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ハンナ・アーレント の商品レビュー

4.1

70件のお客様レビュー

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2018/10/20

昨今大きく喧伝される『多様性』であるが、全体主義こそその対極にあるものだろう。 被害者はもちろん、加害者からも個性と責任を奪うことによって、 一人ではなしえない大逆を可能とさせることはミルグラムの監獄実験によって示されたが、 ハンナ・アーレントがいなければ、これがアイヒマン実験と...

昨今大きく喧伝される『多様性』であるが、全体主義こそその対極にあるものだろう。 被害者はもちろん、加害者からも個性と責任を奪うことによって、 一人ではなしえない大逆を可能とさせることはミルグラムの監獄実験によって示されたが、 ハンナ・アーレントがいなければ、これがアイヒマン実験とも呼ばれることはなかったかもしれない。 戦後まもない、誰もが理性的ではいられなかった時代、 ナチ体制下における最終収容所の所長であったアイヒマンがイスラエルにて裁判に臨む際。 大衆はもちろん、知的階級さえも懲罰的な復讐を望んでいた只中にて、 ホロコーストを、残虐非道な悪役たちが非力な民衆を強制して実行した犯罪ではなく、 歴史的な現象である全体主義の結果のひとつとして捉えることができたのは、彼女だけだった。 2017年の現代においてさえ、この思想に同調できない人類は多い。 『社会』がない限り犯罪は犯しようがないのに、『社会』の責任を考えず個人への復讐としての私刑を許す。 『最大多数の最大幸福』を信じ、少数派は間違いであり、全員が多数派に正されるべきだと考える。 犯罪者も被害者も多数派も少数派も『多様な個人』であるはずが、それを忘れて『全体視』してしまうことは程度が違えど誰しもある。 それは個人の悪意から生じるものではなく、社会階層という分断された環境によって育まれる思考だ。 この差異を、これからの技術革新や教育はどこまで埋めることが出来るのだろうか。 学校、会社、地域、国。 現行の法技術では、対象を不特定多数として扱わなければルールは作れず、行政と司法が果たすべき運用の役割は過剰に大きい。 ならば、真に多様性を許容した社会での法とはどのような形をとるのだろうか。 その答えは、ハンナ・アーレントの伝記ではなく、著作でこそ見つけられるのかもしれない。

Posted byブクログ

2017/10/30

ハンナ・アーレントに興味を持ったのは映画を見たからかもしれないけれど、この間100分de名著の仲正昌樹先生の本も一気に読み終わって、原本に行く前にこの本を読んでみた。めちゃくちゃ面白い。 考えたのはワタシが人間であることと日本人であることは同義なのか違うのかってこと。あと、人種を...

ハンナ・アーレントに興味を持ったのは映画を見たからかもしれないけれど、この間100分de名著の仲正昌樹先生の本も一気に読み終わって、原本に行く前にこの本を読んでみた。めちゃくちゃ面白い。 考えたのはワタシが人間であることと日本人であることは同義なのか違うのかってこと。あと、人種を最近やたらと感じることが多くてそういうことについても考えた。複数性の大切さ。全体主義に向かう恐ろしさ。 例えば、もしも地球上では人種間での争い事があったとしても月に行ってまで国家にこだわる必要性はあるのかどうかとか考えてしまった。何かを誰かを排除して出来上がる正義は本当の正義なんかじゃなくてまやかしなのではと思う。 複数性で色んな意見を大切にしないとみんなが同じ方向へ向いてしまった時に間違っていることに間違っていると言えるようにすることの大切さとか考えてしまう。 次は『今こそアーレントを読み直す』を読んでそれから原本へ行きます。

Posted byブクログ

2017/06/11

全体主義と対決し公共性を問い続けたハンナ・アーレント。ユダヤ人としての出自を持ちながら、それにとらわれない。事実のみを見つめ続ける彼女の視線は厳しい。 「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、公的生活のなかで命令に服従することは、組織や権威を「支持」することだという。「事なかれ...

全体主義と対決し公共性を問い続けたハンナ・アーレント。ユダヤ人としての出自を持ちながら、それにとらわれない。事実のみを見つめ続ける彼女の視線は厳しい。 「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、公的生活のなかで命令に服従することは、組織や権威を「支持」することだという。「事なかれ」を許さないわけだ。 自分が情けない。

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2017/04/30

気になる著者、著書があると、入門書とか、ガイドブックみたいなのに頼らず、まずは原著(もちろん翻訳のね)を読む。分かろうが、分かるまいが、とりあえず1〜2冊読んで、自分なりに理解した感じをもって、ちょっと「入門」を読んでみる、というのが、自分の読書スタイルかな? 本はそれ自体が一...

