わかりあえないことから の商品レビュー
感想をまとめようとして気づいたのだけど、ちょっと要約しにくい本だ。一貫した論旨があるわけではない。著者が前書きで述べている通り、あえて「ノイズ」の多い構成にしてあるからなんだろう。そしてそこに、そもそも「コミュニケーション」とはそういうものなのだという著者の考えを読み取ることがで...
感想をまとめようとして気づいたのだけど、ちょっと要約しにくい本だ。一貫した論旨があるわけではない。著者が前書きで述べている通り、あえて「ノイズ」の多い構成にしてあるからなんだろう。そしてそこに、そもそも「コミュニケーション」とはそういうものなのだという著者の考えを読み取ることができるように思った。私たちは、明快な要点のみを簡潔に伝え合って日々過ごしているわけではなく、むしろ言葉にされないこと、言葉にはならないものから、無意識に多くのことをやりとりしている。 何よりも小気味いいのは、「コミュニケーション教育」の意義を認め、実践もしているオリザさん自らが、コミュニケーション能力と呼ばれるものの大半はスキルやマナーの問題であると断言していることだ。 「口べたな子供が人格に問題があるわけではない。少しだけはっきりとものが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に過度な期待をしてはいけない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ」 だから、慣れればいいのだとオリザさんは言う。それだけのことなのだ、それ以上のものではないのだと。これにはまったく同感。なんだか大層なもののように思わせているのは誰だ。あいも変わらぬ若者バッシングの一つに「コミュニケーション能力がない」というのがあるけれど、そう言いつのる人(主に中高年男性)がいったいどれだけ豊かな表現を行っているのか? 今の若者たちは、一方で自分の意見をはっきり言うことを求められ、一方で、空気を読み場を乱さないことを求められるダブルバインドの状況にある、という指摘にも深く頷く。就活に苦闘する若者たちに是非読んでほしいなあと思う。 一番心に残ったのは、著者の日本語への思いの深さだ。 「およそ、どの近代国家も、国民国家を作る過程で、言語を統一し、ただ統一するだけではなく、一つの言葉で政治を語り、哲学を語り、連隊を動かし、ラブレターを書き、裁判を起こし、大学の授業ができるようにその『国語』を育てていく」 日本では非常に短期間でそれが行われたために、積み残してきてしまったものがあり、その一つが対等な「対話」の言葉だとオリザさんは言う。それは、私たち自身が時間と手間をかけて、小石を積むように、日々の言葉から築いていかなくてはならないものだ。あらためて、言葉を大事にしようと心に刻む。 タイトルに込められた思いが最後のほうで述べられている。静かにかみしめる。 「人びとはバラバラなままで生きていく。価値観は多様化する。ライフスタイルは様々になる。それは悪いことではないだろう。日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。 この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている。 人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」
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朝日新聞(2013年4月21日読書面)で紹介されていて気になったので、図書館で借りた 戯曲家・演出家である著者による、コミュニケーション論 まず現代の日本社会におけるコミュニケーションの問題(ダブルバインド:二重拘束)を指摘され、そうなんだよなぁ、と納得して、引き込まれた 外国...
朝日新聞(2013年4月21日読書面)で紹介されていて気になったので、図書館で借りた 戯曲家・演出家である著者による、コミュニケーション論 まず現代の日本社会におけるコミュニケーションの問題(ダブルバインド:二重拘束)を指摘され、そうなんだよなぁ、と納得して、引き込まれた 外国や身近な例が多用されていて、とても読みやすく楽しい 冗長率や対話・会話・対論の違い、コンテクストのずれなど、初めて知ったけれど、なるほどと思うところが多い 確かに、島国である日本人には、これからは、協調性より社交性が重視される わたしたちはわかりあえない 演じ分け・すり合わせ上等、わかりあえないことからはじめよう
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目から鱗に感じられた。 これからの日本が迎える多様性の社会に向けて、どう対応していくのか? 英語教育も大事だけど、ほんとに大切な教育ってここに書いてあることなんじゃないかな。とても読みやすく気が向いたらちょくちょく開きたい。
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相手が何を言わんとしているのか。文脈に隠された言葉の真意を読むのは日本人が美徳とするところである。しかし個々に違った人間である。コミュニケーションにズレが生じることがあって当たり前。重要なのは、わかりあえないことを前提にそのズレをどう埋めるかである。日常のコミュニケーションでも実...
