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わかりあえないことから の商品レビュー

4.1

319件のお客様レビュー

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2016/12/06

根津さんの本でコミュニケーションに興味を持ったので購読。タイトルにある「わかりあえないことから」とは、根津さんがおっしゃる相手の良いところを理解するということから始める、ということなのだろう。この本では特に日本におけるダブルバインドがコミュニケーションの障壁になっていると解説して...

根津さんの本でコミュニケーションに興味を持ったので購読。タイトルにある「わかりあえないことから」とは、根津さんがおっしゃる相手の良いところを理解するということから始める、ということなのだろう。この本では特に日本におけるダブルバインドがコミュニケーションの障壁になっていると解説している。オープンであれと言いながら、黙って空気を読めという。最近の若者は何を考えいるかわからんという中高年に限って、ダンスやパフォーマンスという今風の表現を理解しようとしない。著者は「異なる価値観と出会ったときに物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を探していくこと、そのための対話をあきらめないこと」と説いていて、これが真髄なんだろうと思う。

Posted byブクログ

2016/11/11

友人に勧められた1冊。まさか自分がコミュニケーション系の本を読むとは(笑)。 著者は劇作家・演出家ですが、日本語教育にも携わっている。演劇は表現で相手に伝えるので、従来の国語教育にある「読む・書く」だけでなく歌ってもいいし、踊ってもいいし、なんなら話さないという表現の仕方もある...

友人に勧められた1冊。まさか自分がコミュニケーション系の本を読むとは(笑)。 著者は劇作家・演出家ですが、日本語教育にも携わっている。演劇は表現で相手に伝えるので、従来の国語教育にある「読む・書く」だけでなく歌ってもいいし、踊ってもいいし、なんなら話さないという表現の仕方もある。こうした演劇ならではの特徴がコミュニケーションを豊かにできる一助となるのではないか、という考えから書かれた本で、方法論とかそういった類のものではありません。演劇にも歌にも踊りにも興味が全くない私ですが、これをコミュニケーション力を高めるための教育の一環としてとらえる考え方は「なるほど!」でした。 今後ますますグローバル化し、出自が全く異なる人と接する機会が否が応でも増えていき、また、一昔前のように上司の言うことを聞いていれば、モノが売れ、給料があがり、便利なものが手に入ったという時代が終わり、モノよりも価値を重要視するライフスタイルが当たり前のようになってきている中で、これまで以上に対話が必要になってきていると指摘。今までは何も伝えなくても相手や社会が察してくれたり、勝手に便利な道を作ってくれたりしていたが、これからはそうはいかないよ、というのが前提。 ところが日本の学校教育はこのような社会の流れについていけてないのだといいます。例えば定期テスト。先生の言う通りの決まった箇所を時間内に覚える従順さと根性があれば成績がよくなるというシステム。高度経済成長期の製造業中心の時代にはこのような従順さが求められ、それで豊かになったことは否定しないけれども、社会が成熟期に入ると、他者との違いが利潤を生むサービス業が中心となる。そうすると、先生はああいっているけど、実はこの方が面白いんじゃないか?とか、そういった柔軟な発想がむしろ重要になるのですが、なぜか学校教育では今もって先生の言うことを聞いた子が優秀ということになる。 一昔前のこのような教育で育った人たちが社会を動かしているのだから「近頃の若い奴は・・・」なるのは当たり前のように思います。変化が遅い時代ならともかく、いまは価値観がめまぐるしく変わり、ある教育を受けた子どもが社会人になる頃にはもはやその教育は遅れている、ということが起きているような気がします。 一人一人考え方が違って当たり前、ということを受け入れ、それでもコミュニケーションをとるには我慢も必要ですが、それを「我慢」のような痛みをともなうようなものではなく、楽しめるようにするような教育が必要だという主張は同感でした。 また、考えの違う相手との対話の中で、妥協点を見つけて最初の主張を変えることは何もおかしいことではないというのも肩の荷が下りる話。 演劇の要素を取り入れた授業としては大まかなストーリーがあって、配役やセリフをみんなで考えていってつくり上げるというものですが、このやり方は会社で何かをつくり上げていく時と同じように思います。コンセプトという一本の筋をつくって、そこに店舗なり商品なりを筋がずれないようにつくり上げていく。ここに正しい答えはなく自由な発想で始めることができます。が、社風が「それはダメ」「あれはダメ」と抑制するような会社はこのような発想が出てきにくい。こういう会社は発想がでないのは個人の能力のせいにしがちですが、実はその会社の社風やシステムに問題があるということ。気づいていない経営者が多いとのことですが、個人的な経験からもそう思います。 内容的には学校教育に関するものが多いのですが、社会人でも通じる考え方なので一読あれ。非常に読みやすい内容で3日ほどで読めてしまいます。

Posted byブクログ

2016/10/27

★SIST読書マラソン2016推薦図書★ 【所在・貸出状況を見る】 http://sistlb.sist.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=11201343 本を...

