中動態の世界 の商品レビュー
・能動態と受動態という対立が生まれたのは「意志」が生まれたから。 ・能動と受動の差は、スピノザによると「自分の本質が原因となる部分」の質の差である。 ・意志は、過去を切断すること。忘却すること。 本来なら意志は選択に責任を「事後的に」与えるもの。 ・スピノザによると、「自己...
・能動態と受動態という対立が生まれたのは「意志」が生まれたから。 ・能動と受動の差は、スピノザによると「自分の本質が原因となる部分」の質の差である。 ・意志は、過去を切断すること。忘却すること。 本来なら意志は選択に責任を「事後的に」与えるもの。 ・スピノザによると、「自己の本性の必然性に基づいて行動するものは自由である」。 つまり、自分はどのような状態でどのように変容するのかを知ることが自由につながる。 そのとき、意志は自由を阻害する。 ∵意志は、過去を切断しようとするあまり、ものごとをありのままにみようすとすることを妨げるから。 中動態は自由を志向する。 ・相手に自分を見るとき、人は妬む。(スピノザ)
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大半が言語学の発展史に割かれていた印象。終盤にあるの物語の章が秀逸。ABDで読んだのは正解だった。個人的に再読することは少なそう。
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「私」(一人称)が、「あなた」(二人称)へと向かい、さらにそこから、不在の者(三人称)へと広がっていくというイメージはこの名称がもたらした誤解である。
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哲学の本でこれほど読みやすい本はないだろうと思った。ある一文を読む→何か認知する、という読み手の認知をトレースしてくれるような書き方がその要因だろう。そして中動態が主体や責任、意志と関わるというところ、言語とは何か、といったところは面白かった。なぜ人は意志という概念を持ち出して能...
哲学の本でこれほど読みやすい本はないだろうと思った。ある一文を読む→何か認知する、という読み手の認知をトレースしてくれるような書き方がその要因だろう。そして中動態が主体や責任、意志と関わるというところ、言語とは何か、といったところは面白かった。なぜ人は意志という概念を持ち出して能動態と受動態だけの世界にしてしまったのだろう。この間、新聞に出てた、テクノロジーと民主主義は人を分断するということと関係がありそうだ。いずれにしても時間を置いてもう一度読みたい本。
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僕たちは知らぬ間に、中学で学んだ「受動か能動か」という二分法に、思考を蝕まれていた? 歴史ミステリーを紐解くような快感と、「確かにそういうことって普段の生活でありふれてるよね」という実感が押し寄せる珠玉の哲学の旅。
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「能動」というのは僕にとってよくワカランもののひとつだ。そんななんもかも自由意志によって決定を強いられているという考え方が馴染まない。というか、疲れないかそれ? 僕の知る人間はもっと惰性で生きている。周りを見ると重要に見える決定ほど「成り行き」とか「なんとなく」で起こっているよう...
「能動」というのは僕にとってよくワカランもののひとつだ。そんななんもかも自由意志によって決定を強いられているという考え方が馴染まない。というか、疲れないかそれ? 僕の知る人間はもっと惰性で生きている。周りを見ると重要に見える決定ほど「成り行き」とか「なんとなく」で起こっているような気がしてしまう。 國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」は読んだことがあったし、そこで語られるテーマはその時の僕の考えていたことにも重なった。 今スピノザを僕なりに読み解いていて、そこから國分功一郎がスピノザの研究者だと知りまた舞い戻ってきた感じ。 たしかにスピノザは人間の自由意志を否定しているように思える。でも受動は退けるべきもの、能動は目指すものとして描かれている。スピノザの考える「能動」の概念についてもっと知りたい……そういう想いで手に取った本書。 読み終えてから時間が経ってしまったので、なんとなくの印象で…… と思ったけど思い出せん。
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第5章と第8章がよかった。 意志とそれに類似したものの違いを切り分けたのは見事。 スピノザの内在的神を中動態で説明したのは見事。 責任によって我々の世界は能動態と受動態という世界を創り上げている。でも、それは、たまたま今現在の社会がそういうふうにできているからであって、必然...
第5章と第8章がよかった。 意志とそれに類似したものの違いを切り分けたのは見事。 スピノザの内在的神を中動態で説明したのは見事。 責任によって我々の世界は能動態と受動態という世界を創り上げている。でも、それは、たまたま今現在の社会がそういうふうにできているからであって、必然ではない、ということを示してくれている。
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冗長的で飽きてしまった。何をこうくどくどと語る必要があるのかよくわからなかった。 意思とはかなり曖昧な概念。責任を負わせて良いと判断された習慣に意思という概念が現れる。 能動では、動詞は主語から出発して、主語の外で完遂する過程を指し示す。 中動では、主語は過程の内部にある
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能動態、受動態では語り得ない概念である中動態が、かつてあったこと、その実態と現代おける再認識の意味について。興味深い。
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ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』経由で読んでみた本。 人の話す言語はその人の人格に影響をあたえるっていう考え方をわりと信じている方なので興味深かった。能動でも受動でもない、中動態。 使い分け方に昔の人の人生観が出ているよう 能動態は主語の外で完遂するもの(曲げる、や与える) ...
ハン・ガンの『ギリシャ語の時間』経由で読んでみた本。 人の話す言語はその人の人格に影響をあたえるっていう考え方をわりと信じている方なので興味深かった。能動でも受動でもない、中動態。 使い分け方に昔の人の人生観が出ているよう 能動態は主語の外で完遂するもの(曲げる、や与える) 中動態は主語の中で過程にある(生きるや死ぬ) しかし在る生きるは能動態にカテゴライズされる (自分の中において完遂されるものではないと定義されている)
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