羊をめぐる冒険 の商品レビュー
うーん。不思議な話だったな。面白い?ような、別にのような、変な感じ。 さらーっとしてて、匂いがない。読んでて、腹もたたないし、笑えもしなし。うーん。なんか、無表情で読んじゃった感じがします。あ、でも、人がやりとりする会話の部分は、なかなか良かったな。会話に味がある、そんな印象。
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羊が日本国を支配する知能と思想を持ち、人に乗り移るなんて奇想天外だが、やはり春樹作品はモチーフがとてもステキ。デビュー作から時折登場する僕の親友、鼠が死んでしまったのはとてもショックだったが。
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春樹ファン、と豪語しながらも、振り返ると1冊だけ読んでいない長編作品があった。それがこの「羊をめぐる冒険」。 主人公の「僕」は、ある日謎の男の訪問を機に、友人「鼠」から送られてきた一枚の「背中に星型の斑紋のある羊」の写真を手掛かりに、その羊と友人を追って旅に出る。与えられたリミットは1ヶ月。 北海道の人里離れた牧場へ、完璧な耳を持つガールフレンドと向かう。 最後まで飽きさせない展開。強力な個性を放つキャラクターも健在だ。(特に羊男。春樹の本にイラストが掲載されるなんて稀だ。) 羊がカラダのなかに入ってくるってどんな感じなんだろう。 とても不気味。だけど物語全体の情景がものすごく私の中でイメージできた作品だった。馬ではなく、牛ではなく、「羊」を選んだことも秀逸。村上春樹の世界観にとてもうまくハマる動物な気がする。 鼠と主人公との会話がクライマックス。鼠が自分の弱さについて語るシーン、とても緊張感がある。 でも、全体を通すと、「僕」はあまりにも切ない。失うものが多すぎる。 最後のジェイとの会話が救い。ジェイはカッコいい男だね。 「風の歌を聴け」「1978年のピンボール」の続編。この二作は読んだことが有るんだけど、もう一度読み直してみる。 「やれやれ」ってお約束のフレーズは、この時に生まれたのだろうか。 それも含めて、春樹作品をもっと読み込んで行こうと思う。
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10数年前に読み あらためて読み直した 最後 涙が止まらなくなった 村上小説の代表作のひとつだと 心から思う 後に 「ダンス・ダンス・ダンス」 を読むことをお薦めしたい
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青春三部作の完結編。鼠から来た北海道消印の葉書から、僕はすべてをすてて鼠を探す旅に出る。羊博士、ドルフィンホテル、羊男の哀しい青春の終り…。 再読。何年も前に初めてこの作品を読んだとき、終盤の僕の鼠へのセリフ「きみはもう死んでるんだね?」にショックを受けた。もしかして三部作に出...
青春三部作の完結編。鼠から来た北海道消印の葉書から、僕はすべてをすてて鼠を探す旅に出る。羊博士、ドルフィンホテル、羊男の哀しい青春の終り…。 再読。何年も前に初めてこの作品を読んだとき、終盤の僕の鼠へのセリフ「きみはもう死んでるんだね?」にショックを受けた。もしかして三部作に出てくる鼠は僕の分身(大人になりきっていない僕)に過ぎないのではないか?という疑問がその時以来ずっとついて回ったのだ。もちろん鼠からの手紙が来なければ羊をめぐる冒険は始まらなかったのだから、鼠が存在しないというのは無理があることはわかっているけれども、今回、改めて読んでもなおすっきりしない部分は残った。この三部作に限らず村上春樹作品にはいろいろな解釈が可能らしいことは数多の村上春樹読本の存在からも明らかで、機会があったらそうした本も読んでみたい。
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読み始めてすぐに、このお話には「失われる」予感しかしない、と思った。 第一章の悲しみが深すぎて、私はこの一章を読んだだけで、今更ながら村上春樹のことを「いったいこの人は、どんな生き方をしてきたのだろう」と思ったのである。 『風の歌を聴け』に始まる、「僕」と「鼠」のシリーズの完結編にあたる作品らしい。 yuuさんから「『羊をめぐる冒険』は、止まった世界が終わる話かも知れません」とお聞きして、とても気になりつつ読むのが今になってしまった。読んで納得、そしてやはりこれは、「失われる」お話だったのだな、と確信した。 この物語で、「僕」はたくさんのものを失う。それは妻だったり、仕事だったり、そしてもっともっと深く、長い長いものだったり。 けれどもそこに漂うのは喪失感というよりは、圧倒的な普遍さ、であるような気がした。あまりにも普遍すぎて、それが故に茫漠として、刹那的なもの。 