読書について の商品レビュー
「自分の頭で考える」、「読書について」という2つのタイトルに興味を惹かれ手に取りました。 「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること」というフレーズが衝撃でした。 確かに目的がなくただ読むだけでは「ふ〜ん」で終わってしまい、自分のものになりません。 なので、「本を読ん...
「自分の頭で考える」、「読書について」という2つのタイトルに興味を惹かれ手に取りました。 「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えること」というフレーズが衝撃でした。 確かに目的がなくただ読むだけでは「ふ〜ん」で終わってしまい、自分のものになりません。 なので、「本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけ」という考えには納得です。 「反復は勉学の母である」、「重要な本はどれもみな、続けて二度読むべき」を心がけていこうと思います。
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「頭の中は本の山 永遠に読み続ける 悟ることなく」 「父祖の残したものを完全に自分のものにするにら自ら獲得しなさい」 「誰だって、判断するより、むしろ信じたい」 耳が痛い、、 ただの多読は脳のビッグデータにはなるから、鵜呑みにはせず、ただ、思考の補佐だということも忘れずに
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『読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思考の手綱を他人にゆだねることだ』 『多読に走ると精神のしなやかさが奪われる』 なかなか厳しい言葉で紡がれたこの本は、粗悪な文字書きや多読をする者、乱れた文体を使う者たちをばっさばっさと斬りまくる。 それと同時に筆者のショーペ...
『読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思考の手綱を他人にゆだねることだ』 『多読に走ると精神のしなやかさが奪われる』 なかなか厳しい言葉で紡がれたこの本は、粗悪な文字書きや多読をする者、乱れた文体を使う者たちをばっさばっさと斬りまくる。 それと同時に筆者のショーペンハウアーは本当に本を、文章を愛していたんだな、と。 この本が生み出されて二百年。”書くこと”はより身近になり、それを”発信する”人も爆発的に増えた。 この世に溢れかえる文章たちに、彼は何を感じるだろう。
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母国語を正しく使うことの難しさを痛感した。 先生によると、何も難しい言葉を連ねることが正しい日本語ではないようで、解りやすく、簡潔に、丁寧で美しい文字数を省かず、かといって長すぎず説く。 難しい言葉を連ねると「気取った三文文士」風になるという。 母国語の大切さ、大切にしようと努力...
母国語を正しく使うことの難しさを痛感した。 先生によると、何も難しい言葉を連ねることが正しい日本語ではないようで、解りやすく、簡潔に、丁寧で美しい文字数を省かず、かといって長すぎず説く。 難しい言葉を連ねると「気取った三文文士」風になるという。 母国語の大切さ、大切にしようと努力を努める姿勢にも書かれている。 また、ホラー小説や犯罪小説が蔓延する中で道徳的観念と同時に本人が持つ知性や精神をそこなってしまうことにも警鐘を鳴らしている。 誰もが発言できるSNSや匿名の書籍にて、母国語を正しく使えていない人達に怒りの鉄槌を下す。 そして、その正しく美しい母国語の中に己の中の思想や哲学を語ることを説くが、簡単そうに響くがなんと難しいことか! その為に、立ち止まりじっくり自分の頭で考えて判断を下し、初めて発信できる。 読む専門、物書き志望の方はもちろん、本好きなら一読するべきではないかと思う。 知性を愛し、言葉を愛する先生の言葉はぐさりと刺さり、学ぶこともかなりあった。 読んで良かったと心から思えた本。
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【読了直後のコメント】 ディスり具合が痛快 タイトルから、読書の仕方の指南書かと思ったが、ショーペンハウアー先生が、その当時の「今どきの出版物の業界や言葉の乱れはなっとらん!!!」という怒りを筆に任せて書き連ねた力作。 ドイツディスり激しい(笑)(笑)(笑) 訳者あとがきにもある通り、現代日本も同様なので、今も昔も世界も日本も変わらんなと。 われこそは正統派という思いがあって、流行り物見てストレス溜まってんだなーってかんじ。 ショーペンハウアーとゲーテは同じ時代の人なんだなー。 【きっかけ】 Kindleを耳読書した「自己肯定感を上げる OUTPUT読書術」のアバタローさんが「読んでみては」といっていたのが聞こえた。短いし読みやすいのでと言っていたような。短いはともかく、読みやすいか? アバタローさんみたいに早稲田文学部卒業だと読みやすいのかもしれない。 