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ことばと思考 の商品レビュー

4.1

59件のお客様レビュー

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2017/08/06

- 異なる言語の話者は世界を異なる形で見ている - 『サピア・ウォーフの仮説』要約 違う言葉の国の人が自分とは違う世界を生きているとしたら、興味深くないですか? 『サピア・ウォーフの仮説』を元に、ことばと思考の関わりについて書かれた本 オーストラリアのアボリジニのあ...

- 異なる言語の話者は世界を異なる形で見ている - 『サピア・ウォーフの仮説』要約 違う言葉の国の人が自分とは違う世界を生きているとしたら、興味深くないですか? 『サピア・ウォーフの仮説』を元に、ことばと思考の関わりについて書かれた本 オーストラリアのアボリジニのある言語では、『前後左右』(相対座標)に相当することばを持たない代わりに、『東西南北』(絶対座標) を瞬時に把握する能力に秀でているらしい。

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2017/06/19

目次:序章 ことばから見る世界、第一章 言語は世界を切り分ける、第二章 言語が異なれば、認識も異なるか、第三章 言語の普遍性を探る、第四章 子どもの思想はどう発達するか、第五章 ことばは認識にどう影響するか…他

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2017/02/24

難しかったけど、面白かった! 他の言語を知る意義に納得がいった。 こういう事を学校で教えてくれたらいいのに。

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2016/02/10

 ロバート・シルヴァーバーグの『禁じられた惑星』は「わたし」ということばが禁じられた惑星の物語。扉の紹介文を読んだとき、「わたし」の概念がない人々の話とはすごいと思ったものだが、それは早合点だった。「わたし」という言葉はあるのだが、その惑星の社会では使ってはいけないだけだった。で...

 ロバート・シルヴァーバーグの『禁じられた惑星』は「わたし」ということばが禁じられた惑星の物語。扉の紹介文を読んだとき、「わたし」の概念がない人々の話とはすごいと思ったものだが、それは早合点だった。「わたし」という言葉はあるのだが、その惑星の社会では使ってはいけないだけだった。では、「わたし」という言葉がなかったら「わたし」という概念は生じないのだろうか。  言語学の有名なテーゼにサピア−ウォーフの仮説がある。人間の認識は言語によって規定されてしまい、異なった言語を持つ人は異なった世界を見ているということである。これに従うならば、「わたし」という言葉がなければ「わたし」という概念は生じないのかもしれない。  認知言語学の入門書(『言語学の教室』)を読んだので、今度は認知心理学からみた言語。まずはサピア−ウォーフの仮説を提示し、心理学実験で実際どうなのかを解説していく。虹の色が何色かというのは言語学で有名な問題だが、色を表す基本語(「黄緑」のように複合的に作ったのではない言葉)の数は言語によってかなり違い、英語や日本語は多い方だという。極端には「明るい色」と「暗い色」と二つしかない言語もある。  フランス語やドイツ語のように名詞にそれぞれ性のある言語。ドイツ語は男性・女性・中性と3つの文法的性があるが、4つ以上の文法的性のある言語も存在する。  このように言語が世界を切り分けるさまが示された上で、言語が異なれば認識も異なるかが問われる。確かに文法的に女性の動物を示してオスかメスか問うと、その言語の話者は女性名詞の動物をメスととらえる率が高いといった実験がある。他方、「明るい色」と「暗い色」と二つしかない言語の話者も、英語の基本語の色、つまり赤や青は記憶しやすいが、複合語で示されるような中間色は記憶しにくいというように、言語を越えて、あるいは言語の背後で人間の基本的な認知能力に規定されている部分がある。すなわち、言語は認知を歪ませることがある。  そこで話は発達の問題となる。赤ちゃんの認知を調べると、かなりプレーンにいろいろなことに関心が向く。ところが特定の言語環境に置かれ続けることで、その認知はその言語の特性にそって歪んでいく。  いや、歪んだほうがいいのだ。ひとつはその母語にとって重要な認知に振り向けるという意味がある。そして知覚を超えて推論したりする能力を言語は与えてくれるので、それは生存に役に立つ。さらに、言語は認知に飛躍的な発達を可能にする。  これは本書には書かれていないが、プレーンに広がる赤ちゃんの認知は自閉症の認知に近い。自閉症の人は感覚の洪水に溺れてしまうので、様々な方法で感覚を遮断しようとするが、われわれは言語によって認知を歪ませることで、感覚を遮断しているのである。  そして大人においても、認知が言語によって歪む。例えば、図形を見せて記憶させる課題で、傍らに言葉を記しておくことで、その言葉に引きずられて記憶が歪むのだ。  結局、われわれの思考は言語というウイルスに感染した脳によって行われているというイメージなのではないかと評者は思う。「わたし」という単語のない言語の話者は、しかし、その言葉がなくとも「わたし」に類した概念を持ち、日本語の「わたし」を理解することができるだろう。しかしその「わたし」は日本語話者である「わたし」の「わたし」とは幾分違ったものにならざるを得ないだろう。

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2015/12/27

「思考はことばで行うものであり、ことばのあり方が思考のあり方を決定している」と、つい言い切ってしまいがちだが、話はそれほど単純でないということを、異言語や動物や子供などに対する様々な実験の結果を紹介しつつ明らかにしている。ことばなしでもある程度世界の切り分けが行われており、それを...

