わかりあえないことから の商品レビュー
空気を読む能力と社交性というダブルバインド。 コミュニケーション能力は人格ではない。科目と一緒。 日本には「対話」がない。 演劇の授業って面白いなー。
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わかりあえないということを否定するのではなく、その中でも何かしら共有できる部分を見つけていくことはできるのではないか、というお話。 わかりあえないということは寂しいようにも思えるけど、そこを抜け出して行くことがこれから必要になってくる。 近代日本の歴史からして、今の日本の状態は仕方のないことなんだと思った。 これからの教育が変わっていくことに期待。 そして、演劇をやってみたくなりました。
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いま日本の企業が新人採用の際に最も重要視しているのは9年連続で「コミュニケーション能力」がトップ。グローバルな人材を育成するために「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」は必要だけれど、日本の企業は無意識のうちに「上司に盾をつかない」「会議では空気を読んで異...
いま日本の企業が新人採用の際に最も重要視しているのは9年連続で「コミュニケーション能力」がトップ。グローバルな人材を育成するために「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」は必要だけれど、日本の企業は無意識のうちに「上司に盾をつかない」「会議では空気を読んで異論は唱えない」というようないわゆる「空気を読む」スキルを求めている。いまの就活生は矛盾したコミュニケーション能力を同時に要求されているーーーー近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。 っていう感じで展開していく。マツコロイドを作った石黒先生と協賛して「人間らしさとは何か?」という観点からロボット演劇なるものを研究しているそう。
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若者全体のコミュニケーション能力は、どちらかと言えば向上している。人間の気持ちを 表現するのに、ことばではなく、例えばダンスをもって最高の表現とする文化体系であれば、日本の中高年の男性は、最もコミュニケーション能力の低い劣った部族ということになるだろう。 日本企業の中で求められている能力とは、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」「輪を乱さない」といった日本社会における従来型のコミュニケーション能力だ。 日本の教育システムで問われていたのは、おそらく「学力」ではなかった。そこで問われていたのは「従順さ」と「根性」だった。 ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかり合うことによってドラマは展開していく。これが、近代劇を支える「対話」の原理である。 否が応でも国際社会を生きていかなければならない日本の子供たち、若者たちには、察しあう・分かり合う日本文化に対する誇りを失わせないままで、少しずつでも、他社に対して言葉で説明する能力を身につけさせてあげたいと思う。 私たちが「あの人は話が旨いな」「あの人の話は説得力があるな」と感じるのは、実は冗長率が低い人に出会った時ではない。冗長率を時と場合によって捜査している人こそが、コミュニケーション能力が高いとされるのだ。 エレベーターの中で見知らぬ人とあいさつをするアメリカ人は、とてもコミュニケーション能力が高くて、私たち日本人はコミュニケーション能力のないダメな民族なのだろうか。私はどうも、そういう話ではないような気がしている。アメリカは、そうせざるを得ない社会なのではないか。これは多民族国家の宿命で、じぶんが相手に対して悪意を持っていないということを、早い段階でわざわざ声や形にして表さないと、人間関係の中で緊張感、ストレスが溜まってしまうのだ。一方、私たち日本人はシマ国・ムラ社会で、比較的のんびり暮らしてきたので、そういうことを声や形にして表すのは野暮だという文化の中で育ってきた。 日本語は話しかけにくい言葉だ(尊敬語など)。 テレビが5センチ薄くなって幸せか?このところ相次いで発表される家電各社の巨額の赤字の背景はここにある。 恥辱や痛みに耐えながら、私たちは、古い服を脱ぎ捨てて、新しい衣装をまとい、新しい多様な仮面をかぶらなければならない。時間はかかる。その時間の重みにも耐えなければならない。だがしかし、その道筋には苦しみばかりが待っているわけではないだろう。人間は、演じる生き物なのだ。進化の過程で私たちの祖先が社会的役割を演じ分けるという能力を手に入れたのだとするならば、演じることには、必ず、なんらかの快感が伴うはずだ。だから、いい子を演じるのを楽しむ、多文化共生のダブルバインドをしたたかに生き抜く子供を育てていくことは夢物語ではない。
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就活で企業の求める「コミュニケーション能力」が、表向きは異なる文化的背景を持つ人にも自己を主張・伝達できることなのに対し、実際は上司や取引相手の気持ちを読み取って黙って従うことの矛盾。