★SIST読書マラソン2016推薦図書★ 【所在・貸出状況を見る】 http://sistlb.sist.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=11201343 本を読んで読書マラソンに参加しよう! 開催期間10/27~12/7 (記録カードの提出締切12/14)

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2016/09/26

  劇作家で・演出家で、大学で教えたり、小中でコミュニケーションに関するワークショップを行ったりする著者による、「自然な」コミュニケーションとは何か、日本人のコミュニケーションの特質、世界の中で生きていく日本人として何を知っておくべきかといったことについて語ったもの。  西洋近代...

  劇作家で・演出家で、大学で教えたり、小中でコミュニケーションに関するワークショップを行ったりする著者による、「自然な」コミュニケーションとは何か、日本人のコミュニケーションの特質、世界の中で生きていく日本人として何を知っておくべきかといったことについて語ったもの。  西洋近代演劇とは一線を画す「現代口語演劇理論」を打ち立てた著者ならではの、実際の会話・対話の分析が示されており、相づちの多さや無駄な動き(マイクロスリップ)など「冗長率」についての解説が印象的だった。特に「冗長率を操作する」(p.109)という話は面白く、確かにおれも教師として生徒の前で喋るときはとにかく短く話すことを意識しているし、会議等の発言すべきタイミングでも出来るだけ話題が逸れないようにポイントだけを話すよう、だいぶ意識しているが、これは要するに冗長率を下げる努力なんだと思った。逆に意識して冗長率を上げることが、演劇では求められるというのも納得だ。  他に印象に残った部分としては、「異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。」(p.105)が重要で、さらに「そうした対話を繰り返すことで出会える喜びも、伝えていかなければならない」(同)とか、「意見が変わることは恥ずかしいことではない。」(同)といったことは、やっぱり大切だと思った。ただもちろん大切なんだけれども、それが伝えられればいいのはよく分かっているけれども、世の中そういう議論をすると急に不機嫌になったり怒り出したりする人もいて、もう諦めてしまう自分がいるんだよなあ、と思った。  あと直接コミュニケーションの話とは関係ないが、『忠臣蔵』の話のところで、「ある集団が、個々人ではどうしようもできない大きな運命に晒されたときに、その成員一人ひとりに、それまで自身も自覚していなかったような価値観、世界観が表出し、それがぶつかりあうことによってドラマは展開していく。」(p.98)という話が面白い。でもそんな「大きな運命に晒され」ることとかあるんだろうか、本当にそんなことになるんだろうか、というのが疑問だけれども。  最後に、よく「いじめのロールプレイ」は道徳とかなんかで聞いたことあるけれど、「経験の浅い教員ほど、『ほら、いじめられた子の気持ちになってごらん』と子どもたちに声をかける。」(p.197)というのは、いかにもありがち、と思った。そこで「シンパシーからエンパシーへ」(p.196)という話で、例えば俳優は、「俳優と言う自分の個性と、演じるべき対象の役割の共有できる部分を捜しだし、それを広げていくという作業が求められている。」(p.197)らしい。どこかのレビューでも書いてかもしれないけれど、やっぱりうまい芝居というのは、演じていてもその人の素が自然に見える、という感じの芝居じゃないだろうか、と思っていたけど、それはつまり「エンパシー」と言うべき、分かる範囲を見つけて共有する、広げる、という作業ということなのか、と思った。  半分以上は教育への提言といった感じで、ただ中高教育の現場にいる人間としては、あんまり読んでて良い気持ちがしないというのも事実だが、演劇を見るのがさらに面白くなりそうな、そんな本としておれは読んだ。(16/09/25)

Posted byブクログ

2016/09/24

「対話」と「会話」は違う。「会話」は単なるおしゃべりで価値観や生活習慣も近しい者同士のものだが、「対話」はそれほど近くない者どうしによる情報や価値観の交換と筆者は言う。そこでは、ときには相容れない者どうしの「摺り合わせ」が行われる。しかし、日本社会においては「会話」があっても「対...

「対話」と「会話」は違う。「会話」は単なるおしゃべりで価値観や生活習慣も近しい者同士のものだが、「対話」はそれほど近くない者どうしによる情報や価値観の交換と筆者は言う。そこでは、ときには相容れない者どうしの「摺り合わせ」が行われる。しかし、日本社会においては「会話」があっても「対話」は行われず対話のことばも発達していない。ほぼ等質の価値観や生活習慣を持った「ムラ社会」の中で「察し合う」「わかりあう」文化が日本社会におけるコミュニケーション文化だと。そこで「わかりあえないこと」から始まる「対話」のトレーニングを演劇でやりましょう、と繋がっていく。 なるほど「コミュニケーション」というものを異なる文化や価値観を持つ他者に対してもその背景を納得理解した上で妥協点を見出していく営みと考えるのはその通り。ただ、実際に求められるコミュニケーションは、場の空気を読み、和を乱さず、言いたいことも言わずに同調する「態度」であり、その矛盾については本書でも語られているが、そこを乗り越えられるだけのインパクトを求めるのは欲張り過ぎか。 学校教育での「演劇」の扱いが重視されるどころかどんどん衰退に向かっている(ように見える)のも、学校が依然として「忍耐」「従順」「同調」性を基盤とした「正解を教え込む」場からちっとも変わろうとしていない証左なのではと思ってしまう。

