反貧困 の商品レビュー
セーフティネットに広がる穴、すべり台社会。 生存権とは何か、福祉とは何か。 貧困の連鎖を止めるために何ができるのか。 人ごとではなく、僕ら自身の問題なのだと痛感しました。すごく考えさせられます。
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「株主と大企業の役員だけが手取りを増やした」…規制緩和と弱肉強食で世の中が良くなっていくのなら何の問題も無い。ただ現実は各層のセーフティネットが全て破綻、作者が述べる"溜め"が機能しない世の中になっているのも事実。国家によって隠蔽されている貧困問題の一面を明確...
「株主と大企業の役員だけが手取りを増やした」…規制緩和と弱肉強食で世の中が良くなっていくのなら何の問題も無い。ただ現実は各層のセーフティネットが全て破綻、作者が述べる"溜め"が機能しない世の中になっているのも事実。国家によって隠蔽されている貧困問題の一面を明確にする1冊。
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現代の貧困問題を取り上げた一冊。自分が考えていたより多くの貧困問題があり、行政の対応が酷いかはわかった。しかしながら何故だろう積極的に協力しようという気にはなれない。もっと身近に対応する問題があり、他の人に協力するなら、困っている子供にと思ってしまう。本書では「貧困はその人のせい...
現代の貧困問題を取り上げた一冊。自分が考えていたより多くの貧困問題があり、行政の対応が酷いかはわかった。しかしながら何故だろう積極的に協力しようという気にはなれない。もっと身近に対応する問題があり、他の人に協力するなら、困っている子供にと思ってしまう。本書では「貧困はその人のせいではない」と言い確かにいかんともしがたい場合も有ることは分かるが、それでもと思う。政府にはもっと情報を公開して欲しいと思うが、今回の選挙で貧困問題を挙げている人も聞いたことないね。
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「すべり台社会」っなんていうネーミングが恐ろしい日本の貧困状態、たしかに、一度落ちたらもうあがれないんじゃないかっていう恐怖は理解できる。この10年間で、どう考えても暮らしの様子が変わってきてる感じがする。私はニュースなどでしか日本の様子はわからないし、こっちに帰ってくるのも数年...
「すべり台社会」っなんていうネーミングが恐ろしい日本の貧困状態、たしかに、一度落ちたらもうあがれないんじゃないかっていう恐怖は理解できる。この10年間で、どう考えても暮らしの様子が変わってきてる感じがする。私はニュースなどでしか日本の様子はわからないし、こっちに帰ってくるのも数年おきなので、とくにそういう気になるのかも知れないけれど・・・ だいたい、日本で「貧困」問題があるということが明確にされ始めたのはごく最近の話で、それを如実に表すのが岩波新書などでの「貧困問題」を扱う本が目に付いているということだろう。 作者は身分的には東大出身のエリートに属するんだが、在学時代から積極的にホームレス支援などに取り組んできた実地派の人らしい。昔、新聞で湯浅氏のインタビューを読んだことがあるけれど、地に足がついた、とても頼りになる人って印象であった。 内容は、小難しいところもあって「すいすい読める」っていう感じではないが、「すべり台社会」のほか、作者の絶妙な造語がわかりやすくていい。特に、「(貧困状態に陥るのを防ぐために)`溜`を作る」という箇所の「溜」なんていう造語はなかなかいいと思った。 溜(ため)っていうのは、要するに社会的、個人的なセイフティネットである。日本では年金、国民保険、生活保護制度はセイフティネットの役目を果たして切れていない。個人的にも、親族・友人などのネットワークが分断されてしまって、何かの時の精神的な支えが得られない状態がある。 こうやって放っておかれた存在の顕著な例がネットカフェ難民やホームレスの人々である。 これ以外にも、よく目にする児童虐待事件、100才以上の老人が次々に行方不明になっている件、老人が孤独する事件、など、日々ニュースで目にする事件の数々は、もとをたどれば根っこが同じだと思う。貧困というのは、単なる低所得であるとかではなくて、「生活状況そのものが良くなる状態が奪われている状態」であると思う。そういう状況にあると、子供を虐待したり、親を見捨てたりすることもあるだろう。そして、自治体や政府はひとりぼっちになった人たちを助けてはくれない。だって「自己責任」だし。なんちゅう恐ろしい社会か・・・ ホームレスも自己責任、幼児虐待も自己責任、フリーターも自己責任、孤独死も自己責任・・・ほんとにそんなんでいいの??とカナダに住む私などは思うわけです。お互い助け合って社会を築いていこう、っていう視点が、日本では徹底的に欠けてると思う。いつからこんなになっちゃったの?!と驚愕したのであった。 日本も、真剣に貧困問題に取り組まなくてはいけない時期にきたということは、「貧困問題」が発見されたということで、それじたいは喜ばしいことなのかも知れない。発見がなければ解決もないわけで・・・一昔前の単純な「フリーター・ニート批判」みたいのはもう成り立たない時代に来たんだなあと思った。
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公的セーフティネットを強化し「すべり台社会」とならないためには、「溜め」を持った社会が必要であり、そのような社会が「強い社会」であると筆者は説く。ではどうすれば社会に「溜め」が増えるのか。215頁に驚くべき答えが記述されている。それは「公的セーフティネットの強化を通じて果たされる...