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わかりあえない、という前提に立って、コミュニケーションを見直そう。国際社会における、コミュニケーションマイノリティの日本人こそ、読むべし。劇作家ゆえの、対話、会話の分析、教育への応用など、白眉な内容多い。
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なんでわかってくんないのさ! と思うことあったけど、そのせいで辛い想いも経験したけど、そもそもわかりあえないんだよなっていう前提に立てば、わかりあえたときの感動やうれしさを感じられると教えてくれた。もっと早く出会いたかった。 平田オリザさんの切り口は多くの気付きをくれる。
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劇作家 平田オリザさんの考える「コミュニケーション」についての新書。 平田オリザさんについては全然知らなかったのだけど、映画「幕が上がる」で、ももいろクローバーZの5人を演技指導した人ということで、興味を持って読んでみた(映画も小説もとても面白かった)。 本の内容は、 ・現代の社会人に求められている「コミュニケーション能力」に関する矛盾点 ・平田さんの取り組んでいる、学校の授業に演劇を取り入れることの意義 などから、教育改革論や、日本語論から始まり、「人間らしさとは」みたいな哲学的な話、今後の「日本人のあり方」論まで、だんだん話のスケールは飛躍しつつも、斬新かつ論理的で情熱的な主張だった。 この本の前半、まず最初に目からウロコだったのは、企業が社員に対し、 ・ある時は「周りの意図を察して機敏に行動する」「空気を読んで発言する」「和を乱さない」能力 ・また別の時は「異なる価値観を持った人に対しても、しっかりと自分の主張を伝えることができる能力」「異文化理解能力」 の両方を求めており、これらの相反する二つ能力を「コミュニケーション能力」と一括りにして呼んでいる。 つまり、「企業が会社員に求める『コミュニケーション能力』はダブルバインドである」という主張。 どちらかだけ得意でもう一方が苦手な人は、「コミュニケーション能力」が高いと言えるのだろうか。 そろそろ企業も、「コミュニケーション能力」という曖昧で人によって解釈が異なる単語は使うのをやめて、それぞれ別の名前を付けて呼んだ方がいいんじゃないだろうか。 その他、印象に残った内容 ・「国語」という科目は、その歴史的使命を終えた。「国語」を、答えの無い科目「表現」と、答えのある科目「ことば」に分けるべき。 ・医者の卵も、大人になるまで身近な人の死を一度も経験していない学生が珍しくない。また、いじめのロールプレイなどを通し、他者の感情により共感することができるようになる。だから、「演劇の授業」というフィンクションの力を借りて疑似体験することが効果的。 ・コミュニケーション能力、異文化理解能力が大事だと世間では言うが、それは別に、日本人が西洋人、白人のように喋れるようになれということではない。欧米のコミュニケーションが、とりたてて優れているわけでもない。だが多数派は向こうだ。多数派の理屈を学んでおいて損はない。 ・これまでの日本は、単一民族国家で同一価値観の人達の集団だったが、豊かになった現代では、多様化して人それぞれ異なる価値観を持つようになってきた。だから、周囲の人間と分かりあえるはず、という幻想は捨てるべき。逆に「わかりあえないこと」が当たり前で、その中から分かりあえる部分を探っていく、という考え方が大事。
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演劇入門で述べられた点と重複は何点かあったが、学校・社会・企業などあらゆる面のコミニュケーションの問題を明らかにわかりやすく述べている。
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新書なので、すぐに古くなるような内容だろうとおもうけれど、それにしてもすごく良かった。 演劇で何気なく発話されている言葉についても、本当は、よくよく考えられていて、でも、且つごく自然にポンっと出てきた言葉であるということがわかった。 よく感心したのは、日本におけるマイナスだと思わ...
新書なので、すぐに古くなるような内容だろうとおもうけれど、それにしてもすごく良かった。 演劇で何気なく発話されている言葉についても、本当は、よくよく考えられていて、でも、且つごく自然にポンっと出てきた言葉であるということがわかった。 よく感心したのは、日本におけるマイナスだと思われている事象、たとえば子供に のびのび生きて欲しい といいつつ、勉強の成績が悪ければ 勉強しない子はダメな子だ などと自由を奪う といった背反した事例について、 それを否定せず、受け入れて、そういう事柄が起きてしまうことの背景を日本の文化的、歴史的な蓄積、あるいは社会的、経済構造、家族のあり方の変化などから読み解いていき、 読み取った結果、 みんなちがって、たいへんだ ということがいいたいのではないかと、そういう、否定しないことがとても感心させられて、アツイ気持ちになった。 マイナスに思えることも、慣れてしまえばそうでもなかったり、じゃあ改善の糸口がどっかにあるはずで、それはぼくらの世代では無理かもしれないけれど、後継の子供達の世代では改善されてるかもしれない、そのために私たちの世代でもできることってあるよねーってかんじか。 演劇にかかわるひとから社会をみたら、こうです っていう内容。
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