相手が何を言わんとしているのか。文脈に隠された言葉の真意を読むのは日本人が美徳とするところである。しかし個々に違った人間である。コミュニケーションにズレが生じることがあって当たり前。重要なのは、わかりあえないことを前提にそのズレをどう埋めるかである。日常のコミュニケーションでも実践したい。また、本当の自分なんてものは存在せず、人間は家庭、社会においてそれぞれの役割を演じているとする著者の主張は、平野啓一郎さんが『私とは何か』で提唱する「分人」という考え方と重なる部分を感じ、興味深く読んだ。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
名著です。久しぶりにスカッとした。 あえて、明文化しなかった言葉がどのページからもあふれている。書いた人も素敵だが、編集した人も頭よくて素敵だ。 あ〜気持ちよい。この本は手元においておきたい。 特に自国の文化と違う他国にすむ人が感じているダブルバインド感かもしれない。 あえて、それは東京に住む宮古人も含むんだけど。 くだらないことだけど、どれも自分に置き換えて考えてみるとよくわかる。 私が直感的に感嘆した言葉を羅列。 p15 企業がもとめるコミュニケーション能力は完全にダブルバインド(二重拘束)の状態にある。 p28 コミュニケーション問題の顕在化、コミュニケーション能力の多様化 p60 子どもたちの「伝えたい」という気持ちを重視するなら、このような科目分けは意味をなさない。 p77 冗長率を操作する p105 対話の基礎体力 p181 その声なき声の中からコンテクストをくみとらなければならない p183 社会的弱者と言語的弱者は、ほぼ等しい p197 シンパシーからエンパシーへ 同一性から共有性へ p205 協調性から社会性へ p216 みんなちがって大変だ p222 今の社会では、漱石や鴎外が背負った十字架を、日本人が等しく背負わなければならない 先日、奇しくも有島武郎の本を読んでいて、感じたことの答えが書いてあった気がした。有島武郎はあの時代に少なかったかもしれないけど、今は多くの人が直面しているのではないかな。 そして、私が彼に感じた弱さはそのp222のくだりに内包されていると思う。 こういう本を読むと、ひとつひとつ「ここはああで、ここはこうで」と書きたくなる。 でも、その気持ちを抑えて、自分の仕事をしようと励まされる。 言葉の力って、まるで追い風みたいなもんだ。だからこそ、こんなに執着するんだと思う。
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なりふりかまわず「わかりあおう」「理解しよう」というのは他人に対しであっても自己に対してであっても限界がある。そもそも他人同士は最初からわかり合うことなど出来ないというところに共感できた。
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コミュニケーションとは何か深く考えさせられた。人は分かり合えるもの、からスタートする前提について考え直すことの出来た良書。
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なんせタイトル良い!! 「わかりあえない」と言う言葉は、一般的にネガティブな語かもしれない。 でも、みんな持っている背景(コンテクスト)が違うんだから、わかりあえなくて当たり前。 そう思うと、少し楽になるし、次にやるべきことも見えてくる。 話せば話すほど、接触すれば接触するほ...
なんせタイトル良い!! 「わかりあえない」と言う言葉は、一般的にネガティブな語かもしれない。 でも、みんな持っている背景(コンテクスト)が違うんだから、わかりあえなくて当たり前。 そう思うと、少し楽になるし、次にやるべきことも見えてくる。 話せば話すほど、接触すれば接触するほど、相手と自分との感覚のズレを感じる。 その時に、相手に対して拒否反応が出るかもしれないし、今までの自分を否定したくなるかもしれない。 答えは1つだと言う思いが、根底にあるからかもしれない。 それでも最近は、「みんな違ってていいんだ。」と、理屈でわかるようになって来た。 これからはその次の段階。 みんな違う、それは悪いことでは無い、けれどみんなが違うと一緒に生きていくのは大変だし、それでも一緒に生きていかなくてはいけない。 だから話し合って、意見をすり合わせて、共感できる点が見つかったら、そのことを喜ぼう! この本の主張はそんな感じ。 教育関係で働くものとして、この本は本当に読んで良かったと思う。
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昨今盛んに言われる「コミュニケーション」をめぐるエッセイ。自らの演劇活動やワークショップなどの経験から、今日本の学校教育に求められているものを問うている。(学校)教育に演劇的な知や手法を導入しようとする著者の熱意を強く感じた。本全体の基調はブレていないが、やや散漫な印象はある。あ...
昨今盛んに言われる「コミュニケーション」をめぐるエッセイ。自らの演劇活動やワークショップなどの経験から、今日本の学校教育に求められているものを問うている。(学校)教育に演劇的な知や手法を導入しようとする著者の熱意を強く感じた。本全体の基調はブレていないが、やや散漫な印象はある。あちこちで行った講演を集めたような感じである。 著者が語ろうとしていることの基調は、現在著者が所属している大阪大学の教育機関の名称に、集約的に表現されているように思われる。すなわち「コミュニケーション・デザイン」。生活文化や価値観が多様化した現代の日本社会において、コミュニケーションが実りあるものになるには、個々人の「コミュニケーション能力」向上にばかり目を奪われるのでなく、コミュニケーションしやすい環境とはどのようなものかに着目し、それをTPOに応じてデザインすることが重要である。そしてそのような環境デザインは、個々人だけでなく組織としても取り組むべき課題である、と。
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途中、「私とは何か」に似てる部分があった。私たちは、様々な人格を使い分けて生きている。 使い分けるというのは、唯一人間にできること。 なぜ、引きこもりなやなるのかという点と分かり合えないことから私たちはどうすべきかという点が参考になった。
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