気になる著者、著書があると、入門書とか、ガイドブックみたいなのに頼らず、まずは原著(もちろん翻訳のね)を読む。分かろうが、分かるまいが、とりあえず1〜2冊読んで、自分なりに理解した感じをもって、ちょっと「入門」を読んでみる、というのが、自分の読書スタイルかな? 本はそれ自体が一つの世界で、「人とその思想」みたいに読むのではなくて、テクストとして何が書かれているのか、ということにフォーカスすべし、みたいな考えも結構染み付いている。 ということで、アーレントも、そのパターンで、原著と悪戦苦闘中。 一応、最後までたどり着いたのは、「暴力について」「イェルサレムのアイヒマン」で、主著(?)の「活動的生」と「革命について」は、半分くらいで、先に進めなくなっている。「全体主義の起源」にいたっては、最初の20ページくらいで挫折。 ものすごく難しいという感じでもなくて、一行一行は読めるし、パラグラフもいくつかは読める。読めるだけではなくて、かなり共感を感じる。もしかしたら、この人は、わたしが疑問に思っている問いへの答えをもっているのではないか?と期待を感じる。 が、ページを繰っているうちに、だんだん話しが分からなくなってしまう。 結局、結論はなんなの? どこに行こうとしているの? みたいな感じ。 というなか、行き詰まりを解消すべく、分かり易そうなこの新書を手にしてみる。 まさに「人とその思考」というより、「人」にかなりフォーカスした本で、すごく読みやすいですね。 これを読むと、アーレントの思想は、かなり彼女の人生に起きたことを知らずしては理解できないものだったんだという気がしてくる。 というのは、わたし的には「邪道」なんだけど、アーレントについては、著書で完結する人ではない。むしろ、彼女の人生そのものが、彼女の作品だったのだ、という気がしてきた。 と言っても、彼女は行動の人ではなくて、思考の人。 でも、その思考というのが、抽象論、演繹法ではなくて、具体的な経験から、自前のツールをその場その場で作りながら、行きつ戻りつ、考える感じなんだよね。そして、その思考は、具体的な言動と一致している。しばしば、かなり過剰な感じで。。。 という人なので、彼女の本を読んで、すっきり理解ができる、ということにもともとならないということが分かった感じ。 彼女の場合、書簡集も結構膨大なものがあるのだが、もしかすると、彼女の人生という作品、つまり彼女がリアルに他者との関係を大切にしながら生きたというのは、そこに残されているのかも、とか思い始めた。 う〜ん、どこまで読めばいいのかな? と悩むほど、アーレントを魅力的に感じた。

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2017/01/29

ハンナの全体像が理解される、ガイドブック。哲学・政治哲学をコアにして歴史や論理・倫理とかなりの分野に及ぶ思想家である。「イスラエルのアイヒマン」で、ユダヤ虐殺がユダヤ人協会の協力で行われたこと、ドイツ国内の反ナチ運動は非力であったこと、アイヒマンは凡庸な公務員である・・・。状況や...

ハンナの全体像が理解される、ガイドブック。哲学・政治哲学をコアにして歴史や論理・倫理とかなりの分野に及ぶ思想家である。「イスラエルのアイヒマン」で、ユダヤ虐殺がユダヤ人協会の協力で行われたこと、ドイツ国内の反ナチ運動は非力であったこと、アイヒマンは凡庸な公務員である・・・。状況や雰囲気を超えて、主体的個人として、本質を抉るべく、考え・洞察する迫力には圧倒される。

Posted byブクログ

2016/12/26

ハンナ・アーレントの評伝。奇をてらうことなく、時系列に沿ってアーレントの生涯と思想をわかりやすく説明してくれている。思想内容の説明がやや手薄な印象はあるが、まずはこの本でアーレントの人となりを知った上で、他の本にあたった方が理解が深まるような気がする。

