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中動態の世界 の商品レビュー

4.2

66件のお客様レビュー

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2021/11/20

『中動態の世界』 なかなかのボリュームであり、哲学に慣れていない人には難解な部分もあるが、非常に読み応えのある本。ソシュール言語学によれば、我々は言語により世界を分節化している。つまり、思考や見え方というものは、我々が使用する言語の範疇を超えない。それは態の考え方も例外ではなく...

『中動態の世界』 なかなかのボリュームであり、哲学に慣れていない人には難解な部分もあるが、非常に読み応えのある本。ソシュール言語学によれば、我々は言語により世界を分節化している。つまり、思考や見え方というものは、我々が使用する言語の範疇を超えない。それは態の考え方も例外ではなく、我々が言葉を話し、思考するとき、能動態/受動態という2つの対立する態の考え方に規定されている。本書は、これらの二項対立とは異なる形の中動態という態の考え方に焦点を当てて、失われた態とともに失われた思考や感じ方へと読者を導く、壮大な冒険譚である。 受動態と能動態の二項対立の前提には、責任の考え方がある。能動と受動にはしばしば、いや、常に責任の所在を明らかにしようとする力が働く。我々はこれらの考え方に慣れきっているから、これらの考え方に違和感はないが、本書で紹介される様々な事例は、現代の世の中にも能動/受動では説明がつかない事象があることを読者に知らしめる。自分でやっているのに、自分でないようなこと、人はだれしもこのような感覚に陥ったことがあるだろう。そうした感覚や事象に対して、我々は表現方法を喪失している。そうした時折感じる違和感や喪失感に名前と概念を与える一つのものが中動態なのである。 本書では、結論めいたものは、最終章の一つ前のスピノザの章にあるのだが、本書は、上記の思考プロセスの丁寧さにも惹きつけられるポイントがある。筆者の豊富な知識やロジカルな思考から、先人の中動態研究を丹念に調べ上げ、ああでもない、こうでもないと批評する。このような思考的なディセンシ―に、アクロバティックなテーマ以上の感銘を受ける人も少なくないのではないか。

Posted byブクログ

2021/08/23

難しかったけど、面白かった。はじめてのスピノザを読んだ時の不思議な感覚は中動態の世界に触れたからなのかも、と思った。小説ばかりを読んできたけど、國分さんの本を読んでいると、胸躍るのは小説だけではないのだと分かる。まだまだ内容よりも読み切った達成感の方が強いという情けない状況ではあ...

難しかったけど、面白かった。はじめてのスピノザを読んだ時の不思議な感覚は中動態の世界に触れたからなのかも、と思った。小説ばかりを読んできたけど、國分さんの本を読んでいると、胸躍るのは小説だけではないのだと分かる。まだまだ内容よりも読み切った達成感の方が強いという情けない状況ではあるけれど、読書が楽しくなる。

Posted byブクログ

2021/07/16

受動態と能動態の2つの捉え方のみでは捉えきれない世界がある。捉えきれない心の動き、行動がある。それだけのことが、受動態と能動態「だけ」しかないと思いこんでいた自分の世界では見えていなかった。まさに言語化されていないものは、「見えなかった」のだと気付かされた。中動態の世界を探求する...

受動態と能動態の2つの捉え方のみでは捉えきれない世界がある。捉えきれない心の動き、行動がある。それだけのことが、受動態と能動態「だけ」しかないと思いこんでいた自分の世界では見えていなかった。まさに言語化されていないものは、「見えなかった」のだと気付かされた。中動態の世界を探求することで、文字通り世界を新たに獲得できたように自身は感じたし、同時に言語に縛られている自分に気付かされることができた。きっとまだまだ幾つもの言語に関わる縛りが、自分には見えていないだけであるのだろうと思った。

Posted byブクログ

2022/04/03

http://igs-kankan.com/article/2019/11/001201/ 完全な自由も完全な強制もない中で、人生をどう選択するか。「勉強の哲学」で言うところの、「享楽的こだわり」が一つのカギになるのではと感じた。 ーーーーーーーーーーーーー 本書要約メモ ・...

http://igs-kankan.com/article/2019/11/001201/ 完全な自由も完全な強制もない中で、人生をどう選択するか。「勉強の哲学」で言うところの、「享楽的こだわり」が一つのカギになるのではと感じた。 ーーーーーーーーーーーーー 本書要約メモ ・中動態では、主語は過程の内部にある。例:ものができあがる。その対立語としての能動態では、主語は過程の外にある。例:スプーンを曲げる。 ・実世界において、中動態でこそ適切に表現可能な物事は多いにも関わらず、歴史の変遷とともに中動態は忘れ去られたが、現在見直されつつある。 ・我々は、意識などの多数の諸条件を元に、何らかの選択を行う。その選択の結果として「責任」を負わなければならなくなったとき、その選択が「意志」の下で行われたかどうかが事後的に問われることとなる。 ・権力をふるうものは能動態的で、ふるわれるものは中動態的である。非自発的同意や反発などの行動を選択可能だが、完全な自由ではない。対して暴力が発動する場合は、暴力をふるわれる側は受動態的であり強制力がある。