「鼠からの手紙」を読んで、私はそのあまりの刹那さに、「鼠はきっと、もうダメだ」と思った。彼のあまりの悲しみに、いたたまれなくなってしまったのだ。 この「もうダメだ」というのは、彼が人間として、あるいは生きていくこと自体が、もうダメだ、というのではない。このあまりに個人的な彼の悲しみが、もうダメだ、と思ったのである。 私がもし、この作品の中で描かれているほどの悲しみを背負ったとしたら……はたして、生きていけるだろうか? と思う。 私は村上春樹のファンではないし、彼の作品も数作しか読んでいないけれど。もし、彼のすごさは何か? と人に聞かれたなら、私は「必然性だ」と答えるかもしれない。 けれど、何が、「必然」なのか? いったい、村上春樹作品の何が、「必然」であるのか? わからない。けれど、考えてみたところ、それは「現実は虚構である」「虚構は現実である」という、あまりに主観的で矛盾した認識なのではないか、と思った。 私たちが生きている世界は、自分の思い通りにならないし、個人の考えなど何の意味も影響も及ぼさない。「わたし」や「ぼく」に、どれほどつらいことがあって、死ぬほど悲しいことがあったとしても、それは世界には全く関係のないことなのだ。 こんな世界がはたして「現実」だと言えるだろうか? 否。この感覚、この感情、自分が抱いているこの認識だけがリアルで、唯一自分のものと言えるもの。だとしたら、この世界は自分の感情の入れ物ではないだろうか? けれど現実はそうではないこともまた、「わたし」や「ぼく」はわかっている。1+1=2であり、世界は自分がいなくとも回る。けれど、不思議なことに、それと同時に1+1=2ではない、ということもまた、事実なのだ。 この圧倒的な矛盾。どちらもが現実であると同時に、どちらもが虚構であるという認識。これが村上春樹の「必然性」なのではないかなぁ、と私は思う。 最後の最後、「僕」が二時間泣いた、と書かれていることが、むしろ救いのような気がしてしまうほど、私にはこのお話が、とてもとても悲しいものに思えた。
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30近いおっさんが、羊を探しにガールフレンドと性交しながら北海道に向かう話。 ガールフレンドの耳が魅力的でなければ、私はこの本を読むのを途中でやめていたかも。 それぐらい退屈な本だった。でもワクワクした。 納得はできなかった。でも全てがつながった。 私もおっさんに「好き...
30近いおっさんが、羊を探しにガールフレンドと性交しながら北海道に向かう話。 ガールフレンドの耳が魅力的でなければ、私はこの本を読むのを途中でやめていたかも。 それぐらい退屈な本だった。でもワクワクした。 納得はできなかった。でも全てがつながった。 私もおっさんに「好きだよ」と言われながら耳を触ってほしいな。 こんなに胸がときめくシチュエーションはないよね。
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大学の講義での課題図書。「満州国と暴力性」が講義内容だった。 主人公のおっさんの友人「鼠」が撮った羊の写真がもとで、怪しい男にその羊を見つけるよう強制される話。 主人公は結局鼠の死と恋人との別れを経験して海岸で泣く、という何とも後味のよろしくない終わり方。味があるんだけど、全体を通してうら寂しい世界観。セピア色な雰囲気。風呂敷を広げといて回収しないまま終わった感は否めない。 でも、こういう、日常から道一本抜け出してファンタジーに迷いこむ、っていう村上春樹ワールドはすごく好き。読んでてワクワクする。 ガチガチのファンタジーワールドではなく、現実世界との接点がちょくちょく出てくるところが特にツボ。鼠の別荘で「パーフィディア」を聴くなんていう、異世界と現実世界が混ざりあってる空気たまらない。 好き嫌いはあるけど、少し不思議な話が好きなら読んでみても良いかも?あと、羊男のイラストの唐突さは反則。ビックリして本を放り投げた。
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村上春樹、青春三部作の第三部。 うーん。正直なところ訳が分からない! 村上春樹の作品は訳が分からないものが多いけれども、雰囲気はなんとなく楽しめたりすることができるんですが…。 今回のは私にはちょっと難しすぎました。 耳が素敵なガールフレンドが可愛いく、癒されました。
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作者の小説としての文体が確立された記念碑的作品、作品の中でも段々と文体が洗練されていくのが分かる様だ。
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