自分のなかに歴史をよむ の商品レビュー
べつのところでも紹介したけど、20年前に読んだ本が文庫になった(単行本は1988年)。「わかることは、変わること」という一節はとても大切。本当の変化は、目に見える…。
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前半は、著者が学問を志すにいたった経緯を語ったエッセイの形になっていて、後半は、専門であるドイツ中世史から、ヨーロッパの歴史を考えるという内容になっている。 何故、ヨーロッパは日本の文化とは異なる種類の文化を成立させたか、ということを考える時、多くの歴史書では「産業革命が起こっ...
前半は、著者が学問を志すにいたった経緯を語ったエッセイの形になっていて、後半は、専門であるドイツ中世史から、ヨーロッパの歴史を考えるという内容になっている。 何故、ヨーロッパは日本の文化とは異なる種類の文化を成立させたか、ということを考える時、多くの歴史書では「産業革命が起こった」ということを理由に説明がされることが多いけれど、この本では、そこにとどまらずに、「それでは何故、ヨーロッパで産業革命が起こったのか」という、一段階先に進んだところを考えている。 中世ヨーロッパというものを考える時、その当時に生きていた人々は「大宇宙(マクロコスモス)」と「小宇宙(ミクロコスモス)」とを意識しながら生活していた、という世界観は、かなり面白かった。 そこから展開して、なぜ被差別民が誕生したかということや、なぜキリスト教の普及によって東洋の文化と違う発展の仕方をしたのか、ということが、独自の視点から解釈されている。 歴史の本流部分を教科書的に説明しているのではなくて、中心的な出来事からは外れたところにある傍流の出来事に焦点をあてているところが斬新で、西洋史の面白さがよくわかる本だった。 火は聖なるものとして、人びとの共有物でもありましたが、それ自体は大宇宙のモノとして恐れられていたのです。現在私たちが火の用心をしているその心理の底には、かつて大宇宙のモノであった火に対する畏怖があるといってもよいでしょう。私たちが火を扱うときの態度の底に、古代や中世が息づいているのです。(p.120) 日本では、国家や都市は宗教色が薄いと感じられています。むしろ特定の宗教と関係をもたないほうが良いとされています。このころのヨーロッパに成立した都市も国家も、終局的には個々人が死後天国に行けるように配慮すべき機関としての性格をあわせもっていたのです。完全な世俗国家ではなく、なかば宗教的な制度としての都市や国家が生まれたのです。(p.144)
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History as a dialogue with oneself. 歴史学の入門書、と銘打たれているが、思想や哲学の範疇に入るかと。 歴史は自分とは無関係に外的な経過をするものではない。 人と人との関わりにおいて映し出される自分像が、過去から現在に至る 自己という「歴史」の...
History as a dialogue with oneself. 歴史学の入門書、と銘打たれているが、思想や哲学の範疇に入るかと。 歴史は自分とは無関係に外的な経過をするものではない。 人と人との関わりにおいて映し出される自分像が、過去から現在に至る 自己という「歴史」の発見に繋がるもの。 「それでいったい何が解ったことになるのですか?」 「解るということは、それによって自分が変わるということ」 の件にはどえらい衝撃を受けた。思考に大きな変革を与えてくれる一冊。
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学問とは自発的に生きること。 歴史研究とは、過去の自分を正確に再現することだけでなく、現在の時点で過去の自分を新しく位置づけてゆくこと。 古文書が読めるようになろう。 欧州中世にも身分社会があった。差別される人々がいた。 現代人が一つの宇宙で暮らしているとするならば、古代・中世の...
学問とは自発的に生きること。 歴史研究とは、過去の自分を正確に再現することだけでなく、現在の時点で過去の自分を新しく位置づけてゆくこと。 古文書が読めるようになろう。 欧州中世にも身分社会があった。差別される人々がいた。 現代人が一つの宇宙で暮らしているとするならば、古代・中世の人々は二つの宇宙の中で暮らしていた。大宇宙と小宇宙。 ドイツではどこの国の誰にでも古文書館が解放されている、日本はそうじゃない。文明として熟していない証拠。
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自分に新たな視点を与えてくれた、とても重要な本。 自分はなぜ自分なのか? 改めてその問いを自分に投げることが、なんだか愚かしいような気がして避けてきたが、そこにこそすべてを解明する答えがあると思わされた。
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心に残るフレーズ 「解るということはそれによって自分が変わることでしょう」 「解る」と言うことはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かで、 そのような「解る」を体験すれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。 歴史研究とは過去の自分を性格に再現すること...
