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さよならのあとで の商品レビュー

4.6

45件のお客様レビュー

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2024/10/21

夏葉社の島田潤一郎さんの著書「古くてあたらしい仕事」を読んでどうしても欲しくなって取り寄せた一冊。 原詩は1頁にすっぽり収まってしまう程度の詩なんだけど訳詩の「ことば」と「間」をていねいに仕立てたきれいな本。 常日頃「さよなら」ってこの先ただ顔を合わせることがなくなるってだけ...

夏葉社の島田潤一郎さんの著書「古くてあたらしい仕事」を読んでどうしても欲しくなって取り寄せた一冊。 原詩は1頁にすっぽり収まってしまう程度の詩なんだけど訳詩の「ことば」と「間」をていねいに仕立てたきれいな本。 常日頃「さよなら」ってこの先ただ顔を合わせることがなくなるってだけだと思っていて、いままでそのひとからもらった楽しい思い出とか、その人を思って温かくなる心は、わたしから失われるものではないと思っているのね。 この世のどこかにいる、もっといえばこの世でなくてもどこかにいる、って思えれば「さよなら=失う」ことではないのでは、と。 そんなふうに思うことで、わたしは大事な人と会えなくなっても、その事実は悲しいけれど、そんなに喪失感みたいなもので辛く思ったりはしないようにって自分を励ましてきたのね。 わたしのまわりにいてくれる人たちにも、同じように考えてもらえたらいいなって思ってて、何かに迷ったときには「まめちゃんだったらこういうだろうな」って思い出したり、どこか一緒にいった場所に再び訪れた時に「あぁここはまめちゃんと来たところだなー楽しかったなー」って思い出してくれればいいなって思ったり。 この本はあんまりにも美しい本なので、自分が死んだあとに、悲しく思って泣いてくれちゃうんだろうなって人にこの本を遺したい。 きっとまめちゃんらしい「さよなら」だって笑ってくれる気がするんだよねぇ。

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2024/04/22

詩集とは区分したけれど、 これに収録されているのは一編の詩。 そこにこめられた祈りを最大限届く余白に託した本だった。 死というものがわかれだなどと思わないで、この名前をいつものように呼んでいて。 思い出すまでもなく、日常にいることをわすれないで。 そんな、やさしさの真実が描かれて...

詩集とは区分したけれど、 これに収録されているのは一編の詩。 そこにこめられた祈りを最大限届く余白に託した本だった。 死というものがわかれだなどと思わないで、この名前をいつものように呼んでいて。 思い出すまでもなく、日常にいることをわすれないで。 そんな、やさしさの真実が描かれている一冊だった。

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2024/04/14

死はなんでもないものです。 私はただ となりの部屋にそっと移っただけ。 私は今でも私のまま あなたは今でもあなたのまま。 私とあなたは かつて私たちが そうであった関係のままで これからもありつづけます。 こんなふうに始まる詩 最後は 私はしばしあなたを待っています。 どこ...

死はなんでもないものです。 私はただ となりの部屋にそっと移っただけ。 私は今でも私のまま あなたは今でもあなたのまま。 私とあなたは かつて私たちが そうであった関係のままで これからもありつづけます。 こんなふうに始まる詩 最後は 私はしばしあなたを待っています。 どこかとても近いところで。 あの角を曲がったところで。 と、終わる。 亡くなった人が今でも心のすぐそばでいるということ、寂しさの中にも何かほっこりする温かさを感じる。

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2024/03/18

必要なときが訪れたら買おうと思っていた。 9年3ヶ月もいっしょに暮らしていた文鳥を一昨日亡くし、喪失感に苛まれている中で。 場所が少し変わっただけ。あなたとわたしは何も変わらない。悲しい思い出にしないで。 まだしばらくは立ち直れないけど、、、目の前からいなくなっても、いっしょに...

必要なときが訪れたら買おうと思っていた。 9年3ヶ月もいっしょに暮らしていた文鳥を一昨日亡くし、喪失感に苛まれている中で。 場所が少し変わっただけ。あなたとわたしは何も変わらない。悲しい思い出にしないで。 まだしばらくは立ち直れないけど、、、目の前からいなくなっても、いっしょにいるんだよね。 大切な何かを亡くしたすべての人に読んでほしい作品。

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2024/01/08

2023年夏に亡くなった母の遺品から発掘。父を亡くした際に贈られたもののようだった。 親しい存在との死別の悲しみは、その大きさや深さ、タイミングが予想出来ない。人によってはその瞬間から衝撃的に訪れるかもしれないし、何年もあとになってじわじわと襲ってくるかもしれない。 そんな時に寄...

