目の見えない人は世界をどう見ているのか の商品レビュー
目が見えない人々が、どの様に空間を認識しているのか、また視覚以外の感覚を如何に使っているのか、非常に面白い研究テーマである。 視覚障害者にもいろんなタイプの人がいて、わりと慎重に歩く人もいれば、物にぶつかりながら空間を認識するタイプの人もいるらしい、また視覚障害者の方は皆さん点...
目が見えない人々が、どの様に空間を認識しているのか、また視覚以外の感覚を如何に使っているのか、非常に面白い研究テーマである。 視覚障害者にもいろんなタイプの人がいて、わりと慎重に歩く人もいれば、物にぶつかりながら空間を認識するタイプの人もいるらしい、また視覚障害者の方は皆さん点字が読めるものだと思っていたが、実際には日本の点字識字率は12%ほどだそうだ。 目が見えなくても絵画を鑑賞したり、サッカーの試合に参加する人のエピソードを読むうちに、我々目の見える人間が物事を見るという行為は、GoogleやWikipediaで言葉の意味だけを調べて、なんとなく物知りになったような気がするのと同じ事なのだと感じた。 見えない人にだけ見えている空間や世界があり、逆に見える人の方が多くの物事を見落としているという事実は大変興味深いと思う。
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薦められて期待して読んだんだんだが、期待ほどの内容ではなかった。目が見えないと言う状態で世界をどう捉えるか、ということにインタビューなどを通じて迫っているのだと思うけど、あんまり深くは無い。ま、そうだろうな、と想像できる範囲でした。障害者と付き合った経験がある人には、ここに書かれ...
薦められて期待して読んだんだんだが、期待ほどの内容ではなかった。目が見えないと言う状態で世界をどう捉えるか、ということにインタビューなどを通じて迫っているのだと思うけど、あんまり深くは無い。ま、そうだろうな、と想像できる範囲でした。障害者と付き合った経験がある人には、ここに書かれている著者の発見はつまらないことのような気がする。
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ブクログの「本と出会う」のところで見つけ、興味を持って読んでみることに。目の見えない人が、どのようにして世の中を「見て」いるのか、限られた情報を結びつけながら、私たちとは違う視点で捉えていることを知ったのは新たな発見だった。
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呟き程度に。 知ったからといって自分の中の何かが急にガラっと変わるわけでも無かろうと分かっていながら、長い間知りたいと思っていたことの一つが、この本の主旨です。全盲、特に先天的な全盲の人の世界観というものがずっと知りたかったのです。 生まれつき目が見えないという状況を必死に想像し...
呟き程度に。 知ったからといって自分の中の何かが急にガラっと変わるわけでも無かろうと分かっていながら、長い間知りたいと思っていたことの一つが、この本の主旨です。全盲、特に先天的な全盲の人の世界観というものがずっと知りたかったのです。 生まれつき目が見えないという状況を必死に想像してみたこともあって、何となく掴めたような気がして、一人勝手に衝撃を受けたこともありました。たとえば色という概念であったり、美的感覚だったり、人間とそれ以外の動物の違いであったり、境界線という概念であったり、いくらでも考えられますが、視覚があるがゆえに情報として入ってくるもの、逆に何らかの制限となるもの、そういったものは山ほど存在していて、それらから解放されている人達はその分ゆとりがあって「見える」人には掴みきれない何かを掴んでいるのではないか、そんなことをぐるぐると考えてワクワクしたり。 そういった私の混沌とした想像を、この本は、実際の聞き取り調査などを裏付けとして明快に記してくれました。想像だけでは辿り着かなかった箇所の補完やそれこそ「盲点」というところ、沢山ありました。 こういった本が、想像すらしたことの無い人の元に届いたら、恐らく相当面白いことになるだろうな、というのが専ら漠然とした楽しみです。とことんのところ、自分の基盤を覆す、if、もしも、という仮定にまで掘り下げて物事を考えるという行為は必要な労力が大きすぎて、日頃忙しい人にはなかなか出来ない、寧ろやろうと思わない、というのが実状ではないかと思います。でも、「見えない」世界を考えるというのは、頭を柔らかくするのに間違いなく役立つし、それは自分にとっても他人にとっても必要な優しさに繋がっていると思います。この理屈でいうと、必ずしも「見える」「見えない」でなくても構いません。「聞ける」「聞けない」でもいいでしょう。ただ、本作でも記述があるように、健常者にとって視覚というのは五感の中でも一際重要な位置を占めているというのは恐らく事実です。したがって、まずは導入として「見える」「見えない」を考えるというのは良い入り方だと思います。そこから、自分の知的好奇心などに応じて理解を深めていけばいいのですから。 問題提起というのか何というか、とにかく入門書としては、ここ数年目にした新書の中で最高の書籍の一冊です。私個人の興味関心にあまりにドンピシャで、もう一歩踏み込んでくれてもいいんだよ、という完全なエゴイズムで★4つとさせて頂きます。今後の執筆活動、楽しみにしております。
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書名が目に留まり、読むことに。 また、私的なことだが、自分も目の病気に罹っており、興味深く読んだ。 目の見えない人が、どのように世界を捉えているのかについて、いろいろな事例で紹介し説明している本書。 視覚障碍者の方にとっての「点字」との関わり方。 「目の見える人にとっての富士山、...