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2021/07/15

選択は過去からの帰結であり、責任を問われる時に意志が急に持ち出される。 僕たちは完全な能動態でも受動態でもない、中動態を生きているのだ。

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2021/06/08

中動態の世界を生きる我々は思考の仕方を見直さなければならない。 生きていく上での本当に重要な命題だ。

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2021/06/17

國分さんが中動態と言い、中島岳志さんが与格と言い、そういう考え方に興味を持った。本書も早く読みたいと思いつつ、サイズが大きいこともあってなかなか手が出せなかった。そして、やっと図書館で借りて読むことができた。それで、中動態への考えが深まったか、と聞かれれば、否としか答えられない。...

國分さんが中動態と言い、中島岳志さんが与格と言い、そういう考え方に興味を持った。本書も早く読みたいと思いつつ、サイズが大きいこともあってなかなか手が出せなかった。そして、やっと図書館で借りて読むことができた。それで、中動態への考えが深まったか、と聞かれれば、否としか答えられない。能動と受動の間にある大いなるグレーゾーン、これが中動態と言ってしまっていいのか。それもなんか違うような気がする。それでも、能動でもなく受動でもない、どちらとも言えない状況があることはよく分かる。定義だけの問題ではないのか。2500年前だろうと、500年前だろうと、人間の脳の仕組み自体は大きく変わらないだろうし、一般人がいちいち能動とか、受動とか、いや中動だとか、そんなこと考えて行動するわけではないし。ふだんの生活ではそれほど問題にもならないだろう。犯罪と呼ばれるような行為があった場合に、そこを法でどう解釈していくのか。そこではじめて問題になるのだろう。情状酌量なんていうことなのだろうか。今後もまだまだ自由、意志、責任といろいろ考えないといけない。國分さんがアガンベンの名前をよく出す背景がわかった。デリダとかドゥルーズとかには手は出せないが、アレントだけは何としても読んでみたい。それからメルヴィルの遺作「ビリー・バッド」。まあ、「白鯨」を先に読んでおくべきかもしれないが。ところで、先日、卒業生たちとオンライン飲み会をしていたとき、一人が本書を読んだと言っていた。さすがなみほさん。

Posted byブクログ

2021/05/08

意思は存在せず、過去からの地続きの選択の積み重ねがあるだけ。そこでの選択は状況がそうさせるのような非自発的な同意もある。これは能動でもないし受動でもない。主体的に振る舞うことを考えたとき、意思と能動を求めるよりも過去からの連続性や状況づくりといったアプローチに可能性があるという示...

意思は存在せず、過去からの地続きの選択の積み重ねがあるだけ。そこでの選択は状況がそうさせるのような非自発的な同意もある。これは能動でもないし受動でもない。主体的に振る舞うことを考えたとき、意思と能動を求めるよりも過去からの連続性や状況づくりといったアプローチに可能性があるという示唆があるように感じた。

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2021/04/01

「能動態↔受動態」という二項対立のパースペクティブで 物事を考えがちな現代人。だがかつては能動でも受動でも ない「中動態」という動詞の態が存在していた。この中動態 を考察することを通じて、「責任」や「自由意志」について 新たな見方を展開しようとする著作。中動態という文法的な トピ...

「能動態↔受動態」という二項対立のパースペクティブで 物事を考えがちな現代人。だがかつては能動でも受動でも ない「中動態」という動詞の態が存在していた。この中動態 を考察することを通じて、「責任」や「自由意志」について 新たな見方を展開しようとする著作。中動態という文法的な トピックを考えることが哲学的な問題につながっていくと いう展開はまさしく私好み、大変面白く読ませてもらった。 まだ「能動対受動」ではなく「能動対中動」であった古代 ギリシア世界に「意志」という概念は存在しなかったという 考えは非常にそそられた。言語が思考を規定するのではない。 言語は思考の「可能性」を規定するのだ。 言語学(文法)と哲学という、下手をすると難解になりがちな 内容であるにもかかわらず、これほど読み易い本にまとめた 著者に賛辞を贈りたい。

Posted byブクログ

2021/01/24

まず、動機が良かった。この本を書く動機。哲学者って、こんなに具体なんだ、素敵だな、と思った。スピノザに至るまでの冗長とも取れる言語化、それが最後に全て集約してくる(完全にはしきらないが、それもまた中動態的というか、「幅」的である)のが本当にすごい。鴻上尚史さんの「言葉はいつも想い...

まず、動機が良かった。この本を書く動機。哲学者って、こんなに具体なんだ、素敵だな、と思った。スピノザに至るまでの冗長とも取れる言語化、それが最後に全て集約してくる(完全にはしきらないが、それもまた中動態的というか、「幅」的である)のが本当にすごい。鴻上尚史さんの「言葉はいつも想いに足りない」の実践形である。

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