読書について の商品レビュー
"良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから" この一文に感じるものがあればオススメ。私の読書法を大きく変えた本の1つ。時々読み返している。 訳者のあとがきに(だったかな?)出てきた 「共苦」 ...
"良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから" この一文に感じるものがあればオススメ。私の読書法を大きく変えた本の1つ。時々読み返している。 訳者のあとがきに(だったかな?)出てきた 「共苦」 も、なにかグッと来るものがあった。
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ショーペンハウアーより少し年上の哲学者が「読書して考えないのは食事をして消化しないのと同じである」と言っている。そうなんだよな。数読むことは確かに必要だけど、読んだものを身にしてこそなんだよな。などと思いましたとさ。
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明快な語り口が鮮やかで読みやすい。その明快さこそ真に求められるべきものであると語る。痛烈な批判と金言に満ちた、読書家にとっては耳が痛くなるような三篇でした
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第2章の著述と文体の後半は読み飛ばして問題無いと思う 前半部分では評論雑誌や金のために書く者への批判が書かれていて、ここは良いのだが 後半部分ではドイツ作家の言葉の乱れを指摘しており、多くの横文字が並び非常に難解であった
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読書と叙述の作法。世の本の9割は糞だとか、本を沢山読むだけの奴は何も産み出す能力が無いだとか、ヘーゲルは馬鹿だとか(イミフのことばかり書いていると)、おっさんの罵倒芸炸裂。しかし皮肉の中に愛嬌があって憎めない。内容自体は全人類必読レベル。 本の末尾にショーペンハウアーの略歴が載...
読書と叙述の作法。世の本の9割は糞だとか、本を沢山読むだけの奴は何も産み出す能力が無いだとか、ヘーゲルは馬鹿だとか(イミフのことばかり書いていると)、おっさんの罵倒芸炸裂。しかし皮肉の中に愛嬌があって憎めない。内容自体は全人類必読レベル。 本の末尾にショーペンハウアーの略歴が載っていたので、著作をピックアップしてみた。「視覚と色彩について」「意志と表象としての世界」「自然における意志について」「余録と補遺」…72歳まで生きてたった4冊。分厚い本ばかりとはいえ、彼の美学を感じる。この姿勢の対極が中谷彰宏だろう。
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本を読むことが好きな人間で、この短小篇に凝縮されたショーペンハウアーの言葉に耳が痛くならない人はいないと思う。厳選された、価値ある書を取捨選択することを覚えなければ、その文化そのものが衰退する。正しい言葉を使い、良書を見極めることが、教養ある人間の責務だと。 文中ショーペンハウア...
本を読むことが好きな人間で、この短小篇に凝縮されたショーペンハウアーの言葉に耳が痛くならない人はいないと思う。厳選された、価値ある書を取捨選択することを覚えなければ、その文化そのものが衰退する。正しい言葉を使い、良書を見極めることが、教養ある人間の責務だと。 文中ショーペンハウアーは、現代社会は生活のスピードが上がり、情報量が増しているのだから、こうした手を打たないわけにいかぬと論じているわけだけれど、ここで言う現代は今より100年以上も過去なのだ。この書は時代を超えて読まれ続けるだろうけれども、時流の大勢は常に彼の主張と反対に進んでいるし、その傾向は悪化している。古典、名作を読み継ぐことの重要性を、ここまで痛切に思い知ったのは初めてだった。
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そんなに岩波文庫との違いは感じなかったけど、罵詈雑言が特徴的。なんかの新訳でもそう思った記憶。そこに時代性がよく表れるのかな。
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読書法を身につけようと思いつつも、 その手の本がいまいち受け付けられず、それでも買った本。 内容としては、読書法については3分の1ぐらいの量で、 残りの3分の2は書き方について記されていると思う。 読書法というよりも、情報の取り入れ方、といった意味合いだと思うし 書き方というよ...