【目的】 身になる読書をたくさんしたいのでノウハウを知りたい 【Amazon Kindle 耳読書】 【要再読】 耳読書なので実践に移すには必要箇所を精読 耳読書、細々したところはまったく頭に入っていない。とりあえず流した感じ。 【読了後の内容メモ】 ・読書は他人の思考なのでよろしくない(読書否定派かっ。基礎知識がないと思索はできないだろうから、勉強は否定してないと思う。思想家や学者が他人の思考で飯を食って偉そうなのが気に食わないということだろう) ・肝心なことが言えるほどの能力がないのに偉そうに見せるために薄っぺらい文章をこねくり回し、それを称賛する読者がいることへの嘆き。 ・ 文法の乱れへの嘆き怒り、嘆き(事例を上げて細々説明してくださっているが、外来語わからんので雰囲気だけ聞きました。私も日本語警察なところがあるので、お怒りはよく分かる。) ・古典は良い。新しい本は他人の思考をこねくり回した薄っぺらい本なのに、読者はそれをもてはやすのでムカつく ・売文業、偉く見られたいための文章を軽蔑。 ・こっちは名前出して文章書いて出してるのに、匿名の読者が批判してくるのムカつく ・偉そうに見せるために、読者がわからない言葉を使うことへの批判。言いたいことは普通の言葉で話せ by シェークスピア(学者さんや専門家が普通の人に伝えるときには専門用語で話すなと、よく言われますね) ・良い本はすぐ2回目を読むべき。2回目は結末がわかっているので導入部の工夫などを新たな視点で読める ・(KindleをAlexaアプリ/Androidで読み上げさせると、「神のみぞ知る」が「神の味噌汁」に聞こえるのでクスッとなる)
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なじめなかったー 「正しい文章」も大事だと思うけど、言葉や表現のゆらぎを楽しむのも読書の楽しみのひとつなのではないかなと個人的には思います。もちろん、言葉への正しい理解の上に立つという前提がありますが。 「多読に走らない」とか、「本は食物のようなもの」という考え方には共感でき...
なじめなかったー 「正しい文章」も大事だと思うけど、言葉や表現のゆらぎを楽しむのも読書の楽しみのひとつなのではないかなと個人的には思います。もちろん、言葉への正しい理解の上に立つという前提がありますが。 「多読に走らない」とか、「本は食物のようなもの」という考え方には共感できました。
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(全ページ読破した書籍のみ、減点方式でレビューを投稿しています) 哲学者のショーペンハウアー大先生が、読書について(主に警鐘を鳴らす目的で)著述した本。 読書を “自分の思索の手綱を他人にゆだねること” とし、 多読を “たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人...
(全ページ読破した書籍のみ、減点方式でレビューを投稿しています) 哲学者のショーペンハウアー大先生が、読書について(主に警鐘を鳴らす目的で)著述した本。 読書を “自分の思索の手綱を他人にゆだねること” とし、 多読を “たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人” と否定し、 新刊書の著者を “陳腐で底の浅いもの” と断ずる。 いやいや、そこまでボコボコにしなくても。 そうは思うものの、論理は簡明かつ簡潔で切れ味が鋭く、最後の「訳者あとがき」で訳者が言うところの「ハハーッ、ごもっともでございます」と完全に気持ちが一致しすぎて笑ってしまいました。 ただ言葉の端々に憎悪のようなものが滲み出ており、お説教というより憂さ晴らしのように見える部分もしばしば。 訳者解説でショーペンハウアーが自分の自信作を評価されなかったことや、本人がかなりプライドが高い人種であったことが記載してあり、腑に落ちました。 恐らく、彼の生きた時代は「人々が新書に群がり、多読に走る一方で、自分の本は売れない」という状況だった環境だったのだろうな、と気の毒には思いましたが、 単純に言葉遣いが汚いと感じたので、星を一つ減らしました。 読書を意味のあるものにするためにも、自戒を込めて何度も読み返したい本でした。
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初ショペンハウアー!読書についていろんな考え方を知りたく、小林秀雄の「読書について」に続いて読んだ読書、哲学に関して述べられた本。これを機にほかのショペンハウアーの本も読んでみたくなった! 著者は、文体や体裁のような「読みやすさ」から、作者の思想や思索の深さまで含めた様々な観点から良書/悪書とは何か、をはっきりと主張している。伝わりにくい文章や、よく練られていない内容を出版する作家を痛烈に批判しており、これまで以上に読んだ本に対して、評価する(その本を読むことに使った時間の価値を考える)ことができそうだ。 これまではほとんど評価することはなく、自分にとっての新情報が発見できればいいや、くらいに考えていた。 また、多読についても厳しい意見を述べている。