Posted byブクログ

2016/12/24
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

2012年刊。著者はフェリス女学院大学国際交流学部教授。  ハンナ・アーレントは、主著「全体主義の起源」でナチス的ファシズムに鋭い分析のメスを入れる一方、イスラエルでの「アイヒマン裁判」傍聴録では、自身ユダヤ人でありながら、ナチ協力のユダヤ人への批判に加え、「アウシュビッツ」でのアイヒマンの歯車的役割を開陳して見せた人物でもある。  本書は、ユダヤ人にありがちなジプシー的放浪遍歴を重ねた、異色の政治哲学者の評伝である。  異色、すなわち伝統的・主流的枠組みに囚われない着想と、該発想に忠実で、学者の良心のみに従った生き方は間違いなく長所だ。  それゆえに、一般に不倶戴天の敵と看做されてきたナチ・独とスタ・ソとの構造的類似という独自の主張を展開したり、民族や国民という枠組みを超えた視座(ユダヤ人も色々、ドイツ人も色々)、あるいはあるテーマで独特の立ち位置(米国の公民権運動には非暴力という枠の中で賛成したものの、子供が差別反対運動の矢面に立ちかねない義務教育機関での統合教育には暫時反対の姿勢など)を保持してきた。  それは、ユダヤ系ドイツ人として、独国内(ユダヤ人だから)は勿論、亡命先の仏にても否定的目線に曝された(独人だから)という特異な経験に由来する。  かような指摘に加え、しかも、ハンナの着想が自身の経験に多くを拠っている点も読み解けそうだ。  ただ、逆に経験に由来しているが故に、1933年に離独したハンナに「アウシュビッツ」的実態を感得できたか。そのために生じた脇の甘い書き様がユダヤ人社会に加え、多くの友人を敵にした面はないではない(裸の王様に「お前は裸だ」と衒いもなく言われたら、恥辱等で当人の怒りを買うのは必然である)。  また、経験由来の論は普遍性を保持しにくいが、叙述と視点の巧みさがハンナを支えたのだろう。そんな読後感。何にせよ「全体主義…」を読破してからだなぁ、と感じたところ。  ところで、アイヒマン裁判でのアイヒマンの言動。それは、自らをしてゲシュタポにおける歯車の役割に徹していたことを強調したものである。  しかし、もちろんこの陳述が、アイヒマンの真の姿かは判らない。すなわち、極刑を免れる法廷戦術として、歯車であることを強調する選択をした可能性があるのだ。  ハンナはアイヒマンのその法廷での言動に頼って叙述を組み立てている可能性があり、ならば、却って物事の実体を見誤った可能性も残る。  もっとも、仮に歯車の役割に徹していたとしてもそれだけで法的責任が大幅に軽くなるわけでもないだろうが…。もとより、道義的責任が減弱し、結果、大衆からの非難可能性も減弱するかもしれないが。

Posted byブクログ

2016/11/19

この激烈なユダヤ人女性については、詳しく知らなかった。 読了後、知らなかったことを恥じた。 ユダヤ人弾圧、ドイツからの国外脱出、新天地アメリカでの過酷な生活、そして故国へ戻れば同胞から裏切り者と罵られる。 それでも、ブレぬ生き方と思想。 これからまだまだ彼女について知りたい...

この激烈なユダヤ人女性については、詳しく知らなかった。 読了後、知らなかったことを恥じた。 ユダヤ人弾圧、ドイツからの国外脱出、新天地アメリカでの過酷な生活、そして故国へ戻れば同胞から裏切り者と罵られる。 それでも、ブレぬ生き方と思想。 これからまだまだ彼女について知りたいことがある。 まずはこれが入門である。

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2016/11/16

映画「ハンナ・アーレント」で初めて彼女の存在を知った。 かなり感銘したので、その時に買っていたのですが、しばらく積読状態であった本書を手に取って読み始めた。    あの時代に  このような思索者がいた  あの時代に  その思索者がここまで批難にさらされた  あの時代に  その思索...

映画「ハンナ・アーレント」で初めて彼女の存在を知った。 かなり感銘したので、その時に買っていたのですが、しばらく積読状態であった本書を手に取って読み始めた。    あの時代に  このような思索者がいた  あの時代に  その思索者がここまで批難にさらされた  あの時代に  その思索者を支えた人がいた  あの時代に  それでも生き抜いた思索者がいた もし 池田晶子さんが あの時代に生きていたら どんな風に 思索していただろう どんなことを 発していただろう と 思った       

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2018/11/25

悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る。 今でも、人類が引き起こす、ジェノサイトとは特別な何かではなく、普段の我々の横に寄り添う、思考停止の症状でしかない…

Posted byブクログ