袋小路の男 の商品レビュー
何回も読んでる。内容もわかってる。たまに会う友達みたいな感じ。『櫛』の読みが『くし』だと知ったのは、この話のおかげ。装丁がよくて、立ち読みしてたら『櫛』が出てきて、何て読むんですか?って本屋のおじさんに訊いたら、『くし』って教えてくれた。20歳から23歳のあいだのいつか。 何も変...
何回も読んでる。内容もわかってる。たまに会う友達みたいな感じ。『櫛』の読みが『くし』だと知ったのは、この話のおかげ。装丁がよくて、立ち読みしてたら『櫛』が出てきて、何て読むんですか?って本屋のおじさんに訊いたら、『くし』って教えてくれた。20歳から23歳のあいだのいつか。 何も変わらん。見た目と住所は変わったし、知ってる漢字とかちょっとした知識は増えたけど、もともとのもんは変わらんから、成長はしてない。頭がよくなりたいと思ったのは成人してから。まったくならんかった。今はそういうことは諦めて、おもしろおかしくやってる。楽しいけど、心にほんのちいさな異物があって、それがたまに意識されて、途方に暮れたりする。遠くへ行きたくなる。 匿名化された言葉は実に素直だ。誰にも話さないことがらが、誰にもしない話し方で、誰に宛てるわけでもなくぽろぽろ零れる。 その日は朝から雨だった。傘を持たない沼田は、自宅マンションを出、近所のローソンの傘立てから一本、黒の傘を抜いて歩き去ると、国道を跨ぐ歩道橋の真ん中まで来、立ち止まった。視線の先には電光掲示板があり、赤の光で、『光化学スモッグ注意報発令中』とある。上下線ともに車列で埋まり、排気ガスで脳と身体をやられた小学生の一団が、沼田の背後を通り過ぎていく。沼田が見遣ると、ひとりの男児が、沼田を試すようにして流行りのギャグを披露した。沼田は笑みを浮かべ、おもしろいねと返した。ちょうどそのタイミングで、沼田が上がってきた階段とは逆の階段を上がってきた中年の女が、不信感を露わにした無遠慮な視線を沼田に向けていた。沼田は何て不躾な女だと思ったが、当然ながら何も言わなかった。今の時代、雨の歩道橋に立ち小学生に話しかける中年の男は、不審者でしかないのだ。女が通り過ぎ、沼田が小学生の後方から歩き出すと、女の声が背中に飛んできた。 「沼田くん?」 沼田は声に応じることなく、歩道橋を降りていった。雨は止んでいた。時計を視て、一時間以上歩道橋に立っていたことに気付いた。沼田は傘を捨て、晴れ間が広がり始めた空を仰ぎ、今日はたいへんなデモ日和だなと思った。首都ではいろいろなことが起きており、政治だの人権だの文化だのと、沼田には何ら興味のないことで盛り上がる輩が蠢いている。ここは首都から西に下った地方都市。日常はどちらでもよいことで埋め尽くされている。食って働いて飲んで寝て、またあした。面倒はぜーんぶ首都まかせ。沼田は笑いながら、先ほどギャグを披露した男児のランドセルを思い切り蹴った。その男児は俺で、35歳となった現在もふとした拍子に沼田を思い出し、アレはなんだったのかと考えたりする。あの中年男に沼田と名付けたのは俺だが、確かに沼田は存在していて、時おり自分が、沼田を生きているような錯覚に囚われることがある。 嘘だ。嘘。これもあれも全部出まかせ。でも全部本当だとしても、人間の生涯に大した違いなどないということを、ミシェル・フーコーの著作が物語っている。俺はミシェル・フーコーが言うことを何一つ理解できず、ソシュールの言うことも、デカルトの言うことも、ウィトゲンシュタインの言うことも、何一つ理解できなかった。解らない事柄に於いて、嘘も本当もない。人間なんて、人生なんて、よく解らない。ただ一つだけ言えるのは、何事もビビってちゃダメだ。ビビっていたら、沼田になるぞ!
Posted by
それは袋小路の男でも、隣町の男でも、地下室の男でも、バーで出合った男でも何でもよかった。 心が震えてしまうほどの片思いをしてしまった相手なら誰でも。 学生の頃から話がスタートして十年以上。そしてそれは続く。まるでMだ。辛すぎる。しかし、幸せだ。 こんな2人を「袋小路の男」と「小...
