タテ社会の人間関係 単一社会の理論 の商品レビュー
JMOOC OpenLearning, Japan「グローバルマネジメント(入門)」Week3参考文献。
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またまた、たまたま図書館のリサイクル本の中から見つけて、もらってきて読みました。長年のベストセラーということもあり、今読んでもそれほど古さを感じません。本書が著されたのは私がちょうど生まれた頃なのですが、その頃といまとでは技術の面では大きく異なるのに、人間関係という部分ではそれほ...
またまた、たまたま図書館のリサイクル本の中から見つけて、もらってきて読みました。長年のベストセラーということもあり、今読んでもそれほど古さを感じません。本書が著されたのは私がちょうど生まれた頃なのですが、その頃といまとでは技術の面では大きく異なるのに、人間関係という部分ではそれほど大きな変化があるように思えません。そんな中、少し変わってきたかなと思えるのは、中学生のクラブ活動におけるタテの人間関係です。以前は先輩・後輩というのが絶対的なもので、どんな理不尽な言いつけも守らなければならなかったし、技術的に劣る先輩であっても、先輩という集団の中にいる限り、ちゃんと相手を立てなければならなかった。ところが、最近はタメ口で先輩と話をする後輩が多いのです。実はこのクラブ活動を通してある程度の敬語の使い方なども覚えてきたと思うのですが、どうもそれがこの人間関係とともに壊れてきているようです。もっとも、私の時代でもいまでも、先生に対してのタメ口は変わらないのですが・・・。こういった本をもう一度読み返すことで、現代社会のかかえている人間関係の問題点が浮き彫りになってくるかもしれません。
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もとの雑誌掲載が1964年(昭和39)年5月。 初版が1967年2月(まえがき66年12月)、手にした版が2004年10月の120刷。 そして読んだのが2014年5月(読み返し7,8月)。 初版から47年、およそ半世紀。(雑誌掲載からはまさに50年!) そして初版は戦後22年で...
もとの雑誌掲載が1964年(昭和39)年5月。 初版が1967年2月(まえがき66年12月)、手にした版が2004年10月の120刷。 そして読んだのが2014年5月(読み返し7,8月)。 初版から47年、およそ半世紀。(雑誌掲載からはまさに50年!) そして初版は戦後22年で出たものである。 つまり書かれた年を起点とすると、戦時へ遡るよりも現在へは3倍の年月が経っている。 それにも関わらず論に古さを感じない。 成果主義が導入され年功序列が消えようとしても、根本の組織体系は50年ほど前と同じ。 日本人って何だろうって考えさせられる。 いくら欧化政策したって、させられたって日本人または日本文化の本質は変わらないってことか。 言い尽くされた感があっても、これが日本人のアイデンティティだったりDNAだったりするのだろう。 〈2回目を読み終えて〉 個人個人の選手が優れていても、外国人(有能)監督では成績残せないサッカー日本代表の秘密もココにありそうだ。 つまり本書で述べられているように、「論理より感情が優先」する日本人だから、 戦術論よりエモーショナルに訴えたほうが成績を残せるのかも。 もちろん個々の実力が備わっていることが条件だけれども。 >職能より組織で語る 確かに現実社会はそうかもね。 でも匿名性の高いネットでは匿名性ゆえに自称エンジニアとかトレーダーとか職能で語ってるかな。 一般社会では専門(学部・学科)よりも学校名で語られるよね、良くも悪くも、学歴。 以外にも、ちょっと古さを感じた箇所 (但し論に影響するものではない) >BGの職場にはボスができていたり(P22) 古さを感じさせない内容であるが「BGの職場にはボスがいたり」が理解できず、 Wikiるとbusiness ladyの略と知ってジェネレーションショック。 >南方ボケ(P60) 熱帯に行かされた者が帰国し一定期間しっくりいかない意。 いま南方って言わないよね?この辺りが戦後っぽい。 >日独伊のリーダー対比(P142) 戦時中のリーダー(独裁者)を比較しているところ。このあたりも戦争の影響が色濃いね。 >よし 冒頭に仮定の意で使われている感じ。 軽く調べてみると、陳述の副詞、仮定の用法のようだ。 【以下 個人的メモ】 P154冒頭4行 7章「人と人との関係」 日本の組織論は必読 最後のところ 論理より感情が優先 (携帯に眠っていた文章:20140527頃)
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一度の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、暮らし方が複線化された社会に変わっていかなければならない。こうした社会環境の変化を阻害しているのが本書が指摘する「タテ社会」である。「職場あっての自分」というように場の共通性によって構成され、集団は枠によって閉ざされた世界を...
