わかりあえないことから の商品レビュー
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平田オリザの名は、駒場アゴラ劇場とともに大学時代に知ってはいたが、演劇と無縁の学生時代を過ごした私には、それ以上でもそれ以下でもなく、想田和弘の観察映画「演劇」で触れたのが初めてだった。 現代口語演劇の旗手である平田が国語教育に携わるなかで感じた問題意識が面白い。演劇が「参加型の国語教育」としての可能性があるというのは、よくわかるな。小学生の文化祭で、あの劇をやる時のテンションは、座って本読んでる国語の授業とは全く違う。ダンスだけが必修化され、相も変わらず夏休みの終わりに必ず残る「読書感想文」っていう構図をなんとかしないと、国語教育はどうしようもないんじゃないか?
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日本の教育者はマジメなのでコミュニケーション教育を人格教育だと混同し、そこに「コミュニケーション」という言葉に胡散臭さが漂うようになった。「コミュニケーションはそれ自体それぞれ独自の文化と呼べるもので、善し悪しではなくまして優劣ではない」それぞれの言葉には歴史性があり文化がある。何かが劣っているわけではなく不便なわけでもない。国際社会で日本のコミュニケーションの文化が少数派であることは自覚し、多数派の理屈を学んでいおいて損はない。演劇人はごく短い時間で表面的ではあるが他者とのコンテクストをすり合わせ、イメージを共有することができる。それが演劇の本質だ。エンパシーとは「わかりあえないこと」を前提に、分かりあえる部分を探って行く営みといい変えていい。この技術こそが今の日本社会、地域社会に必要なものなのではないかと考える
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移民により多文化国家が形成されている、アメリカや欧州をはじめ、排斥の動きが見られている。そこには「人種」や「宗教」といった、表向きに判別しやすい基準をもとにして区分けがなされている。 一方で日本ではそういった「目に見えやすい基準」はない。そのため、個性というものがより「見えにくく」なってきており、そのため「近頃の若者は~」となる。表面的には見えずらいから。 それは自分の周囲を見渡しても、明らかだ。 出世を目指すだけが価値観ではないし、当然同じ会社にいないことも当たり前。休日の過ごし方もいろいろ。もちろん、モーレツに働き出世を目指す人もいる。 つまり、既に「多文化社会」に生きているのだ。それも、欧米などに比べ不明確な。 こういった中を「生きていかざるを得ない」我々にとって、フィンランド・メソッドは非常に有益だ。 インプットや解釈は自由、しかしアウトプットはなにがしか統一したものを出す。 これが日本人は苦手な気がする。最近は比較的インプットや解釈に幅は持ててきているが、それをアウトプットに落とし込めない。そのため、結局は「安易なアウトプット」が出てきしまう。ここの理由は、結局のところアウトプットを最終的に判断する層が、インプットを無視してアウトプットを出そうとするからだろう。自分が既に持っている知識をベースに。 IDEOという会社の会議、これが参考になるのではないか。何にせよ、容易なアウトプットをスピードやずぶずぶの人間関係だけでビジネスをやっていける時代ではない。バラバラな人間関係の中で評価されるのは、良質なアウトプットにある。これには集団での合意形成が欠かせない。一人の天才(ごくまれな人を除く)だけでは、やはりビジネスには勝てない。
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著者によれば,コミュニケーション能力には少なくとも2つの核となる能力がある.1つは「相手を理解する能力=自分を相手の立場に置くことができる能力」,もう1つは「よく知らない相手と情報交換を行うための探索的なやり取りができる能力」.これらの能力はいずれも演劇を通じて身につけることがで...
著者によれば,コミュニケーション能力には少なくとも2つの核となる能力がある.1つは「相手を理解する能力=自分を相手の立場に置くことができる能力」,もう1つは「よく知らない相手と情報交換を行うための探索的なやり取りができる能力」.これらの能力はいずれも演劇を通じて身につけることができると著者は主張している.前者は,自分ではない他者を演じる演劇において必然的に要請される.後者は,聴衆に自然な形で物語を理解させるために,舞台上の登場人物のやり取りとして要請される.
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演劇家の観点から、日本のコミュニケーション教育について物申した本。 演劇がコミュニケーション教育に役立つという意見は聞いたことがあったが半信半疑だった。しかし、この本を見てなるほどなと思わせてくれた。 以下、胸に刺さった文面(要約) 「子どもたちのコミュニケーション能力が低...