それは袋小路の男でも、隣町の男でも、地下室の男でも、バーで出合った男でも何でもよかった。 心が震えてしまうほどの片思いをしてしまった相手なら誰でも。 学生の頃から話がスタートして十年以上。そしてそれは続く。まるでMだ。辛すぎる。しかし、幸せだ。 こんな2人を「袋小路の男」と「小田切孝の言い分」という2つの短編で書き上げている。 一気に読んだよ。ゆっくり読んだらその分揺さぶられ過ぎるからね。 さっと読んで結末を見てから、再読するに限ります。美味しいところを探すんです。きついところを探すんです。苦しいところも味わうんです。 あ~これこれ・・・こんな事するよな~。しちゃうよな~。あ~やっちゃうよな~~。 綺麗ではないし人間らしさが満載。2人の距離感が昭和末期から平成初期な感じだ。 1つの話をわざわざ2編に分けて書いたのが絲山秋子的な表現なのでしょうか。最初の「袋小路の男」では片思いする私からのアプローチであり2人の名前さえ出てこない。しかし「小田切孝の言い分」ではみんなに名前があり、家族があり、生活があり小田切孝からの小説である。端折った部分はあっても2編が重なり合わず微妙な距離を取りつつ話が進む。 男的な女的な部分もあるのではと思うけど、なんかね、それだけではない現実的な曖昧さを感じてしまうのです。あ~現実ってそんな感じ。言葉にできない現実感をうまくうまく表現している。 いつも絲山秋子の小説で揺さぶられるのは其処かもだな~~参った! こんなに揺れてるときに冷静に書評がかけるわけないか。。。(; ̄ェ ̄)
Posted by
つわり後初めて読み終わった本。 つわり中は読書をする体力がなくて、これの前に読んだ町田康は病院の待合室とかでしか読めんかったししんどかったし、それ以来全然読書ができてなかったのよ。 その間何をしていたのかというと、2ちゃんねるの生活系のまとめサイトを漁って、ひとんちの修羅場を読ん...
つわり後初めて読み終わった本。 つわり中は読書をする体力がなくて、これの前に読んだ町田康は病院の待合室とかでしか読めんかったししんどかったし、それ以来全然読書ができてなかったのよ。 その間何をしていたのかというと、2ちゃんねるの生活系のまとめサイトを漁って、ひとんちの修羅場を読んで気を紛らわしてました。あはは。 つわりが和らいでからは、楽に読めそうな本から読もうと思ってとりあえずこれにした。 表題作はまだましやったけど、にこめがぜんぜんだめやった。この内容小説でやる必要あるか?完全に蛇足やわ。 一番最後のおっさんと姪のは面白かったので辛うじてほしさんこ。手紙でやりとりええやなーい。
Posted by
久々に読んだ絲山秋子さんの小説。 この、想像力を掻き立てられるタイトルに惹かれた。 2人の人物の間の距離感が心地良いようなもどかしいような、そんな3つの短編集。 高校の先輩である小田切孝に出逢ったその時から、大谷日向子の想いは募っていった。 大学に進学し、社会人になっても指さえ...