一度の失敗で人生の決まる単線的社会から、働き方、学び方、暮らし方が複線化された社会に変わっていかなければならない。こうした社会環境の変化を阻害しているのが本書が指摘する「タテ社会」である。「職場あっての自分」というように場の共通性によって構成され、集団は枠によって閉ざされた世界を形成し、成員の感情的全面参加により、一体感が醸成されて集団として強い機能を持つ。感情的全面参加はエネルギーを結集することができても、個別的で多様性に欠け、論理性に乏しいため合理的な展望を描けない。共通の場に立つものや同じ空気を持つものにしか通じない。 組織は硬直的、閉鎖的なものではない。これからは流動性が高まり、もっと自由なものになる。雇用関係の有無さえとはない。協力、連携、パートナーシップを含む多様なつながりとなる。雇用のあり方はコスト・オンリーの経済的視点から少子高齢化や情報化社会など社会的視点で規定されるようになる。 正社員にこだわるのはもうよそう。労働者は自らを雇っている組織よりも長生きするようになる。安心は雇用から生み出されない。幸いにしてあらゆる仕事が高度化し、人と人との共同作業によって行われるようになった。分業が促進された組織は人の強み、得意分野を動員して、弱みを意味ないものとする。「みんな同じじゃなきゃ気がすまない」終身雇用前提のタテ割り分業ではなく、それぞれの得意分野を磨くことによって、掛け合わせるヨコ割り分業を進める。分業によってお互いを必要とし合って生きることで共同性の回復が図られ、安心感のある社会に変わっていける。
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日本の社会はタテだという。 西洋の社会はヨコだという。 日本は場を重んじ、 インド人は資格を重んじる。 結局のところ、どちらが良くて どちらが悪いというのはないのだろうし。 僕自身、どちらがどうという話をする気もないのだけれど。 “論理よりも感情を楽しむ日本人” そ...
日本の社会はタテだという。 西洋の社会はヨコだという。 日本は場を重んじ、 インド人は資格を重んじる。 結局のところ、どちらが良くて どちらが悪いというのはないのだろうし。 僕自身、どちらがどうという話をする気もないのだけれど。 “論理よりも感情を楽しむ日本人” その表現は、なんだかいいなと感じます。
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会社で読んでいたら、この作者のいうことが似たような形で起こっている、当てはめやすいものだった。 何が言いたいかというと、昔の本。だけど、とても今の世の中にも会社組織にも通用することが多い。 少しタテ社会の常識がわかれば、短期な私にも渡り合うのに必要なもののため理論的にガマンがで...
会社で読んでいたら、この作者のいうことが似たような形で起こっている、当てはめやすいものだった。 何が言いたいかというと、昔の本。だけど、とても今の世の中にも会社組織にも通用することが多い。 少しタテ社会の常識がわかれば、短期な私にも渡り合うのに必要なもののため理論的にガマンができそう。 かっこいい理由を一生懸命唱えながら、上司の理不尽にも。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
伝統的に日本人は「働き者」とか「なまけ者」と言うように、個人の能力差には注目するが、「誰でもやればできるんだ」という能力平等観が非常に根強く存在している。 天才的な能力よりも、人間に対する理解力・包容力を持つということが何よりも日本社会におけるリーダーの資格である。
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半世紀近く昔の本なので、当然その理論の説明力も弱まる。 先輩後輩の関係など、未だにタテ社会の文化が日本に存在していることが間違いないわけだが、 以前ほどの強い意識はなくなっているのだろう。 読んでいて、キレは今ひとつのように思えた。 そのため、 理論をサポートする例示とそのロジッ...
半世紀近く昔の本なので、当然その理論の説明力も弱まる。 先輩後輩の関係など、未だにタテ社会の文化が日本に存在していることが間違いないわけだが、 以前ほどの強い意識はなくなっているのだろう。 読んでいて、キレは今ひとつのように思えた。 そのため、 理論をサポートする例示とそのロジックが強引というか選択バイアスがかかっている感じがあり、 読んでいて「それは一部の意見や状況を引っ張ってきて、理論に当てはめているだけじゃないの?」 と突っ込みたくなる記述が多かった。 これは、日本社会が様々な要因の中で変わってきた、と捉えるのが適切なのかもしれない。 中盤の日本人に蔓延る能力平等観を学歴主義の原因に見る組織論的な話は、まぁ面白かったが、 やはりここでも議論の強引さが気になった。
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この著書ではカースト制度のインドと日本を比較して、 場による集団特性、たとえば「ウチの者」「ヨソモノ」など述べられているが、山本七平の「空気の研究」を読んだ以来の衝撃を得た。「空気」とは、これのことだろうか??? 共に約半世紀前に書かれたにも関わらず、全く今と変わらないのが、恐ろ...