心に残るフレーズ 「解るということはそれによって自分が変わることでしょう」 「解る」と言うことはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かで、 そのような「解る」を体験すれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。 歴史研究とは過去の自分を性格に再現することではなく、 現在の時点で過去の自分を新しく位置づけていく事。
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○恩師(上原専禄(せんろく)先生)の言葉 「それでいったい何が解ったことになるのですか?」により著者は自問する癖が身についた。 「解るということは、それによって自分が変わるということ。」(P.17) (「知る」と「解る」は異なる。) ○時間意識は、人間が周囲の事物とかかわるかか...
○恩師(上原専禄(せんろく)先生)の言葉 「それでいったい何が解ったことになるのですか?」により著者は自問する癖が身についた。 「解るということは、それによって自分が変わるということ。」(P.17) (「知る」と「解る」は異なる。) ○時間意識は、人間が周囲の事物とかかわるかかわり方のなかで生まれてくるものなのです。(P.52) (数量的なとらえ方ではなく、周囲とのかかわり方で時間は生まれる。) ◆本を読んだり勉強した事は、それによって「どう自分が変わったか?」により、初めて解った(習得した)といえる。 読み終わった後に心に残る感動があった。 文章も非常に読みやすく、あっという間に読み切ることが出来た。 この本を高校生の頃、いやせめて大学生の頃読んでいれば自分の人生も違ったのでは?
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阿部謹也さんは3年前、急性心不全のため亡くなった。 享年71歳。 学生時代に、大学の学園祭に招待されて、特別講義をおこなったことがあったが、行けばよかった。後悔、先に立たずとは、まさにこのことをいうのか…。 ■「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」 →「生きてゆくことと学問...
阿部謹也さんは3年前、急性心不全のため亡くなった。 享年71歳。 学生時代に、大学の学園祭に招待されて、特別講義をおこなったことがあったが、行けばよかった。後悔、先に立たずとは、まさにこのことをいうのか…。 ■「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」 →「生きてゆくことと学問とをつなぐ接点を数歩後退して求めるために、何ひとつ書物を読まず、何も考えずに生きてゆけるか、と逆に自分に問いを発してみたのです。するとその問いには容易に答えが出たのです。 そんな生活はできないということが体の奥底から納得できたのです」 >そういう気持ちで勉強したこと、あったっけ? 受験勉強も、大学でのゼミ研究も、会社でのペーパーテストも、受かるための勉強しかしてこなかった気がする。でも、そうやって覚えた知識など、何一つ活きてはこない。知恵として、あるいは教訓として血肉化されない。 ■「解るということはそれによって自分が変わるということ」「それでいったい何が解ったことになるのですか」 →「ただ知ること以上に自分の人格に関わってくる何かなので、そのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはず」 >自分自身がどのように変わったかを省察する癖をつけてみようかしら? ■「人は過去に規定され、未来への意志によって規定されながら現在を生きている…学問の意味は…自覚的に生きようとすることにほかならない」 →「そのためには、自分の中を深く深く掘ってゆく作業…ものごころついたころから現在までの自己形成の歩みを、たんねんに掘り起こしてゆく…学問の第一歩…自分の内奥を掘り起こしながら同時にそれを≪大いなる時間≫のなかに位置づけていく…」 →「歴史は自分の内面に対応する何かなのであって、自分の内奥と呼応しない歴史を私は理解することができない」 >歴史の教科書がつまらない理由が分かった気がした。自分にも「歴史」があること。自分もまた「歴史」の重要な登場人物だという認識から、自分の興味分野、影響を与えたファクターとか掘り起こしていかないと、「現代」すら離れた対象としか捉えられない。ちょっと、なんか掴めた気がしてきた。
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阿部謹也の作品は大企業の社長の殿堂入り本に入れられることが多い。 初めて読んだが、その深い考え方になるほどと思った。 中世史という学校で習う学問を超えて、学ぶということは何か。 何がわかれば、学んだ事になるのか。 そうした疑問を持って書物に当たる。ただの情報としての本ではなく、...
阿部謹也の作品は大企業の社長の殿堂入り本に入れられることが多い。 初めて読んだが、その深い考え方になるほどと思った。 中世史という学校で習う学問を超えて、学ぶということは何か。 何がわかれば、学んだ事になるのか。 そうした疑問を持って書物に当たる。ただの情報としての本ではなく、知識と思考から何を見つけ、何を理解するのか。非常に造詣の深い、物事を愛してやまなかった人に違いない。 最近本を乱読しているが、そこから何を感じ、何のためにわざわざ自分の限られた時間を使うのか。そこまで考えずに惰性的に読んでいたのかもしれないなと。 自分は研究者ではない。でも、ある意味人生におけるテーマを追求し続けているのだから、その意味で何を学び、何を極め、何の為にいまここにある本を読むのか。 難しい事ではなくて、多分そこに純粋なものがあるのだと思う。
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H20.11.22 西洋、キリスト教の歴史を紐解くのに面白かった。自分とのつながりを考えてみよう。
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