久々に読んだ絲山秋子さんの小説。 この、想像力を掻き立てられるタイトルに惹かれた。 2人の人物の間の距離感が心地良いようなもどかしいような、そんな3つの短編集。 高校の先輩である小田切孝に出逢ったその時から、大谷日向子の想いは募っていった。 大学に進学し、社会人になっても指さえ触れることもなく、微妙な距離にある間柄のまま、ただ想い続けた12年。それでも日向子の気持ちが離れることはなかった。 表題作の「袋小路の男」と続く「小田切孝の言い分」はまったく同じ2人が主人公の物語。 表題作は“あなた”と“私”で綴られていて登場人物の名前は一切出てこず、「小田切孝の言い分」で2人の具体名がようやく出てくるという、面白いつくり。 表題作は日向子目線で綴られているから、あくまで日向子が思うことと彼女から見た小田切の姿が描かれていて、小田切は身勝手で自立心もあまり無いように見えるのだけど、どこか憎めない部分がある。 そして引き続くもう1つの物語は日向子と小田切が交互に語り部になっていて、小田切が思っていることや感じていることを知り、さらに憎めない感が高まる。 ものすごく、巧妙なつくりだわ、と思う。小田切を嫌いになれない…この小説の日向子の心境になってしまう。 キスもセックスもないどころか、まともに触れあったこともないまま、それでも会うことはゆるく続いていった12年。 その間に女は現実的な仕事を得たけれど、男は物書きというものを、夢と呼んで良いのかも分からないくらいの温度で追い続けている。 未来がうっすら見えるような見えないような、というところで、どこにも着地しないままのラストが素晴らしい。結果が出ることばかりが、物語のすべてではないと再確認。 そしてラストシーンで小田切のことが益々可愛くなるという…。 3つ目の「アーリオ オーリオ」は、40歳間近の役所勤めの男(物語内では清掃工場に配属されている)が、中学3年の姪をサンシャインのプラネタリウムに連れて行ったことがきっかけで、星の世界を交えての文通を始める、という物語。 LINEでもなくメールでもなく手紙という、書いて出してから相手が読むまで少なくとも2~3日のタイムラグがある交流の仕方が、光が届くまでタイムラグがある星とリンクする。 思春期真っ盛りの美由が叔父の哲に対して手紙で語ることは、おそらく両親には話してはいないこと。親ならばごちゃごちゃ口出しすることも、哲は静かに受け止めてくれる。 恋ではないけれど淡い恋にも近いような関係が、星の世界とも相まってとても美しい。 遠すぎず近すぎず。現実にもたまにあるこういう関係を保つのは、どちらかが踏み込むよりも、実は困難だったりする。と、思う。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
煮え切らない男ばかりを集めた短編集とでもいうべきだろうか。 表題作「袋小路の男」は、私はあなたに思いを寄せているが、あなたはそっけない。適度な距離を保っている関係を描いている。 ほんの少し、島本理生さんの「夏の裁断」を思い出した。 「小田切孝の言い分」も、小田切に片思いしている日向子視点で描いており、少しも振り向いてくれない切なさを感じる作品。 ラストの「アーリオ オーリオ」は先の二作と違い、姪っ子美由と手紙での交流を優しいタッチで描いている。こちらも主人公哲の回想シーンに煮え切らない場面がある。 これといった場面があるわけでもないが、最後まで読めてしまう。絲山ワールドが展開されており、楽しめました。
Posted by
かっこいい小説でした。 絲山秋子さんの小説初めて読んだのは「逃亡くそたわけ」 でした。これもしびれましたが、この片想い小説もセンスが良くて心に響きました。
Posted by
べったりしたつき合いが極端に苦手な人にも夢を見させてくれるいい話だった。『袋小路の男』では献身的で一歩引いていて一途に尽くすけれど、2人の関係はどこか一方的な感じがする。双方向性が欠けてるよなあ、純愛とは一方的なものでしかあり得ないのだろうか、いくら純愛に見えても双方向性がないと...
べったりしたつき合いが極端に苦手な人にも夢を見させてくれるいい話だった。『袋小路の男』では献身的で一歩引いていて一途に尽くすけれど、2人の関係はどこか一方的な感じがする。双方向性が欠けてるよなあ、純愛とは一方的なものでしかあり得ないのだろうか、いくら純愛に見えても双方向性がないと関係は発展しないし無意味だよなあ、などと思っていた。けれど続きの『小田切孝の言い分』では、ささいなやりとりのうちに知らず知らず双方向的に関係が発展し、積み重なっていたことが明らかになっていく。そして各々辿り着いた最適な距離感の答えが、最終的に2人の間でぴたりと一致する。そこに感動を覚えた。美しい関係だなと思う。婚姻どころか同居もしない、これも現代ではおかしくない結婚観の一つなのだろう。
Posted by
絲山秋子さんが描く、男女の微妙な距離感が好きだ。「沖で待つ」を初めて読んだときと同じように、今回もじわじわと暖かい気持ちになった。
Posted by
読書日記作家 宮下奈都(1) 『袋小路の男』血が沸き肉躍る強烈な感覚 2016/9/8付日本経済新聞 夕刊 絲山秋子の小説が好きで、デビュー作を「文学界」掲載時に読んで以来、いつも新作を楽しみにしている。何年かに一度ずつ、私の中のベスト絲山は更新され、もしも一作挙げよとい...
