東京プリズン の商品レビュー
戦争を忘れても戦争は終わらない・・・1980年、日本の中学を卒業してアメリカの小さな町の高校に留学した少女が「天皇の戦争責任」というテーマに挑む。“現代の東京裁判”ここに開廷!!
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
やっとこ読み終わる。 時代は留学していた14歳と現在と交差しながら進む。 ヘラジカ、電話、ディベートがキーワードか。 最終章でやっと東京裁判の話題に触れる。 これは、著者の自伝なのかな…
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第1章の前に、「私の家には、何か隠されたことがある。そう思っていた。」との文が置かれています。 「私の家」と同じように、日本にも、何か隠されたことがあります。 これは私の予想ですが、日本には何か隠されたことがある、と肌で感じることができたのは、筆者の世代が最後なのではないかと思い...
第1章の前に、「私の家には、何か隠されたことがある。そう思っていた。」との文が置かれています。 「私の家」と同じように、日本にも、何か隠されたことがあります。 これは私の予想ですが、日本には何か隠されたことがある、と肌で感じることができたのは、筆者の世代が最後なのではないかと思います。 この小説は最終的には、主人公が留学(させられた)先のアメリカの田舎の学校で、「アメリカンガヴァメント」という授業の担当教員から命じられて、東京裁判のやり直しをディベートとして演じ(させられ)る、という場面で終わります。 主人公が母によって留学させられる理由は結局はっきりしないのですが、母は自分ができなかった、あるいはうまくやれなかったことを娘にやり直させたいのだろうと思います。 天皇というのも一つの役割で、異なる個人によって受け継がれ、時の権力者たちによって繰り返し利用されています。 自らが天皇を利用している主体だということを忘れて、自分自身のコントロールを天皇の判断に任せ、自分の責任を放棄したことで破滅したのが大日本帝国軍部でした。 戦後に天皇を利用したのはアメリカでした。アメリカによって天皇を再び祭り上げさせられ、平和憲法を持たされ、同時に新たな軍隊を持たされ、そしてさらにそのことを忘れようとしているのが、今の日本人です。アメリカに対して完全に去勢された存在です。 日本にある「何か隠されたこと」とは敗戦です。 触れないようにして、忘れようとしても、ふとした時に思い出させられて、日本人は苦しみます。あるいは、いつしか本当に忘れてしまって、その欠如のために自らを見失い、日本人は理由のわからない苦しみに襲われます。 ベトナム戦争や東日本大震災も取り上げられます。これらも、日本人にとっての敗戦と同じく、民族の負い目の経験です。 ここまで長く書きましたが、膨大な数のテーマが扱われた小説なので、私には拾い切れません。 ちょっと長すぎ、詰め込みすぎの感もありますが、そのために、多くの人が自分の琴線に触れる文に出会える本だと思います。
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レビューを書けずに一年が過ぎた。 重い。東京裁判のこと。天皇の戦争責任をアメリカへ留学した女の子の目を通して語る。こうして文章になると白か黒か、著者の考え方が反映されるものと思うがそれがどっちなのかよくわからない。読みながら自分はどっちかと考えながら読むので頭が痛くなって読めなく...
レビューを書けずに一年が過ぎた。 重い。東京裁判のこと。天皇の戦争責任をアメリカへ留学した女の子の目を通して語る。こうして文章になると白か黒か、著者の考え方が反映されるものと思うがそれがどっちなのかよくわからない。読みながら自分はどっちかと考えながら読むので頭が痛くなって読めなくなることが多々あった。どっちなの?と考えなくてもいいとは思うのだけどやはりどっちなのかと考えている自分。結局、わからない。頭の隅に触れてはいけない?タブー視する気持ちもある。古い人間なのでしょう。 取り上げることが難しいテーマであるのにさらに時空を飛ぶような書き方なだけにさらに難解だった。
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太平洋戦争、ベトナム戦争、バブル景気、震災。それぞれの「戦後」に人々はどう向き合ってきたのか。自分はどう向き合うのか。主人公アカサカ・マリが依り代となって、それらを重層的に語る。正直な話、読みにくい。自分を取り巻く大きな歴史と自分のごく個人的な歴史とに同時に向き合わなければ、この...
