私とは何か の商品レビュー
「本当の」自分という幻想から脱することができれば、楽に生きられる。どんな自分も「大切に、愛せよ」とも説かず、その存在を認めよと言う。 下手に扱うと小難しくなりがちなテーマを、自分の言葉でとても分かりやすく述べた本。全体を通じて述べられている「分人」の概念は、私自身「分かったつも...
「本当の」自分という幻想から脱することができれば、楽に生きられる。どんな自分も「大切に、愛せよ」とも説かず、その存在を認めよと言う。 下手に扱うと小難しくなりがちなテーマを、自分の言葉でとても分かりやすく述べた本。全体を通じて述べられている「分人」の概念は、私自身「分かったつもり」の域にもなかなか達し得ない「ジェンドリンの哲学」のベースにとても近いような気がしたのだが… どなたかコメント願います! 著者とジェンドリンの接点は殆どなさそうだけど、京大に学んだというところで、京大学派(?)の心理臨床学の空気を吸っていたであろうことは、小説の諸作品に垣間見える気がする。これに関してもコメント請う!
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自分の分人が相対している相手が幸せならその幸せの半分は自分のお陰。その反対も言える。 人間はインデビジュアルではなくデビジュアル、性格の二面性に悩む必要はない。その責任の半分は相手にある。 個人と社会の関係にも”分人”の考え方が適用できるというのは新鮮。 間違いを犯した個人...
自分の分人が相対している相手が幸せならその幸せの半分は自分のお陰。その反対も言える。 人間はインデビジュアルではなくデビジュアル、性格の二面性に悩む必要はない。その責任の半分は相手にある。 個人と社会の関係にも”分人”の考え方が適用できるというのは新鮮。 間違いを犯した個人が救われる部分があるし、幸せな個人はその半分は社会のお陰、そしてグループのお陰と考えると、必然的にその幸せに対して”還元”もしくは”恩返し”しなければいけない。すると社会も幸せな個人の分人に呼応して幸せになる確率が高い・・・そんな受け取り方ができるかな。
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人間関係、人付き合いが苦手な自分にとっては非常に考え方がポジティブにさせられた一冊になりました。「本当の自分」は幻だという一言に感銘を受けました。分人という考え方を知った以上、色んな分人を作って個性をおもしろいものにしていきたいなと思いました。人との付き合いが楽しみになるかもしれ...
人間関係、人付き合いが苦手な自分にとっては非常に考え方がポジティブにさせられた一冊になりました。「本当の自分」は幻だという一言に感銘を受けました。分人という考え方を知った以上、色んな分人を作って個性をおもしろいものにしていきたいなと思いました。人との付き合いが楽しみになるかもしれません。
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1人の人間に一つの人格しか認めない「個人」ではなく、複数の人格を認める「分人」という概念によって「私」というものを解読している。確か、岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』のあとがきに、フロイドが人格とは他者の人格のコピーであるとしていると書いておられたと思うのですが、その考え方と似て...
1人の人間に一つの人格しか認めない「個人」ではなく、複数の人格を認める「分人」という概念によって「私」というものを解読している。確か、岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』のあとがきに、フロイドが人格とは他者の人格のコピーであるとしていると書いておられたと思うのですが、その考え方と似ていますね。
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どこかで平野啓一郎さんの「分人主義」という言葉を聞き、おもしろそうだったので購入。 「individual(分けられない)な個人」を最小単位として扱うこととか、「本当の自分を探す」こととか、そのあたりの限界は、おそらくかなり以前から見えていたと思う。状況としては目新しくもなんと...
どこかで平野啓一郎さんの「分人主義」という言葉を聞き、おもしろそうだったので購入。 「individual(分けられない)な個人」を最小単位として扱うこととか、「本当の自分を探す」こととか、そのあたりの限界は、おそらくかなり以前から見えていたと思う。状況としては目新しくもなんともないが、「分人」という言葉があることで、かなり考えやすくはなっている。ただ、聞き慣れないからか、濁音が変に響くからから、語感はまるでしっくりこない。「ぶんじん」って。 ただ、平野啓一郎さんは小説家だ。彼の小説作品でどのように「分人主義」が描かれているのかを読みたい。
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人には多くグループや特定の人と接するための分人(個人を分けたもの)がある。 その分人の保持の最適数は人によって異なる。 TPOによって違う分人で人付き合いをするのでそんな人物は本当のあなたではないということが起こる。
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1人の「人」は、1つのアイデンティティで構成された確固たる「個人」ではなく、様々な顔を持つそれぞれの「分人」の集合体であると理解することで、人生の見通しが良くなると主張する本。この考え方により、「本当の自分」を探し求めるとか、「ニセモノの自分」を演じることに悩む、といった不毛な行...
