1,800円以上の注文で送料無料

ことばと思考 の商品レビュー

4.1

59件のお客様レビュー

  1. 5つ

    16

  2. 4つ

    22

  3. 3つ

    12

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2014/01/05

慶応大学の今井むつみ先生の著作。「言語がどのように我々の思考に関係しているのか?」 というラディカルな問いに挑む。 アメリカの言語学者、ベンジャミン・リー・ウォーフは、アメリカ先住民のホピ族の言語の分析をもとに、人の思考は言語と切り離すことが出来ないものであり、母語における言語...

慶応大学の今井むつみ先生の著作。「言語がどのように我々の思考に関係しているのか?」 というラディカルな問いに挑む。 アメリカの言語学者、ベンジャミン・リー・ウォーフは、アメリカ先住民のホピ族の言語の分析をもとに、人の思考は言語と切り離すことが出来ないものであり、母語における言語のカテゴリーが思考のカテゴリーと一致すると主張した。今井先生は、これをウォーフ仮説、もしくはサピア=ウォーフ仮説と呼んでいる。 以下は、ウォーフの主張の大切な部分だと思うので、引用しておく。 ”われわれは、生まれつき身につけた言語の規定する線に沿って自然を分割する。われわれが現象世界から分離してくる範疇とか型が見つかるのは、それらが、観察者にすぐ面して存在しているからというのではない。そうではなくて、この世界というものは、さまざまな印象の変転きわまりない流れとして提示されており、それをわれわれの心-つまり、われわれの心の中にある言語体系というのとだいたい同じもの-が体系付けなくてはならないということなのである。われわれは自然を分割し、概念の形にまとめ上げ、現に見られるような意味を与えていく。そういうことができるのは、それをかくかくの仕方で体系化しようという合意にわれわれも関与しているからというのが主な理由であり、その合意はわれわれの言語社会全体で行われ、われわれの言語パターンとしてコード化されているのである。” 今井先生は、このウォーフ仮説を手すりとして、 「人の思考に共通の基盤があるのであれば、言語自体にも規則性、共通性は潜んでいるのか?」 「言語を習得していく過程での子供の思考はどのようなものか?」 「異なる言語を話すものたちは、どこまで深く、相互にりかいしあえているのだろうか?」 「そもそも、本当の相互理解は可能なのだろうか?」 という、コミュニケーションの根源的疑問に迫っていく。編集工学の基本部分にも大いに関係する著作。

Posted byブクログ

2013/06/30

 「異なる言語の話者は世界の認識の仕方も本当に異なるのか」という古典的な問いに、様々な実験データで答えるもの。異なる言語の話者だけでなく、言語を持たない人間の赤ちゃんがどう世界を認識するのか、という実験も紹介されている。  「サピア=ウォーフの仮説」や、その仮説は言い過ぎではない...

 「異なる言語の話者は世界の認識の仕方も本当に異なるのか」という古典的な問いに、様々な実験データで答えるもの。異なる言語の話者だけでなく、言語を持たない人間の赤ちゃんがどう世界を認識するのか、という実験も紹介されている。  「サピア=ウォーフの仮説」や、その仮説は言い過ぎではないかという批判なんかは言語学を勉強すれば出てくるが、様々な理論的な話は置いておいて、実験してみるとどうなるのか、という話が書かれている。言語心理学(心理言語学?)というのをちゃんと勉強したことないので、こういう様々な実験結果から言語の多様性と普遍性という大きな2つの特徴に迫っていくプロセスがとても面白いと思った。  1章の「言語の多様性」については、本書でも書かれているが、他の本で多数紹介されているところであるが、何度読んでも面白いと思う。「パプアニューギニアのファス族の言語」では体の部位が数を表すのに使われ、例えば38は「二度目の小指まで行って再び最初の小指」と表す(pp.57-8)というのは、面白い。『もし「右」や「左」がなかったら』という本にも書かれていたと思うが、東西南北のような絶対的な基準によって物の位置関係を表す言語というのがほんと不思議だ。人はもともとこのような感覚を持っている、ということを初めてこの本で知ったが、そんな能力を、わざわざ右や左という言葉によって失うのももったいない気がする。この第1章の多様性も面白いが、それよりも、例えば「歩く」から「走る」に切り替わるタイミングはどの言語の話者でも同じ、という「世界の切り分け方」に普遍性が認められるというのがとても興味深い。言語は「多様性」と「普遍性」の両方で語られるべき、というのがよく分かる1冊だった。  関係ないが、p.217を読んで、英語の「歩く」の語彙を意識的に増やさないといけないと思った。(13/06/30)

Posted byブクログ

2013/05/08

 あたりまえのように、モノを考えるときは言葉で、日本語で考えています。その仕組みを解き明かす本です。  各言語によって、動詞の表現の仕方にも違いがある、と言うのはとても納得しました。だから私は英語の、ちらっと見る、じっと見る、その他いろいろな見るが、覚えられないのです。

Posted byブクログ

2013/04/22

とても興味深い本でした。 日本に生まれて、日本語の観点で自然にものを見ている事を改めて知ることが出来た。 色を「明るい・暗い」の2語しかない言語や「1と2しかない」言語 世界中の様々な言語についても取り上げている。 その言葉を使いこなす民族の思考をいろんな実験から解く。 生き...

