て。 「中動態とはかつてのインド=ヨーロッパ語にあまねく存在していた態である」。中動態は過去の文法のひとつであり、現在の受動態はこの中動態の派生であるとされる。中動態はその名が示すような「能動」「受動」の中間的な存在ではなく、過去に「能動態と中動態の対立は、能動態と受動態の対立に取って代られる」過程があったとされる。つまり中動態は、能動対受動とはまた別のパースペクティヴが自明だった事実を過去の文法の歴史が示した証でもある。 中動態と能動態の文法の特徴としては、能動態の動作が主語の外で完遂することを含意するのに対して、中動態では主語がある過程の内部にいることを示す。このような、能動態と受動態の「する」と「される」の対立とは異なった位相で浮かび上がるのは、能動対受動にある大きな特徴であり、人間の「意志」について強く意識させられる点である。対して中動態においては、「能動態と中動態を対立させる言語では、意志が前景化しない」。 著者はこの中動態の概念を引用し、過去の著名な哲学者・思想家の著作や発言から、この中動態と類似するコンセプトを取り出して、説明しがたい能動と受動の外にある視点が、中動態によって容易に理解されうると指摘する。本書は能動と受動で説明される世界への違和感に端を発し、中動態という観念を用いて「意志」という考え方に固執するあり方に一石を投じている。終盤は議論をさらにスピノザ哲学にある自由へと発展させ、「中動態の哲学は自由を志向する」として、中動態を知ることは自由に近づくための希望だと締めくくる。 他の著書もだが、話の進め方で丁寧でわかりやすい。各章冒頭に用意さえている前章のまとめも理解を助けてくれる。同著者の『暇と退屈の倫理学』と『はじめてのスピノザ』を併せて読んだうえで、テーマを変えても著者の根源的な関心や主張は一貫していると感じた。核となるキーワードはやはり「自由」だろう。 能動と受動の捉え方として、本書の一節としてある「スピノザは、能動と受動を、方向ではなく質の差として考えた」という言葉は、「意志」に囚われる機会を減らすための現実的で有用なフレーズのひとつだと思える。
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能動と受動にたて分ける思考様式は、歴史社会的に要請されている意志と責任の観念の反映である、との指摘から本書は始まる。その後、文法の古層を遡り、中動態という次元を異にする思考、存在様式を確かなものとして論証した。 千葉氏と著者の対談では、この中動態をよりアクチュアルなものとして、...
能動と受動にたて分ける思考様式は、歴史社会的に要請されている意志と責任の観念の反映である、との指摘から本書は始まる。その後、文法の古層を遡り、中動態という次元を異にする思考、存在様式を確かなものとして論証した。 千葉氏と著者の対談では、この中動態をよりアクチュアルなものとして、つまり深められて扱われていたが、本書はその土台としての性格を持つ。
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能動態と受動態。しかしここに当てはまらない中動態というものが確認できる。「歩く」という行為に人は意志を持ち意識をして歩いていることは少ない。能動態とは少し異なる。また受動態でもない…。このような状況を中動態と考え、文法や言語の歴史、哲学書を参照しつつ、今我々が生きている中動態の世...
能動態と受動態。しかしここに当てはまらない中動態というものが確認できる。「歩く」という行為に人は意志を持ち意識をして歩いていることは少ない。能動態とは少し異なる。また受動態でもない…。このような状況を中動態と考え、文法や言語の歴史、哲学書を参照しつつ、今我々が生きている中動態の世界を考察した図書。 スピノザから大きなヒントを得ている。人ははじめから自分自身の意志でなにかを決定することは難しい、完全な自由ではない。また強制された受動的な世界でもない。世界の変状を受け取ったとき、自分自身がどのように自分の本質を表現できるか考えることによって、受動的な部分は避けられ、自分の関わる部分を増やすことができる。中動態という考え方が生きるうえでの大きなヒントになるよう。 なかなか難解なところもあったけど、心にとどめておきたいと思う。
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『中動態の世界』 なかなかのボリュームであり、哲学に慣れていない人には難解な部分もあるが、非常に読み応えのある本。ソシュール言語学によれば、我々は言語により世界を分節化している。つまり、思考や見え方というものは、我々が使用する言語の範疇を超えない。それは態の考え方も例外ではなく...
『中動態の世界』 なかなかのボリュームであり、哲学に慣れていない人には難解な部分もあるが、非常に読み応えのある本。ソシュール言語学によれば、我々は言語により世界を分節化している。つまり、思考や見え方というものは、我々が使用する言語の範疇を超えない。それは態の考え方も例外ではなく、我々が言葉を話し、思考するとき、能動態/受動態という2つの対立する態の考え方に規定されている。本書は、これらの二項対立とは異なる形の中動態という態の考え方に焦点を当てて、失われた態とともに失われた思考や感じ方へと読者を導く、壮大な冒険譚である。 受動態と能動態の二項対立の前提には、責任の考え方がある。能動と受動にはしばしば、いや、常に責任の所在を明らかにしようとする力が働く。我々はこれらの考え方に慣れきっているから、これらの考え方に違和感はないが、本書で紹介される様々な事例は、現代の世の中にも能動/受動では説明がつかない事象があることを読者に知らしめる。自分でやっているのに、自分でないようなこと、人はだれしもこのような感覚に陥ったことがあるだろう。そうした感覚や事象に対して、我々は表現方法を喪失している。そうした時折感じる違和感や喪失感に名前と概念を与える一つのものが中動態なのである。 本書では、結論めいたものは、最終章の一つ前のスピノザの章にあるのだが、本書は、上記の思考プロセスの丁寧さにも惹きつけられるポイントがある。筆者の豊富な知識やロジカルな思考から、先人の中動態研究を丹念に調べ上げ、ああでもない、こうでもないと批評する。このような思考的なディセンシ―に、アクロバティックなテーマ以上の感銘を受ける人も少なくないのではないか。
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難しかったけど、面白かった。はじめてのスピノザを読んだ時の不思議な感覚は中動態の世界に触れたからなのかも、と思った。小説ばかりを読んできたけど、國分さんの本を読んでいると、胸躍るのは小説だけではないのだと分かる。まだまだ内容よりも読み切った達成感の方が強いという情けない状況ではあ...
難しかったけど、面白かった。はじめてのスピノザを読んだ時の不思議な感覚は中動態の世界に触れたからなのかも、と思った。小説ばかりを読んできたけど、國分さんの本を読んでいると、胸躍るのは小説だけではないのだと分かる。まだまだ内容よりも読み切った達成感の方が強いという情けない状況ではあるけれど、読書が楽しくなる。
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