太平洋戦争、ベトナム戦争、バブル景気、震災。それぞれの「戦後」に人々はどう向き合ってきたのか。自分はどう向き合うのか。主人公アカサカ・マリが依り代となって、それらを重層的に語る。正直な話、読みにくい。自分を取り巻く大きな歴史と自分のごく個人的な歴史とに同時に向き合わなければ、この問題について真摯に考えたことにはならない、ということか。それにしても入り組んでいる。内容はもちろん違うが、昔読んだ加藤典洋『敗戦後論』の入り組んだ議論を思い出した。娯楽にならないことは覚悟した上で、少し我慢してでも読む価値はあると思う。あと、留学体験というのはやはり強烈なものなのだろうなと思った。
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う、うーん博識…;避けられがちなテーマへの挑み方も清々しければ、随所に散りばめられた雑学(じゃない)もNIKUI。早くも2014年の尊敬・オブ・ザ・イヤー候補。
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この著者の考え方は少し違うんじゃない。 世の中が少しづつおかしくなってきているようないやな気がする読後感。
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昨秋から読み始めて、昨夜、ようやく読了。 そう。一気読みできるタイプの本ではありません。 441ページの大部ということもあり、正直、悪戦苦闘しました。 面白かったか? と正面切って問われれば、首を傾げざるを得ない。 でも、それは私の感性、読解力に問題がありそうです。 この本には、...
昨秋から読み始めて、昨夜、ようやく読了。 そう。一気読みできるタイプの本ではありません。 441ページの大部ということもあり、正直、悪戦苦闘しました。 面白かったか? と正面切って問われれば、首を傾げざるを得ない。 でも、それは私の感性、読解力に問題がありそうです。 この本には、私には理解できない、何かすごいことが書かれている。 そう思わせる本。 そんな本って、世の中にどれだけあるでしょう。 不思議な読書体験でした。 タイトル通り、テーマは「東京裁判」。 といっても史実にある東京裁判を直接扱っているわけではありません。 16歳のマリが、米国最果ての地ともいえるメイン州の小さな町で「東京裁判」を再演させられるのです(何という大胆な設定!)。 史実にある東京裁判については、戦勝国側の一方的で不公正な裁判だったことが明らかにされています。 本書も、そうした批判的な立場に立って、東京裁判を再演しています。 そこは私でも分かるのです。 物語のクライマックス、「最終弁論」を読み終えた時は、胸がすく思いがしました。 でも、「東京裁判」を再演する場面は、本書の4分の1にも満たない100ページ。 そこに至るまで341ページもあるのです(その中にも東京裁判に言及される行があります)。 マリはなぜ米国へ行かなければいかなかったのか、ヘラジカは何を意味するのか、結合双生児はどんな役割を担って登場しているのか―。 母とマリとの関係性にも、何か暗示めいたものを感じます。 深く読み込まないといけませんが、私にはできませんでした。 でも、すごい。赤坂真理さん、すごい。
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一度書いたレビューが飛んでしまったので長く書く気力はないが 大傑作。ただ、1度読んだだけでは消化しきれない。 わからないのではなく、立ち止って考えるところが多すぎて。 マリ・アカサカは作者と同じ名だが作者自身ではない。 そこが重要。自身の名をあえて作中に用いることで宙づりにしてい...
一度書いたレビューが飛んでしまったので長く書く気力はないが 大傑作。ただ、1度読んだだけでは消化しきれない。 わからないのではなく、立ち止って考えるところが多すぎて。 マリ・アカサカは作者と同じ名だが作者自身ではない。 そこが重要。自身の名をあえて作中に用いることで宙づりにしている。 それはテーマにも重なる二重のフィクションとしてあるように感じた。
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219ページで一旦図書館に返却。 癖の強い内容で、私には読みにくい。現実と夢-妄想-が交錯する、不安定で少し不快な、独特な世界。統合失調症の人には幻聴や幻覚があると、どこかで読んだことがあるが、そういう人のいる世界とはこんな感じなのではないかと思った。頭の中に不協和音が響くような...
219ページで一旦図書館に返却。 癖の強い内容で、私には読みにくい。現実と夢-妄想-が交錯する、不安定で少し不快な、独特な世界。統合失調症の人には幻聴や幻覚があると、どこかで読んだことがあるが、そういう人のいる世界とはこんな感じなのではないかと思った。頭の中に不協和音が響くような、辛い世界。 東京裁判の話だと思っていたけれど、半分くらい読んだ時点では、東京裁判は殆ど出てこず、著者と重なる主人公の、母や「過去の自分」からの自立がテーマのようだと感じた。
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