とても興味深い本でした。 日本に生まれて、日本語の観点で自然にものを見ている事を改めて知ることが出来た。 色を「明るい・暗い」の2語しかない言語や「1と2しかない」言語 世界中の様々な言語についても取り上げている。 その言葉を使いこなす民族の思考をいろんな実験から解く。 生き物としての人とねずみやチンパンジー・オラウータンなどとの比較もおもしろい。 まだ言葉を習得していない赤ちゃんたちの反応も面白く、子供の発達に興味がある方はぜひ読んでほしい。

Posted byブクログ

2012/11/26

「異なる言語の話者は、世界を異なる仕方で見ているのかどうか」 心理学の実験データに基づき、解説されている。 言語によって物事の切り取り方(数の概念、動詞や名詞がどの程度詳しく別れているか)が異なるので、言語が異なると世界の見方が異なるともいえる。 しかし、言語が異なっても、共通...

「異なる言語の話者は、世界を異なる仕方で見ているのかどうか」 心理学の実験データに基づき、解説されている。 言語によって物事の切り取り方(数の概念、動詞や名詞がどの程度詳しく別れているか)が異なるので、言語が異なると世界の見方が異なるともいえる。 しかし、言語が異なっても、共通認識として考えられる部分も多い。実際、乳児は母語を身につけるまでは、さまざまな切り取り方をできることがわかっている。 確かに異なる部分もあるけど、それでお互いに理解できないほどではないし、むしろ異なる側面を理解することで相互理解が進む。 発達心理学、認知心理学、脳科学(fMRIとか)の知見がわかりやすく織り交ぜられていて、広く読みやすい本だと思う。

Posted byブクログ

2012/09/12

慶応技術大学環境情報学教授、今井むつみによる書。 ことばと思考の関係について、さまざまな言語の話者の認識の在り方を紹介しながら解説している。 「色」や「方向(前後左右)」「数」などの解説から、話者が世界をどのように切り分けているか、その多様性に驚かされる。 また、言語は世界を...

慶応技術大学環境情報学教授、今井むつみによる書。 ことばと思考の関係について、さまざまな言語の話者の認識の在り方を紹介しながら解説している。 「色」や「方向(前後左右)」「数」などの解説から、話者が世界をどのように切り分けているか、その多様性に驚かされる。 また、言語は世界を分割し、言語のカテゴリーが思考のカテゴリーと一致するといい、アメリカ先住民のホピ族の言葉と標準西洋言語との間には翻訳不可能なほど隔たりがあるとするウォーフ仮説について、大枠について賛成しつつも、それだけでは解釈できない事柄について実験の紹介を交え丁寧に解説されている。 ことばと認知において、動物の実験と人間の子どもと成人におけるさまざまな認知的な実験が紹介されているが、そのどれもが興味深いものだった。 ことばが、潜在的に思考を変容させるのは理解できるが、どのように思考を変容させるかについては、この本で挙げられたさまざまな実験例が示唆してくれる。多言語の比較における認識の違いが特に面白かった。 ---------------- 【内容紹介(amazonより)】 私たちは、ことばを通して世界を見たり、ものごとを考えたりする。では、異なる言語を話す日本人と外国人では、認識や思考のあり方は異なるのだろうか。「前・後・左・右」のない言語の位置表現、ことばの獲得が子どもの思考に与える影響など、興味深い調査・実験の成果をふんだんに紹介しながら、認知心理学の立場から語る。(カラー口絵2頁) ---------------- 【目次 】 序 章:ことばから見る世界―言語と思考 第一章:言語は世界を切り分ける―その多様性 第二章:言語が異なれば、認識も異なるか 第三章:言語の普遍性を探る 第四章:子どもの思考はどう発達するか―ことばを学ぶなかで 第五章:ことばは認識にどう影響するか 終 章:言語と思考―その関わり方の解明へ あとがき ----------------

Posted byブクログ

2012/08/13

いつも立ち寄る本屋さんで発見。帯には『異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!-最先端の審理実験に基づく、科学からの回答』とある。 私がこの本を読んで考えていたのは、聴者にとっての「手話言語の空間・動き・時間・認識」の困難さのことだ。 いつも手話の読み取り学習をやると感じるのだ...

