わかりあえないことから の商品レビュー
発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。 私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。 でもこの本は「ま...
発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。 私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。 でもこの本は「まえがき」の4ページから、もう既に、どう考えても、良すぎて、早く「いい本!」って言いたくて仕方なくて、急いで急いで急いで読んだ。 書かれていることが、すっと刺さって、納得がいって、よく分からないけど、新書なのに読みながら涙が出て仕方なかった。 平田オリザさんの方法論は、国語の教科書にも取り入れられている。 本著は認知心理学の知見、演劇の経験、また大学での講義や小中高での出張コミュニケーション教育の体験などに根ざして書かれている。 筆者の「話し言葉」、特に「対話」(「会話」とは異なる)の言葉への感覚の鋭さは、プロとしか言いようがない。 たった230ページの平易な言葉で、これだけを語れることが、とにかく凄い。 言葉の教育に携わるなら、読んでみる価値のある本だと思う。 できるなら、高校生の自分に、この本を読ませてあげたかった。 第一章 コミュニケーション能力とは何か 第二章 喋らないという表現 第三章 ランダムをプログラミングする 第四章 冗長率を操作する 第五章 「対話」の言葉を作る 第六章 コンテクストの「ずれ」 第七章 コミュニケーションデザインという視点 第八章 協調性から社交性へ
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会話と対話。深い内容でした。 演劇の視点からコミュニケーションを考えると、いろんなことが見える。 深い深い一冊でした。
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「異文化理解能力」と「同調圧力」のダブルバインドにあってるのが今の日本で、「自分が自分でない感」とみんな向き合わないといけないのが今。 「みんなちがってたいへんだ」が、面白い。 うーん、うまくまとめれない、が面白い。
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コミュニケーション能力の根幹にあるものと、現代社会のコミュニケーションの弊害、またそれに関する教育のズレと改善法に視点を置いて論旨を展開している著書。 現代社会において求められる2つのコミュニケーション能力とは「異文化理解力」、「同調圧力に対する従順さ」と矛盾したものである。そこ...
コミュニケーション能力の根幹にあるものと、現代社会のコミュニケーションの弊害、またそれに関する教育のズレと改善法に視点を置いて論旨を展開している著書。 現代社会において求められる2つのコミュニケーション能力とは「異文化理解力」、「同調圧力に対する従順さ」と矛盾したものである。そこには日本文化のコンテクスト(文化的背景)が深く関わりがある。 コンテクストは各国・各人とも違うわけで、同じ言葉を発していてもその言葉に含まれている暗黙の意味というのも当然その人によって違ってくる。これがコミュニケーションのズレである。 そのズレを埋めるためにもコンテクストの理解とそこに対する共感を持たなければならない。
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素晴らしい。平易な文体ながらも示唆に富む内容。 コミュニケーションの質の向上は私のライフワークなので非常に参考になった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
苦笑させられる。理系のコミュニケーションでありがちなことを指摘される。作者は演劇出身の人、日本人に対話能力を訓練することを奨励している。対話と会話は違うらしい。女性には新しい言葉使いのコンセンサスが必要だと言う点、、なるほどと思う。女性が仕事上で上司になった時、部下にどう命じるか。女性は言葉の上で重圧がかかっていて、男勝りになったりしてしまうと言う。「コピーをとってください。」この指示一つにもバリエーションが生まれる。などなど。
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筆者が専門とする演劇の視点から論じられたコミュニケーション論。 コミュニケーションや演劇におけるノイズの大切さや、学校の授業はメチャクチャに教えた方がいい、という筆者の主張通り、この本はかなりメチャクチャに書いてある。だから読み終わった後に何だか釈然としない感覚が残ったのだが、何...