読書日記作家 宮下奈都(1) 『袋小路の男』血が沸き肉躍る強烈な感覚 2016/9/8付日本経済新聞 夕刊 絲山秋子の小説が好きで、デビュー作を「文学界」掲載時に読んで以来、いつも新作を楽しみにしている。何年かに一度ずつ、私の中のベスト絲山は更新され、もしも一作挙げよといわれたらこれ、とその理由も考えながら選ぶのを趣味としてきた。 たいていの本のよさを紹介するとき、どこがどうして面白いのか理由をつけるのはそう難しいことではない。しかし、絲山小説に限っては、それがとても難しい。なぜなら、自分の中の気持ちがその都度変化するからだ。読むたびに反応する部分が変わる。この理由を、この魅力を、どう伝えればいいのかわからない。 さて、更新され続けるベスト絲山ではあるが、今回、広くおすすめする一冊を選ぼうとしたら、10年以上も前の『袋小路の男』(講談社文庫)になったことに自分でも驚いた。この本を読んで、血が沸き肉が躍った、強烈な感覚を今も忘れない。 ――あなたが私の車に乗ると、とてもいい匂いがした。嗅いでいることが恥ずかしくて煙草(たばこ)をひっきりなしに吸った。 この文章だけで私のひよわな胸は撃ち抜かれたのだが、続く一節には身(み)悶(もだ)えした。恋の話だ。指一本触れないままの12年間の恋の話。それがこれほど響くとは。 私の手元にあるのはサイン本である。「群像」掲載時に拙くも熱い感想文を送ったら、著者のホームページに掲載される栄誉に与(あずか)った。副賞が為書き入りのサイン本だった。私の大切な思い出、ひそかな自慢のひとつだ。 みやした・なつ 1967年福井県生まれ。作家。上智大卒。2016年『羊と鋼の森』で本屋大賞。
Posted by
「袋小路の男」 私とあなたの関係。距離。 ・ぺんぺん草がすいすいと二本はえていた。あれが、あなたの原点だと私は決めた。パンツからはみ出た陰毛みたいだと友達は笑った。 ・死んだ魚にも似ていた。 ・「二十歳になったらセックスしても犯罪にならないだぜ、機会があったらやりましょう」 ・ど...
「袋小路の男」 私とあなたの関係。距離。 ・ぺんぺん草がすいすいと二本はえていた。あれが、あなたの原点だと私は決めた。パンツからはみ出た陰毛みたいだと友達は笑った。 ・死んだ魚にも似ていた。 ・「二十歳になったらセックスしても犯罪にならないだぜ、機会があったらやりましょう」 ・どこか知らない国に咲くグロテスクな花のようだった。 ・ベランダから飛び降りた ・カッコ悪い。カッコ悪すぎる。あなたが持っている最後の担保はカッコ良さなのに、そんなのはひどい、裏切りだ。 ・あなたのドライでクールなイメージ、あなたの付加価値はセックスをすれば消えてしまうかもしれない。 ……つまりは少女漫画的恋。桜庭和樹や羽海野チカの描きそうな。 これを、 「小田切孝の言い分」 で、ひっくり返していく。「私」→大谷日向子。 彼は決して最高のカッコ良さではない。 ネットでエロ画像を集めもすれば執筆に悩んだりもする。 セックスすれば消えてしまう幻想を抱き続けるのには、距離が必要なのだ。 ここで、「あなたを袋小路に追い詰めるようなことは一切しない。/静かな気持ちだ。」という前作の結末が二重に響く。 いい連作だ。 「アーリオ オーリオ」 は、叔父と姪の手紙の遣り取り。 何よりも姪の溌溂さ、成長の伸びしろが、胸を打つ。 「今日、私は新しい星を作りました。私だけにしか見えない星です。たったの3光日の距離にあります。(略)でもアーリオ オーリオがあるから大丈夫なのです」 この「大丈夫なのです」が実に素敵だ。
Posted by