本を読むことで「考える」ことを放棄するのはいかがなものかということである。興味深かった! ただ私は、良書を見極めるための眼を養うためには、一定期間、多読に挑戦しても良いのではないかと思う。著者が言いたいことはきっと、読書を自己研鑽の手段として位置付けているにもかかわらず、読書そのものが目的化している人への批判なんだと思うが。 著者に考え抜かれた「読書とは」は、何度も読み返して咀嚼したいフレーズがたくさんあったので、ぜひ購入したい。(基本図書館で借りる人間) P106 ・いい加減に書く人は、初めから自分の思想に大きな価値を置いていないと告白するようなものだ。というのも、自分の思想がいかに重要で真理を含んでいるか確認していれば、情熱がおのずからわき起こる。その情熱は、倦まずたゆまず、最も明瞭で美しい力強い表現を追求するのに欠かせぬものであり、一般の人なら聖遺物や計り知れない価値のある芸術品、金銀の器に対してのみ沸き起こるものだろう。 P138 ・無知は人間の品格を落とす。しかし品格の下落がはじめるのは、無知な人間が金持ちになったときだ。貧しければ、貧苦が枷となり、仕事が知識の肩代わりをし、頭は仕事のことでいっぱいだ。これに対して無知な金持ちは、ただ情欲にふけり、日ごろ目にする家畜と同じだ。さらにそうした連中は富と暇を、もっとも価値あるものに活用しなかったという非難がくわわる P138 ・読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。(中略)したがって読書をしていると、ものを考える活動は大部分、棚上げされる。自分の頭で考える営みをはなれて、読書にうつると、ほっとするのはそのためだ。 P141 ・作家には説得力、イメージの豊かさ、比喩の才能、大胆さ、辛辣さ、簡潔化、優美さ、軽快な言い回し、さらにウィット、意表をつうコントラスト、簡にして要を得た表現、飾り気のなさなど、さまざまな特性がある。だがその作家の作品を読んだからと言って、そうした特性が私たちの身につくわけではない。しかし私たちが、そうした特性を素質として、ポテンシャルとして持っていれば、読書することでこれらを心に呼び起こし、自覚することができる。 P149 ・読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。(中略)身体が自分と同質のものしか吸収しないように、私たちはみな、自分が興味あるもの、つまり自分の思想体系や目的に合うものしか自分の中にとどめておけない。 ・重要な本はみな、続けて二度読むべきだ。二度目になると、内容のつながりがいっそうよくわかるし、結末がわかっていれば、出だしをいっそう正しく理解できるからだ。また二度目になると、どの箇所も一度目とはちがうムード、ちがう気分で読むので、あたかも同じ対象をちがう証明のもとで見るように、印象も変わってくるからだ。
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「本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。」 「読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。」 本が沢山あろうとなかろうと、自分の時間は変わらない。そして、読んだ本を消化して自分の中に落とし込むのもま...
「本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。」 「読んだものをすべて覚えておきたがるのは、食べたものをみな身体にとどめておきたがるようなものだ。」 本が沢山あろうとなかろうと、自分の時間は変わらない。そして、読んだ本を消化して自分の中に落とし込むのもまた時間が必要である。読んだ本を忘れない、という人がすごいと思ってた。でも、大事なのは内容を覚えてるだけじゃなくて自分の中に取り入れること。自分の、思索体系に。 読めなくて苦労する本があっても、それは自分に間違いじゃないことがわかった。 前読んだ岡本太郎の本に「知識は積み上げるな、むしろ蹴飛ばしてしまえ」と書いてあったのはこういうことか、と思った。岡本太郎もショーペンハウアーに読みふけっていたそうだ。なんとなく、つながった。 『著述と文体について』ではドイツ語の乱れと金儲けのために物書きをする風潮を激しく批判しいる。ショーペンハウアーは言葉を非常に大切にしているのだと感じた。それゆえに考えなしに言葉を使うこと、もとより乱れた言葉を使うほど何も考えてないことを鋭く批判している。 自分の頭で考えろ。 哲学の先人に、言葉で殴られた気分になるほど目が覚める本だった。
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ショーペンハウアー「読書について」読了。3つ小論で編成されどれも参考になった。読書に関する事はもちろん文章を書くための明快な指摘が良かった。例えばタイトルはシンプルでわかりやすい事。生真面目なショーペンハウアー先生が愚痴を溢しながら説教してくれる様子が幾度となく思い浮かんだ。
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