「思考はことばで行うものであり、ことばのあり方が思考のあり方を決定している」と、つい言い切ってしまいがちだが、話はそれほど単純でないということを、異言語や動物や子供などに対する様々な実験の結果を紹介しつつ明らかにしている。ことばなしでもある程度世界の切り分けが行われており、それをより精密に切り分ける過程で言語の影響がみられるらしい。この本を読んで、ことばと思考の関係についてバランスのとれた見方ができるようになったように思う。また、様々な実験の内容が実におもしろい。

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2015/03/11

ことばと思考、認識をめぐる論考。 言語の違いによる思考の違いだけでなく、子どもがことばを獲得していくことで、認識がどう形成されるのかを、さまざまな実験をもとに検討している。子どもがちょうど、言葉をどんどん覚える時期なので、娘も今、世界をカテゴライズして認識していっているのか、と興...

ことばと思考、認識をめぐる論考。 言語の違いによる思考の違いだけでなく、子どもがことばを獲得していくことで、認識がどう形成されるのかを、さまざまな実験をもとに検討している。子どもがちょうど、言葉をどんどん覚える時期なので、娘も今、世界をカテゴライズして認識していっているのか、と興味深かった。 文章も読みやすく、秀逸。 (2015.3)

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2014/09/12

ことばを持たないと、実在するモノの実態を知覚できなくなるのではなく、ことばがあると、モノの認識をことばのカテゴリーのほうに引っ張る、あるいは歪ませてしまう(p66)

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2014/05/18

第1章では、世界の言語はいろいろって話。数の数え方とか色とか。アマゾンの奥地で暮らすピラハ族は、1が、下がるピッチで「ホイ」、2が、上がるピッチで「ホイ」で、それより大きい数は「多い」みたいな言葉しかなくて、2つの「ホイ」も「1と2」じゃなくて「2と3」とかにもなったりするらしい...

第1章では、世界の言語はいろいろって話。数の数え方とか色とか。アマゾンの奥地で暮らすピラハ族は、1が、下がるピッチで「ホイ」、2が、上がるピッチで「ホイ」で、それより大きい数は「多い」みたいな言葉しかなくて、2つの「ホイ」も「1と2」じゃなくて「2と3」とかにもなったりするらしい。体の部位の名前を数の名前としている語もあって、左の小指からスタートして薬指、中指、・・・手、腕、肩、首といって小鼻までいくとこれが18、鼻先が19でその後は右側にいって右の小指が37にあたる。 位置関係についても前後左右を表す語がまったくない言語も多くあるらしい。 へーってかんじ。 第2章ではいわゆるウォーフ仮説を紹介し、検証する。前後左右を表す語がない言語の民族は東西南北の方向感覚に優れていて、家から100キロ離れた場所や、窓のない部屋の中で「家の方向」を正確に言い当てることができる一方、左右の概念は気にしないらしい。180度回転して「同じ順番」といわれ並べる順番も、日本語をはじめとした前後左右で位置関係を考える語族と絶対座標を使う語族では並べ方が逆になる、というように言語により認識が違うことを紹介する。 第3章では、そうはいっても言語間に言語を超えた普遍性がないかという検証。「歩く」と「走る」という日本語の基本動詞のほか、運動の様子を表す複数の動詞をもつ他の言語でも「走る」「歩く」の境は変わらなかったこと、「イヌ」のような(例示が難しいとは思うけど)どの言語にもある「基礎レベルのカテゴリー」の言葉はあること、名詞の分類方法は限られていることなど(一本」「枚」「匹」「頭」とか雑多な助数詞で分ける日本語タイプ、性によって名詞を必ず二分する言語タイプなど大きく3分される)。 第4章は、子どもの思考が言語とのかかわりでどう発達するか。生まれたばかりの頃は日本語話者の子どもでもrとlが聞き分けられるなどオープンだけれど、だんだん一つの言語により世界をカテゴリー化/ラベルづけするようになっていって「何と何が同じで何と何が違うか」という判断には言葉はとても重要だということ。そのほか赤ちゃんがどんな概念カテゴリーに親和的で直観的な理解が可能かなど。 第5章ではさらに、同一の「言語」の中でも「言葉」が「認識」にどう影響しているか、と別の角度から考える。同じ認識をした人どうしでも与えられた言葉が異なると認識が異なってくる。また、目からの認識で言語を使う必要のない場面でも無意識に言語を処理する脳の部分を使用しているという話など。終章ではまとめとともにバイリンガルについてなどを考える。 それぞれの話が面白くてこんな紹介のしかたになってしまった。実験結果で根拠も示されているから説得力があって安心して読める。一章ごとのテーマ設定も分かりやすくて最後まで面白く読めた。

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2014/04/11

赤ん坊が3以下の数を認識しており、4以上は大まかな量としてしか扱ってないという研究結果が個人的に興味深かった。その実験の映像が思い浮かび、ほのぼのとしてしまった。

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2014/02/15

言語によって世界が切り分けられ、認識に影響を及ぼしているということ。一貫していってることは一緒やったけど、四章とかは発達の観点からみていて興味深かった。

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