いつも立ち寄る本屋さんで発見。帯には『異なる言語の話し手は世界の見え方が違う?!-最先端の審理実験に基づく、科学からの回答』とある。 私がこの本を読んで考えていたのは、聴者にとっての「手話言語の空間・動き・時間・認識」の困難さのことだ。 いつも手話の読み取り学習をやると感じるのだけれど、手話を読もうとしたら口型からの情報を「認識」しつつも、眉毛の上下、うなづきだ、上体の前後だ、などと空間認識にすぐれた能力が求められる。しかしそもそもそうした「三次元の言語を説明」しようという「言葉」がないのだから困難を極める。 まして「空間には基準となるスケール」がない。つまり「身体の斜め前」といっても具体的には①「手首」を、②身体の右45度に、③胸の高さで、④右胸から30センチ話した位置で・・など空間に固定された手話の動きひとつ表すのもたいへんだ。 さらに⑤手の形も様々だし、これに⑥動き(移動)が加わったらホントお手上げだ。 「モノとモノの間の関係については、どこにも明確な境界線がない。私たちが存在する三次元の空間上に、空間関係をカテゴリー化するための線など引かれていないのだから。」(121ページ) books190

Posted byブクログ

2011/11/27

言葉が違えば思考は違うのか。認知科学的な側面から、人はどのようにして言葉を獲得し、思考を獲得するのか。

Posted byブクログ

2011/11/19

認知言語の楽しき新書。英語や日本語の勉強にもなりまする。英語のobject、日本語では物体と訳されますが、日本人に人や動物は物体か?と聞くとno、英語母語話者に同じ質問をするとyes…可算名詞の概念とつながるobject、その概念があいまいな物体という日本語との違い…

Posted byブクログ

2011/10/28

 言語には前々から興味があっていろいろ読んで感心していた。この本はサピア・ウォーフ仮説を心理学的に検証するとどうなるかというのを詳しく扱っていてとても興味深い。サピア・ウォーフ仮説とは,ある言語の母語話者の思考は,その言語によって規定されてしまうという説。言語は思考体系そのもので...

 言語には前々から興味があっていろいろ読んで感心していた。この本はサピア・ウォーフ仮説を心理学的に検証するとどうなるかというのを詳しく扱っていてとても興味深い。サピア・ウォーフ仮説とは,ある言語の母語話者の思考は,その言語によって規定されてしまうという説。言語は思考体系そのものであるから,言語に応じて考え方が異なり,完全な翻訳は不可能で異言語間での意思疎通は困難な場合がある,ということだ。  世の中の物事を認識・把握するのに,言葉は非常に重要な役割を果たしている。人間は自己の外部をありのままに把握するのではなく,言葉をつかってきりとりながら把握する。言葉は世界をきりとる道具といえる。道具が違えばそのはたらきも違うように,言語が異なると世の中をどう認識していくかも異なる。地球上には様々な言葉を話す何千もの民族がいるが,それぞれ固有の世界のとらえかた・思考様式をもち,多様な文化をうみだしている。言語というものはそのまま世界のきりとりかたをあらわしている。  例えば,英語では,単数か複数かで名詞の形が異なるが,日本語ではその区別がない。英語を母語とする人々は物が一つなのか二つ以上なのかを区別することに意味を見いだしているが,日本人にとってはそんな区別は重要でない。日本語では数を特定せずに「犬を飼っている」という言い方ができるが,英語では飼っている犬が一匹なのか否かを必ず表現しないといけない。逆に日本語で「犬を複数飼っている」とか、「犬たちを飼っている」とか言うのは異様な表現であり,どうしても数に触れたければ「犬を○匹飼っている」とか「犬をいっぱい飼っている」など単複の区別以上の限定をしなければならない。  もちろん英語の方が大雑把なこともある。例えば日本語には「…本」とか「…枚」とかいう助数詞があるが,英語にはない。また,英語では稲も米も飯も「rice」である。橙だけでなく茶色まで英語では「orange」になる,などなど。世の中にはいろんな言語があって,色を表す基本語が2個しかない言語や,前後左右に相当する語がなく東西南北で位置を特定する言語もある。名詞に性をもつ言語はかなりポピュラーで,男女だけでなく中性があったり,計5個の性をもつ言語もある。中国語には英語の「hold(持つ)」にあたる言葉がたくさんあるが(拿,抱,夾,頂,托,背,端,提,捧,挙など),逆に英語で使い分けている「hold(単に持つ)」と「carry(持ったまま移動する)」は区別しない。このように言語体系は千差万別であり,異なる言語間では,言葉の意味は一対一対応しないことがほとんどである。やはり思考は言語で決まるのだろうか。  本書では,このサピア・ウォーフ仮説を実験で確かめる試みが紹介されている。結論は,前置詞「on」を用いる英語話者は,位置の上下関係よりも接触・支持の有無に着目して認識する傾向があるが,日本語話者はそうでないなど,どんな言語の話者であるかによって,空間関係や時間の認識のしかたはかなり影響を受けるが,物体や色の認識においては,言語の違いがそれほど本質的に表れるわけではないとしている。むしろ,ある対象の類似物に対応する語がある言語話者は,その対象と類似物の差異を捨象してその語が表す物として認識してしまう傾向があるのに対し,そのような語のない言語話者は,その対象を変にゆがめることなく認識できる場合も多い。穏当な結果だ。  人は理解しあえる。多くの学問が言語を超えて成果を共有するのも,別にみんなが西洋文化に染まってしまったわけでもなく,本質をえぐりだしているからなのだろう。

Posted byブクログ