わかりあえないことから の商品レビュー
最初からこの人合わない話じゃなくていかにして合う部分を探っていくかって考えていくと人とのコミュニケーションが楽しくなりそー。
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「たくさん覚える」から「よく覚える」へ 語順とアクセントの問題 対話と会話、対話と対論の違い コミュニケーション教育は人格教育ではない 社会的弱者は他者に対してコンテクストでしか物事を伝えられない 会議をデザインする 「心からわかりあえる関係」の幻想 構造改革において国民全体で分...
「たくさん覚える」から「よく覚える」へ 語順とアクセントの問題 対話と会話、対話と対論の違い コミュニケーション教育は人格教育ではない 社会的弱者は他者に対してコンテクストでしか物事を伝えられない 会議をデザインする 「心からわかりあえる関係」の幻想 構造改革において国民全体で分かち合うべき、服を脱ぎ捨てて裸身を公衆の面前に晒すほどの恥辱 目からウロコばかりでした。オススメ。
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コミュニケーション能力というと、協調性がイメージされるかもしれないが、社交性を重視したい それが日本が国際社会でうまく生きていく方法 あまりハードルを上げず、エレベーターで2人きりになったらニコッと微笑むとか、そういうことが大事だと 劇作家という立場から、コミュニケーションについ...
コミュニケーション能力というと、協調性がイメージされるかもしれないが、社交性を重視したい それが日本が国際社会でうまく生きていく方法 あまりハードルを上げず、エレベーターで2人きりになったらニコッと微笑むとか、そういうことが大事だと 劇作家という立場から、コミュニケーションについて語っている 納得しながら読み進めることができた
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分かり合えないところから考えることで、日々のコミュニケーションでの納得のいかない感じがすっきりした。
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これは名著ですね。コミュニケーションというものをまさにタイトル通り「わかりあえないことから」はじめてみるという考え方は納得です。「会話」と「対話」の違いなど、コミュニケーションについてなんとなく胸につかえていた違和感がスッと取れました。読んで損はないです。おすすめです。
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わかりあえないことってな想像力の欠如に通ずると痛感したのでした。自分探しとか全く興味ないし何かを演じてきたとも思わないが分人とかキーワードになる世の中だし演じる事で楽に(円滑に)なるならそれもいいのかもね。 で、やっぱりここに文学の必要性ってのが出てくると思うのでした。 もっと本...
わかりあえないことってな想像力の欠如に通ずると痛感したのでした。自分探しとか全く興味ないし何かを演じてきたとも思わないが分人とかキーワードになる世の中だし演じる事で楽に(円滑に)なるならそれもいいのかもね。 で、やっぱりここに文学の必要性ってのが出てくると思うのでした。 もっと本読みましょう、みなさん。
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“本気で演じる”なんて考えたことなかった。それぞれの立場における自分を本気で演じること、その総体こそが自分であること。演劇って奥が深い。
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平田オリザさんの、コミュニケーション本。 演劇家としても、教育家としても、現場の視点から書かれていて、とても面白い。 日常的な会話と、みんなを説得する演説の間にある、対話の重要性が書かれています。 文化の違う人とはわかりあえない。 だからこそ、互いの意見をすり合わせていく対話が...
平田オリザさんの、コミュニケーション本。 演劇家としても、教育家としても、現場の視点から書かれていて、とても面白い。 日常的な会話と、みんなを説得する演説の間にある、対話の重要性が書かれています。 文化の違う人とはわかりあえない。 だからこそ、互いの意見をすり合わせていく対話が重要。 なるほど!ぼくがニガテなとこです笑 他人を演じる演劇が、ことばやコミュニケーション教育に果たせる役割も書かれていて、「あたらしい広場をつくる」でわからなかった部分が保管されました。 読んでよかったです。
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なめてかかったらいい意味で裏切られた。所謂ムラ社会から醸成される「わかりあう文化」、それによって「心からわかりあうこと」を前提としたコミュニケーションをとってきたし、そういう関係を築きなさいと教えられてきた。しかし、それは「わかりあえない」ものを、そうだと決めつけて排除するもので...
なめてかかったらいい意味で裏切られた。所謂ムラ社会から醸成される「わかりあう文化」、それによって「心からわかりあうこと」を前提としたコミュニケーションをとってきたし、そういう関係を築きなさいと教えられてきた。しかし、それは「わかりあえない」ものを、そうだと決めつけて排除するものではなかったか。また、最早日本もムラ社会とは言えなくなっている。バラバラなのである。故に「わかりあう文化」も重要ながら、「わかりあえないこと」を前提としてわかりあえる部分を探って行く営み=対話が必要になって来る。しかし、そういった「社交性」は日本では「上辺だけのつきあい」などとして否定されてきた。まさにこの「社交性」の教育こそ重要になってくると説く。 筆者の言う通り、「コミュニケーション」という言葉は、これまで「わかりあうこと」をどこか前提にしてきたように思う。教材、テレビなどで「そうさ、僕らはわかりあえる。人間だから(地球に住む仲間だから。この国を愛しているからetc)!」と連呼され、どこか気味が悪かった。しかし、名状できなかった。無論、著者は「わかりあう文化」を否定している訳ではない。むしろ、丁寧に何度も誇りに思うことを強調している。この本は「コミュニケーション」というものを考える上で、いい一冊だと思う。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
コミュニケーション、コミュニケーションともてはやされるが、あくまでコミュニケーションは人間関係を円滑にするための一つの手段であって、その程度のものとわりきっていてすごくすっきりした。「空気を読む」「コミュ力」「コミュ障」というような言葉に対する違和感・嫌悪感の理由がわかった気がする。
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