目の見えない人は世界をどう見ているのか の商品レビュー
良書。 ユニークな作者によるユニークな本。 目の見え無い人は、目の見える人とは、違う世界に住んでいるという考えにはっとした。 これは、目の見える人でも、一人一人物事の捉え方が違うとも考えられる、と思った。人の事は、分かりようがないんだ。意見が合わない筈だ。 見え無い人には死角がな...
良書。 ユニークな作者によるユニークな本。 目の見え無い人は、目の見える人とは、違う世界に住んでいるという考えにはっとした。 これは、目の見える人でも、一人一人物事の捉え方が違うとも考えられる、と思った。人の事は、分かりようがないんだ。意見が合わない筈だ。 見え無い人には死角がない。また、コンビニで、無駄な買い物をしない。
Posted by
読みやすい。あと章立てが秀逸。きっかけは興味本位(あと著者が友人)だけども、目が見えない人に対する思いこみがべりべりと剥がされていく感覚は爽快。逆に自分が体感していたことが言語化されていたり、想像していたことが合ってたんだなあという再認識もあり。
Posted by
本来できない他者への変身に「言葉」を与えてくれた。そっか!とびっくりする部分。うすうす感じていた感覚を言語化してくれた部分。とくに最後の「ユーモア」の章がいい。 ・見えないことと目をつぶることは全く違う。 ・実際、福祉は情報への配慮であふれている。 ・三次元を二次元化することは...
本来できない他者への変身に「言葉」を与えてくれた。そっか!とびっくりする部分。うすうす感じていた感覚を言語化してくれた部分。とくに最後の「ユーモア」の章がいい。 ・見えないことと目をつぶることは全く違う。 ・実際、福祉は情報への配慮であふれている。 ・三次元を二次元化することは、視覚の大きな特徴の一つ。 ・要するに、見えない人には「死角」がない。 ・「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」では、見えない人が「ナビゲーター」と呼ばれる。 ・見えないという障害が、その場のコミュニケーションを変えたり、人と人との関係を深めたりする「触媒」になっている。 ・フロイト:ユーモアの秘密は視点の移動にある。ユーモアは、苦痛を強制されるような状況にあっても、自己を守るための一つの防衛方法。価値転倒の力がユーモア。
Posted by
車いすの人や耳が不自由方が何名か職場で働いている。 また水泳部の先輩は耳が不自由だが、スタートの反応はチームでもトップだった。 理由を聞くとスタート台下のスピーカーから出るスタートの音の振動を足の裏で感じているという事だった。 目の不自由な人の世界を経験するために、目をつぶって生...
車いすの人や耳が不自由方が何名か職場で働いている。 また水泳部の先輩は耳が不自由だが、スタートの反応はチームでもトップだった。 理由を聞くとスタート台下のスピーカーから出るスタートの音の振動を足の裏で感じているという事だった。 目の不自由な人の世界を経験するために、目をつぶって生活するだけでは理解できない。 また目が見えることで、死角や盲点が生まれるが、見えない世界では資格や盲点は存在せず、裏表もない。という話は逆説的で面白かった。 またもが不自由な人は全員点字が読めるのかと思っていたが、目が見えなくなった時の年齢(幼い時盲学校が習うが、大人になってからの失明した人は読めない人が多い、若い人ほど識字率は下がるなど)などもあり、全員が理解できないという事実は知らなかったので驚いた。
Posted by
伊藤亜紗さんの講演を聞いて、 興味があって読んでみた。 ・・・・・・・・・・・・ 美学が哲学であると、ようやく理解した。 アート・障害・教養(リベラルアーツ)を 一度に扱うとは!!! と興味深くて 講演を聞きに行ったのだが、 一度に扱える理由がわかった。 美学をもっと知りた...
伊藤亜紗さんの講演を聞いて、 興味があって読んでみた。 ・・・・・・・・・・・・ 美学が哲学であると、ようやく理解した。 アート・障害・教養(リベラルアーツ)を 一度に扱うとは!!! と興味深くて 講演を聞きに行ったのだが、 一度に扱える理由がわかった。 美学をもっと知りたいと思うきっかけになった。 ・・・・・・・・・・・・ 視覚障害者は、視覚以外の機能を使って 見ているというのが、新鮮だった。 ほかの機能で補っていると解釈するのとは 違うなあと。 視覚障害者の美術鑑賞方法としての ソーシャル・ビューに興味をもった。
Posted by
借りたもの。 視覚障害者の認知論かと思えば、これは健常者にも通じそうな身体論からの認知論でもある。 健常者と呼ばれる人達がいかに視覚に偏向した認識をしているかを明確にする。 視覚障害者は視覚に惑わされない分、目の前の事象に囚われず、俯瞰で物事を認識しているというのは、衝撃的だっ...