公的セーフティネットを強化し「すべり台社会」とならないためには、「溜め」を持った社会が必要であり、そのような社会が「強い社会」であると筆者は説く。ではどうすれば社会に「溜め」が増えるのか。215頁に驚くべき答えが記述されている。それは「公的セーフティネットの強化を通じて果たされる」というのである。この余りに美しい論理循環に筆者は気づいているのだろうか。公的セーフティネット構築の自己目的化が、筆者の究極の目的だとしか僕には思えなかった。
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大学の公衆衛生学で「貧困と医療」をテーマとして実習に臨むことになり、本書を手にした。予想外に白熱した議論では、正しい知識の欠如とそこから生まれる自己責任論の欺瞞を改めて実感したのだけれど、その議論の中で中核に据えていたのが本書で紹介される「5重の排除」(教育課程、企業福祉、家族福...
大学の公衆衛生学で「貧困と医療」をテーマとして実習に臨むことになり、本書を手にした。予想外に白熱した議論では、正しい知識の欠如とそこから生まれる自己責任論の欺瞞を改めて実感したのだけれど、その議論の中で中核に据えていたのが本書で紹介される「5重の排除」(教育課程、企業福祉、家族福祉、公的福祉、自分自身からの排除)だった。 人が貧困による四面楚歌に陥る時には、いつの間にか社会からの排除が重なり、すべり台を滑るように落ちて行く。折り合いのつけられなくなった力は自己の内面に向かい、自責、諦念と希望・願望の破棄により「死ねないから生きている」状態、もしくは自殺に追い込まれるという「自分自身からの排除」が究極的に生じる。本書では、この時に力を発揮するのが世にも正しき自己責任論であり、これにより貧困は自己責任=「自分のせい」だと考えるようになって、自分の尊厳に疑いを持つ状態に追い込まれるとする。 著者は自己責任論を問題の解決として持ち出すのはやめよう、人間が再生産される活力のある社会を作ろうという。そのためには個々人が社会に跋扈する常識(神話)を疑い、「正しい知識」を持つこと、常にアップデートし続け、具体的な行動(投票行動など)に繋げる必要があるんだろう。
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金銭的な貧しさというよりも、人間関係の希薄さ=貧しさこそが、最後のセーフティネットとならず、現代の貧困の大きな原因になっているのだなぁということが、現場の目線から実感できた。 つながりを使ってズルをする人もいれば、そのつながりすらなくて、滑り台を落ちていくように貧困に落ちていく...