2023年夏に亡くなった母の遺品から発掘。父を亡くした際に贈られたもののようだった。 親しい存在との死別の悲しみは、その大きさや深さ、タイミングが予想出来ない。人によってはその瞬間から衝撃的に訪れるかもしれないし、何年もあとになってじわじわと襲ってくるかもしれない。 そんな時に寄り添ってくれる詩なのだと思う。 もし英語を解するなら、英語の方がより沁みる気がする。

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2023/11/27

朝日新聞に取り上げられていたので取り寄せて読みました。 亡くなった人から残された人へのメッセージ。寂しいけれど隣の部屋にいるだけだと思えば寂しさは我慢できますね。

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2023/11/19

電車やお店にいるふとした瞬間に、いつか来る親の死を想像して涙目になることがよくある。 「あなたの声音を変えないで。」そうだよね、、!

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2023/11/12

まさしく、「死」はそうで、 いたずらに恐れおののくものではない。 それは「死」に対して、失礼でもある。

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2023/10/11

すごく短い詩だけど、余白も、スペースも、挿絵も、文字の配置も、紙の質感も、装丁も、全てがとっても丁寧で 誰かを亡くした悲しみに本当にゆっくりゆっくり寄り添ってくれるような本だった。 死は当たり前にみんなに平等にくるものだけど、それでもやっぱり人間にとって大切な存在の喪失 はすご...

すごく短い詩だけど、余白も、スペースも、挿絵も、文字の配置も、紙の質感も、装丁も、全てがとっても丁寧で 誰かを亡くした悲しみに本当にゆっくりゆっくり寄り添ってくれるような本だった。 死は当たり前にみんなに平等にくるものだけど、それでもやっぱり人間にとって大切な存在の喪失 はすごく大きなもので。 その悲しみを受け止めながらも、死は特別なものじゃなくてこれからも大切な人やものは近くにいるよ、あなたの人生全てが変わるわけじゃないよ、大切に生きてね、とやさしく語りかけてもらえた気がしました。 もっと早く出会いたかった1冊。 夏葉社の本はどれもやさしくて大好きです。

Posted byブクログ

2023/09/14
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

死はなんでもないものです。 私はただ となりの部屋にそっと移っただけーーー 永別を経験し、悲しみに暮れているひとに手渡したい、42行の短い詩。 冒頭に記した詩のことばが気になって読む。 先日祖母を亡くしたのですが、いまだ実感が得られず、どこかで祖母が生きているような気すらします。 95歳の大往生。晩年は認知症を患い、寝たきりになり、半年ほど入院し、最期は家族に見守られ、眠るように病室で息を引き取りました。 お医者様からも、高齢を理由に、覚悟をするように何度も促されていました。 そのせいか、それとも私が薄情なせいか、悲しみはあまりなく、亡くなったときはホッとした安堵の思いと、人生を最期までやり遂げた祖母への畏敬の思いが入り混じっていました。 認知症の症状なのか、それとも家族の対応がまずかったのか、家にいるときは自分の人生を悲観し、「わたしの人生なんだったんだ」「お前たちがいないときに火を付けて家もろとも燃やしてやる」「わたしが死んだら呪ってやる。覚えておけよ」などと、苛烈な言葉を毎日発し、家族や友人やデイサービスのひとを困らせていました。 私はと言うと毎回、あ、おばあちゃん劇場始まった、と、冷静に、というか冷淡に受け止めていました。 でも、祖母の胸の底からふつふつと湧いているであろう、さみしさや悲しさ、後悔は本物だろうと思ったので、何とかしたかったけれど、力不足でした。 最後の方は、言葉を話すことができなくなり、顔を見ても、ただお互いに見つめ合うだけ、というときばかりだったのだけど、祖母はどんな思いで私の顔をじっと見てたんだろう、と、永遠の謎を、たぶん、私が死ぬまで持ち越すのでしょう。 祖母が亡くなってから、仏間のライトがスイッチに触れてないのに、消えたりすると、私の母は、「もう、おばあちゃんたら!」と、言うようになり、私は、ああそうか、家族に死者が出るとこんな感じになるのか、と、思いました。 この本の詩の冒頭、“私はただ となりの部屋にそっと移っただけ”という感覚も、実感として理解できます。 気配はするけれど、見えない。でもそこにいる。 科学の見解とは違うでしょうし、私も死んだら何もかもなくなると思っているけれど、生きている人は亡くなったひととの折り合いをつけ、これからも生活していかなければならないのです。 この詩はヘンリー・スコット・ホランドさんという、1847年生まれの神学者で哲学者の方が書かれたそうです。 訳者の名前は公表されていません。 あとがきにかえて、では、その方が祈るように訳された、と、発行人の方が伝えてくれています。 匿名性を保持することで、この詩が、あなたのもの、になるように願ったのかもしれません。 生者のための死者の本です。 私の長い、弔いの文章にお付き合いくださりありがとうございました。

Posted byブクログ