1人の「人」は、1つのアイデンティティで構成された確固たる「個人」ではなく、様々な顔を持つそれぞれの「分人」の集合体であると理解することで、人生の見通しが良くなると主張する本。この考え方により、「本当の自分」を探し求めるとか、「ニセモノの自分」を演じることに悩む、といった不毛な行為から解放されると説く。文脈や状況によって行動や発言が矛盾したとしても、どれも正しい「自分(の分人)」なのであり、それぞれ大事にすればいい、ということだと思う。言動の首尾一貫性を追求し始めると、生きていくのがだんだん辛くなっていくからね…。「アイデンティティ」も「個人」も、もともとは欧米から輸入した独特の価値観であり、日本人には合っていないと思うので、人は「分人」の集合体である、という考え方は分かりやすくていいような気がする。欧米人にしても、「個人」より「分人」という考え方に救われる人は結構いると思うし。
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社会の中でもうこれ以上分けることができない存在である「個人」という概念に対し、「わたしの中には様々なわたしがいる」という分数的な概念である「分人主義」を提唱している。帯には【《本当の自分》はひとつじゃない!人間関係に悩むすべての人へ】とあるが、たしかにそういった人たちには啓示と...
社会の中でもうこれ以上分けることができない存在である「個人」という概念に対し、「わたしの中には様々なわたしがいる」という分数的な概念である「分人主義」を提唱している。帯には【《本当の自分》はひとつじゃない!人間関係に悩むすべての人へ】とあるが、たしかにそういった人たちには啓示ともいえる考え方かもしれない。 著者の小説『決壊』には「本当の自分など存在しない」と、ある意味達観したような主人公が登場する。彼は職場ではおそろしいほど優秀な人間であり、ガールフレンドも何人も抱え、家族に対しても穏やかにコミュニケーションをとることができる。しかし彼は「どれが本当の自分か」という問いに絶望し、自殺を考えるほど袋小路に迷い込んでいる。果てには「そんなもの存在しない」として生きていこうとするが、あるセンセーショナルな事件の容疑者となり、マスコミや刑事に「本当のお前はこんな美しい人間じゃないんだろう」と詰め寄られる—。 著者は『決壊』執筆時にはまだ「分人」という概念をはっきりとさせていなかったらしいが、その主人公の苦しみの中には、インターネットも含めてアイデンティティとはなにかという問いが非常に複雑化した現代の病理のようなものが垣間見える。僕はまだ未読だが、『ドーン』という小説内ではその概念がはっきりと提示されているという。 つまらない上司といるときのわたし、楽しい友達と過ごしているときのわたし、彼氏といるときのわたし、家族といるときのわたし、など、「わたし」というのはその交友関係の広さに比例するかたちで増えていく。どれぐらいの「分人」を抱えて生活するか、どういう「分人」の構成比率で生活するかは、それぞれが一番しっくりくるものを選べばいい。大切なのは「どれが本当の自分なの」などといった考えを捨てることであり、どの自分も「自分」であって、出会いによって新しい「自分」を生きることができるし、相手にも「新しい自分」を生きてもらうことができる、という希望にみちた考え方にシフトすることだ。 本当に力のある作家とは、読者に新しく革新的な視点を与えるものだと思うが、著者は少なくとも僕にとってはそういった作家なのだろうと思った。小説に関しては『決壊』しか読んだことがないが、『ドーン』とそろそろ出るらしい著書を読んでみようと思う。
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分人という考え方は私たちをいろんな意味で救ってくれる。本当の自分なんて探さなくてよくなるから。 「仕事の楽しさは、何をするかではなく、誰とするか」だと社会人になってから思っていたけれども、分人の考え方によって立証されたといってもよい。
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エッセイ…じゃないか。まあいいか。 でも、ちょっと、心が軽くなる。 そのときそのときを楽しめればそれでいいんだ、って。 帰ってきて「うあー疲れた……」ってなっても、それは「一人用」の自分。 みんなといるときに「みんな用」の分人が楽しめていれば、それでいいんだ、と思えて。
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