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目の見えない人は世界をどう見ているのか の商品レビュー

4

294件のお客様レビュー

  1. 5つ

    74

  2. 4つ

    122

  3. 3つ

    46

  4. 2つ

    3

  5. 1つ

    4

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2016/05/04

p.190 客観的で抽象的な「情報」に対して、具体的な文脈に埋め込まれ、その人ならではの視点を含んだ「意味」。 視覚障害者の「見て」いる世界とはどういうものなのかを著者が見える人なりに解釈し、説明した本です。情報が足りない、欠けている世界ではなく、視覚なしでいかに世界が充足して...

p.190 客観的で抽象的な「情報」に対して、具体的な文脈に埋め込まれ、その人ならではの視点を含んだ「意味」。 視覚障害者の「見て」いる世界とはどういうものなのかを著者が見える人なりに解釈し、説明した本です。情報が足りない、欠けている世界ではなく、視覚なしでいかに世界が充足しているか、捉え方感じ方の「違い」が丁寧に書かれています。 「視覚のない人は死角がない」 1番なるほどなと思った言葉。 視点にとらわれずに自由にイメージ形成するため、見える人よりもシンプルで自由に物事を把握しているに違いない。

Posted byブクログ

2016/05/02

面白かった! 特に目の見える人に対しての「そっちの世界」という捉え方は思ってもみなかった考え方で、興味深かった。 ただこの本は作者の主観による解説が殆どを占めていたので、そうでなく、目の見えない人の言葉や世界の捉え方を客観的にもっと紹介してくれたら更によかったんだけどな…。 そこ...

面白かった! 特に目の見える人に対しての「そっちの世界」という捉え方は思ってもみなかった考え方で、興味深かった。 ただこの本は作者の主観による解説が殆どを占めていたので、そうでなく、目の見えない人の言葉や世界の捉え方を客観的にもっと紹介してくれたら更によかったんだけどな…。 そこが残念。

Posted byブクログ

2016/05/01
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

美術をメーに身体感覚や美学の立場からの本 混色が理解できない 余計な情報のないコンビニ 障がい表記の問題 当事者の「できない」から 社会の「活用できない」立場へ 足がサーチライト 反響定位のできる人物も 点字の問題点。若者の点字離れ ソーシャルビュー、目の見えない人と美術鑑賞 斜視の人の立体視 幻肢痛と義足

Posted byブクログ

2016/05/01

目が見える人と、目が見えない人の感じ方の違い、こんなふうに違うんだとおもしろかった。 障害をその人の特性をして考え、その違いを楽しみつつ、付き合っていく。そんな風に出来たらいいなと思う。

Posted byブクログ

2016/04/15
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

障害を持つことに対する価値観を全く変えてくれる本。 視覚障害者へのサポートは「情報」の提供に留まりがちだが、その先の「意味」こそ重要である。健常者の価値観を障害者の世界観に押し付けてはダメ。 ではどうするのがよいのか?「違いを面白がること」「意味を共に創ること」。印象的だったのは、著者が視覚情報を全盲の方に伝えたところ、「へー!そっちの世界ではそう見えてるんですねー!」と、まるで見える世界が、隣人の“オタク、どう?”みたいなカジュアルな距離感だったそう。 それから、美術館で視覚障害者と共にグループで鑑賞を行うという「ソーシャルビュー」という取り組みも強烈だった。美術鑑賞の楽しさを“絵画などを観ること”自体ではなく“その作品の意味への探究”とした場合、見えないからこその役割があるという。 図書館で借りたが、良書だったので購入。

Posted byブクログ

2016/04/03

とても面白かった。 見える私には、見えない人の感覚というのは絶対に理解できないと分かった。形などを視覚以外のイメージで理解するってどういうことなんだろう。裏や表といった概念がないってどういうことなんだろう。見えない人は色の概念をどんなふうに理解しているんだろう。とにかくもう、わか...

とても面白かった。 見える私には、見えない人の感覚というのは絶対に理解できないと分かった。形などを視覚以外のイメージで理解するってどういうことなんだろう。裏や表といった概念がないってどういうことなんだろう。見えない人は色の概念をどんなふうに理解しているんだろう。とにかくもう、わからないことだらけ。でもそれを、どちらかが劣っているとか優れているとかでなく、個性や特徴としてとらえているところがこの本のすごいところ。目から鱗でした。美術館のソーシャルビューは楽しそうです。私も参加してみたい。

Posted byブクログ

2016/03/22

 例えば、触覚。目の見える人にとっては点字は触覚てあり、点を感じている。実際には、僕には点を感じることさえできないのだけど。でも、目の見えない人にとっては点字は触覚ではなく、視覚なんだと。手で触りながら、脳はたぶん視覚野が反応している。だから、読んでいるわけである、目の見える人と...