Posted byブクログ

2016/08/17

著者がコミュニケーション教育に取り入れている手法は演劇。その実例や著者の韓国留学体験などの話を通して「対話」とは何か、日本人がこれから身につけていかなければならないコミュニケーション能力とは何かを考える。 例えば学生たちにたまたま電車で乗り合わせた人に「旅行ですか?」と声をかけ...

著者がコミュニケーション教育に取り入れている手法は演劇。その実例や著者の韓国留学体験などの話を通して「対話」とは何か、日本人がこれから身につけていかなければならないコミュニケーション能力とは何かを考える。 例えば学生たちにたまたま電車で乗り合わせた人に「旅行ですか?」と声をかける演技をさせる話。この短いセリフを、なぜかみんなうまく表現できない。 また、日本人が靴を脱いで家に上がるとき、脱いだ靴を玄関に向けて揃える習慣を韓国の人たちは「そんなに早く帰りたいのか」と感じて嫌がるという話。 学生たちは「旅行ですか?」という言葉の意味は理解できても、初めて会った人にこう話しかけるというコンテクストを持たない。韓国人と日本人は「靴を脱いで家に上がる」という文化は共有しているけれど、韓国人はこの「靴を揃える」という型=コンテクストを持たない。著者はこれを「コンテクストのずれ」と呼ぶ。 ある言葉や文化について、かなりの程度で認識を共有していながら、それでも生じる「ずれ」。靴の例では、例えば西洋人ほど文化が異なる相手なら「ここでは靴を脱ぎます」と説明すればよくて、むしろ相手はその文化の違いに驚いたり面白がったりするかもしれない。「違い」は分かりやすいが、少しだけの「ずれ」は顕在化しにくく、認識されにくい。だからこそ解消されにくい。韓国人と日本人の近親憎悪的な感覚は、意外とこういう小さな「ずれ」の積み重ねから来るのではないかと著者は言う。そして、まずはこの「ずれ」の認識が対話の出発点になると。 完全には「わかりあえない」ことを前提に、それでも対話を重ねてお互いに共有できる部分を大きくしていくことの大切さを再認識できる本。面白かったです。

Posted byブクログ

2016/08/16

「みんなちがって,たいへんだ」 演じることが現代の問題を解決する1つの様式かも。 なりたい自分(ペルソナ)を演じること。これが自分を成長させる1つの様式だ。本当の自分というものがあったとして,そのまま生き続けられることは希有であろう。本当の自分が醜悪で社会的な害であればなおのこ...

「みんなちがって,たいへんだ」 演じることが現代の問題を解決する1つの様式かも。 なりたい自分(ペルソナ)を演じること。これが自分を成長させる1つの様式だ。本当の自分というものがあったとして,そのまま生き続けられることは希有であろう。本当の自分が醜悪で社会的な害であればなおのこと。演じるにはよく見ること良く感じることが大切だろう。マインドフルにいこう。

Posted byブクログ

2016/08/09

「コミュニケーション教育=人格教育」、「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」…。そういう意識って確かにあると思う。 極端な捉えられ方をしがちな「コミュニケーション」を、もっとフラットに扱いましょう、というお話。

Posted byブクログ

2016/10/13

・コミュニケーション教育と、人格矯正は全然別物 ・体験することの重要性 ・無意識の「違い」を認識すること 電車で「旅行ですか?」と話しかけるにも、日本とその他で文化の違いがあること、自分の当然は少数派である可能性があること。これを認識した上で意識的に行うこと、それがコミュニケ...

・コミュニケーション教育と、人格矯正は全然別物 ・体験することの重要性 ・無意識の「違い」を認識すること 電車で「旅行ですか?」と話しかけるにも、日本とその他で文化の違いがあること、自分の当然は少数派である可能性があること。これを認識した上で意識的に行うこと、それがコミュニケーションと第一歩。 演劇とコミュニケーションがどう関連していくのか、読んでいくうちに理解できた。 ただ話し合わせて体験させても、学ぶこと向上することは少ない。いかにそれを伝え、教えていくか、だということに納得した。 そんなに演劇でうまく良くなるのかよ、と思う部分もあるけれど、やはり目的を持った体験というのは違うと思う。この人は意味付けが上手いのだなぁと思う

Posted byブクログ

2016/06/14

「自分で考えろ!」「なぜ相談しなかった!」こういうよくある矛盾に柔軟に対応できる調整力をつけなさいと。今から来るであろう多文化社会へ適応すべく準備しろと。

Posted byブクログ