読書法を身につけようと思いつつも、 その手の本がいまいち受け付けられず、それでも買った本。 内容としては、読書法については3分の1ぐらいの量で、 残りの3分の2は書き方について記されていると思う。 読書法というよりも、情報の取り入れ方、といった意味合いだと思うし 書き方というよりも、取り入れた情報をもとにした生き方、といった 意味合いだと思う。これらの具体的な意味合いをもとにして、 読書とのつきあいかたを、この本ではわりと痛烈な文体で読んでいける。 私がこの本から受け取ったメッセージとしては、 読書だけで生きていけると思うなよ、というものだ。 ただ読んだだけで、ただ量を多く読んだだけで、だから何? それでお前は何が出来るの? 何をするの? という風に、読書なんてものは、あくまでも人の書いた文章を 読んだだけであって、自分からは何にも生み出せていない、 という点を突きつけられたように思う。 さらに、世に溢れる本や、もしくは文章を軸にした情報媒体は 適当な単語と文体と文法で書かれている、読むに値しない文章ばかりだ、 とさえ批判する内容も多い。同じような意味の単語を、しかし微妙なところで 差異のある単語同士を、みだりに扱い、言葉を乱用していると批判している。 そんな批判がつらつらと続く内容に、ちょっと耐えて読み続ける必要がある。 読書について読みたかったのに、なぜ言葉の使い方に関する痛烈な批判や 注意を促されなくてはならないのか…というように、耐えて読むしかない。 しかし、書き方の批判は、書く側になったときに その痛烈さと難しさが身にしみて感じるようになる。 というのも、自分もまた、ただ文章を読んで感動しているようだけど それは実際には、その誰かの文章や思考を反芻しているだけに過ぎないからだ。 「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。 自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」 この一言が、自分の考えを文字に乗せて表現しようとしたとき、 一気に重く辛く感じるようになる。 読むだけでは、何かを得ているように感じる。 しかし、何かを成し遂げてはいない。 そのことをきつく指摘されたと思う。 本を読み、感想を持ったり、批判をしたりするのは、すごく楽だ。 そこがひるがえって、文章を書く立場になると、まるで筆が進まなかったり、 ちゃんとした日本語を扱えているかどうか不安になったりする。 それは結局のところ、本を読んで得たものがあっても、 しっかりと自分のものに出来ていない証拠だと思った。 自分で何らかの形に仕上げ直せて、それで初めて、 読書を活かせたことになるのだと、改めて思い直させてくれた。 本を読むことを、いろんな視点や面から考えさせてくれる本でした。 本ばかり読んでる人や、読書さえあれば! という人は 読んでみると面白いかも。いずれにしても、読書から何かを得るだけに満足せず 何かを成し遂げないと、著者の批判先になってしまいますが。
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ショーペンハウエルの読書についての本。 どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、よほど数冊で、きちんと整理されている蔵書のはおうが、ずっと役に立つ。 古典を読もう。 大事な本は2回読もう。
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出版されている9割は悪書だと言い、評論者もそういうことをきちんと言えない輩ばかりだと罵る。 また、言葉の乱れにも提言。 読書好きなので「読書について」との題名の本は、ほっておけなくて手に取る。古い感覚だなと思いながら読むが、1800年代のものとは。ここまではっきり、バッサリの論...
出版されている9割は悪書だと言い、評論者もそういうことをきちんと言えない輩ばかりだと罵る。 また、言葉の乱れにも提言。 読書好きなので「読書について」との題名の本は、ほっておけなくて手に取る。古い感覚だなと思いながら読むが、1800年代のものとは。ここまではっきり、バッサリの論調は、珍しく、逆に懐かしいと思う。そんな前の話とは思えなく、驚きはするが現代人の私の感覚とは合わず、共感しずらい。むしろ訳者が、なぜ今本書を訳して出した?と疑問を感じる。 著者の下記には共感。 読書するとは、自分で物を考えず、代わりに他人に考えてもらうことなので、楽だが怠惰な時間。
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