 例えば、触覚。目の見える人にとっては点字は触覚てあり、点を感じている。実際には、僕には点を感じることさえできないのだけど。でも、目の見えない人にとっては点字は触覚ではなく、視覚なんだと。手で触りながら、脳はたぶん視覚野が反応している。だから、読んでいるわけである、目の見える人と同じように。  感覚器とそれが感じる感覚は1対1ではないということは衝撃的である。手が感じるのは触覚だけではなく視覚であり、耳という感覚器からも視覚を得ている。ブラインドサッカーは耳で見ているし、肌感覚で見ている。目の見える人は目から得る情報量が圧倒的だから、他の感覚器はそれそれ得意の感覚を得るだけでことが足りるのだけど、目からの情報を遮断された目の見えない人は他の感覚器を使って視覚を得る。生物の不思議というか、人間の不思議というか・・・。

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2016/03/22

この一冊、読んでよかったと率直に思える良書であります。 健常者と障害者、それはサポートする者、される者という対立軸、「ああかわいそうな方、助けてあげるために○○しなければならない」といったような固まった関係でとらえられがちである。(そういった善意をまるきり否定しているのではない)...

この一冊、読んでよかったと率直に思える良書であります。 健常者と障害者、それはサポートする者、される者という対立軸、「ああかわいそうな方、助けてあげるために○○しなければならない」といったような固まった関係でとらえられがちである。(そういった善意をまるきり否定しているのではない)ある意味の上下関係すら感じさせるが、これが行き過ぎると障害者をアンタッチャブルなものとしてとらえる見方も出てくる。ここまでの固い見方は、僕の中には少なからず、あることは確かだ。 しかし、この本で紹介されている「見えない人」の世界の「見方」というものの「面白さ」に触れることで、固い障害者観をいくらか柔軟にすることができた気がする。 「ユーモア」の章においては、ハッとさせられるどころか、頭を少し小突かれたような感覚になることも多かったし、「言葉」の章において取り上げられているソーシャル・ビューというのは芸術鑑賞にとっていい提案をする方法ではないか、と興味深く読み進められた。いい意味での、ショックをもらうことが多かった。 障害者観を変え、新しい支援、いや共生のあり方について考えるきっかけになるかもしれない一冊。一読を、強くお勧めしたい。

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2016/03/16

私は強度の近視なので、自分がいつか視覚障害者になってしまうのではと心配になり、怖くなるときがある。老いればもっと悪く弱くなるだろう。 視覚障害の人たちの世界は他人事ではなく、切実な思いで読み始めた。 情報過多な今を生きることに対して、見えない世界は情報量がとても少ないと語ってい...

私は強度の近視なので、自分がいつか視覚障害者になってしまうのではと心配になり、怖くなるときがある。老いればもっと悪く弱くなるだろう。 視覚障害の人たちの世界は他人事ではなく、切実な思いで読み始めた。 情報過多な今を生きることに対して、見えない世界は情報量がとても少ないと語っている。 それは視覚刺激からの情報に踊らされない安らかさと、俯瞰的に物事を捉えられる、豊かな世界である。 美術館にて鑑賞をする試み ー 見えるひとにガイドしてもらう。そこにはお互い、新しい気付きが生じたり、さまざまな解釈ができるライブ感が楽しいという。 著者が提示する、障害の使い道をもっともっと開いていく必要がある、創造を繋げる、という言葉に、目が開かれる思いだった。

Posted byブクログ

2019/09/04

筆者は美学や現代アートが専門なのだという。 そんな人が、なんだって視覚障害についての本を?と不思議だったのだが、そもそもの入り口が、視覚障害者の芸術鑑賞の事例に触れたことだったのだそうだ。 さて、そんな筆者だからこそ切り口はとても新鮮で、福祉の立場からはこうだ、こうしなければなら...

筆者は美学や現代アートが専門なのだという。 そんな人が、なんだって視覚障害についての本を?と不思議だったのだが、そもそもの入り口が、視覚障害者の芸術鑑賞の事例に触れたことだったのだそうだ。 さて、そんな筆者だからこそ切り口はとても新鮮で、福祉の立場からはこうだ、こうしなければならないといった固定的な物言いが少なく、障害者にかかわる様々な問題や福祉の知識があまりなくてもすんなりと読み理解することができる。 何より、見えないからこそ死角がない、見える情報に縛られない、という筆者の発言に、私の健常者の立場からしか物事を捉えていなかった傲慢な考え方が打ちのめされた。目から鱗の思いだ。 仕事がら視覚障害者と接することもあり、障害者と接する機会のない人ほどは必要以上の特別視などしていないつもりだし、こちらが助ける立場だ、などという余計な構えなど持っていないつもりでもいたが、全くもって私などまだまだだったのだ。 見えてないということは、視覚情報がないということだから、かえって余計な情報から自由でいられるということ。 視覚障害者は、広くて奥行きがある世界に、晴眼者よりずっと自由で柔軟で豊かで創造的な世界に生きている。むしろ晴眼であるからこその不自由、盲目もある。 障害があるからこそのプラスが確かに存在している。 だからこそ障害というものを触媒にして、健常者も障害者も、同じように世界を感じ、切り開いていく。 上下とか導き導かれとかの関係でなく、ともに刺激しあいながら創り上げていく、そんな社会こそが、健常者も障害者も等しく幸せに生きていける社会であり、目指すべき社会であるはずだ、と結ばれている。 視覚障害のみならず、身体でも精神でも老人介護でも、福祉に少しでも関わることがある人は必読! もちろんそうでない人も、こんなにも豊かな障害の世界を知らないなんて損でしょう。是非。

Posted byブクログ