書名が目に留まり、読むことに。 また、私的なことだが、自分も目の病気に罹っており、興味深く読んだ。 目の見えない人が、どのように世界を捉えているのかについて、いろいろな事例で紹介し説明している本書。 視覚障碍者の方にとっての「点字」との関わり方。 「目の見える人にとっての富士山、目の見えない人にとっての富士山」、「見えない人の色彩感覚」「見えなくなってからかえって転ばなくなった」…など、全盲の人のインタビューを基にさまざまに解説。 ブラインドサッカーについては、少し知っていましたが、「視覚に障碍がある人との観賞ツアー」には驚きました。 「絵画を『観賞』する」のです。 (詳しいことは本書を読んでほしいです) まさに、書名通り「目の見えない人は世界をどう見ているのか」について、書かれており、どの部分も目から鱗のような読書体験。 2015年、今年読んだ新書の中で(まだ半年あるが)、一番の新書だと思う。 この本を読む前と読んだ後では、違った世界が広がる。
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伊藤さんはもと生物学者を目指し、のち美学に転じた人だけに、発想が斬新だ。このタイトルにしても、ぼくなんかは新聞の広告を見てすぐ読みたくなった。中身も予想に外れぬ刺激的なものでいろいろ考えさせられた。人はそもそも目に頼りすぎているのではないか。視覚を筆頭に聴覚、嗅覚、味覚、触覚があ...
伊藤さんはもと生物学者を目指し、のち美学に転じた人だけに、発想が斬新だ。このタイトルにしても、ぼくなんかは新聞の広告を見てすぐ読みたくなった。中身も予想に外れぬ刺激的なものでいろいろ考えさせられた。人はそもそも目に頼りすぎているのではないか。視覚を筆頭に聴覚、嗅覚、味覚、触覚があるが、人はこれらの働きを固定したものと考えてはいないだろうか。たとえば、盲人というと点字を連想するが、実際に点字のできる人はそれほど多くないし、減りつつあるそうだ。目の見えない人は目が見えない分触覚に頼ることが多いと思われがちだが、点字にしても本質的には「読む」という行為を点字を通じてしているに過ぎない。生理学の研究によれば、目の見えない人が点字を読むときには、脳の視覚を司る部分が発火しているのだそうだ。さらには、ある機械を使えば、目の見えない人でも「見える」に類似した感覚を経験できるのだそうだ。見えるということは本質的に脳の機能とかかわるが、要するに人は目によってのみ「見ている」のではないと伊藤さんは言うのである。器官も「目で物の質感を捉えたり、耳で聞いた音からイメージを連想したり、甘い匂いを嗅いだり」(p111)といったふうにそんなにはっきりと分けられるものではない。以上は主に本書第2章の「感覚」の部分。第1章の「空間」では、晴眼者は外界を二次元として捉えがちであるのに対し、目の見えない人は三次元でとらえるとか、「運動」では「見えなくなってからの方が転ばなくなった」、電車が急停車してもよろつかない、ブラインドサーフィンなどの例が報告されている。見えていない分だけ平衡感覚が発達するのだろうか。第3章「言葉」では目の見えない人との美術鑑賞を紹介している。目が見えても自分の顔を人に尋ねるときがあるが、あの要領で目が見える人たちが言葉で絵の印象を伝えるのである。また、「ユーモア」では、障害そのものを笑いのネタにするということが紹介されている。障害者というと腫れ物を触るようになってしまうが、それが二つの世界を分けてしまうのかもしれない。わたしたちは目が見えない人がいろんなことができると「すごいね」と言ってしまうが、「すごい」というのはやはり上から目線で、本当は「面白いね」と言うのがいいのではないか。伊藤さんはそう言う。
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