借りたもの。 視覚障害者の認知論かと思えば、これは健常者にも通じそうな身体論からの認知論でもある。 健常者と呼ばれる人達がいかに視覚に偏向した認識をしているかを明確にする。 視覚障害者は視覚に惑わされない分、目の前の事象に囚われず、俯瞰で物事を認識しているというのは、衝撃的だった。 それはまるで、「断捨離」であり「シンプルに生きる/暮らす」事であり、余計なものに惑わされない自分の芯を持ったライフスタイルを体現しているようなものだ。 また、視覚障害者の認識する表現――「伝えてくる意味」を通して、それこそ「目から鱗」の視点を示唆してくれる。 視覚障害者のアートのふれあいは、彫刻が一番良いと思っていたのは最早時代遅れで、「ソーシャル・ビュー」 という、感想をシェアする鑑賞の方法が在ることに、感動を覚えた。 福祉的な視点と、それを越えたこれからについての言及は、今後の布石となると思う。 今までに読んだことが無いタイプの話だったので、★4つ。
Posted by
「空間」「感覚」「運動」「言葉」「ユーモア」に分けて、見えない人がどのように世界を見ているかを描く。 「情報」と「意味」の対立が全ての通奏低音になっている。情報をいかに受け取るか、あるいは障害によって情報から疎外されてしまっているか、ということではなく、どのような意味を生み出して...
「空間」「感覚」「運動」「言葉」「ユーモア」に分けて、見えない人がどのように世界を見ているかを描く。 「情報」と「意味」の対立が全ての通奏低音になっている。情報をいかに受け取るか、あるいは障害によって情報から疎外されてしまっているか、ということではなく、どのような意味を生み出しているか、に着目。何かが欠けているという側面よりは、どう代替し、時にはそれが生産的でさえありうるかを描く。 非常に分かりやすく読みやすい。
Posted by
視覚障害者に対する認識を大きく変えられた。目が見えないことは不自由ととらえがちであるが、情報量が少ないことで自由になれたり、視野が広がったり、安らかささえ得られるのである。福祉に関する見方にも「視野」が広がった気がした。
Posted by
「自分と異なる体を持った存在」になりきる変身願望を持っていたという著者の、「視覚障害者になりきってみよう」という呼びかけで始まるこの本。見えない人たちの空間認識の仕方、感覚や体の使い方、彼らとのコミュニケーションで発揮される言葉の力など、さまざまな視点から語られる内容は、理系と文...
「自分と異なる体を持った存在」になりきる変身願望を持っていたという著者の、「視覚障害者になりきってみよう」という呼びかけで始まるこの本。見えない人たちの空間認識の仕方、感覚や体の使い方、彼らとのコミュニケーションで発揮される言葉の力など、さまざまな視点から語られる内容は、理系と文系の文脈を行き来するまさに「リベラルアーツ」という感じで、とても面白かったです。 視覚障害者の美術鑑賞の試みとして紹介されている、視覚障害者と晴眼者を含む複数の人で同じ絵画について言葉で語り合う「ソーシャル・ビュー」。これはとっても面白そう。「他人の目で物を見る」経験、してみたいです。 このソーシャル・ビューを行う林さんという方のお話がとてもよかったので引用します。 「見えていることが優れているという先入観を覆して、見えないことが優れているというような意味が固定してしまったら、それはまたひとつの独善的な価値観を生むことになりかねない。そうではなく、お互いが影響しあい、関係が揺れ動く、そういう状況を作りたかったんです」 p185-186 自分とは異なる体を持つ人の感じ方を想像することも、何かに偏らずニュートラルな視点を持ち続けることも難しい。でもそうしようと努力することはやはり意味のあることだと思えました。 気になったら迷わず読んでみてほしい本。おすすめです。
Posted by
見えないことを不足していると捉えるのではなく,そういう状態(機能をもって)で世界を意味づけていると捉えるといわゆる健常者とは異なる表象世界が構成される。見えることに因る弊害,見えないことによって生じる能力や機能の加速。最後をユーモア感覚でまとめているのが面白い。
Posted by