筆者が専門とする演劇の視点から論じられたコミュニケーション論。 コミュニケーションや演劇におけるノイズの大切さや、学校の授業はメチャクチャに教えた方がいい、という筆者の主張通り、この本はかなりメチャクチャに書いてある。だから読み終わった後に何だか釈然としない感覚が残ったのだが、何か感想書こうと思って後ろから読み返したときに、やっと筋が通った。他の本にも同じことが言えるかもしれないが、この本は最後から最初に向かって読むと分かりやすい。 「みんなちがって、たいへんだ」。日本は今、価値観や文化的な背景を異にする人々と、価値観はバラバラのままでどうにか上手くやらねばならない成熟社会であり、グローバル化のなかにある。 そんなときに役に立つのが、シンパシーからエンパシーへ、という考え方。相手の「役になりきる」のではなく、相手と自分の共有できる部分を拡大することで相手を理解するという方法。そして互いのコンテクストの「ずれ」を正しく理解するということ。 これを行う場が「対話」である。「会話」が「価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり」であるのに対し、「対話」は「あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換」。そして、「対話」は「会話」に比べて冗長率(一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係のない無駄な言葉が含まれているかを数値で表したもの)が高い。 結局、冗長率を時と場合によって操作している人(つまり会話と対話を使い分けられる人)こそが、コミュニケーション能力が高いとされる、というわけである。 だがこうした異文化理解能力もコミュニケーション能力として認められていながら、日本企業は「空気を読む」「和を乱さない」能力も同時に求めている。今、このダブルバインドの苦しさに立ち向かわなければならない、と締められる。 で、立ち向かうにはどうしたらいいのか。本書はここが弱い。「コミュニケーション能力」という便利ワードを解き明かそうとした努力はあるが、「グローバル」だの「権力」だの「価値観」だのとまた違う便利ワードで説明しようとして、結局答えから遠いところでウロウロしている印象がある。 話が大きくなってくると「本当か?」と疑問に思う部分も多い。ダブル・バインドが統合失調症や引きこもりを生む、という論や、日本は成長が止まった社会だから限られた富をいかに分配して持続可能な社会を作るかを考えた方がいい、という部分はかなり説得力に欠ける。 私は演劇についてはずぶの素人なので、小中学生、大学生対象のワークショップの話などは新鮮な驚きがあったが、全体としては物足りなさが残る。新書の限界か。
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内田樹、民主党周りの理想・「現場」主義者かよと思ってたが内容はそういうのにあまり毒されていなかった 物事を客観的、俯瞰的に見ることはかなり重要だと個人的に強く思うがそうでもない人が多いように思う 俺は自分の人生は他人ごとだと思っててミスなく生きよう、リスクはとりたくないとか思わず...
内田樹、民主党周りの理想・「現場」主義者かよと思ってたが内容はそういうのにあまり毒されていなかった 物事を客観的、俯瞰的に見ることはかなり重要だと個人的に強く思うがそうでもない人が多いように思う 俺は自分の人生は他人ごとだと思っててミスなく生きよう、リスクはとりたくないとか思わず、野次馬として面白おかしく生きていければ良いと思ってる これはやりすぎにしてもあまりにも自分の人生を自分の視点から見すぎているように思う そういう相対視において演劇が重要な役割を果たすというのはそのとおりだと思うし広がると良い 特に自意識を扱いかねがちで閉鎖的で同質的な世間に閉じ込められている学生にやらせるのは非常に良い どうせ大学生になったら寸劇を始めるようになるんだし(笑) コミュニケーションの可能性からではなく不可能性から立脚して考えるというのもそのとおりで、他人も自分も理解できるわけはない 当然 目新しさはないし、散漫なエッセイだけど学ぶところ多かった
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近年最もぼやっとしてることばといっても過言ではない「コミュニケーション」なることばについて、明確な指針を示した一冊。“空気を読む”が当たり前だった日本人だからこそ、ズレの認識、つまり「わかりあえないことから」はじめよう。という主張を、分かりやすい事例と平易な言葉とで示してくれた名...
近年最もぼやっとしてることばといっても過言ではない「コミュニケーション」なることばについて、明確な指針を示した一冊。“空気を読む”が当たり前だった日本人だからこそ、ズレの認識、つまり「わかりあえないことから」はじめよう。という主張を、分かりやすい事例と平易な言葉とで示してくれた名著。全日本人にオススメ。
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劇作家の平田オリザ氏が、自身の演劇教育の体験を通じて、コミュニケーションの難しさや奥深さについて考察している。この著者の本は何冊か読んでいるし、講演を聞きに行ったこともあるのだが、この本を読んでようやく彼の立ち位置がハッキリ分かった。実にまっとうな考えの持ち主である(今までかなり...
劇作家の平田オリザ氏が、自身の演劇教育の体験を通じて、コミュニケーションの難しさや奥深さについて考察している。この著者の本は何冊か読んでいるし、講演を聞きに行ったこともあるのだが、この本を読んでようやく彼の立ち位置がハッキリ分かった。実にまっとうな考えの持ち主である(今までかなり誤解していた)。コミュニケーション能力とは、会話の「冗長率」を自在に操る能力であるとする著者の主張は、私にとって目からウロコであった。コミュニケーションの齟齬は、言葉には表れない背景知識の些細な違いから生じるというのも経験的に頷ける。 さらに、著者は以下のように主張する。日本では、伝統的に、言葉を尽くさず「分かり合う」「察し合う」文化が育まれてきた。しかし、このようなコミュニケーションスタイルを持つ国は世界では少数派である。グローバル化が進行する世界において、自分たちが少数派であることは意識せざるを得ない。そもそも日本人の価値観も多様化しており、これまでのように察し合うようなことは難しくなりつつある。コミュニケーションのダブルバインドは、日本人の宿命である、と。 私は、国語の授業で「この時の主人公の気持ちは?」と問われても「そんなこと分かるわけない」としか思えなかったし、先生が「人の気持ちの分かる優しい子に・・・」なんて言い出したら気分が悪くなるような子供だった。本書で展開された国語教育・学校教育批判は、このような画一性の強制を批判するものであり、素直に拍手を送りたいと思う。もっとも、著者が一部の小学校で実験的に行っている新しい「表現教育」も、あまり受けてみたい気はしないのだが…。
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