金銭的な貧しさというよりも、人間関係の希薄さ=貧しさこそが、最後のセーフティネットとならず、現代の貧困の大きな原因になっているのだなぁということが、現場の目線から実感できた。 つながりを使ってズルをする人もいれば、そのつながりすらなくて、滑り台を落ちていくように貧困に落ちていく人もいる。 この問題をどう解決すべきなのかは、わからないが、貧困を簡単な自己責任論で片づけてしまってはいけないのだろう。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ご存じの方も多いだろうが、著者・湯浅誠氏は2009年の東京・日比谷で開かれた「年越し派遣村」の村長として、その名を一気に世に知らしめた社会運動家。NPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の事務局長として、日本の貧困問題に長年取り組んできた信念の人だ(とはいえ、管政権で内閣府参与となり、辞任→就任→また辞任と繰り返した。この点については評価の分かれるところか)。 本書の記述は、こういった著者の具体的な経験から練り上げられたものであるだけに、単なる机上の空論なんかよりはるかに迫力がある。中でも一番の白眉は、何と言っても著者の提案する「溜め」の概念。 「溜め」とは、アマルティア・センの貧困論から着想を得たもので、簡単に言えば個人の潜在能力を作り・引き出してくれる力の源泉。お金もここに含まれるが、それだけでなく家族・親類・友人など人間関係の「溜め」もあれば、自分に自信を持つことができる・やればできるという強い信念を支える、精神的な「溜め」もある(近年の社会学や政治学でよく使われる「ソーシャル・キャピタル」概念に近い)。著者によれば、貧困とは単に金銭的欠乏の状態ではなく、こうした「溜め」が欠如している状態と考えるべきだという。 深刻な貧困に陥る人には、決まって共通する特徴がある。お金がない・仕事がないだけでなく、身寄りがなく・公的福祉からも見放されているため(市役所に生活保護を拒否されるなど)、八方塞がりで再チャレンジする足がかりが初めから奪われているという特徴だ。最も大事なのは、こうした「溜め」の欠如は決して「自己責任」の論理では解消できないという点。そもそも自助努力が可能になるには、ある程度家庭環境や人間関係などのバックグラウンドが整えられていなければならない。これらの条件を満たせない人は、まず教育課程から排除され、次に就業機会から排除される。この負の連鎖が続くと、最終的には自分自身の存在価値や将来への希望すら否定する「自己からの排除」に行き着く(自殺はこの段階で起こる)。 こうした状態は、本人の努力不足に起因しているというより、そもそもその自助努力の前提となる社会的・精神的基盤が欠落していることから帰結した事態だ。「貧困に陥った人は努力が足りなかったせいだ」という声は、こうした「排除の構造」をまったく理解していない。それどころかこの種の自己責任論は、自助努力の範疇外で重荷を背負わざるをえない運命に置かれた人にとって、きわめて暴力的な論理と言える。 本書が出版されて早4年。かつてあれほど猛威を振るった自己責任論も、今ではだいぶ影をひそめたように見える。これにはもちろん、湯浅氏を始めとする社会運動家の地道な活動によってもたらされた成果もあるのだろうが、何よりもリーマン・ショック以降、誰もが貧困に陥るという危険性が現実味を帯びてきたことが、最大の要因だと思われる。 人間誰しも「自分は努力をしているし、報われるはず」と考えがちなものだ(それこそ精神的な「溜め」があればこそ)。ましてやそれなりの成功を収めれば、それを単なる「運」よりも今まで払ってきた「努力」に還元したいのが人情というもの。だが、誰もが貧困の危機に脅かされる時代になれば、自分の努力不足を云々するよりも先に、むしろ「運の悪さ」を嘆こうとするのもまた人情というやつだろう。それだけに、今のような不況時には得てして自己責任論は後退し、逆に貧困の危機を自助努力の範疇外に置こうとする論理が、いわば一種のエクスキューズとして説得力を持ちやすい。その意味で、世界同時不況と軌を一にして、自己責任論を批判する著者の議論が世間の脚光を浴びるようになったのも偶然ではない。貧困をただそうとする著者の運動は、貧困の深刻化なくして影響力を持ちえなかった。 何とも皮肉な話ではあるが、世の中たいていこんなものか。
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生活保護問題などを、現場からの視点で取り上げている本。 ワイドショーとは異なる角度から、日本を見えるかも。
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最近話題にあがった、生活保護の問題。 いま学校で生活保護の問題を取り上げNPO法人「もやい」もいま取り上げてます。 憲法25条に明記されている、最低限度の生活の保障、最後のとりで生活保護が今後どういう風になるのか。 しかし、芸人の母親は生活保護の不正時給には値しないとおもう...
最近話題にあがった、生活保護の問題。 いま学校で生活保護の問題を取り上げNPO法人「もやい」もいま取り上げてます。 憲法25条に明記されている、最低限度の生活の保障、最後のとりで生活保護が今後どういう風になるのか。 しかし、芸人の母親は生活保護の不正時給には値しないとおもうが、息子の両親への援助は『強制』ではない... 貧困問題が大学生にもわかるいい本です。
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