演劇家の観点から、日本のコミュニケーション教育について物申した本。 演劇がコミュニケーション教育に役立つという意見は聞いたことがあったが半信半疑だった。しかし、この本を見てなるほどなと思わせてくれた。 以下、胸に刺さった文面(要約) 「子どもたちのコミュニケーション能力が低下しているわけではない。しかし年々、社会の要求するコミュニケーション能力は、それを上回る勢いで高まっている。教育のプログラムは、それについて行っていない。」 「では、どうすればいいのか。おそらく、一番いいのは体験教育だ。とにかく 自分と価値観やライフスタイルの違う他社と接触する機会を増やしていかなければならない。」 「日本のこれまでの表現教育というものは、教師が子どもの首を絞めながら、「表現しろ、表現しろ」と言っているようにしかみえない」 「英語を公用語化するようにするのは、英語の方が、年齢や性別を超えて対等な議論がしやすいという実用的な側面もあるからだ。」
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コミュニケーション能力という中身がなかなか定まるものでななく、ことさら重要視されることに一度疑問を持ってみようという印象を受けました。口べた、無口であることが就職活動において不利な要素であるから、なんとなしなくては…口べた、無口であっても良いという採用があれば良かったわけで。フィ...
コミュニケーション能力という中身がなかなか定まるものでななく、ことさら重要視されることに一度疑問を持ってみようという印象を受けました。口べた、無口であることが就職活動において不利な要素であるから、なんとなしなくては…口べた、無口であっても良いという採用があれば良かったわけで。フィンランドでは、発言者より発言をうまくまとめる力が誉められるといったように、コミュニケーション能力とはなんと幅が広い内容を含むものであるかと理解しておく必要があると思いました。
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人間らしさ、手作り、アナログ・・・とデジタルの融合がこれからは大切だと思う。 この本に出てくる 無駄、ノイズ、冗長、マイクロスリップ、ランダム・・・の考え方に共感。 まや、会話と対話の比較も面白い。会話では阿吽の呼吸があるので冗長率が低く。対話では冗長率が高く、大切になる。 会話(Conversation)=価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり。 対話(Dialogue)=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値観が異なる時に起こるそのすり合わせなど
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おもしろかった。 面接や人格重視の風潮で、有利なのは口の上手い人という不平等感。一方で、演じることを極端に避ける人への疑問。自分の二つのテーマに対して、こういう風にとらえてみたら?と易しく示してくれた本。 コミュニケーション教育は、人格教育でない。人として、だめではないけど最低限...
おもしろかった。 面接や人格重視の風潮で、有利なのは口の上手い人という不平等感。一方で、演じることを極端に避ける人への疑問。自分の二つのテーマに対して、こういう風にとらえてみたら?と易しく示してくれた本。 コミュニケーション教育は、人格教育でない。人として、だめではないけど最低限の技術を身につけていた方が、生きやすい。 日本はムラ社会特有のコミュニケーションやそれに関する美徳を形成してきたけど、そんな民族は少数派。ちいさなコンテクストのズレが国間の軋轢を産んでいるなど、示唆的だった。 あと本当の自分なんてないよ!ってあっけらかんと言ってしまう姿勢や、原因を個人だけに求めない一貫した姿勢は好感がもてた。 わかりあえないことから、伝え、理解することを通して、少しずつわかりあっていくほうが生産的だよねって話かな。AとBからCが生まれる対話を認める雰囲気を日本人にも。 自分のことに引きつけていえば、抱えきれない嘘はつかないこと。冗長度をすこしずつ減らしていくこと(心を開いてわかりあおうという姿勢)を心掛けたいと感じた。
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演じることと、ペルソナのことを結びつけた画期的な気づき。 演劇に対しての新しい見方(演劇人にとっては当たり前なのかもしれないけど)を提示しつつ、そこからの教育、生活への結びつきへの橋渡しによって、別の視点での客観性について論じている。
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コミュニケーション能力、表現すること、といった言葉が、過度に大きく見えていたことに気づかされた。つまりこれらの正体はなんなのか、それが明らかになり、すっきりした。 説明する虚しさに耐えること。 そして、分かり合えなそうな相手とも、共有できるところを見つけ、それを広げていくこと。 ...
コミュニケーション能力、表現すること、といった言葉が、過度に大きく見えていたことに気づかされた。つまりこれらの正体はなんなのか、それが明らかになり、すっきりした。 説明する虚しさに耐えること。 そして、分かり合えなそうな相手とも、共有できるところを見つけ、それを広げていくこと。 自分自身の関心分野においても非常に大切な視点を得られた。
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