この著書ではカースト制度のインドと日本を比較して、 場による集団特性、たとえば「ウチの者」「ヨソモノ」など述べられているが、山本七平の「空気の研究」を読んだ以来の衝撃を得た。「空気」とは、これのことだろうか??? 共に約半世紀前に書かれたにも関わらず、全く今と変わらないのが、恐ろしくもある。我々日本人には何か呪いをかけられているのではないだろうか。 この呪いが解かれるのは著者曰く「圧倒的な経済力と政治権力をもった外からの社会に呑流される場合」とある 今はそうだろうか?そうではないだろう。緩やかな死を迎える状況で解かれることはない メモ) ・あらゆる問題は、属する枠の中で解決しなければならない ・日本人はいちいち人と相談、寄合をして決める。インドでは規制があり、それに反してなければ自分で決めれる ・大企業も大きな家。丸抱え。結果、経営者は家族、私生活まで考え方、思想、行動を規制してくる。そして、それに成功した ・日本人は仲間といるとき、ヨソモノに対して、極めて冷たい態度を取る アメリカの大学。中国人が中国語で雑談。著者が通りかかると「英語」に切り替える=壁を作らないマナー ・日本では2つ以上の集団に同様なウェイトをもって参加するのが非常に困難。どちらかに優先的に所属しているものがなければならない ・従業員の序列は入社年次で決まる。これは経営者が決めるのではなく「従業員が決めている」 ・日本では個人の努力差には注目するが、基本的に「誰もがやれば出来るんだ」という能力平等観が存在 能力を学歴、年齢で判断するのは、そこにある これにより努力を惜しませない、そのかわり梯子を 用意する ・リーダーは一人に限られ、交替が困難 ・集団に時間があると、行動を起こす前にひともんちゃくがある。時間がないとヒエラルキー優先。議論の余地なく上部優先で進む。それを「意見の一致」「思想の統一」と呼ぶ ・契約精神がない。組織と個人の関係がうまくいかなくなると「おれはやめる」などといって脅し、エゴイスティックな感動を味わおうとするのは感情的な人間関係を優先される性向が強い。ただ、これは依頼する方も同じである ‥等
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日本社会における官僚支配の構造の分析は丸山真男氏とかわらないのだが,高校生にもわかる言葉で解説しているところが昭和の名著と言えるであろう。 「孤立した諸集団を統合する行政網は,同時に各集団の内部組織である「タテ」の線を伝わり,その集団の底辺にまで難なく達することができ,それによ...
日本社会における官僚支配の構造の分析は丸山真男氏とかわらないのだが,高校生にもわかる言葉で解説しているところが昭和の名著と言えるであろう。 「孤立した諸集団を統合する行政網は,同時に各集団の内部組織である「タテ」の線を伝わり,その集団の底辺にまで難なく達することができ,それによって世界にちょっと比類のない徹底した行政網が完備し,全人口に浸透したのである。実際,江戸時代において,幕府の政策や藩の政策が,山奥の村々の家々にまで,あのようにもれなく達していたという行政網の機能力は,たんに幕府の権力のみでなく,日本における社会集団の構造におっているところが多大であると思われるのである」中根千枝(1967)『タテ社会の人間関係』講談社pp.112-113 「この同族的(むろん擬制を含んだ)紐帯と祭祀の共同と,「隣保共助の旧慣」とによって成立する部落共同体は,その内部で個人折出を許さず,決断主体の明確化や利害の露わな対決を回避する情緒的直接的=結合態である点,また「固有信仰」の伝統の発源地である点,権力(とくに入会や水利の統制を通じてあらわれる)と温情(親方子方関係)の即時的統一である点で,伝統的人間関係の「模範」であり,「国體」の最終の「細胞」をなして来た。それは頂点の「国體」と対応して超モダンな「全体主義」も,話合いの「民主主義」も和気あいあいの「平和主義」も一切のイデオロギーが本来そこに包摂され,それゆえに一切の「抽象的理論」の呪縛から解放されて「一如」の世界に抱かれる場所である。したがって「近代化」にともなう分裂・対立など政治的状況を発生させる要因が,頂点の「国體」と同様に底辺の「春風和気子ヲ育シ孫ヲ超スルノ地」(山県の言)たる「自治体」内部に浸透するのをあらゆる方法で防遏するのが,明治から昭和までの一貫した支配層の配慮であった」丸山真男(1961)『日本の思想』岩波書店pp.50-51
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